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七星を廻る物語  作者: 豆柴の旅々
第一章 旅立ち

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第一話 旅立ち

 村を包む夜は、まだ深く静かだった。


 窓の外では無数の星々が瞬き、淡い月明かりが小さな家を照らしている。


 部屋の片隅には、旅支度を終えた二つの荷物が置かれていた。


 その前に立つカインは、ゆっくりと部屋を見渡す。


 決して広くはない。豪華な家具があるわけでもない。


 それでも、この家には十四年という歳月があった。


 笑った日。泣いた日。叱られた日。そして、励まされた日。


 その全てが、ここに残っている。


 もう、この家で暮らすことはない。


 そう思うと、少しだけ胸が締め付けられた。


「カイン。」


「準備できた?」


 振り返ると、旅装束に身を包んだ少女が笑っていた。


 エリー。


 幼い頃から、ずっと一緒に育ってきた少女だ。


 楽しいことも、怖い思いも、二人で経験してきた。


「うん。いつでも。」


「よかった。忘れ物しても、簡単には戻ってこられないからね。」


 いつもと変わらない笑顔。


 だから、カインも自然と笑った。


 その時だった。


「カイン。」


 穏やかな声が部屋へ響く。


 祖父が、小さな木箱を手に歩み寄ってきた。


「これを持っていきなさい。」


「……?」


 カインは差し出された木箱を受け取り、ゆっくりと蓋を開いた。


 中には、一つの指輪が入っていた。


 古びた銀色の指輪。


 華美な装飾はない。


 ただ、その表面には見たことのない紋様が刻まれている。


「これは……?」


「お前の両親のものだ。」


 カインの目が僅かに見開かれた。


「父さんと母さんの……。」


 そっと指輪を手に取る。


 ひんやりとした感触が、掌へ伝わった。


「じいちゃん。父さんと母さんって、どんな人だったの?」


 祖父はしばらく何も答えなかった。


 やがて、静かに口を開く。


「……勇敢な冒険者だった。」


「……それだけ?」


「ああ。」


「もっと教えてくれてもいいだろ?」


 祖父は僅かに笑った。


「人から聞いた答えなど、所詮はその者の答えに過ぎん。」


 カインは祖父を見る。


「歩きなさい。」


「迷ってもよい。立ち止まってもよい。間違えることもあるだろう。」


「それでも、自分で選んだのなら、その先を自分の足で歩きなさい。」


「……。」


「いつか、振り返る日が来る。」


「その時、その道を誇れるかどうか。」


「それを決めるのは、お前自身じゃ。」


 カインは何も言わなかった。


 ただ、手の中にある指輪を見つめる。


 父と母が残したもの。


「……分かった。」


 祖父は静かに頷いた。


「今日からは、お前が持っていなさい。」


「うん。ありがとう、じいちゃん。」


 カインは指輪を小さな革袋へ入れ、大切に懐へしまった。


 エリーが扉を開くと、冷たい夜風が部屋へ流れ込んできた。


「行こう。」


「うん。」


 二人は家の外へ出た。


 村は、まだ眠っている。


 聞こえるのは虫の声と、二人の足音だけ。


 カインは少し歩いたところで足を止め、振り返った。


 月明かりに照らされた、小さな家。


「じいちゃん。」


「行ってくる。」


 祖父は静かに微笑んだ。


「ああ。行ってこい。」


 それだけだった。


 カインも笑った。


 そして、前を向く。


 二人は、星明かりに照らされた夜の街道を歩き始めた。


 これから、どこへ行くのか。


 誰と出会うのか。


 何が待っているのか。


 まだ、何も知らない。


 それでも。


 二人の足は止まらなかった。


 やがて、その姿が夜の闇へ溶けていく。


 祖父はいつまでも、その背中を見つめていた。


 二人の姿が完全に見えなくなると、祖父は小さく息を吐いた。


「……約束は果たした。」


 夜空を見上げる。


「あとは、あの子たちの物語だ。」


 僅かな沈黙。


「――見届けてもらおう。」


「観測者《ウォッチャー》。」


 返事はない。


 ただ、夜風だけが静かに吹き抜けていった。


◇


 しばらく歩いた頃、エリーが突然足を止めた。


「ねえ、カイン。」


「ん?」


「星、すごいよ。」


 カインも空を見上げた。


 夜空いっぱいに、無数の星が広がっている。


「……本当だ。」


 エリーが笑う。


 カインも笑った。


 そして、再び歩き始める。


 長い夜が、少しずつ終わっていく。


 東の空が白み始め、一つ、また一つと星が朝焼けへ溶けていった。


 やがて、二人は緩やかな丘を登り切る。


「わぁ……。」


 エリーが小さく声を漏らした。


 地平線から朝日が昇り、黄金の光が広大な草原を照らしていく。


 夜露を纏った草木が朝風に揺れ、緑の波となってどこまでも続いていた。


 そして、その先。


 巨大な白亜の城壁が、朝日に照らされていた。


 ――自由都市リヴァル。


 エリーの顔がぱっと明るくなる。


「行こう! カイン!」


 カインは少しだけ立ち止まった。


 懐へ、そっと手を当てる。


 そこには、父と母が残した一つの指輪。


 カインは前を向いた。


「うん。行こう。」


 二人は丘を駆け下りる。


 朝日に照らされた、街道の先へ。


 それまで、ただの村の少年だったカインは、この日、初めて自分の意志で世界へ一歩を踏み出した。


◇


 遠く離れた場所。


 とある建物の地下には、巨大な空間が広がっていた。


「……たったこれだけか?」


 赤い髪の男が、苛立ちを隠そうともせず、目の前に並ぶ黒装束の男たちを睨みつける。


「……申し訳ございません。」


 一人の男が深々と頭を下げる。


「ですが……。」


「うっ……。」


「ゲホッ、ゲホッ!」


 別の男が思わず口元を押さえた。


 鼻を突く凄まじい腐臭が、地下空間を満たしていた。


 しかし、赤い髪の男だけは何も感じていないかのように、平然と立っていた。


「しょうがねぇ。」


「だったら、これから作るこいつらを連れていけ。」


「もっと効率よく集めろ。」


「……はっ。」


 赤い髪の男は、おもむろに両手を広げた。


 そして、口の端を吊り上げる。


「《死者廻旋(タナトス・ステュクス)》」


 瞬間。


 赤黒い光が地下空間を埋め尽くした。


「……っ!」


 黒装束の男たちが思わず顔を覆う。


 不気味な光が、脈打つように明滅する。


 やがて、光が消えた。


 静寂。


 誰も声を発しない。


 ――ぬちゃ。


「……?」


 ――ぴちゃ。


 暗闇の中から、何かが蠢く音が聞こえる。


 ――ぬちゃ。


 ――ぴちゃ。


 一つではない。


 そこかしこから、音が響き始める。


 黒装束の男たちの顔が恐怖に引きつった。


 そして、暗闇の中。


 一つ。


 赤い光が灯る。


 また一つ。


 さらに、もう一つ。


 赤い髪の男は、その光景を眺めながら、ゆっくりと口の端を歪めた。


「――仕事の時間だ。」

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