景、二つ目の罪を背負う
「入るぞッ、ソフィア」
景を連れたオリヴァーはドアを乱暴に開く。ノックもなしに開けたから、よほど焦っていたのだろうその場所は。
どこ此処?診療所…?
景がなんとなくそう思ったのは、蔦の這った、こじんまりとした木造の小屋。その緑豊かな外見とは裏腹に、内装や置いているものはどこか病院と似ていたからだ。ほんのりと消毒液の臭いを漂わせる部屋に、オリヴァーはずかずかと足を踏み入れる。そして一人の女性の前で立ち止まった。
「オリヴァー兄様…」
長髪のくせっ毛に、スラッとした体躯。白手袋に白衣を身にまとった彼女はそう声を漏らした。丁度診察が終わったのか、部屋からおばあさんがお辞儀をして立ち去っていく。
「どうされたのですか兄様」
「悪いが今すぐこいつを診てくれないか。例の王都破壊事件の国家テロリストだ」
「どんな名前つけてんですか!?めっちゃ人聞き悪いじゃ、んッ…!?」
ガコッ!
景はオリヴァーによって突然顎を外される。景は物理的に何もしゃべれなくなった。オリヴァーは彼女に向き直る。
「まずはどうか落ち着いてください。とりあえずお話だけでも」
彼女はオリヴァーを席に座らせた。景は人生で初めて顎が外れた衝撃にもだえ苦しむ。他の診療員に患者の対応を任せた彼女に、オリヴァーは詳細を話し始めた。
「なるほど。言葉にしただけで魔法を…」
オリヴァーにソフィアと呼ばれた彼女は、一通り話を聞くと興味深そうに頷いた。「そんな事例あるのか?」とオリヴァーは尋ねる。彼女は少し考えるそぶりを見せた。
「事例があるのかと問われれば、私の記憶ではありませんね。何かの病気…または体質…。しかも異世界人…。果たしてそういう概念が当てはまるのでしょうか?」
「わからない。だが無理を承知で頼む。今朝も暴発を起こした。このままでは危険だ」
顎の外れた間抜け面の景を二人は見つめている。恥ずかしさはあるが、今はそれに勝る激痛が顎の関節部分を襲う。犬のように涎をたらしながら、景は二人に助けを求めた。
「オリヴァー兄様。彼は話の通じる方でしょうか?できれば彼にも問診したいのですが…」
彼女の言葉にオリヴァーは一度考え「いいだろう。側にはオレが控えておく」と言った。「承知しました」と彼女は頷く。するとソフィアは激痛にもだえる景の頭と顎を鷲掴みにした。嫌な予感がして、外れた顎で景が「え?」と言った瞬間、彼女はその細腕でガコッと力技で顎関節を嵌め直す。景の口の端が恐怖と痛みで痙攣した。
「あ、ありがとうッ…ございます…」
まだ激痛の走る顎関節で「痛い」と叫びたかったが我慢した。代わりに景は彼女に礼を言う。ソフィアは「どういたしまして」と当然のように受け流した。そして景に問診するため、彼女は景を診察席へと促した。
「まずは自己紹介を。私はここの診療医、ソフィア・シュトラウスです。今日はよろしくお願いします」
ん?シュトラウス?
「は、はい…、よろしっく、お願いしまっす…」
気になることはあるが、顎関節が痛んでうまく発音できない。顔が引きつる。一言喋るだけでもやっとだった。ソフィアは目を瞬かせる。そして観察するように景の上から下までを見て、パチンと指を鳴らした。景の顎関節の痛みが瞬時に消える。
「え!?すごい!どうやったの!?」
「無詠唱魔法です。鍛錬すれば使えるようになりますよ」
「ええ…。今度から俺の前ではそれでお願いします」
そんながあるなら最初から使って欲しかった、と景はオリヴァーを見る。しかしソフィアは何か制限があるのか、「わかりました。できる範囲で頑張りましょう」と眉を下げた。景は首を傾げたが、それよりも気になったことを問いかける。
「ええっと、オリヴァーと苗字一緒ですけど、あなた方は兄妹?兄様って呼んでるし…」
「従兄妹です」
彼女の返答にオリヴァーは「おい、ソフィア」と咎めるような口調になった。あんまり個人的なことは教えたくないらしい。大人しく身を引いた方が良さそうだ。オリヴァーに睨まれた景は「すいません。お続けください」とへこへこ頭を下げる。彼女は気にせず続けた。
「呪文は知っていたのですか?」
「知りません。一つも。けれど『オイシ…」
うっかり口にしてしまいそうになり、オリヴァーが剣を構えるのが見えた。景は慌てて口を塞ぐ。オリヴァーはため息を吐いた。
「爆発魔法っていう呪文が、こいつの世界では魔術要素のない言葉で使われてたんだと。それを知らずに朝は暴発した」
そんなカッコいい感じの美味しい聞いたことないんだけどな…、と言いたくなるのを景はグッと我慢する。
「なるほど。文化的違いですね」
ソフィアは冷静に納得していた。肝が据わっている人なのかもしれない。まあ、でなきゃ医者なんてやってられないよな。景は前世を思い出し、しみじみと彼女の苦労と覚悟に頷いた。
「少し、触診してもいいですか」
「どうぞ」
他人より病院での出来事に慣れている景は、こういう時の対応は早い。目の下を下げられ、口の中を見られたり、触覚があるかどうかを確認する。しかし彼女は最後に景の両手を包むように握った。
「え?」
これには景も言葉を失う。少し恥ずかしさで顔が赤くなった。「何を…」とソフィアに向ける視線が所在を失う。だが彼女は気にせず目を閉じ、まるで脈を図り取るかのように静かに呼吸を浅くした。
俺の心音だけ速いのがバレる…。
景は無駄と知りながらグッと抑え込むように固唾をのんだ。しばらくして彼女の手が離される。そしてソフィアはゆっくりと目を見開いた。
「驚きましたね。これは…」
そうつぶやくとすぐに彼女はオリヴァーに目を向けた。
「兄様、この方の使った魔法はなんですか?」
「”光線魔法”、“瞬間移動魔法”、“育毛魔法“、”爆発魔法“の四つだ。今のところはな」
最後の彼の言い方に嫌な含みを感じるが、景はとりあえず黙っておく。だが彼女はいぶかしげに顔を上げた。
「それは、前三つはかなり高度な魔法ですね…。けど、それだとどうして…」
「何?俺何かおかしいんですか?」
病院で余命宣告される前のような緊張感が景に走る。オリヴァーは戸惑っている彼女に自分の耳を指さし、「オレにだけ言え」と告げた。彼女は彼に耳打ちする。するとオリヴァーも眉をひそめて景を見た。
「な、何です…?ま、まさか即処刑案件とかじゃ…」
彼女の診断が、もしかしたら自分の生死にかかわりかねない景は青ざめる。危険と判断されれば、今ここでオリヴァーの剣が景の首を撥ねるだろう。しかし彼はそれをしなかった。二人はまだ景の状態がよくわかっていないのか、首を傾げている。オリヴァーは「そんなことが起こりえるのか?」と問い、ソフィアは「確証はありませんが…」と口ごもっている。そして話し合いの末、二人は同時に景を見た。急に視線を向けられた景はビクッと肩を跳ねさせる。
だがそんな景を落ち着けるように、ソフィアは景の肩に手を置き、静かにこう言った。
「ケイ・クロカワさん。私と外へ出ましょうか」
「…。はい?」
ソフィアは迷わず診療所のスリッパを持ってくる。景はわけが分からないままそれを履かされた。久々の足裏への布の柔らかい感覚。しかしそれを堪能する間もなく、景は外へ連れ出されることとなった。
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蔦の這った診療所の外には、子どもが遊ぶ広い公園のような場所があった。意外な光景に景は目を見開く。だがここに子どもの姿は無い。寂しく誰もいない遊具を眺めることしかできなかった。
「ケイ・クロカワさん。それでは“オイミケ”と言っていただけないでしょうか?」
「い、いきなりですね…。何ですそれ?貴女の従兄さんみたいに無茶な魔法教えてませんよね?」
ソフィアの側に控えているオリヴァーに景はジト目を向ける。彼はまるで宇宙人にでも遭遇したかのような、得体のしれないモノを見る目を向けて、ソフィアとともにできるだけ遠ざかっていた。全然信頼できない。しかしソフィアは不安を露わにする景に平然と答えた。
「無茶…ではないと思います。子どもの遊び程度の魔法ですし。第一、効力を知ってしまえば正確な判断ができません」
「な、なるほど…」
彼女の正論に、景は頷くしかなかった。けれど子どもでも扱える魔法なら、景の安心感が断然違う。景は落ち着いて彼女と同じ言葉を口にした。
『オイミケ』
するとソフィアが突然膝から崩れ落ちた。景の背に一瞬で冷や汗が伝う。「ソフィアさん!」と駆け寄ろうとしたその時だった。
「あっははははははははははは!」
ソフィアは膝から崩れ落ちると、腹を抱えて芝生に笑い転げた。先ほどまでの聡明そうなクールビューティはどうしたかと思うほど、彼女は子どものように無邪気に、足をばたつかせている。
「え?」
景は思わず足を止めた。涙を浮かべ、白衣の下のスカートがめくれそうになった彼女に、困惑と、目のやり場に困り視線を背ける。オリヴァーは転げまわる従妹に冷たい視線を向けていた。そして彼女に呆れたように剣を鞘ごと抜くと、その先で横たわる彼女の脇腹を小突く。
「おい、起きろ。いつまで笑ってる」
彼は軽く小突いただけのつもりだろうが、ゴッ、と鈍い音がして彼女は痛そうにうめき声をあげる。そしてよろめきながらも立ち上がった。そのころには、彼女の笑い声は消えていた。
「あ、ありがとうございます、兄様…。危うく笑い死ぬところでした…」
「随分頭の悪い呪文を唱えさせたものだな。もう少しマシなのにしろよ」
「はい…申し訳、ありません…」
ソフィアは笑いつかれたのか、腹筋を抑え、肩で息をしている。従妹の様子にオリヴァーため息を吐いていた。「いや、あんたも俺に超危険魔法唱えさせたよね?」と、壁ごと瞬間移動させたことを根に持っている景は、彼を睨む。どうやら従兄妹揃って魔法のチョイスがおかしいらしい。
「爆笑魔法。やはり効力を知らなくとも発動はするようですね。なら次は別の魔法を…」
「え?続けるですか?」
「気を取り直して」みたいな雰囲気を醸し出すソフィアに景は困惑する。彼女は何か手に持っていた本を開き始めた。
「次は“リリーシュウェル”と言ってみましょうか」
「『リリーシュウェル』?」
何も考えずにオウム返しをした景は、ハッと口を塞ぐ。だがその瞬間、目に見えていなかった空気中を漂う何かが、淡く虹色に光り出した。
なにこれ?粒子?
流動する点の集合体に、景は目を瞬かせる。
「これは魔素です。魔素は魔法を具現化する、変幻自在の物質です。今、唱えていただいたのは魔素可視化魔法です」
ソフィアの説明に、納得した景は周囲に目を向ける。風に流される煙のように、だけど霧よりはっきりとその輝きを見ることが出来る。手に取ろうとしてみるが、魔素は景の体を避けるように離れていく。疑問に思って少し視線を移動させると、ソフィアとオリヴァーの二人は、景とは逆で、まるでオーラを放つように、魔素を纏っていた。その密度は、ソフィアよりもオリヴァーの方が大きく、色濃い。
「えーっと?これで何するんです?」
漂う魔素に嫌われているかの如く、紙一枚挟んだ距離で保たれている景の周りは、なんだか寂しい。まるで自分だけが空っぽのようだった。
「空…だと…」
景と全く同じことを思ったのか、オリヴァーは景の思考と重なることを口にした。だがその表情は景とは異なり、信じられないものを目にしたかのように唖然としている。
「何?やっぱり俺何かおかしいの…?」
「大丈夫です。続けましょう」
「答えてよ!怖いからさあ!」
ソフィアの冷静な続行の要望に、景は情けなくも切実な抵抗を試みる。しかし彼女は困ったような顔をして、また「知ってしまえば正確な判断ができません」と言った。景は根負けし、最終的には彼女の要求をのんだ。
「わかりました。やりますよ…。でもあんまり問題あること唱えさせないでくださいね。俺その人に命握られてるんで」
「承知しました。今度は無機物に作用する魔法にしましょう」
オリヴァーを警戒する景を気遣ったように、ソフィアは手に持っていた本を開く。表紙に可愛らしい妖精が描かれた分厚い書物だ。そこにめぼしい呪文でも書いてあるのだろうか、彼女はページを捲る手を止めると、景の前にとある行を指さした。
「これを唱えてください」
景は素直にその一文に目を凝らす。しかしその文字は景には理解しえない記号の羅列同然だった。
「すみません。俺ここの文字読めないんです」
数学の途中式だけを見せられた気分で景は答える。それにソフィアとオリヴァーはハッと顔を見合わせた。「申し訳ございません。まさか読めないとは…」とソフィアは本を自分の方へ向け直し、オリヴァーは急いでソフィアが持っていた紙とペンを取り、何かを走り書いた。そして彼女にその文を向ける。彼女は頷いた。
会話を筆談に切り替えたのかもしれない。それはそれで寂しくなる。景はがっくりと肩を落とした。
やがて一通りの筆談を終えた二人は、同時に景に向き直る。「それ心臓に悪いからやめて」と言おうとしたが、それより先にオリヴァーが動いた。彼は景から離れていた位置からさらに遠ざかると、診療所の壁にもたれかかるように、芝生の上に胡坐をかいた。そして遠巻きでもわかるほどの鋭い視線で、景の動向を探っている。その手には先ほどの紙が握られていたが、ペンは握られていなかった。
「さて、続けましょうか」
「いいんだ!?このままでいいんだ!?なんで遠ざかったのあの人!」
「報告書を書くそうです。離れたのは魔法を使いたいからでしょう」
「は?それってどういう…」
見ると彼は景を凝視しながら、片手に剣を、もう一方の手は芝生に置いた紙の上に置かれていた。その手からは何やら、ペンもないのにインクが滲むように文字が刻まれていく。遠巻きにしか見えないが、彼の口は小声で呪文を唱えるように動いていた。その際に、彼の纏った虹色の粒子は練り上げるように彼の周りを巡っていく。体から、手から、紙に魔素を注入するように、点が筋となるように流れていく。あれが魔法を使うということなのだろうか。可視化された魔素の動きに、景は遠目で感心する。ソフィアは景が納得するのを待っていてくれた。
「次の魔法はそのスリッパにかけてみましょう。少し脱いでいただいてもかまいませんか?」
「ああ、はい」
景は片足だけスリッパを脱ぐと、彼女はそれを芝生の上に置いたまま指さした。
「私と同じようにスリッパを指さしてください。そしてこう唱えてください。“チュイストファ”」
『チュイストファ』
彼女と同じポーズ、同じ言葉を言った途端、景を避けるように漂っていた魔素が一気に筋を描いて、景の指先の示す方向に流動する。そしてその魔素がスリッパに注がれると、スリッパはみるみる大きくなった。ぎょっとして景とソフィアが離れると、景の履いていたスリッパは診療所の建物よりも巨大化した。
かまくらのように、頑張ったら雨風しのげ、そこに住めるほどの大きさになったスリッパを見上げ、景は言葉を失い、棒立ちになる。どうやらこれは物を大きくする魔法のようだった。
危害はないが、出力が制御できないと非常に使いにくい。何事もほどほどが大事であることを景は今、身をもって理解する。ソフィアは絶句していた。しかし彼女が注目していたのは、景と同じ所ではなかったではなかった。
「なるほど…。これはなかなか特異な…」
ソフィアの不穏な一言に景は「え゛!?」と冷や汗が出る。すぐにオリヴァーに視線を向けると、彼も驚いたような表情をしていた。
これはセーフか!?アウトなやつか!?
その特異性が危険か否かで生死が決まる景の必死さは尋常じゃない。スリッパを背後に顔色伺う景に、ソフィアは小さく頷き顔を上げた。
「いいですかケイ・クロカワさん。今あなたが置かれている状況?体質?は非常に特殊なものです」
「そこ迷わないでください。どっちなんですかお医者さん」
判然としないソフィアの回答が景の冷や汗を加速させる。だがソフィアも言い方を迷ったのか、困ったようにまた眉を下げた。
「そうですね。私もこのような事例は初めてですから、何と言ったらいいのかはわかりませんが。あなたの魔法出力の仕方は他の人とは一線を画しています」
「は、はあ…」
「他の人のこともロクに知らないのに、そんなこと言われても…」と景は首を傾げる。そんな景に、ソフィアは実例を用いて話し始めた。彼女は遠くに座るオリヴァーを指さす。
「オリヴァー兄様の魔法を使うところはご覧になりましたね。兄様のように、普通の方は一定数の魔力…つまり魔素を自分で持っていて、それを出力して魔法を使います」
なるほど。さっき紙に文字を写していたのと同じか。自分のオーラを使い、紙に魔素を分け与える感覚に近いのかと景は認識する。だがその矢先、ソフィアは景自身を指さした。
「しかしあなたの場合は違います。あなたの体には魔素がない。空っぽの器のようなものなのです」
「ん?」
確かに言われてみれば景の体に魔素の集合体のようなオーラは無い。むしろ避けられている方だった。なぜ?
「ではなぜ魔法が使えたのか。それは先ほどの実験であなたも目にした通り、あなたは空気中の魔素を操っています。それが無意識なのか、体質なのか、状況なのかはわかりませんが、出力規模が制御できないのはそのせいかと思います。あまりにも扱う魔素量が大きすぎる…」
一呼吸置いた彼女は、不安で顔が真っ青な景に向き直る。
「呪文は古来より暴発の多かった魔素を正しく魔法として発動するために作られた、言わば道筋のようなものです。それが今、あなたは道筋だけを作って、空気中の魔素を流し込んでいるようなもの。地面に線を掘ったら大河級の水が流れた、という状態です」
「どんな状態!?すげー使いにくいじゃん!」
ピーキーすぎる力に景は困惑する。しかし彼女は前向きだった。
「ですが見方を変えればこれにはいい点があります。普通の人の魔力はほぼ使い捨て…と言うか…眠ったり、体を休めて自然界の魔素を少しずつ取り込み、自分のものとして回復させます。けれどあなたは自らの体を介さず、直で自然界の魔力を使うので、体力的な消耗はありません。つまりどれだけ魔法を使用しても疲れない。さらに言えば、魔素のエネルギー変換効率はほぼ最大です。自然界の魔素をそのままあなたの力とできます。よかったですね」
「よくはないよね。すごい再生可能エネルギーみたいに言われてるけど使いどころないよね?」
環境に優しい感じを醸し出されても、景の日常生活には優しくない。むしろ害悪だ。これで処刑でもされたらたまったものじゃない。「要らない要らない!」と口にする景に、ソフィアは「そんなこと言ったってどうしようもない」と冷めた目を向けていた。「諦めないで!」と景は懇願する。すると彼女はまた手の中の本を開いた。
「いいですか?あなたのそれは唱えただけで魔法が発動する、極めて危険な代物です」
突き放されたようなその言葉に、景は一歩足を下げた。「しかし」と彼女は顔を上げる。
「しかしあなたのお人柄をお見受けするに、他人に危害を加えることは望まないように思います」
「そう!」
景は元気に答える。
「ゆえにこの力を危険にしているのは、あなたが異世界人であるがゆえの無知です。ゆっくりと、より多くの呪文を覚えていけば、安全性は高まり、いずれ暴発は無くなるでしょう」
「ソ、ソフィアさん!」
希望に満ちた目で、景はソフィアを救世主のように仰いだ。それは景が生きていくことへの、心強い肯定だった。無知は罪。前にいた世界の言葉が、巡り巡って今の景に突き刺さる。だが壁にもたれかかるオリヴァーの表情は芳しくない。まだ景をこのまま生かしておくことに疑問を持った顔をしていた。
通常なら景だってもっともな意見だと思う。既存の社会常識が通じない異世界人。それが数多ありそうな呪文を覚えるのにいったい幾年かかる。けれど今は待って欲しい。無理を承知だが景はまだ生きていたい。景は動じないソフィアの後ろで、彼の視線から逃れようとする。ソフィアは景よりも低い身長で凛々しく佇んだままだった。景が情けないのか、彼女がかっこいいのかは微妙なところである。
「さあ、そうと決まれば話は早いです。どんどん魔法を覚えていきましょう。それがあなたの生存率を格段に上昇させます」
「ありがとうソフィアさん!お手数をおかけします!」
従兄の厳しい視線にも負けず、彼女は本のページを捲る。「どれがいいでしょうか?」と難易度の低い順を選んでくれているようだった。景は一応首の皮一枚つながったと思い、ホッと胸をなでおろす。張り詰めていたものが急に緩んだ気がして、ドッと疲れが押し寄せた気分だ。
「では次はこれを言ってみましょう」
視線を下げた景にソフィアは本から顔を上げる。
「“ポットファウト”!」
「はい、『ポットファウト』」
疲労で右から左に流れた言葉を、景はそのまま口にする。しかしよく聞くとその声はソフィアのものではなかった。嫌な予感がして顔を上げると、ソフィアは顔面蒼白で震えている。空気中の魔素は虹色の渦を作り、やがて空へと舞い上がる。「え…」と景が絶句し、声の主を探すと、そこにはいつの間にか、魔素の虹色で遮られて見えなかったが、公園のブランコをこいでいるミックスの姿があった。彼女は先ほど呪文を唱えたのと同じ声で可笑しそうに腹を抱えている。彼女の魔素は、ポップコーンのように散漫に跳ねている。
「ミクスーーーーーーーーーーー!」
完全に嵌められたことを理解した景は声を上げた。しかしもう遅い。空へと舞い上がった魔素は、やがて魔法陣を描き、その大きさは王都を飲み込むほど巨大なものだった。
「ちょっと待ってなにアレ大丈夫なやつな訳ないよね!ごめんなさい!」
ソフィアの顔を見れば一目瞭然だ。アレはヤバいやつだと景は直感する。すると魔法陣の中から、大きな頭が出てきた。それには巨大な角があり、牙があり、やがて現れた手には鋭い爪と、大きな翼。真っ白な鱗を持つなドラゴンが、王都上空をのみこんだ。日の光が遮られた王都、診療所横の公園で、景の言葉が思考から消える。
ギョロッとしたドラゴンの金色の目が景を睨むと、景は立ったまま気絶しそうになった。咄嗟に剣を構えたオリヴァーでさえ、空を見上げて絶句している。街からは悲鳴の嵐。王都中央の城からは白いローブの集団が、慌ただしく空へと飛び立った。
「白竜だと!」
「一体だれが!」
「クソッ!応援を呼べ!早く!」
すいませんそれ俺が呼びました。と景は全力で心の中で謝罪する。だが謝罪しても取り返しがつかなそうなこの状況で、できることなど皆無だ。こうして街を大混乱に陥れた景は、二つ目の罪を背負うこととなった。




