元宮廷魔法士、メリザンド先生
白竜を呼び出し、街を二度も混乱に陥れた元凶、景は立ち尽くしたその場で拘束された。幸い白竜は大人しい性格だったようで、道を間違えた程度にきょろきょろして、自分の住処である山へ帰っていったという。大きな被害もなかったことで街の住民も、慌ただしくしていた国防を担う者たちも、今は落ち着きを取り戻している。
だがそれと今回の大事は別問題であり、景はミックスとともに、大勢の騎士たちに囲まれていた。
土下座の準備は完璧なのに、景は両手両足を縛られ、口に猿ぐつわをされ、さらには目隠しまでされて芝生に転がされていた。
「どうしますオリヴァーさん。こいつは野放しにはしておけませんぜ」
「けれど先のことで議会も対応を決めかねている状態だ。白竜のことも加わると何も…」
「それにこいつは盗賊と手を組んでますぜ。もう間違いなく黒でしょう」
「ッ!~~~~~!」
騎士たちの会話に、景は身もだえして必死の抵抗を試みる。しかし不穏な空気の騎士たちの中で、一人冷静な声が聞こえた。
「待て。こいつはほぼこの女と関係ない。言わされただけというのをオレは見ていた。そこの診療医もな」
多分今話しているのがオリヴァーで、彼の言う診療医がソフィアだということはわかる。だが目隠し故、他の騎士たちの反応がわからない。それが果てしなく景には怖い。しかし芝生を踏みしめた軽い足音が、一歩前へ出た。
「騎士の皆さま。診療医として申します。彼の力は確かに危険なものですが、呪文さえ覚えれば安全に、そして人々の役に立つ魔法を扱うことが出来ます。彼はそう言うお人柄です」
「けれどお嬢さん。そこに至るまでにどれほどの歳月がかかるとお思いで?それまでおれらや街の人は、いつ暴発するかもわからない眠れぬ夜を過ごせと?」
「そうは言ってな…」
「言っているようなものだということがお分かりになりませんか?」
景を庇うソフィアに、騎士たちの厳しい意見が浴びせられる。国を守る騎士としては至極真っ当な意見なのだろう。けれど自分の生き死にがかかった景には死刑宣告に近い。
隣で同じように拘束されて、面白がったくぐもる笑い声を上げたミックスに対し、景の心臓は不安で締め付けられたように、嫌な音を立てていた。
「オリヴァーさん、お耳を少々。実は議会の連中が…」
ソフィアが詰められた間に、騎士の一人がオリヴァーに何かを耳打ちする。報告が終わるとオリヴァーは「何だと?城壁の外が…?」と不穏な声を漏らした。芳しくないような低い声で、オリヴァーは考えるように唸る。すると詰められたソフィアに向き直ったのか、恐らくオリヴァーの鎧の音が何やらハッとした息遣いとともに鳴る。
「ソフィア、その本の作者って確か…」
彼の声に、唖然とした閃きが宿る。ソフィアからも、何か名案を思い付いたのか、ハッとした息遣いが聞こえた。
「そうですね…。この本の著者ならもしかしたら…!」
声だけの情報であるが、騎士団の空気は何やら良策を思いついたようにどよめいていた。
「今回の策はそれで行こう。時間稼ぎにはちょうどいい」
オリヴァーの声が芝生に寝かされた景とミックスに降り注ぐ。
「いいか、ケイ・クロカワ。今からオレは議会に報告に行く。処遇はそこで決まるだろうよ。だがその間にチャンスをやろう。見張りはここにいる騎士全員。こいつらに連れられ、お前はある人と会ってもらう。そこで成果を出せれば、少しは状況も変わるだろうよ」
それだけ吐き捨てると、オリヴァーは一方的に鎧の音を響かせ、この場を後にした。
ある人、誰?その本の作者?
ソフィアが持っていたのは、妖精の表紙絵の、恐らく呪文が綴られた書物だった。あの本の作者。その人物が景の命運を左右する。景は固唾をのみながらも、見知らぬ騎士たちに連行されるのだった。
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木に括り付けられ、ナマケモノのように連行された景は、騎士たちが数十分歩いたところで乱暴に下ろされる。
「痛っああ!」
「うわああケイ!ミクスも重い!」
ミックスの上に覆いかぶさるように下ろされた景は、自由になった手で目隠しを取る。
そこには街の中にありながら、どこか廃れた広場があった。元は石造りの壁や屋根があったのだろうが、今は壁の一部がタケノコのように生えているだけで、地面もむき出しだ。密かに伸びた雑草が風にそよいでいる。そんなところには場違いなほど、活気ある、小さな子どもたちの笑い声が響いていた。
「申し訳ございません。メリザンド様に頼り切る形になってしまって」
「あれまあ、いいんじゃよ。そうかしこまらずに。こんな老いぼれに役目が回って来るなんて、よっぽどのことでしょう」
優しそうな腰の曲がった老婆に騎士は跪いている。見るからに重鎮の扱いだが、そんな偉い人なのだろうか。景は急な日の光の明るさに眩んだ目を瞬かせた。
「その子かい?例の問題児というのは」
「は!その通りにございます」
メリザンドと呼ばれた老婆は温厚な顔を景に傾け、笑い皺を深めた。
「こっちへいらっしゃい、転校生さん。生徒たちを紹介するわね」
「え、転校生?…ッ!」
老婆が背を向けた瞬間、景の体が宙に浮く。そして有無を言わさず景の体は広場中央へと引っ張られていった。「うわああああああ!」と声を上げ、景は地面に尻もちをつく。目を開けるとそこには、小さな木のイス、机らしきものと、その前には黒板があった。尻もちをついて涙目の景を四歳から六歳くらいの子どもたちが、キャッキャと笑っていた。まるで教室のような風景に景は一瞬面食らう。
「こらこら、あんまり人をからかうもんじゃないぞ。やめなさい」
「でも先生!この兄ちゃんものすごくマヌケそうだぜ!ぼくらでも勝てるかも!」
「はん!所詮あたしには及ばないでしょうけどね!子分にしてあげてもいいわよお兄さん!」
「変な服~。どこで買ったの?」
「悪者だ!やっつけてやる!えい!えいっ!」
「痛!やめてやめて!」
尖った木の枝で突かれ、景は席を立ち逃げ回る。しかし体力のある子どもたちはそれを追ってきた。「うわあああ!」と足の遅い景はすぐにつかまる。景は地面に倒され、子どもたちに馬乗りされ、その上でぽかぽかと小さな拳で殴られた。痛くはないが、心が痛い。それでもある子は「やめてあげて!かわいそうだよ」と言ってくれたり、不思議そうに景の頬を引っ張ったりしている。「やめなさい」と先生が柔らかく言っても、老人のくぐもった声には誰も耳を貸さなかった。一緒に飛ばされてきたミックスはミックスで、「いいぞー!もっとやれー!」とヤジを飛ばしている。
「はあ、仕方ないね」
メリザンドの声が、ため息とともに響いた。そして一歩前に出て、開かれた口はこう告げる。
『デレントマス』
その瞬間、彼女の踏み出した脚から、老婆の容姿が変貌する。皺や染みひとつない素足に、若年者のような張り艶のある肌。伸びた背筋に束ねるほど長くなった美しい髪。首から顔にかけては丸顔で、瞳は大きく、小柄なその体躯はまるで大人になり切らない十代のような装いだった。
「え?」
唐突なアンチエイジングに景は目を点にしたことを隠しきれない。
「さあさあ、授業を始めるぞい。席に着けー小童ども」
声まで若返ったメリザンドの号令に、子どもたちは「はーい!」と一斉に席に着く。置いていかれた景の目は黒板前の彼女に釘付けだった。
「申し遅れたのう。ワシは元この国一番の宮廷魔法士、そして現メリザンド青空魔法学校ただ一人の教師。メリザンド・リック・フーバーじゃ。よろしくな!歓迎するぞい、転校生」
「えええええええええええええ!?」
衝撃的な肩書を背負った先生に、景は驚愕する。メリザンドは「彼、ナイスリアクションじゃのう」と感心していた。ミックスは「そうでしょ?」と早くも打ち解けている。というか打ち解け過ぎではないだろうか。建付けの悪い机の上に乗っかっているその姿に、先生でさえぎょっとしていた。ホラやっぱり、と景が思っていたら、メリザンドが驚いたのはそこではなかったらしい。
「その髪色、その目…。お主もしや、ゴミ溜めのミックスか!」
「あ、そうだよ先生。思い出した?」
何やら知り合いらしい二人の視線がぶつかり合う。まさか宮廷魔法士時代の因縁の相手なんじゃ、と緊張が走った景をよそに、メリザンドはミックスを抱きしめた。
「いや~!大きくなったのう!何年ぶりじゃ?確かお主がここに来てた頃は四歳くらいじゃったか?」
「ああそれくらいじゃない?先生は全然変わってないね~!おばあちゃんなのにお肌ピチピチ」
「ふっふっふ!ワシもまだまだ現役じゃからのう。若い者たちに教え切るまでには死ねんわい」
十数年ぶりの再会らしい師弟関係に、景は生徒たちと一緒にポカンと口を開けている。
盗賊と、元宮廷魔法士が…師弟?
奇妙な組み合わせに、景の開いた口が塞がらない。子どもたちも知らないお姉さんと先生の関係に戸惑っているようで、やり返さない景を盾にしていた。
「ああすまんお主ら。紹介が遅れたのう。この子はここの青空学校卒業生、お主らの先輩、ミックスさんじゃ!」
「ミックスですどーもー。ミクスでも可!よろしくね!」
ミックスは子どもたちに笑顔で挨拶をするが、子どもたちはまだ彼女を警戒しているようだった。数名は景の病院服をつかんで離さない。
「ありゃ?うーん、ミクス嫌われたかな?」
「そんなことはないさ。皆人見知りしているだけじゃよ」
ポジティブな先生はミックスに笑いかける。そして「悪い人じゃないぞーい」と言って子どもたちに向き直った。いや、盗賊と国家危機レベルの呪文を言わせたという時点で少なくともいい人ではない。ただ悪いとも言い切れないのが彼女の複雑な部分であった。景は黙っておく。
「さて、では次は転校生に自己紹介してもらおうかのう?それとも周りで見張っておる騎士に訊いた方が早いか?」
青空教室を取り囲むように、騎士たちがそれぞれ佇んでいる。子どもたちはそれに興味津々だった。
「お兄ちゃん何か悪いことしたの?」
悪意のない子どもの一言が、景の心に刺さる。何て言ったらいいんだろう。話せば長くなるし、端的に言ったら間違いなく国家反逆者だ。そんなことを幼気な子どもたちに伝えるのはどうにもはばかられるように思えた。しかし。
「その者は街を光線で焼き尽くし、白竜を召喚した大罪人です。報告によれば効果も知らず、口にしただけで魔法が使える異世界人だとか」
「何!?お主とんでもないお尋ね者じゃな!」
剣を構えた騎士に全部言われたことで、景は誤魔化しが効かなくなってしまったことを悟る。苦笑いを張り付けた顔で自己紹介をした。
「ケイ・クロカワです…。どうぞよろしく…」
よろしくされても困るだろう、と自虐しながら景はメリザンドに向き直った。
「異世界人…」
首を傾げる子どもたちに対し、物珍しそうに彼女は景に視線を走らせる。ここで追い返されたら崖っぷちの景は、わずかに肩が震えた。それを見逃さなかったかのように、メリザンドは「ふむ」と頷く。そして落ち着いた様子で顔を上げた。
「なるほどな転校生。事情は相分かった。大方ここでお主の利用価値を見定める方針なんじゃろう?かァー、御上のやることは回りくどいねえ」
さすがは元宮廷魔法士と言ったところか、状況の把握も、呑み込みも早い。そして彼女は張り詰めた空気を叩き切るようにパンパンと手を打った。すると景たちの体がまた宙に浮き、生徒全員が席に着かせられる。
「なら、まずはこの世界のことについてお勉強しよう。皆も復習じゃ。ケイ。お主魔法については?」
「魔素の巡りを少しだけ…。呪文はからっきしです」
「なるほど。ならばこの国の名は!」
「え?国名?」
そう言えば知らないな、と景が首を捻ったと同時に隣の男の子が短い手を上げる。
「ルーデンシオ!」
「正解じゃ!えらいぞフォッチュ!」
そうなんだ。景はデカい図体で、小さなイスに腰かけながら目を丸くする。先生は手を上げた少年を褒めると、次の質問をした。
「ではこの国、ルーデンシオにはお金の種類が三つあるが、金貨、銀貨、銅貨それぞれの単位は?」
「アウ、アグ、クウ!」
「正解!ならばこの国自慢の伝統料理は!」
「パタロタパ!」
「またまた正解!さて次は…」
所々聞いたことがある目から鱗の情報に、景はペンと紙を取り出したくなる。しかし景にはそんなものは無い。そうもどかしく頭を掻いていると、突如として眼前に紙とペンが現れた。
「それに書きとるがいい。さて、今ワシは呪文を言わずに魔法を使ったわけじゃが、この魔法を何と言う?」
「無詠唱魔法!」
「すごいぞ連続正解じゃ!ではその逆は!」
「詠唱魔法!」
一問一答のこの世界の社会常識問題に、ペンを走らせる景の手が止まらない。すごいぞ、みるみるわかっていく。メリザンドが常識問題を出すたびに子どもたちが答え、それを景が知識として吸収する。想定以上の神授業に景は唸った。するとこのスピードを重視した授業の中で、景の隣に座っていた女の子がじっと景の書きとる紙を見ていた。
「それなあに?お絵描き?」
突如ゆったりと問いかけられ、景は「え?」と書きとる手が止まる。それをメリザンドは見逃さず、質問を止めた。
「これは、俺の国の文字で…」
「なんと!文字まで違うのか!」
先生は教卓の前で跳ねる。そして黒板に何かの文章を書いた。横書きで段落分けされたその文章は、何だろう、詩だろうか。
「これはこの国の文字の覚え歌じゃ。リズム付きでみんなで歌ってやろう」
「いいんですか!?是非お願いします!」
景は勢いよく頭を下げた。そして子どもたちの元気な歌声を脳に刻み込むように反芻すると、すかさず黒板の文字羅列をメモした。多分元の世界で言う、いろは歌やABCの歌だ。これを覚えれば知識の幅は一気に広がる。
歌は短い。一分と経たずに終わったその歌は、単調な拍子によくわからない歌詞が乗っかっている。だが一度聞いただけでも、数小節くらいなら覚えられそうだった。
『ベノッ…』
景が口ずさもうとしたその瞬間、メリザンドによって景の口が引き結ばれる。手などは使っていない。魔法だけの力だ。
「そうそう、この歌には呪文が隠されておったりする。“ベノッフォ”。それは物を柔らかくする魔法じゃな。最終的には全部溶けるから注意するとよい」
思い当たる節があって、景は即座に頷く。「ミクスが唱えようとした魔法はこれか!」と、硬いパン事件を思い出した。唱えただけで命取り。知らなかったじゃ済まされない。景の面持ちは厳しいものになった。
「まあ唱えたところでそれの反転魔法をかければいいだけなんじゃが」
「え!?」
景の顔つきが険しくなったところで、メリザンドはケロッと笑ってみせる。「反転魔法…?」とつぶやいた景に、彼女は「ああ」と頷いた。
「試してみるかい?小童たちよ!実践の時間じゃ!」
高らかに彼女がそう告げると、ノーモーションで机とイスが跡形もなく消失する。そして虹色の粒子が漂い始め、現れたのは皆が手に持つ小枝と、何やら分厚い教科書のようなものだった。その表紙絵には、可愛らしい妖精が描かれている。「あ!」と景は声を上げた。それは診療所裏の実験で、ソフィアが手にしていたものだった。
メリザンドは首を傾げている。
「ん、なんじゃ?これが欲しいのか?ワシの書いた“誰でも簡単!魔法入門書”が。いろんなところで無料で配っているからあげるぞ」
「ありがとうございます先生!」
景は速やかに頭を下げる。魔法知識ゼロの景にとってはこれ以上ないほどあつらえ向きの代物だった。それを金もとらずに与えている先生はなんていい人なんだろうと顔を上げたら、彼女の纏うオーラがこの場にいる騎士を含め、誰よりも色濃く、別格であることに気づき、景は言葉を失う。やはり彼女の実力は本物らしい。
「お!この魔素の見方を知っておるのか。なら話は早いな。ミクス!子どもたちの相手をしておくれ。ケイはワシが見よう」
「あいあいさー!」
ミックスは小枝を持って子どもたちの輪に向かう。多少怖がられていたが、ミックスが魔法で水飛沫をあげると、子どもたちは喜んで彼女に教えを請うた。あっという間に子どもたちと仲良くなってしまったミックスに、景は呆然とする。
「ふふふ。あの子は優しき子よ。苦労したのに偉いのう。大きくなったわい」
遠き日をなぞるように、メリザンドの視線はミックスを追う。彼女の言葉に、景は首を傾げた。
「苦労した?」
彼女からは、ミックスの過去を知らない景との言い知れぬ温度差を感じる。メリザンドは感慨深くつぶやいた。
「そうじゃ。あの子はあの珍しき見た目、珍しき力を持って生まれたことにより、色々あった子なんじゃ。他人に勝手に髪を切られたり、挙句身を売り飛ばされそうになったり、目までくりぬかれそうになったこともあるぞい?」
もう終わったことだからなのか、メリザンドは淡々と語る。中々壮絶なミックスの過去に、景の顔は引きつった。しかしメリザンドはそれをケロッと笑い飛ばす。
「まあでも何よりあの子は先見の明と魔法を楽しむ才がある。昔は発動する魔力がないのに巨大魔法ばかりを唱えていたものじゃ。懐かしいのお」
重い過去と、それを相殺するが如く、巡り巡って景の不祥事を引き起こしているので、景はメリザンドに何も言えなかった。だが水飛沫をあげ、子どもたちと戯れるミックスは、この場の誰よりも楽しそうに笑っていた。
「さてケイ。次はお主専門で教える番じゃな」
メリザンドは景に向き直る。そして『ベノッフォ』と唱え、残っていた黒板を指さした。彼女の身体から、強烈に太い光の筋が放出される。それが一直線に黒板に注がれると、黒板は一瞬にしてドロドロに溶解した。普通に恐ろしい呪文に景は身震いする。だが彼女は「あっはっは!」と景の反応を面白がるように声を上げた。
「よいかケイ。指さしや杖は魔法を出す物理的な方向先を決めやすくするためのものじゃ。これでコントロールがしやすくなる。最初は誰もがこうして魔法を覚えていくのじゃぞ」
先生の明るい笑みに、なんだか景は救われた気持ちになる。周囲を見張る騎士たちとは違う温かい目線に、景は涙が出そうになった。
「では本番!反転魔法についてじゃ。なあに簡単なことよ。先ほどワシが唱えた呪文を逆から言えばいいのじゃ」
「逆?」と景が首を傾げると、彼女は「さよう」と頷いた。
「ワシが今唱えたのは“ベノッフォ”。これを逆から読んで唱えると…」
メリザンドは再び溶解した黒板だったものを指さし、唱えた。
『フォッノベ』
本当にそのまま逆から言っただけの呪文に、景は耳を疑う。だが彼女からは同じ量、同じだけの魔力が放出され、虹色の光が注がれた黒板は、もとの姿に戻っていた。
「す、すごい…」
「これが反転魔法。呪文を逆さにし、同じ量の魔力を注ぐことで元の魔力効果を帳消しにする魔法じゃ。普通の魔法と反転魔法は対。つまり呪文を一つ覚えたら、逆さにすれば逆の効果を生むもう一つの魔法が知れるということじゃ。お得じゃろ?」
メリザンドの解説に、景のメモを取る手が止まらない。つまりそれは暴発や失敗をしてもなかったことにできるということだ。今の景に最も必要だったのはこの魔法法則だ。生き延びるための光明が見えてきて、景は思わず口の端がはにかむ。
「だが、じゃ」
景の表情が緩んだと同時に、メリザンドは真剣な面持ちになる。そして厳しい口調でこう言った。
「反転魔法はその性質故、同じ魔力量を注がなければならない。膨大な魔力を消費する呪文を唱え、他人に尻拭いをさせてはならんぞ。魔力が尽きれば人は死ぬ。それはそれはあっけなくな。このことをゆめ忘れてはならぬぞ、ケイ」
まるで見てきたかのように告げる彼女の眼光は鋭い。元宮廷魔法士という彼女の肩書に、景は自分が呼び出した白竜の時のことを思い出す。あれに真っ先に立ち向かっていったのは、白いローブを着た集団だった。あんな巨大なのものと戦う仕事。彼女はその戦場の中で多くのものを見てきたのかもしれない。
それこそ、散っていった仲間の姿も。
景は神妙な面持ちで頷いた。彼女は「わかればよし」と笑顔に戻った。すると彼女は手の中にポンと一枚の紙を出現させた。
「まあ、自然界の魔素を利用するお主には魔力切れなどなさそうじゃが、念のためな」
彼女は紙に目を通す。どうやらそれはソフィアが書いたカルテのようだった。
「途中でお主が気絶したりすると手に負えんぞ!」
ありそうなことを言われて、景は肝に銘じる。今後自分のことは、自分で何とかしなければならない。景が病院生活で、長らく学んでこなかった事柄だった。強張る景の背を、メリザンドはポンポンと軽く叩く。
「まあそう気負う必要はない。どれ、まずは練習あるのみじゃ。ワシの目の届く範囲ならワシが何とかしてやろう。それだけの実力はあるつもりじゃ。ケイ、あの黒板を的にして存分に放ってみよ!」
「はい!メリザンド先生!」
完全に生徒として順応した景は、黒板を指さし、馴染みのある言葉を口にする。
「『爆発魔法』!」
景の指の先を辿るように、虹色の粒子はいきなり集合体となり線を描く。矢のように目標に到達すると、黒板は木端微塵に爆散した。だがあまりの威力と爆風に、ミックスや子どもたちが吹っ飛びそうになる。それをメリザンドが器用に全員を宙に留め、爆風を周囲の魔素で遮った。
「すごいじゃないかケイ!コントロールはバッチリじゃのう!次は反転魔法を唱えよ!あの黒板を元に戻すのじゃ!」
「はい先生!」
こうして、一時間と経たずにできた師弟関係に、見張りの騎士たちは絶句している。しかし景の魔法はこの授業を機に、劇的な成長を遂げるのであった。




