景の日常とミックスの思惑
モリシーに案内され、景は店の二階へと足を踏み入れる。一階の酒屋とは打って変わって、内装は古びているが、廊下にはカーペットが敷かれていて、宿屋にしては綺麗な方だった。
「ここがお前の部屋な。好きに使え」
金髪を満足そうに揺らすモリシーは角部屋の二つ手前の部屋を指し示す。
「角部屋はオレ、その隣がミクス、そのまた隣がお前だ。何かあったら遠慮なく呼んでくれよ」
想像以上の好待遇に、景はモリシーに頭を下げる。
「ありがとうございます。あ、でもオリヴァーさん…」
どこに泊まるの?と訊こうとした時、彼は肩をすくめた。
「オレはお前の見張りだから同じ部屋がいいが、狭いか?」
「いいや。二人くらいは余裕さ。ほれ」
モリシーは景の部屋の扉を開ける。中には簡素なベッドにテーブル、椅子。安宿のような造りだが、空間は広い。彼の言った通り、二人くらい入るには余裕の広さだった。
「なるほどな。ご主人、宿代はいくらだ?」
「え?金払うんですか?」
せっかくタダなのに?と景は首を傾げる。しかしオリヴァーは首を振った。
「タダなのはお前だけだ。たとえ違法店だろうが、対価も払わずにオレは泊めてもらう訳にはいかない」
律儀なオリヴァーの返答に、景は少々困惑する。けれどモリシ―は大歓迎していた。
「話の分かる騎士様じゃのう。“5アグ”じゃよ」
アグ?
聞いたことがない単位に、景は首を傾げた。だがオリヴァーはすんなりと五枚の銀貨を取り出す。この世界の流通もわかっていない景は、ただそれがモリシーに渡るのを見つめていた。
「毎度あり。今日の夕飯と明日の朝飯は用意してやるさ。お貴族様の口に合うかはわからねえが」
「構わない。用意していただけるなら、有難く頂戴しよう」
「がっはっは!殊勝なこった」
顔色一つ変えなかったオリヴァーに、モリシーは豪快に笑う。
「夕食は一階の酒屋で食べな。席を用意しておいてやる」
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夕食の席に座ると、俺はすぐ鼻に懐かしさを覚えた。
木の丸テーブルに腰かけた景とオリヴァーの周りは、酒を煽る大人たちばかりだ。そのメンツが悪党過ぎて怖い。オリヴァーは周囲を冷めた目で見ている。だが景にとって、アルコールの臭いは病院の消毒液を思い出して、少々落ち着く。
「はい!モリシ―特製パタロタパだ!よく噛んで食べろよ!」
モリシーが用意してくれたのは、パタロタパという料理だった。
景の知らない料理だったが、見た目はミネストローネにパンをそのままぶち込んだような感じだった。タプタプに注がれた大皿の中身に、景は「おう…」と声を漏らす。だがオリヴァーにとってはこれ普通なのか、すぐにスプーンを持って食べ始めた。
「食べないの?」
いつの間にか戻ってきていたのかテーブルの下にいたミックスがひょこりと顔を出す。景は「うわっ」と声を出してしまった。しかしオリヴァーは気づいていたのか全く動じない。こう言うところはこの人図太いなと思う。景は「食べるよ」と言って、とりあえず気になったパンを口に運んだ。すると。
「カ、カタイ…」
歯が欠けそうな衝撃に、景は口を止める。ミックスとオリヴァーは「え?」と不思議そうな顔をした。
そういえば固形物食べたのいつぶりだっけ…。俺の歯、石を噛んだみたいに痛い…。
自分の病弱体質を思い出し、景はパンから口を離す。
「オリヴァーさん、パンを柔らかくする魔法とかない?」
「教えん」
「なんでええええ!」
即答したオリヴァーに景は絶叫する。だが、オリヴァーは心底嫌な顔をしていた。
「その魔法はパン以外の物でも柔らかくする魔法だ。仮にそんなものを教えればお前が悪用しかねな…」
「“ベノッ…”」
今ミックスが教えてくれようとしたが、オリヴァーが血相変えて彼女の口を塞いだ。
「いいかッ…!こいつの魔法出力はほぼ最大だ。自分はパンにかけよう思っただけでも、無差別に他の物に作用したらどうなるッ。オレの剣も、お前の骨も、この店だって溶解するかもしれないッ。そうなりゃこいつはまた罪を重ねるだろうよ」
ミックスへの説教に景の方が青ざめる。そんな人を殺めかねない呪文は使いたくない。景は静かにサラサラのスープをすすった。ミックスは「わかったー!」と何を考えているのかわからない笑顔で頷いている。大丈夫だろうか…?そう思ったのは景だけではなかった。オリヴァーも「本当だろうな?」と念押ししている。ミックスは可笑しそうに腹を抱えた。
「あはは!教えなきゃいいんでしょ?大丈夫だって!ミクスお買い物の気分になったからお外行ってきまーす!」
「あっ、おい!」
ミックスはオリヴァーの手から逃れると、すぐさま店を出て行ってしまった。手に持っていた小袋は髪を売った時のお代だろうか。
自由奔放なミックスに振り回され、オリヴァーは疲弊したようにため息を吐く。
景はその様子にスープだけをすすりながら、苦笑いを浮かべるしかなかった。
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夕食を終え、二人が部屋に戻ると、景は久々に血糖値が上がったのか瞼が重くなっていた。けれど寝る前に風呂くらいは入りたいので、視線を動かし、部屋の内装をゆったりと観察する。
ベッドにテーブル、イス。扉を開けるとユニットバス。いいね。個室ですべてが完結するありがたいつくりだ。これでトイレや風呂が遠いところにあると足腰がキツイ。景の病院生活で得た経験だ。
景はドア前に佇んでいるオリヴァーを背に、風呂に入ろうとする。だが、あることに気づいてピタリと足を止めた。
「あの、そういえば俺着替え持ってな…」
「そのままでいいだろ。誰も気にしないさ」
「はい…」
オリヴァーの冷たい返答に、肩を落とし、景はしょんぼりと風呂に入った。
それから暫く経ち、景が物凄くゆっくりと風呂から上がると、景はオリヴァーに怪訝な顔された。
「長かったな…」
「ああすみません。使い勝手がわからなかったもので」
思えば自分一人で風呂に入るのも幾年ぶりの景は、お湯を出すことに十五分。温度調節に三十分。体を洗うのに三十分。体をふくのに三十分かかっていた。
約二時間かかっている景の風呂事情に、オリヴァーは待ちくたびれていた。
「次入ります?」
「いや、魔法で綺麗にしたから問題ない」
そんな便利な魔法があるんだ。俺も知りたい。
景の気を遣った言葉に、オリヴァーは首を横に振る。彼は隙なく剣を携え、イスに腰かけていた。鎧は脱いで幾分かラフな格好をしている。
ふと外が暗いことに気づき、景は濡れた髪で窓を覗き込んだ。
「きれい…」
そこには街明かりの少ない暗い空に、数多の星々が輝いていた。
寝たきりでない状態で星を眺めるのはいつぶりだろう。
純粋に星に目を奪われる景に、オリヴァーは意外そうな顔をしている。
「お前の世界にも、星はあるのか?」
「ありますよ。並び方は違うかもしれないですけど。ここって星座あるんですか?」
「あるぞ。テテラ座とか、イフォロ座とか」
「へ、へー…」
解説してくれたが全然わからなかったので、景は曖昧な返事をしておく。すると窓の外から何やら白いものが羽ばたいて来た。それは二つ折りにされた紙のようで、蝶のように窓のそばを飛んでいる。
オリヴァーは景を押しのけ窓を開けると、その紙を手の中に乗せた。
「それも、魔法なの?」
「ああ。仲間からの報告書だ。お前の処遇についてだろうよ」
急に怖いこと言わないで、と景の背筋が凍る。だが、オリヴァーは紙を開いても平然としていた。
「保留、か…。まあそうだろうな。上も手をあぐねる状態だ。早く結論を出せというほうが無茶だろうよ」
景はベッドに安心して倒れ込む。オリヴァーは落ち着いた様子で席に戻った。
「オリヴァーさん、上層部がそんななのに、よく俺と普通に接してられますね」
「慌てても仕方ないだろ。何かあればお前の首を叩き切ればいい。それだけだ」
「…はい」
シビアな回答をされて落ち込む。景は荒布のベッドに顔をうずめた。だが今度はオリヴァーの方が話しかけてきた。
「お前こそよくあの女の言うこと聞こうと思ったな」
「それに関してはあなたのゴーサイン待ちましたよね?宿屋の件も金無しの俺がどうしたらよかったんですか?」
半ばキレ気味に景が捲し立てると、オリヴァーは遠くの方を見つめて黙った。そこには壁しかない。景はまたベッドに頭を沈める。
「あの子、いい子かどうかは微妙ですけど、そんなに悪い子でもないと思うんですよ。泊まるとこ紹介してくれたし。さっきだって止められるにもかかわらずパンを柔らかくしてくれようとしたり…。きっと、優しい子なんです」
「嘘だろ!?最初に自分を陥れた相手だぞ!?」
ごもっともな意見だが、景は彼女を嫌いになれないでいた。
オリヴァーはゾワッと鳥肌が立ったように身震いし、苦虫を潰したような顔して眠くなっている景を見つめる。
「お前…、取り調べの時あの女が言ったこと知らないからそんなことが言えるんだろ…」
「言ったことって?」
景は瞼が落ちそうな目でオリヴァーを向く。彼は心底毛嫌いしたような目を向けていた。
「いいか?あの女はなあ、『なんであんな魔法唱えさせた』って言う仲間の問いに対してこう答えたんだぞ」
それは侮蔑と軽蔑が入り混じった語り草だった。
「『だって面白そうだったから!あとでぶっ飛ばしたら高く売れそうな服を着てたし!』…だとよ」
「えええええー!?」
怖すぎるミックスの主張に、景の眠気は吹っ飛ぶ。
そんなこと思ってたの!?俺の信頼返して!
景は心の中でそうつぶやいた。そして力尽きたようにパタンと倒れる。
「もういいです、寝ます。明日考えます…」
「ああ、おやすみ…」
信頼できる人間が減ったことに、景は悲しみ打ちひしがれる。
結局その日はオリヴァーに憐れみの目を向けられながら眠った。




