表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/13

第7話 変わる前のベルカ村


 ベルカ村へ行く理由は二つあった。

 一つはメンテナンスで姿を変える前に見ておきたかったから。

 もう一つは《灰冠戦役・第七補給隊名簿》の関連記録が、村の古い橋を指していたからだ。


 ヒュームの初期村――《ベルカ村》。

 CROを始めた時、俺が最初に降り立った場所だ。

 今の俺はレベル44のスカウトで、初期村に戻る用事なんてほとんどない。


 王都の転送門から《ベルカ村》を選ぶと、転送光が足元に広がった。

 次の瞬間、俺は村の広場に立っていた。


 夕暮れのベルカ村は静かだった。

 空の端にはまだ赤みが残っている。けれど、村の家々には少しずつ明かりが入り始め、井戸の影も長く伸びていた。

 広場の北東には低い柵に囲まれた小さな畑がいくつかある。村の周辺にも畑や牧草地が広がっていた。村の北側には小さな川が流れていて、その川には古い橋が架かっている。

 橋を渡った先は森へ続く細い道へと繋がっていた。


 CROを始めたばかりの頃は、どの畑がクエストで指定された薬草畑なのかも分からなかった。

 村の中にも外にも似たような場所があるからだ。

 そして、薬草師が畑にいるのか、店にいるのかも分からず、俺は何度も広場と畑の間を行ったり来たりした。


 ベルカ村は今の俺から見れば小さな村だ。

 でも、あの頃の俺にとってこの村はとても広かった。


 ここで薬草を摘み、最初の短剣を受け取って、森の狼から逃げ回った。何をすればいいのか分からずに、井戸の周りを何度も歩いたこともある。


 ただ、分からないことが嫌ではなかった。

 すべてが新鮮で、知らない場所に来たようなワクワクした感覚に溢れていた。


 転送後の広場では、初期装備のヒュームの二人が買ったばかりの地図を広げて何かを話している。

 少し離れたところには、黒革の軽装を着たダークエルフの男性プレイヤーや大きな工具鞄を背負ったドワーフの女性プレイヤーの姿もあった。

 村の中央の井戸の横では、小鳥の飾りがついた杖を手にしたエルフの女性プレイヤーが広場をスクリーンショットに収めている。

 

 そのとき、転送門の裏側にいたプレイヤーたちの会話が聞こえてきた。


「ここがヒュームの初期村か。初めて来た」

「私も。自分の初期村と全然違うね」

「この後のメンテで変わるらしいから、今のうちに見ておこうと思って」


 自分の初期村ではない場所をわざわざ見に来る。

 その気持ちはとても分かる。


 初めて転送門から降り立って、何をすればいいのか分からないまま地図を開いた場所。

 最初の薬草を採取し、最初の短剣を握って森の狼から必死で逃げ帰ってきた場所。

 ただの井戸や畑や古い橋が、その頃は全部、知らない世界の入口に見えていた。


 でも、時間が経てばプレイヤーは先へ進む。


 レベルを上げて新しい土地へ行く。

 村を出て、町へ移り、国を渡り、いろいろな都へ向かう。

 もっと広い狩場や大きなクエストへ手を伸ばしていく。


 それはCROの遊び方として正しい。

 初期村はいつまでも人が集まり続ける場所ではない。

 誰かが最初に立った場所で、誰かがいつか通り過ぎていく場所だ。

 それでもここから始まったことだけは消えない。

 

 俺は広場を抜け、薬草畑の方へ向かった。

 日が沈む前の薬草畑は広場より少しだけ暗かった。畑の奥には低い柵が続き、その向こうには小さな川と古い橋が見える。


 薬草師マーサは薬草籠を腕にかけ、畑の横の小道から村の方へ戻ろうとしていた。

 白髪を後ろでまとめた小柄な老婆。

 初心者の頃には何度も関わったベルカ村の薬草師だ。夕方の採取を終えて、自分の店へ戻る途中なのだと思う。


 少し古びた柵の前で、俺に気づいて足を止めてくれた。

 マーサは日が出ている時間なら薬草畑にいることが多いし、時間帯によっては薬草屋にいる。夕方には畑から店の方へ戻っていることもあれば、村の中を動いている時間帯もある。


「薬草は東の畑にありますよ。葉の先が青いものを摘んでくださいね」


 聞き覚えのある案内だ。

 マーサは採取や調合の仕方や薬草屋の場所、村のことでも聞けばそれなりに答えてくれる。

 ただ、序盤の関連クエストが終わった後は、薬草と関係のない用事で話しかけると、だいたい最後はこのセリフに戻ってくる。


 俺は少し迷ってから聞いてみることにした。


「マーサさん、古い木橋のことを知っていますか?」


 彼女は薬草籠の持ち手を直し、畑の向こうへ目を向けた。


「……古い木橋ですか。あの橋はずいぶん前からあそこにありますね」


 普通の返事だった。

 でも、マーサはすぐに薬草の話へは戻らなかった。


「村の外へ行く人も、森から帰ってくる人も、あの橋を通ります。薬草を運ぶ時にも使いますし、狩りに出る人が荷を背負って渡ることもあります」


「薬草とかそういった物資もあの橋を通っていたんですね」


「ええ。人が通る道には、荷も通りますから」


 マーサは穏やかに言って、もう一度だけ畑の向こうを見た。


「長く使われている場所にはその場所なりの跡が残るものです。橋も、道も、畑も同じですよ」


 そう言ってから、マーサは薬草籠の持ち手を静かに握り直した。

 会話はそこで途切れる。

 いつもの薬草案内から少しだけ外れた会話だった。

 名簿を持っているから出た言葉なのか、ただ古い木橋について尋ねたことがトリガーだったのかは分からない。


 そのとき、目の前に聞き慣れた音とともにクエスト表示が出た。


―――――

《後日談クエスト:報告書の空白》


関連する未整理記録を確認してください。

―――――


 古い木橋について尋ねた直後に現れた後日談クエスト。

 でも、クエスト表示の中に木橋の名前はない。

 俺はインベントリから《灰冠戦役・第七補給隊名簿》を開いてみる。


 関連記録の欄には確かに《ベルカ村・古い木橋》の文字があった。


 マーサが見ていた畑の向こうへ目を向ける。

 夜に近づく村の端には、古い木橋が静かに架かっていた。


 始めたばかりの頃、俺はどこへ行けばいいのか分からないまま、何度もあの橋を渡った。

 森へ行くにも、川沿いへ戻るにも、薬草畑を探すにも、あの橋の近くをうろうろしていたことを覚えている。

 ただの初期村の橋だと思っていた場所に、今は名簿の記録がつながり始めている。


「わかりました。行ってみます」


 マーサはいつもの穏やかな表情で笑っている。


「お気をつけて。日が落ちると、森の近くは少し見えにくくなりますから」


 その言葉は初心者に向けるいつもの注意喚起にも聞こえた。

 俺は頷いてから薬草畑を離れ、古い木橋へ向かって歩き出した。


 メンテナンス開始まではまだ少し時間がある。

 変わる前のベルカ村に何かが残っている。

  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ