第十三話 妖精姫
二日後。
カインとエリーは、ベルシュタイン侯爵家の馬車に乗り、エヴァンス公爵家へ向かっていた。
窓の外には、夕日に照らされた湖が広がる。
その湖畔の先に見えてきた建物を見て、カインは思わず息を呑んだ。
「……大きい。」
高い城壁。
幾つもの塔。
湖を背に堂々と建つその姿は、屋敷というより一つの城だった。
「ここが、エヴァンス公爵家……。」
エリーも小さく呟く。
馬車は正門をくぐり、広い中庭へ入っていく。
すでに何十台もの豪華な馬車が並び、正装した貴族の子息や令嬢たちが次々と会場へ向かっていた。
「今日は若い人たちの交流が中心だから、そんなに堅くならなくても大丈夫だよ。」
クロエはにこりと笑う。
「でも、緊張します。」
カインが苦笑すると、クロエはくすりと笑った。
「大丈夫。」
「困ったら私の近くにいて。」
◇
会場へ入ると、豪華なシャンデリアが天井を照らし、楽団の穏やかな演奏が流れていた。
色鮮やかな料理や飲み物が並び、あちこちで談笑する声が聞こえる。
「グラスはこう持つの。」
クロエは実際にグラスを手に取りながら教える。
「話しかけられたら普通に挨拶すれば大丈夫。」
「難しく考えなくていいからね。」
「ありがとうございます。」
カインは少し肩の力を抜いた。
その様子を見て、エリーもほっと微笑む。
◇
しばらくすると、会場のあちこちから視線が集まり始めた。
「あれがベルシュタイン侯爵家の令嬢か。」
「噂どおり可愛いな。」
「隣の護衛も随分若い。」
若い貴族たちが様子を窺っている。
クロエは気付かないふりをして、カインとエリーに楽しそうに話しかけていた。
やがて、一人の青年貴族がエリーの前へ歩み出る。
「失礼。」
優雅に一礼する。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか。」
「え……?」
突然のことに、エリーは戸惑う。
「わ、私は……。」
言葉に詰まった、その時だった。
「エリー。」
カインが助け舟を出す。
「クロエお嬢様が呼んでる。」
「あっ、うん!」
エリーはほっとした表情でカインの隣へ戻る。
「申し訳ありません。」
カインが軽く頭を下げると、青年も苦笑しながら一礼した。
「失礼しました。」
青年は静かにその場を離れていく。
「助かったぁ……。」
エリーは胸を撫で下ろした。
「慣れないよ、ああいうの。」
「俺もだよ。」
カインが苦笑した、その時。
「失礼。」
今度は別の青年貴族がエリーへ声を掛ける。
「もしよろしければ、この後ご一緒に――」
「ご、ごめんなさい!」
エリーは反射的にカインの後ろへ隠れた。
青年は一瞬驚いたが、苦笑して頭を下げる。
「失礼いたしました。」
去っていく背中を見送り、エリーはようやく大きく息を吐いた。
「……慣れない。」
カインは苦笑した。
◇
――しかし今度は。
「失礼いたします。」
一人の令嬢がカインの前へ歩み寄った。
淡い桃色のドレスを優雅に揺らし、一礼する。
「ベルシュタイン侯爵家の護衛を務められた方と伺いました。」
「もしよろしければ、少しお話を。」
「えっ?」
今度はカインが固まる。
どう返事をすればいいのか分からない。
すると。
「ごめんなさい。」
クロエが自然な笑顔でカインの隣へ立った。
「今は私の護衛中なの。」
「また機会があったらね。」
笑顔のままだが、有無を言わせない雰囲気があった。
「……失礼いたしました。」
令嬢は少し残念そうに頭を下げ、その場を去っていく。
「ふぅ……。」
カインは思わず息を吐いた。
「助かりました。」
「当然でしょ。」
クロエは少しだけ頬を膨らませる。
「今日は私の護衛なんだから。」
その様子を見ていたエリーは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
(……よかった。)
一方のクロエも、令嬢が去っていく後ろ姿を見送りながら、小さく鼻を鳴らす。
「もう。」
その一言に、エリーは思わずクロエと目が合う。
「……。」
「……。」
二人は何も言わない。
だが、なぜか少しだけ同じような表情をしていた。
当のカインだけが、その空気にまったく気付いていなかった。
◇
その時だった。
会場の入口が静かに開く。
……ざわ。
……ざわざわ。
会場中の空気が変わる。
「アリアーナ様だ。」
「今日は来られたのか。」
「相変わらずお美しい……。」
自然と人々の視線が、一人の少女へ集まる。
長く美しい金髪。
深いサファイアを思わせる、濃い青の瞳。
息を呑むほど整った顔立ち。
その美しさとは裏腹に、表情にはどこか影が差していた。
感情をあまり表へ出さず、静かに歩く姿は、近寄りがたい雰囲気さえ漂わせている。
「……綺麗。」
エリーが思わず見惚れる。
華やかな会場の中でも、彼女だけはどこか違う空気をまとっていた。
クロエは優しく微笑んだ。
「あの人がアリアーナ・エヴァンス様。」
「エヴァンス公爵家のお嬢様だよ。」
「『妖精姫』って呼ばれていて、精霊の加護を受けた剣士なの。」
「剣士……。」
カインは驚いたようにアリアーナを見つめた。
華やかな令嬢。
しかし、その立ち姿には、どこか普通の令嬢とは違うものがあった。
「私の大切なお友達なの。」
クロエは嬉しそうに笑う。
「ちょっと挨拶してくるね。」
そう言って、アリアーナのもとへ歩き出した。




