第64話 君は獣が好きかい?
声をかけてきたのは、見た目はたぶん普通のヒュームのおじさんだった。
黒髪をオールバックにまとめ、普段着のようにも見える革の上着を着ている。
戦闘用の防具は身につけていないが、腰には短剣を差し、背中にはショートボウを背負っている。
弓身の金具や短剣の鞘を見るからに、俺の装備より明らかに上等なものだった。
武器の組み合わせだけならスカウト職だろう。
「いや、聞き方がよくなかったかな」
男は少し考えてから言い直した。
「君は獣人が好きかい?」
「もっと悪化してませんか」
「……おかしいな。私は純粋に聞いているだけなんだが」
純粋なら問題がない質問というわけでもない気がする。
ロヴェルは自分の頭上の名前を示しながら続けた。
「ああ、名乗っていなかったね。私はロヴェルという」
「ザンです」
「ザン君。君はさっき村人とプレイヤーの耳を見比べていただろう」
話しかけてきた理由はそこだったらしい。
「動く順番が違ったので少し気になって」
「顔より先に耳が動く村人と、顔を向けた後で耳がついていくプレイヤーだね」
「気づいてたんですか?」
「もちろんだ。君がそれに気づいたことにもね」
ロヴェルが嬉しそうに笑った。
「たまたま見てただけです」
「気にして見なければ、普通は気付かないよ」
俺たちの前を二人のビーストフォークが通り過ぎた。
一人はヒュームとほとんど変わらない顔立ちで、頭の上に小さな丸い耳がついている。腰から伸びた尾も細く、毛は短かった。
もう一人は頬から首元まで灰色の毛に覆われている。
鼻や口も獣に近く、髪の間から伸びた長い耳が歩くたびに揺れていた。
「ビーストフォークはキャラクター作成時に《獣化率》を1%から99%まで選べる。今通った二人もかなり違っただろう」
「0%にはできないんですね」
「0%ではビーストフォークではなくヒュームになってしまうよ。最低の1%でも、耳と尾は必ずつくんだ」
ロヴェルが武器屋から出てきた小さな丸い耳のプレイヤーを見る。
「あの子は8%くらいだな」
「見ただけで分かるんですか?」
「頬に毛がなく、耳の外側にだけ短い毛がある。尾も細い」
今度は長い垂れ耳と太い尾を持った男性プレイヤーが横切った。
「あちらは34%」
「そっちは言い切るんですね」
「前に本人へ聞いた。34%だった」
「当てたわけじゃないじゃないですか」
「いや、聞く前から34%だと思っていたよ」
露店で肉を焼いていたビーストフォークの店主がこちらを見て片耳を動かした。
「あの人は?」
「彼は村の住人だから《獣化率》はない。見た目は親から受け継ぐ形で決まるらしいよ」
「村の人まで見てるんですね」
「もちろんだろう」
何がもちろんなのだろう。
「99%を選ぶ人もいるんですか?」
「少ないがいる。最近は100%の獣人を目指して四足歩行を練習している者もいるからね」
「え、99%までしか選べませんよね?」
「だから残りの1%を、自分の動きで埋めているんだよ」
「それは……かなり変わった人というか――」
「ああ、努力家だよね」
言い切られた。
「そこまで好きなら、ロヴェルさんはどうしてビーストフォークを選ばなかったんですか?」
初めてロヴェルの返事が止まった。
「始めたときは……まだ知らなかったんだよ」
「何をです?」
「自分がこれほど獣人を好きになることを」
「……後からだったんですね」
「ああ、後からだ。この世界には選んだ後で気づくこともある」
獣人の話をしていたはずなのに、急に深そうなことを言った。
「作り直さなかったんですか?」
「その頃にはこのヒュームで長く遊びすぎていてね。まあ、サブキャラはもちろんビーストフォークだが」
ロヴェルは革の上着の胸元を軽く叩いた。
「メインはこの種族のまま、見る側へ回ったんだ」
「見る側? それは何をするんですか?」
「種族ごとの動きを調べる。爪や牙と相性のいい職や装備を試してもらう。どうすれば一番強く、一番格好よく動けるかを考える。それからしっかりと眺める」
「最後だけ目的が違いませんか」
「全部同じだよ」
少しも同じには聞こえなかった。
ロヴェルの視線が俺の腰にある短剣と背中のショートボウへ移る。
「君は〈ヒューム・スカウト〉だね。敵を見るときは何を見る?」
「敵……そうですね。敵が動く方向やこちらに気づく距離を見ます。逃げる場所も先に確認します」
「耳や尾は?」
「ある敵なら見ます。体より先に動くことがあるので」
ロヴェルの目が楽しそうに細くなった。
「やはり君は――」
そこで村の中央から低い鐘の音が鳴った。
一度では終わらない。
短い間隔で3度続いた。
鐘が止むより先に広場にいたビーストフォークの村人たちの耳が動く。
多くは村の正門へ向いた。
でも、何人かの耳は村の左側や裏手へ向いている。
顔はまだ鐘楼を見上げているのに、耳だけが村の外を探っていた。
―――――
『地域緊急依頼』
《ルガート村防衛》が発生しました。
本来の生息域を外れたMOB集団が村へ接近しています。
到達予測:5分後
発生地域内にいる《生息域調査クエスト》参加者は、自動的に参加状態となります。
選択中の支援種別にかかわらず、どちらにも参加できます。
【村外防衛】
推奨レベル:Lv40以上
接近するMOBの迎撃および未確認の接近経路の特定を行ってください。
【村内支援】
推奨レベル:制限なし
村人の避難、物資の運搬、門や施設の防護を行ってください。
―――――
表示が消えるより先に広場にいたプレイヤーたちが動き出していた。
戦闘用の装備を身につけたプレイヤーは正門へ走る。
初期装備に近いプレイヤーたちは村の中に残り、村人の誘導や倉庫からの物資運搬へ向かっていた。
外へ出られないレベルでも、この緊急依頼でできることは用意されているらしい。
ロヴェルが装備を切り替えた。
革の上着が消え、代わりに身体へ沿う軽装が現れる。肩や胸元だけでなく、腕や腰にも動きを妨げない防具が組み合わされていた。
町着のときには分からなかったが、俺のものより明らかに一段も二段も上だ。
二次職用の装備で間違いない。
「ザン君。今、何を見た?」
「村の人たちの耳が一つの方向を向いていませんでした」
「その通り」
「正門方向以外からも来るってことですね」
ロヴェルが満足そうにうなずいた。
「君は《探索支援》を受けているんだろう?」
「どうして分かったんですか?」
「村へ来てから君は討伐対象を探すより先に人と道を見ていた」
ロヴェルは正門へ走っていくプレイヤーたちへ目を向ける。
「《掃討支援》なら狩場へ向かう。《護衛支援》なら同行する相手を探す。君はどちらもせず、村とその周囲を見ていた。だからそうだと思った」
「ただ初めての村を満喫していただけなんですが」
「ビーストフォークの村人やプレイヤーの耳を見ていただろう」
ロヴェルは正門へ向かわず、村を囲む柵へ走り出した。
「なら、みんなと同じ場所を見ていないことを誇りに思うべきだな。行くぞ。ついてきなさい」
俺は言われるがまま、その後を追った。
「前だけを見ないように」




