第14話 世界樹
転送光がほどけた瞬間、足元に白い石畳が現れていた。
目の前の光景は、ヒュームの初期村とはまるで違っていた。
ベルカ村が土と薬草の匂いを感じる村なら、シルヴェイル村は水と光を見上げる村だ。
石畳の隙間から伸びた草の葉先にまで、小さな光が宿っている。
シルヴェイル村の家は木を切って建てたというより、木の形に合わせてつくられていた。
幹に沿う階段や枝の高さに合わせた小さな窓。
吊り下げられた灯りが、風もないのにゆっくり揺れている。
「これがエルフの初期村か」
思わず声が出た。
広場にはエルフ以外の他種族のプレイヤーがたくさんいた。
ビーストフォークの猫耳女性プレイヤーが水路の縁にしゃがみ込み、流れていく光の魚影を目で追っている。
ドワーフの男性プレイヤーは根を削らずに作られた階段が気になるのか、足元を見ながら何度も上り下りしていた。
ヒュームの男女二人組は案内灯の前で地図を開き、光が指す方角と地図を見比べている。
初心者らしい他種族のプレイヤーも多かった。
どうやらリニューアル記念の期間中だけ、初期村同士の転送門がつながっているらしい。
普段なら王都を経由する場所へ、今だけは直接行ける。
「……昔は、来られなかったんだよな」
俺がCROを始めた2年前は、他種族の初期村はもっと遠かった。
たくさんレベルを上げ、街を経由して王都まで出て、それからようやく行ける場所だった。
レベルが低くても、他の種族の初期村にも行けるのは、世界が広がって楽しそうだった。
初期装備のエルフが案内役らしいNPCに話しかけ、弓練習場の方へ歩いていった。その後ろ姿が白い橋を渡ると、水路の光が弓の弦に反射して細く光った。
なるほど。
掲示板で言われていた意味がよく分かった。
ここはただ歩いているだけで、立ち止まる場所が多すぎる。
視線が自然に高い方へ向く。
そして、その先にあった。村の端。
いや、端と言っていいのか分からない。
一本の巨大な木がシルヴェイル村の空の半分を覆うように立っていた。
村の木はそもそも十分に高い。
家を抱え込むほどの幹もあるし、枝の上に小さな足場が作られている木もある。
でも、その木だけは大きさの基準が違った。
白い幹が空へ伸びている。
太い枝は村の上空へ広がり、そこから伸びた無数の葉が薄い天井のように重なっていた。
枝葉の隙間から降る光が、水路と石畳と家の屋根をまだらに照らしている。
「あれが……世界樹か」
名前は知っていた。
公式PVでも見たことがある。
リニューアル告知の画像にも載っていた。
でも、実際に来たのは初めてだった。
画像で見るのとゲームの中で見上げるのは全然違った。
まず遠近感がおかしくなる。
あれが一本の木だと分かっているのに、目の前の景色としては地形に近い。
しばらく見上げていると、ふとマーサの言葉を思い出した。
――道はそこを歩くだけでは戻らない。
――人だけとは限らない。
――たとえば古い木は人よりもずっと昔から、そこにある。
俺は世界樹を見上げ直した。
「……古い木⋯⋯か」
いや、これはもう木なのか。
そう思うくらいには大きい。
もちろん、マーサがこの世界樹のことを言ったとは限らない。
それでも、少しだけ引っかかった。
ここへ来たのはほとんど寄り道みたいな気持ちからだった。ベルカ村で止まった記録がシルヴェイル村で急に動くこともないだろう。
でも、古い木が何かを覚えているのなら。
あの世界樹には何かが残っているのだろうか。
「よし……行ってみるか」
俺は世界樹の方へ向かって歩き出した。
転送門前の広場から離れるにつれて、人の声が少しずつ薄くなる。
一方で、水路の音は逆に近くなった。
道の脇を流れる水は途中で細く分かれ、根の下へ入り、別の場所からまた出てくる。
白い石畳は途中から木の根を避けるように曲がっていた。
いや、避けているというより、根の形に道の方が合わせている。
道案内の光もベルカ村とは違う。
ベルカ村の案内板は、初心者を目的地へまっすぐ連れていくためのものだった。
シルヴェイル村の案内灯は、進む方向を教えるというより、道を見失わないようにそっと光っている感じがする。
世界樹へ近づくほど、空気が少し冷たくなった。
実際に胸へ空気が入ってくるわけではない。
それでも、葉の間を抜けた風がそのまま体の中を通っていくような気がした。
俺は巨大な幹の前に立った。
近くで見ると、本当に大きい。
白い樹皮には銀色の筋が何本も走っている。
その筋の間を、淡い緑の光がゆっくり流れていた。
俺は世界樹の周りをゆっくり回る。
根の間には小さな花が咲いていた。
水路の一部は根の下へ潜り込み、幹の裏側で細い滝のように落ちている。
正面から見るだけならただの景観オブジェクトだが、足元まで見ると細かい。
やっぱりCROは、こういうところがすごく作り込まれている。
半周ほどしたところで、幹元に大きな入口があるのを見つけた。
洞窟のような暗い穴ではない。
木が自然に口を開けたような滑らかな空洞だった。
入口の左右には精霊灯が二つ置かれ、内側へ続く薄い光を照らしている。
「中に入れるのか」
少し迷った。
世界樹を見に来ただけなら、外から眺めれば十分だ。
でも、ここまで来て入口を見つけたら、中を見ない理由もない。
俺は入口をくぐった。
中はとても広かった。
木の中にある空間だと思うと不思議だが、外から見た幹の太さを考えればこれくらいあってもおかしくはない。
床は根が重なってできていて、天井からは細い光が何本も降りていた。
広間の奥には、いくつかの碑が並んでいる。
石碑と呼んでいいのかは分からない。灰色の石ではなく、白い木と石の間のような材質だったからだ。
表面には文字ではなく、線と点が刻まれている。
どこか譜面のようにも見えた。
エルフ語と言うことなのだろうか。
俺は一番近い碑に触れてみた。
―――――
《若葉の歌碑》
若葉を祝う歌が刻まれている。
現在の条件では詳しく読み取れません。
―――――
「歌碑……?」
世界樹の中にある碑。
エルフの初期村に残された歌。
俺の職業はヒュームスカウトだ。
種族的に読めなくても不思議ではないだろう。
隣の碑も調べてみる。
―――――
《風待ちの歌碑》
風を待つ歌が刻まれている。
現在の条件では詳しく読み取れません。
―――――
これも詳しくは読めない。
俺はさらに奥へ進んでみる。
広間の奥にある碑だけ、他のものより少し大きかった。
表面の線と点は細かく、根の形に沿うように刻まれている。
そこへ触れた瞬間、表示が変わった。
―――――
《世界樹の歌碑》
世界樹の内に残された古い歌碑。
現在の条件では詳しく読み取れません。
―――――
やっぱりこれも読めない。
ただ、ここに並んでいるものがただのオブジェクトではないことは分かった。
調べれば名前や説明が出る。
条件を満たせばもっと先が読めるのだろうが、今の俺にはそれが見れなかった。
「条件……」
その言葉で思考が引っかかった。
最近、似たような表示を見たばかりだからだ。
俺はインベントリを開き、《灰冠戦役・第七補給隊名簿》を確認する。
―――――
未開示記録:《第二中継点》
必要な条件を満たしていません。
―――――
ログの表示は変わらない。
クエストが更新されたわけでもない。
目の前にある《世界樹の歌碑》が、名簿と直接つながった様子もなかった。
ただ、少しだけ似ている。
そこにある。調べることもできる。
けれど、今の俺では先を読めない。
レベルなのか。職業なのか。
それともまったく別の条件なのか。
今は分からない。
俺は一応スカウト職の《探知》を使ってみた。
歌碑の輪郭が淡く光ったが、それだけだった。
最後にもう一度だけ歌碑に触れようとしたとき、入口の方で足音がした。
振り返ると、一人のエルフが立っていた。




