第八話 夜襲
トライデン公国へ向かう旅は、順調に進んでいた。
迷いの森を抜けた一行は、開けた草原で野営を行っていた。
夜の草原は静かだった。
焚き火がぱちぱちと音を立て、時折、兵士たちの話し声が風に乗って流れてくる。月明かりが草原を淡く照らしていたが、遠くの様子までは見通せなかった。
カインとエリーもまた、兵士たちと共に見張りを任されていた。
「静かだね。」
「うん。」
エリーは夜空を見上げた。
「何も起こらないといいけど。」
「そうだね。」
昼間はクロエの話し相手になり、エリーに何度も注意された。
だが、今は違う。
冒険者として、自分たちの役目がある。
カインは静かに目を閉じ、意識を広げた。
《存在感知》。
夜の静寂の中、周囲にいる者たちの気配が伝わってくる。
その中に、こちらへ近づいてくる気配が一つあった。
「ん……?」
カインの表情が変わる。
「どうしたの?」
「……何かいる。」
違和感は一つではなかった。気配は次々と増えていく。
「三十。いや、それ以上……。」
「えっ?」
カインは目を開いた。
三十を超える気配が、迷いの森の方角から近づいている。
これだけの人数が、夜中に野営地へ向かっている。ただの旅人とは思えなかった。
「エリー、誰かが近づいてる。かなり多い。」
「……盗賊?」
「分からない。でも、迷いの森の方からこっちに向かってる。」
エリーの表情が引き締まった。
「兵士さんに知らせよう!」
「うん!」
二人はすぐ近くの兵士へ駆け寄った。
「すみません!」
見張りの兵士が振り向く。
「どうした?」
「誰か近づいています。」
「何……?」
兵士は眉をひそめ、迷いの森の方角へ目を凝らした。
しかし、何も見えない。物音すら聞こえなかった。
「本当か?」
「はい。かなり多いです。三十は超えています。」
「三十……?」
兵士の表情が険しくなる。
「どこだ?」
「迷いの森の方です。こちらへ近づいています。」
カインはその方角へ視線を向け、さらに意識を広げた。
「何人もいます。少しずつ広がりながら近づいてきています。」
兵士は再び暗闇へ目を凝らしたが、やはり何も見えなかった。
だが、カインの表情に迷いはなかった。
「分かった……。」
兵士はすぐに声を張り上げた。
「全員起こせ! 襲撃だ!」
野営地が一気に騒がしくなった。
眠っていた兵士たちが次々とテントから飛び出し、武器を手に持ち場へ向かう。
「クロエ様をお守りしろ!」
「敵の来る方角を固めろ!」
私兵たちは素早く迎撃態勢を整えていった。
その間にも、カインは《存在感知》で周囲の気配を追い続けていた。
「……近づいてる。」
エリーがロッドを構える。
「カイン、敵の位置は分かる?」
「うん。あの茂みの方に何人かいる。」
「何人くらい?」
「三人……いや、四人。」
エリーはカインの指差す方向へロッドを向けた。
「分かった。」
そして、静かに詠唱を始める。
「残響よ。」
「弾けろ。」
「《響弾》!」
――ドンッ!!
空気を震わせる衝撃が、草原の茂みへ向かって放たれた。
「ぐわっ!?」
「うっ……!」
茂みに身を潜めていた盗賊たちが、衝撃に吹き飛ばされた。
数人の身体が地面へ叩きつけられ、そのまま意識を失う。
「なっ!? どうして居場所が分かった!?」
近くに潜んでいた別の盗賊が、驚愕の声を上げた。
エリーはロッドを構えたまま、カインへ目を向ける。
「やった!」
「うん!」
二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。
その直後。
「敵襲だ!」
「敵が来るぞ!」
私兵たちの声が響き渡った。
◇
盗賊たちは、完璧な奇襲のつもりだった。
しかし、襲撃を始める前に仲間が魔法で吹き飛ばされ、野営地の兵士たちはすでに迎撃態勢を整えていた。
「なぜ気付かれた!」
「あり得ねぇ!」
「まだ気付かれる距離じゃねぇぞ!」
動揺した盗賊たちは連携を崩した。
そこへ、迎撃態勢を整えていた侯爵家の私兵が一斉に斬りかかる。
暗闇の中で剣と剣が激しくぶつかり、金属音が夜の草原に響いた。
不意を突くはずだった盗賊たちは、逆に追い詰められ、次々と武器を落としていく。
その一方で、襲撃部隊の後方では、一人の大柄な男が戦況を睨みつけていた。
「どういうことだ……。」
完全に不意を突いたはずだった。
だが、襲撃が始まるより早く、相手は迎撃態勢を整えていた。
その時。
「右にまだいる!」
少年の声が響いた。
男の視線が、声の主へ向けられる。
黒髪の少年。
その近くには、ロッドを構えた赤髪の少女もいた。
少年が敵の位置を知らせ、少女がその方向へロッドを向ける。さらに、兵士たちも少年の声に合わせるように動いていた。
「まだ奥にいます!」
その声を受け、兵士たちが素早く向きを変える。
男の目が細くなった。
「あのガキども……。」
少女が魔法を放ったのも、少年が敵の位置を知らせたからだ。
男は黒髪の少年を睨みつけた。
「こいつか……。」
まるで、暗闇の中にいる者すべてが見えているかのようだった。
男の手が、腰の魔剣へ伸びた。
――スラッ。
鞘から抜かれた黒い刀身が、月明かりを鈍く反射する。
男は魔剣を手に、黒髪の少年へ向かって歩き出した。
◇
その頃、カインは目の前の盗賊と剣を交えていた。
エリーはクロエのいるテントに近い場所で、兵士たちの援護に回っている。
「くそっ!」
盗賊が剣を振り下ろす。
カインは咄嗟に身体を逸らした。
鋭い刃が鼻先をかすめ、背筋に冷たいものが走る。
(……速い。)
あと一歩遅ければ、首を斬られていた。
冒険者試験とは違う。
目の前にいるのは、こちらを殺そうとしている人間だ。
盗賊は間髪入れずに踏み込み、再び剣を振るった。
――ガキンッ!
カインは剣を合わせ、その一撃を受け止める。
「ちっ! ガキのくせに!」
男が力任せに押し込んでくる。
カインは一歩下がり、相手の剣を横へ受け流した。
体勢を崩した盗賊が、思わず前のめりになる。
(今だ!)
カインは踏み込み、相手の剣を狙って一閃した。
――キィンッ!
弾き飛ばされた剣が夜空を舞い、草の上へ突き刺さる。
「なっ……!」
盗賊が目を見開いた。
カインは剣先を相手の胸元へ向けた。
「もうやめてください!」
「ま、待て! 降参だ!」
盗賊は両手を上げ、後ずさった。
カインはすぐには剣を下ろさなかった。
相手が本当に抵抗をやめたのか、まだ分からない。
「そのまま動かないでください。」
盗賊は何度も頷いた。
カインは相手から目を離さず、近くの兵士へ声を掛ける。
「すみません! この人、降参しています!」
「分かった! 引き受ける!」
駆け寄ってきた兵士が盗賊を取り押さえ、武器のないことを確かめた。
「もう大丈夫だ。お前は周囲を頼む!」
「はい!」
カインはようやく剣先を下げた。
荒くなった息を整える。
剣を握る手には、まだ力が入っていた。
(……これが、実戦。)
ほんの少し判断が遅れていれば、自分が倒れていたかもしれない。
カインは兵士に引き渡された盗賊を一度だけ見て、周囲へ向き直った。
その時、少し離れた場所から声が響いた。
「カイン! 大丈夫!?」
振り返ると、エリーがロッドを構えたままこちらを見ていた。
「うん! 大丈夫!」
「よかった!」
エリーはほっとしたように笑うと、すぐにクロエのいるテントへ目を向けた。
「こっちは任せて!」
「分かった!」
カインは頷いた。
立ち止まっている暇はない。
再び意識を広げる。
《存在感知》。
暗闇の中に、いくつもの気配が浮かび上がった。
その一つが、背後から兵士へ忍び寄っていた。
「後ろです!」
「何っ!?」
兵士が振り向いた瞬間、闇の中から盗賊が飛び出した。
――ガキンッ!
間一髪、兵士の剣がその一撃を受け止める。
「助かった!」
礼を言う兵士に、カインは頷いた。
さらに右手から近づく二つの気配を捉える。
「右にも二人います!」
「分かった! そっちは任せろ!」
兵士たちがすぐに動き、暗闇から現れた盗賊を迎え撃った。
その時、別の盗賊がカインへ向かって駆け寄ってきた。
「このガキがっ!」
振り下ろされた剣を受け流し、相手の横をすり抜ける。
すれ違いざまに剣の柄を叩きつけると、盗賊は呻き声を上げて膝をついた。
カインは振り返り、剣を構え直した。
先ほどまでの動揺は、少しずつ薄れていた。
祖父と繰り返してきた修行が、今の自分を支えている。
相手の動きをよく見て、焦らず剣を振るう。
いつも教わってきたことだ。
(……大丈夫。)
カインは改めて周囲を見渡した。
少し離れた場所では、侯爵家の私兵たちが盗賊を迎え撃っている。
エリーもクロエのいるテントの近くでロッドを構え、兵士たちと共に周囲を警戒していた。
クロエのいるテントの周囲には、ほかにも護衛の兵士たちが集まっている。
(よし……。)
今のところ、守りは崩れていない。
その時だった。
《存在感知》が、こちらへ近づく一つの気配を捉えた。
「……?」
カインは眉を寄せた。
先ほどまでの盗賊たちとは違う。
その気配は、周囲で戦う者たちとは異なり、真っ直ぐ自分へ向かってきていた。
カインが顔を上げる。
暗闇の向こうから、一人の大柄な男が歩いてくる。
その手には、月明かりを鈍く反射する黒い魔剣。
男はカインの前で足を止めた。
「お前か。」
「……?」
男は魔剣の切っ先をカインへ向けた。
「俺たちの奇襲を潰したのは。」
カインは静かに剣を構えた。




