第51話 北の宿場町アルネイ
翌日の夜。
俺とリヴィアは21時ごろにシルヴェイル村の転移門前で待ち合わせていた。
吟遊詩人たちが運んだ歌はどこまで届いていたのか。その続きを確かめることが、いつの間にか楽しみになっている。
最初の目的地はエルフ領域の北部にある《宿場町アルネイ》だ。リヴィアによれば、そこはシルヴェイル村から直接向かうことはできないらしい。
俺たちはまず《梢の町エルウィン》へ移動し、さらに北の《森境の町リュネール》へ飛んだ。
リュネールの転移門前へ降り立つと、リヴィアが行き先の一覧を開く。
『以前ここを通ったとき、アルネイの名前を見た覚えがあります』
一覧をしばらく送っていくと、かなり下の方に《宿場町アルネイ》が見つかった。
『ありました』
「シルヴェイル村からだとかなり離れていますね」
目的地を選ぶと、転移の光が俺たちを包んだ。
次に視界が開いたときには小さな町の広場に立っていた。
地図上では遠く離れていたが、転移門を使えばシルヴェイル村から数分もかからず着く。
一方、この世界で暮らす者たちは転移門を使えない。そのため、アルネイまで来るには長い街道を歩くか、馬車に揺られるしかない。
《宿場町アルネイ》の中央には大通りが延び、その両側に木造の宿や店が並んでいた。店先には籠や木箱が積まれ、商人や荷馬車が行き交っている。
南の宿場町からアルネイまで歌を運んだ吟遊詩人はどの宿へ立ち寄ったのだろうか。
「まずはアルネイで一番古い宿を聞いてみましょうか」
『そうですね。当時のことを知っている方がいればいいのですが』
近くの露店で古い宿について尋ねると、大通りの東側にある宿を教えてもらった。
言われた方へ進むと、黒ずんだ柱と色褪せた木壁の宿が見えてくる。
入口の看板は新しくなっているが、建物そのものはかなり古そうだ。扉を開けると、受付と食堂が一つの広い部屋に収まっていた。
奥の厨房から肉の焼ける音と香草の匂いが流れてくる。
受付にいた男が俺たちを見て顔を上げた。
「……泊まりか?」
「いえ。昔この宿を利用した吟遊詩人について聞きたいんです」
「昔ってどれくらいだ?」
「かなり前だと思います。南の宿場町からこのアルネイに住む男の子へ、歌を届けた吟遊詩人がいたそうなんですが」
「悪いが……時期もわからんのなら俺には見当もつかんぞ」
『そうですよね』
「お前たち、ここまで来たならとりあえず飯でも食っていけ。昔の話はわからんが、料理なら昔より今の方がうまい」
男は少し笑うと、食堂の空いている席を示した。
リヴィアが俺の方を見る。
『せっかくですし、食べていきますか?』
「そうしましょうか」
俺たちは窓際の席へ座り、おすすめらしい川魚の香草焼きと燻製肉のスープのセットを頼んだ。
しばらくすると、焼きたてのパンと一緒に料理が運ばれてきた。白いスープには大きく切られた根菜と燻製肉が入り、柔らかな香りを漂わせている。
俺はスープを一口飲んで、思わず呟いてしまった。
「……うまいな」
『はい。優しい味で落ち着きます』
「《料理人》のサブ職を取ったら、こういう料理も作れるようになるんですかね」
『レシピや調理道具があれば作れるかもしれません』
「じゃあCRO内で練習したら、現実でも少しは上手くなるのか……」
『手順は覚えられそうですよね。私も練習してみたいです』
「リヴィアさんは普段から料理するんですか?」
返事が止まった。
『たまに朝食を作るくらいです』
「俺も目玉焼きくらいなら作りますよ」
『私は卵焼き、いえ、だし巻き卵くらいなら作れます』
リヴィアが少しだけ得意げな顔をした気がした。
俺が川魚の香草焼きへ手を伸ばしたとき、厨房の奥から小さな鼻歌が聞こえてきた。
同じ部分を二回ほど繰り返したところで途切れる。
リヴィアも気づいたらしく、厨房へ顔を向けている。
『今の歌……』
「知っている歌ですか?」
『いえ。ただ、何となく不思議な旋律だなって』
やがて厨房から年配の料理人が現れた。
頭上には《ハルム》と表示されている。
白髪を短く切り、腰には色褪せた前掛けを巻いていた。
料理を載せた皿を運びながら、先ほどと同じ旋律を口ずさんでいた。
皿を運び終えたハルムが厨房へ戻ろうとしたところで、俺は声をかけた。
「あの、すみません」
「何だ?」
「今、歌っていたのは何という歌ですか?」
「歌? ああ、鼻歌のことか。題なんぞ知らんよ。俺がまだこの宿の見習いだった頃に、町の子どもと吟遊詩人が何日も繰り返していた節だ」
「それっていつ頃の話ですか?」
「そうだな……俺もガキだったからもう50年以上は前になるか」
「え、そんなに前なんですか」
「ああ。あの頃は仕込みを教わりながら、毎日のように同じ節が聞こえてきたもんだ。だから今でも厨房に立っていると、たまに口から出るんだよ」
『その子どもについて他に何か覚えていませんか?』
「どうしてそんなことを聞く?」
「南の宿場町から歌を届けに来た吟遊詩人とその歌を受け取った男の子について調べているんです」
「南の宿場町……《カレド》のことだな」
『カレド⋯⋯』
「ああ。シルヴェイル村よりもさらに南にある宿場町だ。ここからだとかなり遠いぞ」
ハルムは少し考えてから、食堂の奥にある古い机へ目を向けた。
「カレドから来る吟遊詩人を待っていた子どもなら覚えている。たぶん、お前たちが探している男の子だ」
『その子は何度もこの宿へ来ていたんですか?』
「ああ。来ていたな。顔まではもう思い出せん」
男の子は南から来た吟遊詩人を見かけるたび、この宿へ顔を出していたらしい。
南から歌を預かっていないか。
何度も同じことを尋ねていたという。
「昔は吟遊詩人が歌や言葉を預かって運ぶことも珍しくなかった」
そしてある日、本当に歌が届いた。
「吟遊詩人が歌って聞かせると、何度も同じ旋律を口ずさんで喜んでいたな……」
「さっきの鼻歌がここに届いた歌ですか?」
「いや、届いた歌じゃねえ。ちょうどその頃、南へ向かう別の吟遊詩人が泊まっていてな。少し長く残って男の子と返すための歌を作っていたのを覚えている」
男の子が言葉を考え、吟遊詩人が旋律を繋いだ。
男の子は吟遊詩人が出発する日の朝までこの宿へ通い、二人で歌を合わせていたという。
「今の鼻歌はその《返し歌》の一節だ」
『他の部分も覚えていますか?』
「いや。俺が覚えているのはここだけだ」
ハルムがもう一度、同じ短い旋律を口ずさむ。
リヴィアは音を確かめるように最後までじっと聞いていた。
『ありがとうございます。では、その吟遊詩人は男の子の返し歌を預かって南へ向かったのですね』
「ああ。間違いない」
「吟遊詩人に歌を預けた後も、あの子は何年もこの宿へ来ていたよ。最初はそれこそ毎日のようにな。やがて何日かに一度になっても、南から吟遊詩人が来たと知れば必ず顔を出した」
『次の歌は届かなかったんですか?』
「少なくとも俺は聞いていない。いつからかあの子もこの宿には来なくなった」
少年は届いた歌に答え、自分の歌を南へ託していた。
その直後、リヴィアの前に淡い表示が浮かんだ。
―――――
クエスト《まだ歌われない詩》が更新されました。
《返し歌》の存在を確認しました。
吟遊詩人の足取りを追ってください。
―――――
リヴィアが表示を俺にも共有した。
『返し歌はこの町からちゃんと出ていたんですね』
「問題はその後どこで途切れたか……」
話を聞いていた受付の男がこちらへ近づいてきた。
「俺は当時を知らんが、その吟遊詩人が南へ向かったのは今の街道ができる前だろう。それなら通った道は限られる」
男は宿の外から南へ延びる大通りの先を示した。
「昔の街道は山裾を通って古い橋へ続いていた。日暮れまでに橋を越えられない旅人は手前にある《橋守の宿》で休んでいた」
『吟遊詩人もそこを通った可能性が高いということですか?』
「ああ。当時このアルネイから南へ向かうのなら、他にまともな道はなかったはずだからな」
「なら、次はその《橋守の宿》ですね」
『はい。そこまで歌が届いていたか確かめましょう』
次に辿るのは50年以上前に吟遊詩人が歩いた南への道だった。




