第2話 撤収中の戦場
灰冠竜討伐戦の戦場跡へは、王都北方の《失われし丘陵》にいるイベント係NPCから入ることができる。
最大手クランのアスレガがワールド・ラストアタックを取った第一戦場ではない。
正確にいえば、俺が最後に参加したインスタンスエリアへ飛ばされる形だ。
どの戦場も同じ形、同じ広さ。
そこには同じように灰冠竜が暴れ、同じ補給路が走り、戦いが終われば臨時拠点は撤収されていく。
違うのはそこに残っているものを、俺のような誰かが見に来るかどうかくらいだろう。
報酬交換が終わる前とはいえ、いまさら戦場跡へ戻るプレイヤーはほとんどいない。
攻略組は次の装備強化へ向かい、配信者は討伐動画を切り抜き、検証勢は報酬の装備性能などの数値を洗っているだろう。
それぞれの遊び方として、それらは正しい。
そんな中、俺はすでに終わった場所へ戻ってきた。
今回のイベントでは、臨時拠点をはじめ、補給所や転送門、報酬交換所、負傷兵の天幕まで用意されていた。丘の上には戦場全体を見渡すための高台も組まれていた。
だが、中に入ると、そのほとんどがすでに片付けられていた。
空はまだ薄く灰色で、灰冠竜が暴れた丘陵の草は焼け焦げ、地面には至る所に大きな爪痕のような溝が残っている。
だが、このエリアにはすでに巨竜の死体はなく、攻略クランの旗も立っていない。
配信者たちが並んでいたという高台も、骨組みだけになっていた。
片付けられていく途中の戦場まで、ちゃんと残っている。
こういう細かいところまで演出されているのは、さすがCROだなと思った。
風の音だけが聞こえてくる。
俺は誰もいない丘の上に立ち、しばらく戦場を眺めた。
後で見た公式配信の映像では、第一戦場に光が降っていた。
何千人ものスキルエフェクトが弾け、灰冠竜グラウムの翼が空を覆い、最後はアスレガのアタッカーが巨竜の胸に剣を突き立てていた。
俺がいるのは、その第一戦場ではない。
だが、ここは同じ灰冠竜が暴れた、同じかたちの戦場だ。
今はもう、どのインスタンスエリアにも同じような静けさが残っているのだろう。
地面には焼けた石や、風に倒れた杭が残っている。
少し離れた場所には、誰かが使い残した回復薬の空瓶が転がっていた。
「この静けさ、やっぱりいいな」
思わず声が出た。
イベント本番や討伐時に間に合っていたら、きっとここはすごかったのだろう。
でも、今俺が見たいのはその後だった。
熱狂の後に残る、誰も見ていない景色。
攻略サイトには載らない空気。
配信の切り抜きには残らない風の音。
それだけ見られれば、今日は十分だった。
そう思って、丘を下りようとしたとき――。
――がたん、と木箱の崩れる音が聞こえた。
音がした方に向かうと、撤収中の荷馬車のひとつが斜面の途中で傾いているのが目に入る。
片側の車輪が焼け焦げた溝にはまり、積んであった木箱が崩れかけていた。
近くにいた補給兵が、一人でその車輪を押している。
名前表示は薄い灰色で、戦闘対象ではないNPCのものだった。
――ロイ。
イベント中なら、きっと背景にいる補給兵の一人だっただろう。
灰色の軽鎧に、補給隊の腕章。顔は若い方だと思う。
一般的なプレイヤーキャラほど目立つ造形ではないが、疲れたような表情だけはやけに細かく作られていた。
「あの、押しましょうか?」
思わず俺は声をかけていた。
ロイが顔を上げる。
「ただいま撤収作業中です。灰冠竜討伐戦は、すでに終了しています」
「それは……知ってます」
「この区域はもう戦場ではありません」
「それも分かってます。俺、ただ見に来ただけなので」
ロイは少しだけ首を傾げた。
「……終わった戦場を、ですか」
「はい」
「……変わった方ですね」
「よく言われます」
俺は荷馬車の後ろに回った。
「せーので押しましょう」
「支給品を追加でお渡しすることはできませんが」
「いえ、車輪が抜ければ十分ですよ」
ロイはそこで一瞬だけ黙った。
それから、少しだけ表情を緩めたように見えた。
「では、お願いします」
俺は荷馬車に手をかけた。
「せーの!」
ロイと一緒に押す。
はまった車輪は最初、びくともしなかった。
俺のSTRは高くない。スカウト系は敏捷と探知スキルに寄った職で、荷馬車を動かすような力仕事には向いていない。
それでも何度か押すと、焼けた土が崩れて、車輪がようやく溝から外れた。
がたん、と荷馬車が揺れる。
同時に、上に積まれていた小さな木箱のひとつが落ちた。
蓋が割れ、中から黒く焦げた薄い金属片がこぼれた。
ロイの視線がそこで止まった。
「それは……」
俺は拾い上げた。
手のひらに収まるくらいの黒く焦げた部隊札だった。
刻まれた文字はほとんど焼けていて、かなり読みづらかった。
――第七補給隊。
部隊の名がそこに書いてあった。
それを見ていたロイが静かに息をのんだ。
「……まだ、残っていたのですね」
視界の端に小さな文字が浮かび、ピロンという聞き慣れた音がした。
《後日談クエスト:勝利報告に載らなかった名前》
俺は瞬きをした。
「ん……クエスト?」
ロイはその焦げた部隊札を見つめたまま、静かに言った。
「灰冠竜は倒されました。王都では戦勝碑が立つでしょう。討伐に参加した旅人たちの名も、最後の一撃を入れたクランの名も、きっと刻まれます」
「……はい」
「ですが、補給路を守った者たちの認識票が、まだ見つかっていません」
ロイは割れた木箱の中を見た。
「第七補給隊は、最終フェーズの前まで補給路を守りました。彼らが持ち場を離れていれば、前線へ回復薬は届かなかったかもしれません」
そんな話、公式配信では一切聞かなかった。
掲示板にも攻略記事にも、そんな補給部隊の名前は出ていなかったはずだ。
灰冠竜グラウムを倒したのは、俺たちプレイヤーだ。
ワールド・ラストアタックを取ったのも、ランキング上位に入ったのも、アスレガたち攻略組メンバーだ。
それで間違っていない。
でも、その横でイベントを支えるためだけに用意された者たちがいた、ということだろうか。
そしてイベントが終わった後、その部隊札だけが荷箱の底に残っていた。
ロイは俺を見た。
「旅人殿。もう戦勝報告の締切まで時間がありません。けれど、もしまだ間に合うなら、彼らの名前だけでも集めたいのです」
クエスト詳細が開いた。
―――――
目的:第七補給隊の認識票を五枚集める。
推奨レベル:―
報酬:―
制限時間:撤収フェーズ終了まで。
―――――
俺は不謹慎にも、少し笑ってしまった。
こんなクエストがまだ残っていたのか。
「……今なら時間は少しあるので。手伝います」
「よろしいのですか。これはもう、勝利とは関係のない仕事ですが」
「はい。だからこそやります」
勝利に関係のあるものなら、もう誰かが拾っているだろう。
報酬になるものなら、攻略組や検証勢がとっくに見つけているだろう。
でも、報酬にもならず、ランキングにも載らず、誰かが見なければ消えてしまう――ただの名前なら。
それは俺がここへ来た理由そのものだった。
ロイはまた不思議そうな顔をした。
俺は焦げた部隊札をロイに預け、焼け跡の残る丘陵を歩き始めた。




