第百十三話 父
カインは深く息を吸った。
ヴァルガから視線を逸らさないまま、剣を両手で握る。
全身を巡っていたオーラが、ゆっくりと剣へ集まり始めた。
腕から。
脚から。
胸から。
蒼白い光が剣へと集まっていく。
これまでのように、ただ力任せに集めるのではない。
身体の中を巡る流れを感じながら、少しずつ剣へと集束させていく。
やがて刀身を覆う蒼白い光が、炎のように揺らめいた。
「…………」
ヴァルガは何も言わない。
ただ、その姿を見つめていた。
そして、ゆっくりと大剣を構える。
カインも剣を正面へ構えた。
視線が交わる。
次の瞬間。
二人は同時に地を蹴った。
「おぉぉぉーーーー!!」
「うおぉぉぉーーーー!!」
ヴァルガが大剣を振り上げる。
上段からの一撃。
カインは剣を両手で握り、真正面から受け止めた。
――ガキィィィン!!
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃が両腕を駆け抜ける。
足元の地面が砕けた。
重い。
まともに力比べをすれば、押し切られる。
カインは踏ん張るのではなく、剣を僅かに傾けた。
大剣の軌道を横へ逸らす。
「っ!」
ヴァルガの大剣が地面を叩いた。
――ドゴォン!!
土が弾ける。
その瞬間、カインは踏み込んだ。
右下から剣を斬り上げる。
だが、ヴァルガも速い。
地面へ叩きつけた大剣を強引に引き戻し、カインの剣を受け止めた。
――キィン!!
火花が散る。
カインは止まらない。
弾かれた剣をそのまま返す。
右からの横薙ぎ。
ヴァルガの肩が僅かに動いた。
(来る!)
剣を見るより先に、カインは身を沈めた。
頭上を大剣が通過する。
――ブォン!!
風圧が髪を激しく揺らした。
カインは低い姿勢のまま、一気に懐へ入る。
「はぁっ!!」
刺突。
だが、ヴァルガは半身になって躱した。
剣先が脇腹を掠める。
「っ!」
直後。
ヴァルガの左脚が動いた。
カインは地面を蹴る。
――ドゴッ!!
蹴りが空を切った。
先ほどまともに受けた一撃。
もう同じ攻撃は受けない。
着地と同時に、カインは再び前へ出た。
ヴァルガも大剣を構え直す。
剣と大剣が激突した。
――ガキィィィン!!
離れる。
踏み込む。
再び剣が交わる。
――キィン!!
ヴァルガが振り下ろす。
カインは半歩横へ。
大剣が地面を砕く。
その隙へ剣を振るう。
だが、届かない。
ヴァルガが大剣を引き戻し、剣を弾く。
――ガキン!!
「くっ!」
体勢が崩れる。
そこへヴァルガが踏み込んだ。
横薙ぎ。
カインは剣を立てる。
――ガァァン!!
「ぐっ!!」
身体ごと横へ弾き飛ばされた。
靴底が地面を削る。
それでも倒れない。
カインは剣を握り直した。
「はぁ……。」
「はぁ……。」
ヴァルガも肩で息をしている。
二人の間に、僅かな距離が生まれた。
荒い呼吸だけが響く。
誰も声を上げない。
周囲を取り囲む学生たちも、目の前で繰り広げられる戦いに言葉を失っていた。
エリーも。
アリアも。
セシリアも。
シルフィも。
ルーシーも。
ただ、二人を見つめている。
カインは荒い呼吸を整える。
ヴァルガは強い。
力だけではない。
速さ。
技。
経験。
そのすべてで、自分を上回っている。
それでも。
(まだ……。)
剣を握る手に力を込める。
(まだ、終わってない。)
ヴァルガが大剣を構えた。
先ほどまでとは違う。
片手で柄を握ったまま、大剣をゆっくりと頭上へ振り上げていく。
「…………」
その姿を見た瞬間。
カインにも分かった。
次で決まる。
カインは静かに息を吐いた。
剣を包む蒼白いオーラが、激しく揺らめいている。
全身を守っていたオーラは、もうない。
受ければ。
耐えられない。
カインは剣を強く握り締めた。
(だったら……。)
防がない。
ヴァルガの一撃を正面から受け止めれば、今度こそ押し切られる。
(前へ……!)
カインは真っ直ぐヴァルガを見据えた。
「うおぉぉぉぉぉーーーーーーーー!!!」
ヴァルガが踏み込んだ。
大剣が振り下ろされる。
凄まじい風圧。
地面を抉りながら、衝撃が一直線に迫る。
カインも地を蹴った。
「うおおぉぉぉぉぉーーーーーーーー!!!」
「カインーー!!」
エリーが叫ぶ。
それでも、カインは止まらない。
迫る衝撃。
避ければ届かない。
受ければ押し切られる。
なら。
正面から抜ける。
両手で剣を握り締める。
剣先を真っ直ぐ前へ。
そして。
突き出した。
――ドゴォォォォォン!!
蒼白い光と衝撃が激突した。
「ぐっ……!」
凄まじい圧力が全身を打ち据える。
頬が裂ける。
腕が軋む。
足が止まりそうになる。
それでも。
「まだだぁぁぁぁぁーーーー!!」
踏み込む。
剣を覆う蒼白い光が、衝撃の中へ食い込んだ。
押し潰そうとする力を、剣先が少しずつ切り裂いていく。
そして。
――バンッ!!
衝撃が弾けた。
「っ!!」
ヴァルガの目が見開かれる。
カインは止まらない。
目の前には、ヴァルガ。
振り下ろされた大剣が、再び持ち上がる。
カインはただ前へ出た。
ここまで来た。
あと少し。
剣を握る両手へ力を込める。
「うおおおおぉぉぉぉぉーーーーーー!!」
最後の一歩を踏み込む。
ヴァルガも大剣を振るった。
カインは剣を突き出す。
そして。
――ドォォン!!
二つの影が交錯した。
爆音。
巻き上がる土煙。
「カインーー!!」
エリーが叫ぶ。
だが、ルーシーは動かなかった。
「…………」
土煙の向こうを、ただ静かに見つめている。
風が吹いた。
少しずつ土煙が流れていく。
やがて。
二人の姿が現れた。
「…………」
ヴァルガは立っていた。
そのすぐ前に、カインがいる。
大剣は。
カインの肩へ届く寸前で止まっていた。
そして。
ヴァルガの胸を。
カインの剣が深く貫いていた。
「はぁ……。」
「はぁ……。」
カインの荒い息だけが聞こえる。
剣を握る手へ、鈍い感触が伝わってくる。
肉を貫いた感触。
剣を伝って流れる、温かな血。
「…………」
カインの顔から血の気が引いていく。
(俺は……。)
震える。
(人を……。)
剣を握っている手が震え始めた。
その時だった。
「……これでいい。」
「……え?」
カインが顔を上げる。
ヴァルガは静かに笑っていた。
握っていた大剣から、ゆっくりと手を離す。
――ガラン。
大剣が地面へ落ちた。
「俺の命は……もう長くはなかった。」
「…………」
ヴァルガは左手を伸ばした。
大きな手が、カインの肩へ置かれる。
「だから、気にするな。」
カインは何も言えない。
「お前は……何も間違っていない。」
「…………」
ヴァルガの手が肩から離れる。
そして、首から下げていたペンダントへ触れた。
ゆっくりと外す。
「カイン。」
「……はい。」
「これは、俺の頼みだ。」
ペンダントを握ったまま、ヴァルガは一度言葉を止めた。
「…………」
やがて。
ほんの僅かに笑う。
「……いや。」
「気が向いたらでいい。」
カインの目が僅かに揺れる。
「教会に囚われている娘を……。」
ヴァルガはペンダントを差し出した。
「サーシャを……頼む。」
「…………」
カインは震える手を伸ばした。
ペンダントを受け取る。
掌の中に、冷たい金属の感触が残った。
「……はい。」
それだけだった。
それ以上、何も言えなかった。
ヴァルガは静かに頷いた。
「……すまない。」
そして。
ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
そのまま、大きな身体が地面へ倒れる。
「…………」
ヴァルガは空を見上げた。
青い空。
流れていく白い雲。
不思議なほど、穏やかだった。
(俺は……。)
もう身体に力が入らない。
音も。
少しずつ遠くなっていく。
(最後まで……。)
それでも。
悔いはなかった。
(一人の戦士として……。)
(戦えた。)
ヴァルガの口元が僅かに緩む。
そして。
瞼を閉じようとした、その時だった。
『お父さん!』
「…………」
幼い声。
ヴァルガの瞳が僅かに開く。
目の前には誰もいない。
それでも。
見えた気がした。
まだ幼かったサーシャ。
小さな身体。
無邪気な笑顔。
そして。
自分の指を握る、小さな手。
『お父さん!』
(……サーシャ。)
もう一度。
あの小さな手を握りたかった。
もう一度。
あの笑顔を見たかった。
(……もう少しだけ……。)
一緒にいたかった。
ヴァルガの目尻から、一筋の涙が流れた。
(サーシャ……。)
(幸せに……。)
ほんの僅かに。
ヴァルガは笑った。
そして。
静かに目を閉じた。
「…………」
カインは何も言えなかった。
倒れたヴァルガを、ただ見つめている。
エリーも。
アリアも。
セシリアも。
シルフィも。
誰一人、言葉を発することができなかった。
ルーシーもまた。
静かに目を伏せる。
風が吹いた。
ヴァルガの髪を。
カインの髪を。
優しく揺らしていく。
その手の中で。
託されたペンダントだけが、静かに光を反射していた。




