第十五話 アルカディア神聖国
トライデン公国。
エヴァンス公爵家で華やかな宴が行われていた頃。
遠く離れたアルカディアの地では、静かに異変が始まっていた。
◇
アルカディア教会自治領。
教会本部地下。
普段、人の立ち入ることのない深い地下空間。
そこには。
無数の兵士たちが並んでいた。
全身を覆う、黒いフルプレートアーマー。
誰一人として。
身じろぎ一つしない。
そして。
兜のわずかな隙間から。
赤い光が覗いていた。
一つ。
また一つ。
暗闇の奥で。
赤い光が灯っていく。
それは。
兜の奥から覗く。
無数の赤い目だった。
その兵士たちの前に、一人の男が立っていた。
赤い髪の男。
「街道を西へ進め。」
赤い髪の男が、ゆっくりと口の端を吊り上げる。
「その先にあるものを、全部ぶっ潰せ。」
そして。
巨大な扉が、重々しい音を立てて開いていく。
「行け。」
その瞬間。
無数の兵士たちが、一斉に歩き始めた。
カチャ。
カチャ。
カチャ。
響くのは。
鎧の音だけ。
赤い目を輝かせた兵士たちは、次々と地下空間を後にする。
――向かう先は。
トライデン公国、エヴァンス領。
◇
アルカディア神聖国とトライデン公国を結ぶ街道。
二つの国は長年交流を続けており、商人や旅人が行き交う平和な道だった。
国境付近には、それぞれの国が設けた検問所が存在する。
本来なら、争いとは無縁の場所。
しかし、その夜。
神聖国側の検問所で異変が起きた。
「……何だ?」
夜間警備をしていた兵士が、暗闇の向こうに現れた集団を見る。
大量の兵士。
――だが、その装備は。
神聖国軍のものによく似ていた。
「停止しろ!」
「所属を名乗れ!」
警備兵が叫ぶ。
しかし、返事はない。
兵士たちは、一定の速度で歩き続ける。
「止まれ!」
警備兵たちは武器を構え、行く手を阻む。
それでも。
兵士たちは止まらない。
「警告はしたぞ!」
緊張が張り詰めた。
その瞬間。
兵士たちは一斉に検問所へ雪崩れ込んだ。
「迎え撃て!」
警備兵の剣が、先頭の兵士を捉える。
それでも。
兵士は足を止めない。
「なっ……!」
夜の静寂は、一瞬にして破られる。
警備兵たちの抵抗など意に介さず、軍勢はそのまま検問所を突破していった。
◇
それからしばらくして。
トライデン公国側の検問所。
「何者だ!」
公国兵が叫ぶ。
だが、答えは返ってこない。
次の瞬間。
轟音が夜の街道に響き渡る。
門が破壊された。
「襲撃だ!」
警備兵が叫ぶ。
しかし、相手は数百規模。
剣を受けても。
矢を受けても。
足を止めない。
ただひたすら。
前へ。
まるで、自らの命など最初から存在しないかのように。
兵士たちは、検問所へ雪崩れ込んでいく。
必死の抵抗も虚しく。
門は破壊され。
兵士たちは次々と検問所を突破していく。
――そして。
誰一人として。
早馬を出すことはできなかった。
◇
翌朝。
アルカディア神聖国王城。
レオンハルト・アストリアの執務室。
そこには、久しぶりに穏やかな時間が流れていた。
「お兄様。」
少女が柔らかな笑みを浮かべる。
肩まで伸びた、美しい銀色の髪。
アメジストを思わせる、透き通った紫の瞳。
まだ幼さを残しながらも、どこか神聖な雰囲気を持つ少女。
セシリア・アストリア。
十四歳。
アルカディア神聖国第五王女。
現在は修道院で聖女修行を行っている。
「修道院での生活はどうだ?」
穏やかな声で尋ねる青年。
レオンハルト・アストリア。
鍛え抜かれた体格。
ブルートパーズを思わせる青く澄んだ瞳には、揺るぎない意志が宿っている。
アルカディア神聖国第三王子。
人々からは『神聖国の盾』と呼ばれる騎士だった。
「大変ですが、楽しいです。」
セシリアは嬉しそうに笑う。
「最近では、治癒魔法だけじゃなくて、補助魔法も少しずつ教えていただいているんです。」
「そうか。」
レオンハルトは優しく頷く。
「努力しているんだな。」
「えへへ……まだ失敗も多いですけど。」
久しぶりに兄に褒められたのが嬉しいのか、セシリアは少し照れたように笑った。
豊穣祭の期間。
久しぶりに王城へ戻ってきた妹との時間。
レオンハルトにとっても、穏やかに過ごせる数少ないひとときだった。
――しかし。
「失礼します!」
扉が勢いよく開いた。
近衛兵が慌てた様子で入ってくる。
「レオンハルト殿下! 緊急報告です!」
レオンハルトの表情が変わる。
「何があった?」
「昨夜、神聖国側の国境検問所が襲撃されました。生き残った兵からの報告です。」
「……襲撃?」
レオンハルトが眉をひそめる。
「誰によってだ?」
「自国の兵士と思われる装備をした兵団です。」
「所属は?」
「不明です。」
空気が張り詰める。
「不明……?」
「はい。ですが、現場の報告から、数百人規模の歩兵団であることは確認されています。」
セシリアの表情も曇る。
「神聖国の兵士に見えるのに……所属が分からない?」
「そういうことになります。」
「その兵団は、その後どうした?」
レオンハルトが尋ねる。
「国境を越え、トライデン公国側へ向かったものと思われます。」
「公国側の状況は?」
兵士は一瞬、言葉を詰まらせた。
「……分かりません。」
「トライデン公国側の検問所とは、連絡が取れない状態です。」
「兵団は、そのまま公国領内へ進軍した可能性が高いかと。」
沈黙。
神聖国軍に見える謎の兵団。
数百規模。
そして。
向かった先は――
友好国トライデン公国。
まだ誰一人。
その兵団の正体を知らなかった。




