暴発
翌朝、景は硬い枕を濡らして起きてきた。
心細くて、目を閉じればこの夢は冷めてしまうのではないかと、今度こそ本当に死んでしまうのではないかと、そう思うと不安でたまらなかった。気づけば涙を浮かべたまま眠っていたが、朝起きたら一晩中景を見張っていたらしいオリヴァーに全部見られていたことに気づき、今は恥ずかしさで頭がいっぱいだった。全身筋肉痛も相まって、景はギシギシとぎこちなくオリヴァーとともに階段を下りる。一階の酒屋で朝食を食べるためだ。
俯き加減の景に、オリヴァーは何も言わない。そこには憐れみも、嘲笑もない。ただの見張り役としての視線だった。逆にその気遣いがさらに景を俯かせる。
「あ!来た来たー!二人ともおっはよー!」
階段を下り終えた時、底抜けに明るい声が聞こえてきた。見るとミックスがカウンター席で手を振っている。陽光に照らされた構造色の髪は、以前と同じ長さで簡単に束ねられていた。これが百パーセントのいい子だったらとてもかわいい子である。けれどそうでないことを知る今の景には、その色は酷く怪しく輝いていた。
「ん?どうかした?」
「なんでもない…」
メンタルがグチャグチャで、今の景にはそれしか言えない。ミックスは景に訊くのを諦めてオリヴァーを見る。彼は平然と景と同じテーブルに座った。彼は何も答えない。
「な~んかしょんぼり気味なんだね?いいよ!そんなケイには、ミクスとっておきの笑顔になれるモノあ・げ・る!」
「笑顔になれるモノ?」
「大丈夫かそれ?」と景とオリヴァーの顔が引きつる。だが彼女は二人にお構いなしに、厨房からあるものを取って来た。
それは鉄板とお肉。野菜に少量のたれ。意気揚々とそれらを持って来た彼女は景たちのテーブルにドンと置いた。
「さあ始まりました!ミクスプレゼンツ【超豪華!高級焼肉朝ごはんの会】!」
一人パチパチと手を叩いているミックスに、二人は困惑する。
「焼肉…?しかも朝から?」
「細かいことはいーの!」
景の疑問も聞かず、ミックスは鉄板へと特大の肉を乗せ始める。見たことがない肉だ。鶏とも、豚とも、牛とも違う。
「これ何肉?」
「魔物の肉だよ?」
「ま、魔物!?」
景は思わず叫ぶ。オリヴァーも目を見開いていた。
「魔物の肉はね~。高いんだよ~。でもその分柔らかくって、歯のないおじいちゃんでも食べられるの!だからきっとケイも食べれると思うんだ!」
景は「えっ?」と声を漏らす。ミックスは肉を焼きながら鼻歌を歌っていた。
もしかして、昨日の俺のことを気遣って…。
気づいた瞬間、景はハッとして視線を落とす。
「はい出来た~!高級品はレアが一番!特と召し上がれ二人とも!」
早々と皿に盛られた肉には艶があって、とてもおいしそうだった。だが、景はどこか浮かない顔をする。「お前の分は?」とミックスに尋ねたオリヴァーの声も、景には聞こえていなかった。
「ふっふっふー!ミクスは朝早くに起きて、モリシーに一番いいとこ食べさせてもらったからダイジョーブ!二人のはあまりものさ。心置きなく召し上がれー!…ってどうしたの?」
ミックスに顔色を悟られた景の表情は強張った。昨夜のカチカチのパン。それを景が食べた後にミックスはなぜ買い物の気分と言って出て行ったのか。
「もしかしてこれ、昨日の髪のお代で…?」
全てつながった気がして、景はミックスを見ずに問いかけた。彼女は「そうだよ!」と元気良く答える。
「どう?嬉しい?そうでしょ?元気出たよね?それはよかった…」
「嬉しくないよ」
景の冷徹な言葉に、二人は固まった。ミックスとオリヴァーは驚いたように黙り込む。後に引けなくなった景は切なげに彼女へ視線を向けた。
「ミクス。俺を気遣ってくれたのはありがとう。とても感謝してる」
景は静かに頭を下げる。そして顔を上げると真剣な面持ちでつぶやいた。
「でもね、自分の身を削るような真似はやめて。そんなことされても、俺は嬉しくない」
ミックスに、とある人たちの姿が重なって見える。それは倒れた景の為に尽くしてくれた、景の両親だった。睡眠時間を削り、景以外の大切な人との交流を削り、資金を削り、涙を注ぐように自分と向き合い続けてくれた大切な家族。だがそのやつれゆく姿に、景は言い知れぬ不安を感じた。それがミックスと重なったからこそ、景は彼女を咎めた。
「自分をもっと、大切にして」
念押しした景に、ミックスは目を丸くしている。初めて言われたのだろうか、彼女は言葉の意味を理解できぬ赤子のように、瞼を忙しなく上下させた。
「お肉、嫌いなの?」
「そうじゃないけどさ?!伝わんないかなあこの感じ!」
なんとなく笑顔で誤魔化しているミックスに、景はガックリと肩を落とす。これは自分の語彙力の無さが原因なのだろうか。だが落ち込む景に、二人の話を黙って聞いていたオリヴァーは、意外そうに目を見開いていた。「どうかしました?」と景がうなだれて尋ねると、オリヴァーはふと我に返ったように「ああ、いや…」と歯切れ悪く言った。
「お前の、本質を見たような気がしてな」
首を傾げる景を、オリヴァーは観察するように見ている。その視線が居心地悪くなって、景は目線を逸らしたが、彼の目からは刺すような敵意が、わずかに薄れたように感じられた。
そんな二人の間で、ミックスはきょろきょろと「お肉出来たよ?食べないの?」と催促し始める。ちゃっかりしている彼女に、景からは「あ、ありがとう…」と微妙な返事しか出てこなかった。「でも今度からはしないでね」と一応再度忠告しておいて、料理に手を合わせる。
だがその横で、オリヴァーは「オレは要らない」と彼女に皿を突き返した。「なんで?」と首を傾げる二人に彼は言う。
「どう考えたって5アグの宿代で賄える朝食じゃないだろう。オレは食わん」
「騎士様~。そこは今後とも御贔屓にっていう店側からのサービスだよ。わからない?」
「やっぱりそう言うことか。賄賂は受け取らん。オレは朝食なしでも構わないから下げろ」
「えー?じゃあ酒…」
「くどい」
「ちぇえ」
などというやり取りを繰り広げる二人を横目に、景は「これどんだけ高いの!?」と値段が怖くて訊けなくなる。しかしミックスがオリヴァーに渡すはずだった肉をパクパクと食べ始めたことで、景は初めて料理に手を着けた。
ミックスにはああ言ったが、魔物の肉。正直気になる。一体どんな味なんだろうか…。
意を決して肉を口に入れたその瞬間。
「!?」
景はとろけるような舌触りに感動を覚える。肉厚なのに柔らかくて、上品な味わいだ。昨日はスープの味しか感じていなかったけど、これは、これは…!
「『オイシイ』!」
その言葉を発した途端。厨房で大爆発が起こる。破裂音とともに吹き飛ばされてきたのは、店主モリシーだった。オリヴァーとミックスは景に驚愕した目を向けている。
「…。え?」
素っ頓狂な声を上げて、景はナイフとフォークをおろした。だんだんと顔面が蒼白になっていくのが自分でもわかる。
「お前、あの爆発魔法をどこで覚えた…」
「爆発魔法!?知らないよそんなの!俺の国じゃあれは食べ物への感動を表す言葉でっ!」
必死に弁明する景に、オリヴァーはさっきの柔らかい雰囲気はどこへやら、とてつもないほど疑いの目を向けている。しかしミックスは「はは!モリシーこげこげ!」と、金髪ストレートヘアにパンチパーマがかかったことを面白がっていた。オリヴァーは強引に景の首根っこをつかむ。
「お前もう一言もしゃべるなッ。ついてこい」
「え!嘘!?ちょっと待…!」
景はオリヴァーに、強引に口の中いっぱいに肉を詰め込まれ連行される。モリシーは厨房の爆発よりも、鏡に映る自分のニュースタイルに「これはこれでありだな」と新たな可能性に目を輝かせていた。そんな呑気なモリシーを置いて、ミックスはくるっと向きを変えて、人知れず景たちの方について来るのであった。




