第百十話 決闘
いつ来たのか。
いつからいたのか。
誰にも分からない。
気が付いた時には、一人の男がそこに立っていた。
巨躯の獅子族の獣人。
右腕は肩口近くから失われている。
残された左腕で、身の丈ほどもある大剣を肩へ担いでいた。
その異様な姿に、行き交っていた学生たちが足を止める。
一人。
また一人と。
何事かと様子を窺う学生が集まり、いつしか獣人を遠巻きに囲むように人だかりができていた。
しかし、誰も近づこうとはしない。
やがて、その中の一人の男子学生が勇気を振り絞るように叫んだ。
「き、貴様は何者だ!」
獣人は声の方を見ることもなく、ただ一言だけ口を開いた。
「……カインはどこだ?」
ざわりと、人だかりが揺れる。
その時だった。
学生たちの間から、一人の男が前へ出た。
クロフォードだった。
「貴様。」
「今、カインと言ったな?」
獣人の視線が、初めてクロフォードへ向いた。
「ここはセントリア学園だ。」
「何の目的で侵入した。」
「カインに何の用だ?」
獣人はつまらなそうに答えた。
「貴様などに興味はない。」
「死にたくなければ、カインを連れてこい。」
クロフォードの表情が険しくなる。
静かに腰の剣を抜いた。
「貴様にその気がなくとも、私にはある。」
「理由を聞かせてもらうぞ。」
次の瞬間、クロフォードが鋭く地を蹴った。
一気に間合いを詰める。
獣人は動かない。
ただ静かに、左肩へ担いでいた大剣へ手を掛けた。
そして。
片腕だけで振り下ろす。
「っ!」
クロフォードが咄嗟に横へ跳んだ。
――ドォォォォン!!
凄まじい轟音が響き渡る。
大剣が石畳を叩き砕き、地面へ巨大な亀裂が走った。
学生たちの顔色が変わる。
「ひっ……!」
遠巻きに様子を窺っていた一人の学生が、弾かれたように駆け出した。
それを皮切りに、何人もの学生がその場から逃げ出していく。
だが、クロフォードは退かなかった。
砕けた石畳を蹴る。
大剣を振り下ろした直後。
その僅かな隙を狙い、一気に獣人の懐へ飛び込んだ。
右腕はない。
ならば。
その側へ。
クロフォードは獣人の右側へ回り込み、その胴へ剣を振るう。
だが。
獣人の身体が動いた。
「なっ――」
左腕一本で大剣を引き戻し、そのまま身体ごと回転させる。
巨大な刀身が横薙ぎに迫った。
クロフォードは咄嗟に剣を構える。
――ガァァン!!
「ぐっ!!」
凄まじい衝撃が両腕を突き抜けた。
身体が宙へ浮く。
そのまま石畳へ叩きつけられた。
「ぐ……っ。」
それでも、クロフォードは剣を離さない。
震える腕で身体を支え、立ち上がろうとする。
二日前の決勝で打たれた左肩に、鋭い痛みが走った。
「くっ……。」
片膝をつきながらも、クロフォードは獣人を睨みつける。
獣人はそんな姿を見ても、表情一つ変えなかった。
「退け。」
「貴様に用はない。」
クロフォードは剣を支えに、再び立ち上がる。
「断る。」
その答えを聞き、獣人が僅かに目を細めた。
再び大剣が持ち上がる。
◇
――少し時間は遡る。
茜色に染まる白亜の塔。
最上階。
蝋燭の灯りだけが揺れる室内へ、窓から差し込む僅かな西日が床を照らしていた。
アトロポスが静かに口を開く。
「……それで。」
「カインという者は、学園にいたのか?」
「…………ああ。」
短く答えたのはラグエルだった。
ヘルが鼻で笑う。
「本当に、そのガキがドラゴンゾンビを倒したと思っているのか?」
「アトロポス。」
アトロポスは静かに目を閉じた。
(迷いの森。)
(ヴァルガを退けたのは、カインという者。)
(ならば……。)
(公国襲撃の失敗。ドラゴンゾンビの討伐。)
(あれらにも、この者が関わっていたとすれば……。)
(……偶然とは思えない。)
ゆっくりと目を開く。
「……おそらく。」
そして、教皇へ視線を向けた。
「教皇よ。」
教皇は額の汗を拭う。
「は、はい。」
「あの者の傷は、癒えているのか?」
「腕は元には戻りませんが、それ以外は問題ございません。」
「そうか。」
アトロポスは静かに頷いた。
「では、その者をここへ。」
「はっ。」
教皇は深く一礼し、静かに部屋を後にした。
◇
セントリア学園。
――ゴォーン。
――ゴォーン。
敵襲を知らせる鐘の音が、学園中へ鳴り響いていた。
馬車を降りたカインたちは、校門へ向かって逃げる学生たちの間を縫うように学園の奥へ急いだ。
「何が……。」
カインは眉をひそめる。
やがて、大きな人だかりが見えてきた。
しかし、誰一人としてその中心へ近づこうとはしない。
人垣の向こうには、不自然なほど大きな空間ができていた。
その隙間から、一人の男性が地面へうつ伏せに倒れている姿が見える。
見覚えのある制服。
そして、倒れている男の姿。
(……まさか。)
カインは一気に駆け出した。
人混みを抜ける。
そこには、二日前に自分と最後まで剣を交えた男が倒れていた。
「クロフォードさん!!」
遅れて、皆も駆け寄る。
セシリアはすぐにクロフォードの傍へ膝をつき、治癒魔法の詠唱を始めた。
その時だった。
背後から、低い声が響く。
「……来たか。」
カインの身体が強張った。
ゆっくりと振り返る。
そこには、忘れるはずもない姿があった。
巨大な身体。
獅子の顔。
失われた右腕。
左手に握られた、身の丈ほどもある大剣。
迷いの森で戦った、あの獅子族の戦士。
「……あなたは。」
獣人は答えない。
ただ、カインだけを見つめていた。
風が二人の間を静かに吹き抜ける。
そして。
獣人は静かに口を開いた。
「決闘だ。」




