第九十八話 対峙
静寂。
森を吹き抜ける風だけが、木々を静かに揺らしていた。
誰一人として、ピクリとも動かない。
カイザーは目の前の光景を見つめたまま、立ち尽くしていた。
(……な、何だ。)
(今……。)
(一体何が起こった。)
三十を超える部下たちは、ただ地面へ伏したまま微動だにしない。
ルーシーはそんなカイザーへ一瞥もくれず、静かにカインの隣を通り過ぎる。
すれ違いざま、小さく口を開いた。
「手加減はいらぬ。」
「本気でやらねば、勝てぬ相手ぞ。」
何事もなかったかのように、ルーシーは歩みを進める。
カイザーはその背中を見つめた。
(……あの化物みてぇな女は。)
(手を出さねぇってことか。)
だが、すぐに考えを打ち消す。
(いや……。)
(あいつがいる限り、勝ち目はねぇ。)
宝も、人質も惜しい。
だが。
(命には代えられねぇ。)
そっと後ろへ下がる。
その瞬間。
ルーシーは静かに足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
ガーネット色の瞳が、カイザーを射抜いた。
「妾から。」
「逃げられると、思わぬことぞ。」
「ひっ……。」
思わず声が漏れた。
身体が動かない。
ただ、見られているだけ。
それなのに、足が地面へ縫い付けられたように動かなかった。
まるで、心臓を鷲掴みにされたようだった。
全身から冷たい汗が噴き出す。
(……逃げられない。)
本能が、そう告げていた。
(ちっ……。)
(一か八かだ。)
(あのガキを人質にして。)
(逃げるしかねぇ。)
カイザーは背に差していた二振りの剣を抜く。
「おい。ガキ。」
「勝負してやる。こっちへ来い。」
カインは何も言わない。
静かに歩き出す。
一歩。
また一歩。
その背中を、エリーとシルフィも黙って見つめていた。
そして、十歩ほど距離を残して静かに立ち止まった。
(……双剣。)
カインは静かに構える。
日はすでに落ち、辺りは薄暗い。
洞窟の入口に掲げられた松明だけが、二人の姿を照らしていた。
木々を揺らす風の音だけが、静かな森へ響いている。
カイザーはじっとカインを見つめる。
(……こいつ。)
(ただのガキじゃねぇ。)
視線がカインの剣へ止まる。
刀身が、うっすらと蒼白く輝いていた。
(エンチャントか……。)
(いや……。)
(違う。)
これまで、幾人もの腕利き冒険者を返り討ちにしてきた。
その経験が、危険だと告げている。
森は静まり返っていた。
互いに動かない。
聞こえるのは、風が木々を揺らす音だけ。
長く感じる静寂。
そして――
カイザーが瞬きをした。
ほんの一瞬。
その間に。
カインの姿が、その場から消えた。
予備動作のない踏み込み。
一直線の刺突。
次の瞬間。
カイザーは、眼前へ迫るカインを捉えていた。




