第3話 載らなかった名前
一枚目は、壊れた補給用の荷台の中にあった。
箱の下敷きになっていて、半分だけ土に埋まっていた。
拾い上げると、名前が読めた。
マーロ。
二枚目は、倒れた旗竿のそばにあった。
そこにはイベント中に補給拠点だったらしいテントの跡が残っていた。白い布は外され、支柱だけが寂しく立っている。
名前はエダ。
三枚目を探している時、焼け焦げた岩陰から小さな影が飛び出した。
アッシュリザードだ。
灰冠竜の眷属の残り火らしい。
レベルは俺より少し低いし、一体だけだ。
だが、戦場跡で油断していたせいで初撃をまともに受けてしまった。
「痛っ――!」
腕に熱が走る。
それだけで、HPが一割ほど削れた。
俺は短剣を抜き、後ろへ跳んだ。
相手の方がレベルが低いとはいえ、アッシュリザードは速い。
口から細い火を吐き、焼けた地面を滑るように走ってくる。
本来なら《探知》を入れてから岩陰を覗くべきだった。
今回のワールドイベントは今までのイベントとは違って、戦場跡でも安全地帯とは限らないということだろう。
俺はまだ二次転職を済ませていない、レベル44の《ヒューム・スカウト》だ。
攻略動画で見たような派手なスキルはまだ使えない。
このタイミングで使えそうなのは、スカウト系の回避スキルといくつかの短剣用の攻撃スキル。
足元の溝を使って距離を取り、アッシュリザードが跳んだ瞬間に横へ回る。
「《スローイングダガー》」
投げた短剣がリザードの脇腹に刺さった。
その隙にさらに近づき、予備のもう一本の短剣で首元を斬る。
派手な音も、強いエフェクトもない。
アッシュリザードは小さく鳴いて、灰になって消えた。
ドロップは《灰蜥蜴の表皮》ひとつ。
売っても安い。
「……まあ、俺の火力だとこんなもんか」
俺は投げた短剣を拾い直し、改めて岩陰を覗いた。
そこに三枚目の認識票があった。
ルッツと書かれている。
四枚目は、戦場の端にある小さな墓標のそばだった。
墓標といっても、石を三つ積んだだけのものだ。
レイドイベント本編では、たぶん背景だったのだろう。
プレイヤーが走り抜ければ気づかない。派手な光の中ではただの地形にしか見えない。
その認識票には、ノーラとあった。
俺はそれを拾う前に、少しだけ立ち止まった。
勝ったイベントの後に、こんなものが残っているのは少し変な感じだった。
プレイヤーにとって、灰冠竜グラウム討伐戦は大成功のイベントだろう。
限定装備も出た。
配信も伸びた。
攻略組は名を上げた。
でもゲームの中の戦場には、勝利の後もこういう墓標まで残っている。
それはたぶん、運営の誰かが意図して作った演出だ。
見ても見なくてもいい。
報酬にもならない。
攻略には関係ない。
だから、ほとんどのプレイヤーは見ていないと思う。
ましてや、もうすぐ消えるエリアだ。
俺は認識票を拾った。
最後の五枚目は、丘陵の一番北にあった。
ここは公式配信の映像で見覚えがあった。
第一戦場の灰冠竜が最後に倒れた場所のはずだ。
大地は大きくえぐれ、中央には黒い焦げ跡が残っている。
公式配信のラストシーンで、アスレガのアタッカーが剣を突き立てた場所だ。
その端の方には、壊れた補給箱があった。
箱の中には、空の回復薬瓶がいくつも転がっている。
前線に届いた薬。
そして、使われた薬。
誰かを、最後の一撃まで生かしたもの。
その箱の底に、五枚目の認識票があった。
セイル。
五枚目がそろった瞬間、クエスト欄が更新された。
―――――
《第七補給隊の認識票をロイへ届けてください》
―――――
俺は丘をゆっくりと下りた。
ロイは荷馬車のそばで待っていた。
周辺を見ても、撤収作業はもうほとんど終わっている。
テントの支柱は外され、焚き火の跡には土がかけられていた。
このインスタンスエリアはイベント終了時刻がきたら閉じられる。
ただ、公式ニュースによれば、メンテナンス後には通常フィールドの《失われし丘陵》として、灰冠竜討伐戦の跡が一部反映されるらしい。
全部が何もなかったことになるわけではない。
でも、この場所そのものがいつまでも残るわけでもない。
それでいい。
だからこそ、この場所が閉じる前に見ておきたかった。
「ロイさん、集まりました」
俺は集めた認識票を渡した。
ロイはそれを一枚ずつ受け取った。
「マーロ、エダ、ルッツ、ノーラ、セイル……」
彼は小さく名前を読み上げた。
ただのゲーム内音声なのに、ゆっくりで静かだった。
「……ありがとうございます、旅人殿。これで彼らの名を、勝利報告に添えることができます」
「それは……間に合うんですか」
「分かりません」
ロイは苦笑した。
「戦勝碑に刻まれるのは、きっと討伐者たちの名でしょう。この前線で戦い抜いた旅人たちの功績です。それは正しく評価されるべきものです。ですが、報告書の端にでも、第七補給隊であった彼らの名が残れば――」
ロイは認識票を胸に抱えた。
「――それだけで十分です」
視界にクエスト完了の文字が出た。
《後日談クエスト:勝利報告に載らなかった名前――完了》
その直後、空に澄んだ鐘の音が響いた。
《ワールドアナウンス》
《灰冠竜グラウム討伐戦の未回収記録が更新されました》
《第七補給隊の名が、王都戦勝碑に追記されます》
「…………え?」
俺は固まった。
自分の名前は出ていない。
ロイの名前も出ていない。
でも、今のアナウンスは、このゲームをプレイする世界中の全てのプレイヤーのウインドウに流れたはずだ。
続いて、報酬が表示される。
―――――
獲得経験値:18
―――――
「少なっ……」
思わず声が漏れた。
その下に、もう一つ表示が続いた。
――記録を取得しました。
―――――
《灰冠戦役・第七補給隊名簿》
種別:記録
レアリティ:ワールドユニーク
効果:関連記録の接続候補を表示する。
説明:灰冠竜グラウム討伐後、撤収フェーズで発見された補給隊名簿。
戦勝の光に隠れた名を、ここに残す。
備考:現在、関連記録は未接続。
―――――
「え……使えないのか」
思わず笑ってしまった。
経験値18。
装備できない。
売れないし、使えない。
そのうえ、関連記録という欄まであるのに、そこには未接続とだけ表示されている。
ワールドユニーク。
世界で一つだけの記録だ。
武器や防具なら大騒ぎになる等級だが、これは装備することも売ることもできないただのログだった。
でも、俺はその名簿を捨てられなかった。
ロイが荷馬車に乗る。
「私はこれで撤収します。旅人殿も、お気をつけて」
「……ロイさんは、この後どこへ行くんですか?」
「王都へ戻り、報告を行います」
そう言ってから、ロイは少しだけ空を見上げた。
「次にこの地を通る時、私は別の任務に就いているでしょう。灰冠竜討伐戦の話をする機会は……もうないかもしれません」
「寂しくはないんですか」
「補給兵は前線が進めば、次の道へ移ります」
そのとき、ロイの首元で小さな金属片が揺れた。
黒く焦げていない、綺麗な認識票だった。
そこにはこう刻まれていた。
第七補給隊――ロイ。
「ロイさんも……第七補給隊だったんですね」
「……はい。ですが、私の名はまだ道の上にあります」
ロイは集めた五枚の認識票へ視線を落とした。
「ここに残すべきなのは、この丘で足を止めた者たちの名です」
ロイは空を見上げる。
「それでも、第七補給隊の名簿には私の名も添えます。彼らを王都へ連れて帰った者として」
そこでロイは少しだけ笑った。
「彼らの名がどこかに残るなら、私はそれだけで十分です」
荷馬車が動き出した。
俺はその後ろ姿を見送った。
やがて、ロイの名前表示は遠くの灰色に溶けて消えた。
戦場跡には俺だけが残った。
風が吹く。
焼け焦げた丘陵の上に、もう勝利後のBGMは流れていない。
俺は、今日ここに来てよかったと思った。
いつの間にか零時が過ぎ、報酬交換期間が終わっていた。
攻略組が帰った後。
ゲームの中にはまだ少しだけ、終わっていないものが残っていた。




