第68話 二頭の足跡
騎獣の最初の一歩で身体が後ろへ持っていかれ、俺は慌てて鞍の前をつかんだ。
「少し身体を前へ倒すと楽になるよ!」
「もう少し早く教えてください!」
今まで俺がCROで乗ったことがある馬とは比べものにならない速度で、町の門を駆け抜けた。
四本の脚が地面を蹴るたびに鞍は上下したが、姿勢を合わせると思っていたほど大きくは揺れなかった。
速度が上がるにつれて耳元で風が鳴り、道沿いの低木が左右へ流れていく。
町の周囲にあった低木地帯を抜けると、景色が大きく開けた。
赤茶色の大地が途切れることなく遠くまで続いている。
その中を深い谷がいくつも横切り、切り立った岩壁の向こうには、さらに赤い山々が幾重にも重なっていた。
近くに見えた岩山へ向かって走っているはずなのに、騎獣がどれだけ速度を上げてもほとんど距離が縮まっているように見えない。
一つの谷を大きく回り込むと、その向こうには別の谷が口を開けていた。
街道が大きく曲がったとき、視界の端に《砂門都市カルダ》の石壁が見えた。
すでに赤い大地の上へ引かれた細い線のように小さくなっている。
《赤砂峡谷の大荒原》という名前の通り、一つの狩場ではなく、複数の峡谷や岩山を含んだ広大な地域らしい。
騎獣がいなければ、目的の場所へ着くだけでもかなりの時間がかかりそうだった。
ロヴェルは迷う様子もなく、街道から分かれる道を選び、いくつもの谷を迂回していく。
「けっこう先なんですか?」
「ああ。見えている岩山のさらに向こう側だよ」
騎獣が谷沿いの街道を駆ける。
正面に見えていた岩山が岩壁の陰へ消え、しばらく進んでから別の方向に再び姿を現した。
「先を急ごう。痕跡が古くなる前にね」
騎獣がさらに速度を上げた。
◆◇◆◇◆
しばらく進んでいると、ロヴェルが騎獣の速度を落とした。
ロヴェルは地図を開き、パーティーへ共有されている目的地の印へ、俺たちの現在地が近づいていくのを確認している。
二つが重なったところで地図を閉じ、騎獣の首元を軽く叩いた。
騎獣は街道から外れた低い岩棚のそばで足を止める。
「クラメンによれば、二頭を最後に見たのはこの辺りらしい。まだ痕跡が残っているかもしれない。ここからは歩いて探すよ」
二人で鞍から降りると、ロヴェルが騎獣の首元をなでた。
「騎獣はどうするんですか?」
「手綱を外せば、自分で獣舎へ戻るよう調教されているんだ」
ロヴェルが手綱を外す。
騎獣はしばらくこちらを見てから一声鳴くと、来た道を走り去っていった。
「私は岩棚の右側を見る。ザン君は左を頼めるかい?」
「分かりました」
ロヴェルと分かれ、赤い地面へ目を向けながら歩く。
乾いた土には小さな獣の足跡や風に転がされた石の跡がいくつも残っていた。
《探知》を使っても、MOBの存在とは違い、足跡の場所までは分からない。ただ、普段より感覚が鋭くなり、周囲とのわずかな違いに気づきやすくなる。
岩棚の根元へ目を向けたとき、積もった砂の一部が引っかかった。
しゃがみ込み、表面を手で払う。
かなり幅のある大きな足跡が現れた。
四本の指とその先にある爪まで赤い土へ深く沈んでいる。
「ロヴェルさん、これを見てもらえますか?」
ロヴェルがすぐに近づいてきて、足跡の前へしゃがんだ。
「ザン君、GJだ。これだよ」
「これが……《紅狼ヴァルグ》の足跡ですか?」
「ああ。何度も見ているから間違いない」
俺はまだ見たことがないが、これを残した獣の脚の太さが伝わってくる。
ロヴェルは足跡の縁を確かめている。
「まだ間に合いそうだ」
足跡へ向けて何かスキルを使った。
「間に合う?」
「対象がすでに倒されているか、痕跡が古くなりすぎていれば追えないんだ。連絡からの時間を考えるとまだ大丈夫だと踏んでいたよ」
ロヴェルにはその先に残る窪みや折れた草が、そのスキルによって同じ個体の痕跡として繋がって見えるらしい。
「《トラッキング》。スカウト系の二次職が覚えるスキルで、地形に残った一頭分の痕跡を追うことができるんだ」
俺の《探知》では何かが周囲と違うことに気づけても、どの個体が残したものかまでは分からない。
二次職になるとよりスカウト職に特化したスキルを覚えていくのだろう。
「二頭で行動していたならもう一頭分も近くにあるはずだ。《トラッキング》で追えるのは一頭ずつだから、ザン君はもう一度探してもらえるかい?」
「わかりました」
最初の足跡から少し離れて探すと、岩の根元に似たような形の窪みが見つかった。
「ありました。こっちは少し浅いです」
「深い方は私がこのまま追う。ザン君は浅い方を頼めるかい?」
「追えるでしょうか」
「君ならできるよ。見失ったら言ってくれ」
ロヴェルは二つの足跡を見比べた。
「二頭が途中で離れているのか、それともずっと一緒に動いているのか。一頭だけ追っても分からないからね」
二組の足跡は割れた大岩の横を通り、その先の谷へ続いていた。
俺たちはすぐに足跡を追い始めた。
しばらく進むうちに、浅い足跡は深い足跡と何度も重なった。
「見失いました」
「こちらは先へ続いている。近くを探してみよう」
ロヴェルが追う足跡の周囲を探すと、少し先で浅い足跡が再び見つかる。
最初は深い方が外側を歩いていた。
でも、見つけ直した浅い足跡は深い方の外側へ回っている。
「入れ替わってますね」
「ああ。外側を歩く方が固定されているわけではないらしい」
それからも何度か浅い足跡を見失ったが、その度に深い足跡の近くへ戻って探す。
再び見つかる浅い足跡は、深い足跡から大きく離れてはいなかった。
「今のところ、別々の場所へは向かってませんね」
「ああ。離れてもまた近くへ戻っている」
それからもしばらく二組の足跡を追っていくと、やがて谷の入口で赤い土が途切れ、地面が硬い岩場へ変わった。
ロヴェルが追う痕跡は、その先にある溝の向こうへ続いている。
溝の向こうには、大きな着地跡が一つ残っていた。
「……深い方は跳び越えたみたいだね」
俺が追う浅い足跡は溝の手前で消えていた。
周囲をざっと探してみるが、それらしい跡は見つからない。
視線を上げると、岩壁の高い位置に三本の新しい爪痕が残っていた。
斜め上へ砂がこぼれ、その先にある岩棚へ赤茶色の毛のようなものが引っかかっている。
「ロヴェルさん。俺が追ってる方は、上へ行ったみたいです」
「一頭は溝を越え、もう一頭は岩棚へ回ったのか……」
二頭の間には大きな高低差がある。
それでも二つの痕跡は同じ方角へ続き、その先で再び合流していた。
「互いの位置を確かめながら進んでいるのかもしれないね」
俺たちはさらに二頭の痕跡を追った。
深い方は谷の外側へ回り、浅い方は岩の間へ入る。
何度か見失いながら先へ進んだが、どちらも谷の奥へは向かわず、別々の経路から同じ赤い岩の一角へ戻っていた。
「ロヴェルさん。この二頭は谷の奥へ向かってるんじゃなくて、この辺りを回ってるんじゃないですか?」
ロヴェルは周囲に重なった痕跡を見渡した。
「なるほど……やはり今まで追っていた《紅狼ヴァルグ》にはなかった動きだね」
その口元がわずかに上がる。
「ここから離れないように動いている」




