第50話 詩守り
老女の頭上には《アガーテ》と表示されていた。
アガーテは長椅子に置いた籠を持ち上げる。
「外で話すには少し長い。二人とも中へお入り」
古い木製の扉を開け、建物の中へ入っていく。
俺たちもその後に続いた。
宿として使われていた頃の名残なのか、室内にはいくつもの机と椅子が残っている。旅人たちが食事や休憩を取る場所だったのだろう。
アガーテは籠を机へ置くと、三つの杯に香草入りの冷水を注いだ。
「これくらいしかないけどね」
「いえ、ありがとうございます」
『いただきます』
俺たちは向かいの椅子へ座った。
壁には古い地図や楽器が掛けられている。
窓辺には小さな鉢植えが並び、天井から下げられた香草が風に揺れていた。
『《詩守り》について、もう少し教えていただけますか?』
「ああ。昔の吟遊詩人はね、町で歌うだけじゃなかった。遠くに住む相手へ届けてほしいと頼まれれば、手紙や歌を預かったものだ」
アガーテはそこで一呼吸ついてから水を一口飲んだ。
「一人では運べないほど遠い場所なら、同じ方角へ向かう別の吟遊詩人へ託す。ここはそういった歌を渡す場所の一つだったんだよ」
『なるほど。この宿で別の吟遊詩人へ渡していたんですね?』
「ああ。旅人が足を休めるのと同じさ。歌もここで次に運んでくれる者を待っていた」
アガーテが壁に掛けられた古い地図を指した。
今の街道とは違う線がいくつもの町や宿を結んでいる。
「歌を預ける者は届けたい相手の名前と住んでいる町を書いた手紙を添えることもあった」
「歌はどうやって相手へ届けるんですか?」
「預かった吟遊詩人が耳で覚えるのさ。別の吟遊詩人へ託すときはその者の前で歌って聞かせる。受け取る者が覚えるまで何度でもね」
旋律は吟遊詩人から吟遊詩人へ歌うことで渡されていったらしい。
『アガーテさんも歌を運んでいたんですか?』
「若い頃はね。旅をやめてから、使う者が減ったこの宿を引き継いだのさ」
『世界樹の歌碑は《詩守り》と何か関係があるんですか?』
「昔からあの歌碑を訪れる吟遊詩人はいたよ。ただ、何が残っているのかは自分で確かめな」
『……はい』
「では、さっき外で言っていた『一つの歌が通った道』というのは?」
アガーテはすぐには答えず、俺とリヴィアを交互に見た。
「その話をする前に一つ聞いてもいいかい」
「何でしょう?」
「お前さんたちは恋仲なのかい?」
「……え?」
『違います』
リヴィアの返事はかなり早かった。
俺も慌てて続ける。
「フレンドです。一緒にクエストを進めてるだけですよ」
「へえ……そうかい」
アガーテは俺たちをもう一度見比べて、小さく笑った。
「二人揃って仲よさそうにここへ来たから、てっきりそうかと思ったよ」
『そんなに仲よさそうに見えましたか』
「そこ、気になるんですか?」
『気になったわけではありませんが』
少し間が空く。
『それより、先ほどの「一つの歌が通った道」について教えてください』
アガーテは楽しそうに笑った。
「一つの歌がどこで生まれ、誰に預けられ、どこまで届いたのか。その跡を辿るということさ」
『吟遊詩人がやってきたことですね』
「ああ。この宿には昔ここを通った吟遊詩人の話がいくつか残っていてね。お前さんたちを見て、その中の一つを思い出したよ」
「それはどんな話なんですか?」
「ずいぶん昔の話さ。ここよりさらに南の宿場町に仲のよい男の子と女の子がいたそうだ」
アガーテの話では二人は一緒に短い歌を作り、よく歌っていたらしい。やがて男の子の家族が遠く北の町へ移ることになった。
「離れる前に二人は約束したらしい」
『どんな約束ですか?』
「互いの町へ向かう吟遊詩人が来たら、必ず歌を預けるとね」
女の子が歌を送り、受け取った男の子が歌を返す。
それを繰り返せば、離れていても二人の歌を続けられる。
それが二人の約束だった。
「届いた歌へ答えるために自分の言葉と旋律を重ねて返す。そういう歌を《返し歌》と呼ぶことがあった」
『返し歌……』
「同じ歌をそのまま返すんじゃないよ。届いた歌に答えるための次へ繋がる歌さ」
その後、北へ向かう吟遊詩人が女の子のいる町を訪れたという。女の子は何度も歌を聞かせ、北の町にいる男の子へ届けてほしいと頼んだらしい。
「その歌を預かった吟遊詩人がこの宿を使ったんですか?」
「ああ。ここで一晩休み、そのまま北の町へ向かったそうだ」
「歌は男の子へ届いたんですか?」
「その吟遊詩人は北から戻ってきたときにもこの宿へ立ち寄って、アルネイに住む男の子へ確かに届けたと話したそうだ」
『最初に送られた歌は届いていたんですね』
「ああ。ただ、少なくともその歌への《返し歌》が女の子へ届いたという話は残っていないね」
男の子が歌を返さなかったのか。
返した歌が途中で失われたのか。
今となっては分からないという。
『男の子が暮らしていた北の町は分かりますか?』
「歌を運んだ吟遊詩人によれば、北の宿場町のはずだ」
アガーテの指が地図のかなり北の方を示した。
「アルネイのどこへ行けばいいんでしょうか」
「さあね。そこまではあたしには分からないよ」
その直後、リヴィアの前にクエスト表示が浮かんだ。
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クエスト《まだ歌われない詩》が更新されました。
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『アルネイ……ですね』
「ずいぶん昔の話だ。もう何も残っていないかもしれないよ」
『それでも行ってみます』
アガーテは静かに頷いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回で第50話となりました。
ありがたいことに累計40万PVを超え、ブックマークも2000件以上いただいてしまいました⋯⋯。
数字を見るたびに、この物語を見つけて一話ずつ読み進めてくださった方がいるのだと、改めて嬉しく思います。ありがとうございます。
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物語はまだ続きます。
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