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第34話 黒翼と足音

 

 翼を広げた影だけで、丘の上の草が暗くなる。

 星の粒みたいな光が羽の端を流れているのに、胴の中心だけは夜そのものを切り取ったみたいに真っ黒だった。


―――――

《ルナール・ナイトレイヴン》

―――――


 その大きな黒鳥は丘の上を大きく旋回し、古い打ち上げ台の上へ影を落とす。


「何だあのでかい鳥は……見たことあるか?」


「ない。少なくとも、普通に歩いていて出てくるような敵じゃなさそうだ」


 ミナトが大盾を構える。

 ナイトレイヴンがそれを見て、低く鳴いた。

 声というより空気が震えるような音。

 その瞬間、ゲームだと分かっているのに背筋が冷えた感覚がした。


 古い打ち上げ台は巣で塞がれている。

 その上を、普通の敵とは思えない黒く巨大な鳥型MOBが守っている。

 ナイトレイヴンが空で身を捻った。

 次の瞬間、黒い影が落ちてきた。


 ――速い。


 ミナトの盾が何とか上がる。

 鉤爪が大盾をかすめ、金属を引っかくような音が夜の草原に響いた。

 ナイトレイヴンは盾に触れた瞬間にはもう角度を変え、翼を広げて上空へ戻っている。

 黒い羽の端だけが星の粒みたいに光り、夜の中へ細い線を残していた。


「何なんだあいつ。スピードがやばい。しかも全然止まらねえ」


「来たと思ったら、もう上に戻ってる」


 盾で受けても、ナイトレイヴンは地面に残らない。

 俺の短剣は届かず、ショートボウも急降下の一瞬を狙うしかなかった。


 ナイトレイヴンが旋回する。

 翼の端にまとった光が暗い空に弧を描いた。

 次の瞬間、また黒い影が落ちてくる。

 ミナトが盾を斜めに引き上げる。

 鉤爪が盾に当たり、もう一度火花みたいな光が散った。


 俺は離れていく背中へ向けて矢を放つ。

 矢は羽の端をかすめたが、羽の光が少しだけ散っただけで、ナイトレイヴンの動き自体は鈍らなかった。


「俺の矢だとほとんど通ってない」


「こっちも止められない。《アトラクト》入れるタイミングがむずいがやるしかないな」


 ナイトレイヴンはまた上空で旋回している。

 古い打ち上げ台を中心に、黒い円を描くように飛んでいた。


「もう一回、近づいた瞬間狙う」


「おう、やってやるぜ」


 ミナトが盾を構え直した。

 ナイトレイヴンが高度を落とす。

 黒い翼が畳まれ、空から槍みたいに影が落ちてきた。


「おおらああ、《アトラクト》!」


 ミナトの声に合わせて、ナイトレイヴンの頭がわずかにこちらへ向いた。


 《アトラクト》は効いている。

 でも、注意が向いただけではあの鳥は止まらない。

 狙いは変えられても、あの勢いまでは抑えられない。

 ナイトレイヴンは軌道を少し変えただけで、爪を盾に走らせ、そのままミナトの頭上を飛び抜けた。


 俺は近づいた瞬間を狙ってショートボウを引いた。

 狙う時間はほとんどない。

 矢が黒い翼の下を抜け、夜へ消えていった。


「弓で狙うのはきつい」


「《アトラクト》でも止まらんならどうしようもねえな……」


 ミナトが苦い顔で盾を下げる。

 ナイトレイヴンは高い位置で羽ばたき、また丘の上を回り始めた。

 俺たちが台から離れると追ってはこないようだ。

 でも、台に近づくと高度を落としてくる。


 ナイトレイヴンが見ているのは俺たちだけじゃない。

 古い打ち上げ台。

 おそらく、そこにある卵だろう。


「ミナト。あいつ、巣を守ってる」


 俺たちがそこへ近づくたびに、ナイトレイヴンの動きが変わる。


「台を背にしたら来る角度が絞れるかも」


「つまり、俺に背中であの台を守れと」


「そういうこと」


「盾役っぽい仕事ではあるな!」


 ミナトは大盾を構えたまま、台の前へ立った。

 俺はショートボウをしまう。普段のダガーでも使えるが、当たらなかった場合を考え、使い捨ての投げナイフに持ち変えた。

 ナイトレイヴンが旋回する。

 黒い翼が少し低くなった。


 ――来る。


 ミナトの盾が上がる。

 爪が大盾を削ったが、今度は軌道が少し読みやすい。

 台を避けようとして、落ちてくる角度が狭くなっているからだ。

 俺はその瞬間に、《スローイングダガー》を使った。

 銀色の線が夜を切る。

 ナイトレイヴンの翼端へ刺さり、黒い羽が散った。


 当たった。

 でも、その程度では落ちない。

 ナイトレイヴンは翼を大きく打ち、また夜の闇へ戻った。

 HPは少し削れているが、あと何回やればいいのか分からない程度しかダメージが通っていない。


「スローイングダガーでも軽いな」


「当たってるだけマシだ。こっちは受け続けるのが無理かもしれん」


 ミナトのHPも少しずつ減っていた。

 受けているのに完全には受けきれていない。

 急降下のたびに爪が盾を滑り、腕や肩へ細かいダメージが入る。


 ナイトレイヴンがもう一度落ちてくる。

 ミナトが盾を低く構え直した。

 ただ受ける構えじゃない。次は二次職の盾スキルを合わせるつもりだ。

 でも、当たる直前にナイトレイヴンが翼を開いた。


 敵の飛ぶ軌道が変わる。

 盾の縁を爪が削り、黒い影はすり抜けるように上へ抜けた。


「さっきと角度を変えられたぞ」


「学習してるな」


 ミナトが足を踏み直す。

 ナイトレイヴンの両翼の端には星の粒みたいな光が流れる。

 その光が急降下の直前だけ胴の近くへ集まった。

 月明かりが拾ったのか。

 それとも翼の光が反射したのか。

 翼の付け根に一瞬だけ淡い点が見えた。


 ――クリティカルポイント。


 たぶん、あそこだ。

 でも、それだけだ。当てられる気はしなかった。

 ナイトレイヴンの黄色い目がこちらを見ていた。


 次の瞬間、翼が振られる。

 その風圧で体が浮きかけたため、俺は足を踏ん張って耐える。

 ミナトが盾を斜めにして、俺の前へ割り込んだ。


 黒い爪が盾を削る。

 星みたいな火花が飛んだ。


 ナイトレイヴンは地面に降りない。

 爪を振り、翼を打ち、また空へ戻る。

 工夫すれば攻撃は当たる。

 《アトラクト》も完全に無効ではない。

 

 ――それでも落とせない。


 このままでは削り切る前にこっちが倒される。


「……無理だな。どうする?」


 ミナトが盾を構えたまま、視線だけこちらへ向けてくる。


「今の俺たちじゃ相性が悪すぎる。一旦引くしかない」


 ナイトレイヴンの影が丘の上をゆっくり横切った。

 逃げるなら今だ。

 台の確認は途中で、巣も卵もそのままだった。

 北門の灯りは見えているのに、打ち上げ方向はまだ確認できていない。


 それでも、このまま戦い続けても死に戻ることになるだろう。

 ミナトも同じ答えにたどり着いたらしい。

 盾を構えたまま、一歩だけ後ろへ下がった。


「台から離れれば追ってこない可能性はある」


「追ってきたら?」


「走る」


「分かりやすくていいな」


 ナイトレイヴンが高く鳴いた。

 その声が草原に広がり、白い草花がざわついた。


 もう一度来る。

 そう思っていた。

 でも、遠くから別の()が近づいてきている。


 地面が震え、草の波が丘の下からこちらへ押し寄せてくる。


 足音。

 いや、足音だけではない。

 草を裂き、石を蹴り、何かが地面を叩く。

 いくつもの響きが重なって、夜の星月草原を揺らし続けている。

 ミナトが盾を構え直した。


「……何だ、今度は。別のボスか……?」


 ナイトレイヴンが空で旋回したまま、丘の下へ向きを変える。さっきまで俺たちだけを見ていた黒い鳥が別の何かを警戒していた。


 丘の下の草が大きく割れる。

 何かが近づいてきている。

 それも一体や二体ではない。聞こえてくる音が多すぎる。


 俺たちは息を止めた。

 夜の中からとてつもないものが近づいていた。

 

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