第22話 狂風鳥グレイヴェル
丘の斜面を下り始めた直後、背後で風が爆ぜた。
振り返る余裕はない。
ただ、《狂風鳥グレイヴェル》がこちらへ迫っていることだけは分かった。
周りにいたアッシュモスの群れがまとめて吹き飛び、草の上に深い軌跡が残った。ホップフェザーもゲイルフェザーも関係ない。
あの風の前では、この狩場のMOBはただ巻き込まれて飛ばされるだけだった。
『二人で倒せる敵ではないので、このまま逃げましょう』
でも、グレイヴェルはすぐ後ろまで来ていた。
「――追いつかれそうなので、一度こっちに注意を向けます」
『え』
「リヴィアさんはこのまま先に行ってください」
俺は振り返って短剣を抜いた。
グレイヴェルの風は壁みたいに押し寄せてくるわけではなかった。
地面をえぐる白い風の線が何本も走り、その線に触れた草やMOBがまとめて吹き飛ばされていく。
避けるだけなら、あの白い線から逃げればいい。
でも、今の距離ではそれだけだと意味がない。
少しでもいい。
風の流れをずらして注意を引かなければ、二人ともやられる。
――よく見ろ。
白い線が走る直前、草が先に倒れている。
倒れた草の先を追えば、次に風がどこを通るかは分かる。
俺は《シフトステップ》で横へずれた。
目の前の草が斜めに倒れ、そこへ白い風の線が伸びてくる。
速い。
まともに触れれば、そのまま吹き飛ばされるだろう。
正面から止めるのは無理だが、今は倒すことが目的ではない。俺たちが逃げる場所から、少しだけ風を外せればいい。
白い線の奥でグレイヴェルの翼が低く降りてくる。
風だけが走っているわけじゃない。
翼が地面すれすれをなぎ払い、その動きに合わせて白い風の線が伸びている。
白い線のエフェクトが見えたときには、必ず翼の端が先に動いていた。
つまり、狙うならあそこだ。
風そのものじゃない。
風を生んでいる翼の端。
風が薄くなる一瞬を縫って、翼の端へスキルを押し込む。
俺は短剣を構え、白い線が足元へ届く直前に《シフトステップ》で前へ踏み込んだ。
「《クイックスラッシュ》」
斬撃エフェクトが白い風の隙間を抜け、降りてきた巨大な翼の端にぶつかった。
―――――
Resist!
―――――
ダメージはほとんど入っていない。
翼を斬ったというより、風の膜ごと弾かれた感触だった。
それでも、翼の振り抜きがわずかにずれる。
押し寄せていた風の線が一瞬だけ揺れ、俺たちの進む先から風の圧が少しだけ外れた。
グレイヴェルは一度上空へ飛び上がり、周囲を旋回し始めた。
そのとき、空から羽根が一枚だけ草の上へ落ちてくる。
「……少しだけ攻撃できました」
リヴィアの文字はすぐには返ってこなかった。
『……今の、翼に当てたんですか』
「少しだけです。ほとんど弾かれましたけど」
『でも、今ので少し離れてくれました』
「はい。今のうちに行きましょう」
俺たちはまた走り出した。
そのとき、上空のグレイヴェルが首をこちらへ向けていた。その視線は俺を通りすぎて、今度はリヴィアの方へ向いていた。
「――っ! 後衛職狙いか」
グレイヴェルが大きな翼を振った。
風の軌跡が一直線にリヴィアへ伸びる。
その前に、リヴィアはすでに杖を振っていた。
―――――
《スプラウトリカバリー》
《フェアウィンド》
―――――
バフが終わると同時に、俺たちは走っていた。
さっき空から落ちてきた羽根が進路のすぐ横にある。
本来は拾う余裕なんてない。
でも、通り抜ける瞬間なら別だ。
俺は体を低くし、なんとか羽根をつかんだ。
―――――
《グレイヴェルの羽根》を入手しました。
―――――
ログを見る暇はなかった。
グレイヴェルがまた翼を振り抜く音が聞こえる。
地面をえぐる白い軌跡が、俺たちの逃げ道をふさぐように伸びてくる。
それをどうにか避けて走り続ける。
背後でまた風が大きく鳴ったが、そちらを見れば逃げるのが遅れる。
見張り台はまだ遠い。
このまま走っても間に合わない。
背後で翼の音が低く沈んだ。
次の狂風が来る。
『あの、あそこに』
リヴィアの文字が浮かぶのと同時に、丘の斜面の下の方に草で隠れた大きなくぼみが見えた。
「――飛び込みます」
返事を待つ余裕はなかった。
俺たちは走る勢いのまま斜面へ滑り込み、草の奥に開いたくぼみへ転がり込んだ。
次の瞬間、頭上を白い風の線が通り過ぎる。
周囲の草がまとめて倒れ、斜面の上を削る音が響いた。
ほんの少し遅れて、巨大な影がくぼみの上を抜けていく。
グレイヴェルはそのまま空へ上がり、俺たちが走っていた道の先を旋回した。
音が遠ざかっていく。
どうやら、見失ってくれたらしい。
俺たちはしばらくその場を動けなかった。
「あれは……倒す敵じゃないですね」
『はい』
少しだけ空気が緩む。
リヴィアの文字が浮かんだ。
『ザンさんがいきなり戦い始めたのでびっくりしました』
そこで、リヴィアの文字が止まった。
『……あ、呼び方』
「大丈夫ですよ。普通にザンで」
『いえいえ、「ザンさん」って呼んでも大丈夫ですか?』
「はい。でも、ザンさんって少し言いづらいでしょうし、ゲームなんで呼び捨てでも――」
言ってから少し遅れて気づいてしまった。
「あああ、すみません。言いづらいってそういう意味では、いやそういう意味か」
少しだけ変な間が空いた。
『いえ。大丈夫ですよ』
俺はそれ以上、聞かなかった。
『では、ザンさんで』
「はい」
『ザンさんがいきなり先に行けって、どうしようかと思いました』
「すみません。この狩場にいる敵なら、そもそも少しくらい戦えるものだと思ってました」
『あれは大きすぎます』
「確かに」
自分で言って少し笑ってしまった。
リヴィアのアバターもふっと口元を緩める。
『二つのフルパーティーが戦っているのを遠目に見たことがあります』
リヴィアは少し間を空けて続ける。
『少なくとも、そのくらいの人数が必要なのかもしれません』
俺はそこでようやく、逃げている途中で流れたログを確認した。
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《グレイヴェルの羽根》を入手しました。
シークレットクエスト:《グレイヴェルの羽根》が発生しました。
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