景、家を手に入れる
「あっさが来っりゃ~みっんな笑顔さラッチキホッチキヘンネンノ~♪彼女が歌えばみっんな笑顔さラッチキホッチキヘンネンノ~♪」
取り調べの建物から出ると、外はもうほぼ夕方になっていた。青と橙の半分の色に染まる空は、景とオリヴァーの前を歩くミックスの髪をそのまま色づかせる。彼女は弾むように短く束ねた髪を揺らし、陽気な歌を歌っていた。不思議な色合いの髪が揺れていると思ったら、彼女は小さくスキップをしていた。
「お前、あれ歌うなよ」
隣を歩くオリヴァーは、突如これ以上ないほど苦い顔を景に向ける。
「え、なぜです?」
やることがないので彼女のリズムに肩を揺らしていた景は今にも小声で歌いだしそうだった。それを見抜いたオリヴァーは慌てて景を止める。
「あの呪文は娼婦が使う誘惑の魔法。いわば恋に落とした人間を意のままに操る魔法だ」
「怖っ!絶対に歌いません!」
危うく口ずさみかけた景は、冷や汗を流して口を押えた。
考えの読めない子だ。今後うっかり復唱したらそれこそまた街を吹き飛ばしかねない。
身近なトラップに引っかかりそうになって、景の心臓は急速に跳ね上がる。
あれ?けどそう言えば街って…。
景は口を押えるため縮こまった体を起こした。
「そう言えば街が、直ってる?」
昼間自分が吹き飛ばした一直線の焼け跡が、綺麗さっぱりなくなっている。まるであの光線を放つ前の状態に戻ったかのようだった。景が呆然としていると、オリヴァーが「ああ」と説明してくれるように口を開いた。
「お前が消し飛ばした街はすぐに修繕されたよ。魔法を使ってな」
彼は、景の右斜め前の空を指す。視線を向けるとそこには白のローブに身を包んだ一団が、空中で瓦礫を浮かしていた。瓦礫はスイスイと飛んでいき、一か所に集められている。
うわ…本当に魔法があるんだ…。
自分以外が魔法を使っているところを初めて見たので、景は素直に驚いた。
「あれ、お金になるかな?」
いつの間にかミックスも空を見上げていたのか、彼女は瓦礫の塊を指さす。
「ならないんじゃない?他人の物だし…」
というか集められているものはほぼ原形を留めていないものばかりだったので、実用性はなさそうだ。どの世界でもあれに価値はないと思う。欲しそうに口を尖らせる彼女に景は苦笑いを浮かべる。だがオリヴァーがミックスの言葉に反応し、景にハッとした視線を向けた。
「お前、そういや金は持ってるのか?」
一時の沈黙が下りる。景は立ち止まって、苦笑いのまま彼を見返した。そして静かに首を振る。景の頭の中に宿屋という文字が浮かぶ。宿屋=店=金がかかる。そんな等式が成立してしまって、景は顔を青くした。
「何も持っていません。最悪あなたに借りることになるかも…」
「は?冗談じゃない。オレは金の貸し借りはしない主義だ」
「そこをなんとか!」
取り付く島もないオリヴァーに、景は必死に手を合わせる。ミックスは二人に向き直る。そして何かに気づいたように目を大きく開いた。
「はっ!今だよケイ!“ラッチキホッチキヘンネン…”」
「それは唱えられない!」
オリヴァーに恋でもされたらたまらない。それで金を借りるなど言語道断。目線を上げると彼は心底嫌そうな顔をして、景とミックスを見ていた。完全に嫌われたらしい。だがオリヴァーがいい人であることに味を占めた景は彼に耳打ちする。
「いいんですか?俺が宿を借りられなかったら、俺の見張りのあなたも野宿することになるんですよ」
「別にいいさ。オレは外で徹夜しようともどうってことない。耐久訓練くらい受けている」
「な!?」
元病弱なヒョロガリの自分と、健康的で鍛え抜かれた体つきのオリヴァーとの差を見せつけられたようで、景は敗北感を覚える。しかし景は悔しさのあまり切り札をだした。
「唱えますよ?いいですか?『ラッチキホッチキ…」
「それ以上言ったら殺す」
剣筋すら見えぬ瞬きの間に、彼は景の喉元に刃を突き付けた。
剣先と同等に鋭い眼を向けられて「…冗談です」と景は息をのむ。彼の目は本気だった。感情など関係なく、首を叩き切るつもりでいた。二度目の死を覚悟した景は息が止まりそうになる。
そんな震える景の様子を見てか、オリヴァーは「次はやるなよ」と切っ先をおろした。彼は鋭く光る剣をしまい込む。
「二度とやりません。ごめんなさい…」
反省した景は頭を下げる。今、景はこの人に命を握られていることを再認識した。彼はため息を吐く。そしてミックスは「あはは!」と面白そうに笑っていた。
「大丈夫だよケイ。ミクスには秘策がある。一泊くらいチャラにしてくれるとんでもない秘策が!」
「それ平気なやつ?この人に首切られる感じのやつじゃないよね?勘弁してよ?」
「ダイジョーブ。ミクス様に任せなさーい!」
そう言って彼女は二人の前を突き進む。不安を隠せぬ表情で、景はオリヴァーを見た。
「…信用、できると思います?」
「いいや」
彼に即答され、景はうなだれる。しかし信用しなければ今夜は宿がない。あたりはもう暗くなり始めている。薄着の病院服に当たる風は強く、冷たい。さらに裸足のままなので石畳の硬い感触が酷く痛い。
景は沈黙する。そして「待ってよー」と言う情けない声ともに彼女を追いかけた。
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「着きましたー!酒屋兼宿屋モリシーの家!長快適なミクスたちの我が家!」
ミックスはババン!と二人に紹介するように、景が昼に見たジョッキの看板を指し示す。まだ開店するには明るい時間なのか、客の気配がしない。準備中なのだろうか。それでも彼女はお構いなしに扉を開ける。
「たっだいまモリシー!お客さんを連れてきたよー!ほら見て、二人も!入って入って」
彼女はまるで自慢するように二人を店内へ招いた。
昼に見た内装。まるで海賊が飲み食いしていそうなテーブルと椅子。けれど昼間とは違い、肌寒い風が当たらないことに景は感謝しかない。
中で調理支度をしているのか、火の温かみを感じる。景はついて来た甲斐があった、とホッと胸をなでおろす。
「モリシー聞いて!なんと店をぶっ壊した青年と騎士様だよ!」
なでおろした胸を急に締め付けられた。それを言ってはいけないことは景でもわかる。対面してもないのに好感度を最悪にしたミックスに、俺は顔面蒼白となった。オリヴァーはもう呆れている。
「ミ、ミクス、あのさ、そういうことあんまり言わない方がいいんじゃ…」
「え?なんで?」
野宿がかかっている景は「早く訂正して」と必死に促す。しかしミックスは「事実じゃん」と聞く耳を持たなかった。景の額に温かいのに冷や汗が流れるのを感じる。
だが、店の奥。カウンターから聞こえてきたのは、酒やけしたような野太い嗄れ声だった。
「なんだとゴラアッ…!」
腹に響く怒号が景の血の気を引かせる。するとその店の主は姿を現した。
色黒の、年齢は五十代ぐらいの、頭のハゲたガタイのいい大男。鍛えているのか傷だらけの腕は筋骨隆々で、日光に当たっていない色白細腕の景とは正反対のような人物だった。そのむき出しの額には、はっきりと青筋が立っている。
穏やかな話し合いは無理だと悟った景はその場で硬直した。オリヴァーは腕を組みながら気乗りしない様子で店主を見上げている。
「てめえが…!てめえがワシの店を危うく潰そうとしてくれた奴かガキッ!めった刺しにしてくれるわッ!」
その剛腕にはドデカい料理包丁が握られていた。ぎょっとした景は慌てて硬直を解き、オリヴァーの背に隠れようとした。しかし彼は身を翻し、景を眼前から消える。
「え!?」
守ってもらおうとした景は咄嗟にオリヴァーを探す。けれど彼を見つける前に、丸太のような腕に握られた凶刃が飛んできた。
「う、わ、わちょちょちょ、ちょっと待って!ごめんなさい!悪気があったわけじゃないんです!直ってるからもう許して!」
「問答無用!おかげでうちの店が騎士どもにガサ入れされちまったじゃねえか!危うくパクられるところだったんだぞ!どうしてくれんだこのガキ!」
「そんなに違法店なんですか!?それ騎士さんのいる前で言っていいんですか!?うわっ!」
飛んできた凶刃を、景は空席のテーブルの間を伝いながら、四つん這いに逃げる。だが体力のない景の息はすぐに上がった。息が切れて、留まった景のテーブルを大男は片手で軽々と持ち上げる。露わになった景の姿はどれほど震えていたことだろう。しかしその眼前に、何かが庇うように立ちふさがった。その何かが判明する前に、この場の全員の気の抜ける音がする。
「はいストーップ!二人ともやめー」
視線を向けるとそれは、ミックスがお玉と鍋を叩き合わせている音だった。その音は喧嘩終了のゴングのように店内に鳴り響く。
「チッ、いい所で止めやがって」
大男は彼女の合図に、諦めたように料理包丁をおろす。しかしその瞬間、包丁の刃が真っ二つに折れた。
「何がいい所だ。命拾いしたことを、お前は彼女に感謝すべきだ」
大男と景の間に割って入ったオリヴァーは、目を鋭くして抜いた剣を鞘に納めた。
見えなかった…。オリヴァーの動きも、剣筋も、何もかも…。
これが彼の魔法か純粋な身体能力なのかは判別つかないが、景は彼の実力の一端に圧倒される。ミックスとオリヴァーの助けがなければ俺はやられていた。だが、大男はこの実力差を見せつけられてもまだ引かない。
「おいミクス。てめェには関係のないことだろ?捻り潰されたくなければ邪魔をするな」
「退かないよ。関係あるもん。今日のミクスは彼のお部屋紹介コンサルタントとしてきたんだから!」
「お部屋紹介コンサルタント?」
彼女の言葉をオウム返しに、大男は眉をひそめる。そして景とオリヴァーに疑り深い視線を向けた。景は大きく、オリヴァーは小さく頷いた。すると大男は何かに気づいたように、大きなため息をついて、片手に持っていたテーブルを、音を立てて床に置いた。彼はそのテーブルの上に無造作に座る。
「なるほどの。この兄ちゃんたちはまんまとてめえの奇行に乗せられちまったってわけだ…」
大男は全てを察したかのように床に転がった包丁の刃を拾う。
「あはは!勘がいいねえモリシー。その通りさ。ミクスがやりました!」
「てめえ!ワシと兄ちゃんたちに謝れ!」
「ごめんなさい!」
ミックスは勢いよく皆に頭を下げる。軽快なやり取りに困惑する景と、無感情なオリヴァーをよそに、二人の話は続いていく。
「それで?その部屋がどうたらってのは何だ?ミクス。今度は何を提案しやがった」
「話が早くて助かるね~。ミクスたちの要求はただ一つ。金無しの彼を一晩泊めてあげて!」
「却下じゃ」
でしょうね、と思う言葉が返ってくる。一瞬で要望を拒否した店主は無情に景を追い出そうとした。
「一文無しは帰った帰った。タダで客を泊めるつもりはない」
「えええっ!?そこをなんとか!」
この人に断られれば野宿確定の景は、オリヴァーの隣、膝をついて懇願する。まさか健康な体でこんなことをするとは思わなかった。
だが、ミックスは笑っていた。先ほどとは打って変わって腹に一物あるようなその蛍石の瞳は、静かに景たちを捉えた。
「誰がタダなんて言った?」
不敵に笑う彼女の言葉は、景と店主の動きを停止させる。けれど店主は慣れているのか、すぐに動き出した。
「ああ?何を言ってる、コイツは一文無しなんだろう?」
「そうさ?けれどケイはお金なんかよりもずーっといいものをあげられるよ」
「いいもの?」と景と店主は復唱する。そんなものがあるのなら俺が教えて欲しい、と景は目を見開いた。二人の食いつきを見たミックスはニイッと口角を上げ、答える。
「奇跡さ」
彼女の声を通したその響きは、とても甘美で、とても無邪気だった。
店主は眉をひそめる。それはだんまりを決め込んでいたオリヴァーも同じだった。
「お前。何をするつもりだ」
嫌な予感がしたらしいオリヴァーは、剣に手を滑らせる。しかし次の瞬間、彼は驚いたように完全に手を止めた。
「“ジバラス”」
何も起こらない。だがミックスの放ったその一言は、オリヴァーだけでなく、店主までもを驚きで硬直させる。一人置いてけぼりを食らった景は右往左往と彼らを見つめた。
「え、なに?どういうこと…?」
景がきょろきょろと固まった二人に視線を泳がせていると、ミックスはオリヴァーに顔を向けた。
「ねえ、これくらいならいいでしょ?騎士様」
ミックスは挑発したような笑みを彼に浮かべる。オリヴァーは大層苦い顔をしていた。しかし彼は景と店主を交互に見つめると、剣から手を離し、頭を抱えてため息をついた。
「はあ…、いいだろう。それくらいなら…許可する。できるかどうかは不明だが」
「やった!ありがとウケる君!」
歯切れの悪いオリヴァーの承諾に、ミックスは浮かれている。が、景は何一つわかっていない。「誰か俺にも説明して」と口にしたとき、店主が何故か、わずかに目を輝かせた。
「兄ちゃん、“ジバラス”が使えるのかい…?」
信じられないといった様子で店主は景に歩み寄る。
「使える?」
景は足を一歩引きながら首を傾げた。使えると言えば唱えるだけで使えるかもしれないが、何せ効力がわからない。迷っていると、許可を取り終えたミックスが景のもとへと駆けこんできた。
「ケイ、モリシーを指さしてこう言うんだよ?ジバラスって」
「それは本当に大丈夫なやつ?!俺はもうこれ以上罪を重ねたくな…」
「大丈夫。ウケる君に許可取ったから。ウケる君を信じろ」
景はすかさず視線をオリヴァーに向ける。オリヴァーは渋々頷いた。本当に渋々に。
「まあ…人に危害を加えるようなものじゃないし…。うん、やってみろ…」
「なんでそんなに歯切れが悪いの!?信じるよ!?信じていいんだね!?やるよ!?『ジバラス』!」
やけくそで言ったその言葉は、指先から店主のもとへ黒い光の螺旋描く。その不吉な色に景はぎょっとする。しかし店主、モリシーは黒い光を浴び歓喜していた。
「うおおおおお!力が漲ってくるぞおおおおお!」
今にも暴れ出しそうなことを言う彼に、景の顔は引きつる。だが彼に放った魔法の効力は、人を暴走させるようなものではなかった。
彼の色黒の頭皮から金糸の髪が生え、それがみるみる伸びていく。
「えっ?」
景は目を点にする。彼の髪は床に根を張るが如く、長髪に伸びていた。
呆然とする景に、店主は髪が伸び終わると、興奮したように喜色満面の笑みを浮かべた。
「すげー!すげーな兄ちゃん!髪があるなんて何年ぶりだろうっ!」
年甲斐もなくはしゃいでいる彼に、景は何も言えない。
“ジバラス”。それは髪の毛を伸ばす魔法のようであった。
心配して損したと言わんばかりに、景は肩を落とす。オリヴァーは「嘘だろ…」と一人景を見て絶句していた。ミックスは嬉しそうである。
「ねえケイ、ミクスにもあれかけて!“ジバラス”」
「え…?自分でかければいいんじゃないの?なんで俺が…」
「ミクスたちじゃあの魔法使えないの!ほら!“ジバラス”、“ジバラス”!」
「ええ…もう、わかったから…」
ミックスに圧倒され、景は指先を彼女に向ける。
『ジバラス』
そしてゆっくりと唱えると、黒い光が彼女を包んだ。彼女の髪はオパールのような構造色を輝かせながら、魅惑的に伸びていく。髪を短く束ねていた紐は外れ、やがて最終的にはどこかの塔の上のお姫様のように髪が長くなった。その髪で塔を自力で下りられるほどの長さを手に入れた彼女は、店主同様はしゃいでいる。
「ねえモリシー!彼の一泊許可してくれるでしょ!」
「ああ!もちろんだとも!一泊でも何泊でも好きにすりゃいいさ!この髪の恩はデカい!なんなら一生面倒見てやってもいいぜ!」
「ええ!?ホントに!?いいんですか!?」
一泊どころか一生モノの家を手に入れた景は声を上げる。店主は歯を見せて頷いた。
「おうよ兄ちゃん。オレはモリシー。ここの酒屋兼宿屋のオーナーだ。よろしくな」
彼はにこやかに色黒の掌を景に差し出す。
「よろしくお願いします!景・黒川です!」
景は彼の手を勢いよく握った。モリシーは契約成立だと言わんばかりに笑っている。この時、景は路上生活を回避したのである。
しかしミックスは一人長くなった髪を撫で、不敵に笑っていた。カウンターをまさぐり、何かを取り出す。その手には包丁が握られていた。それを見逃さなかったオリヴァーは咄嗟に景の前へ出る。けれど彼女が刃先を向けたのは、景ではなかった。
バサリ。
彼女はせっかく伸ばした髪をバッサリと切り、長髪の束を床に落とした。
突然の行動に景とオリヴァーは若干の恐怖を覚える。しかし彼女は笑っていた。
「やったー!これがあれば高く売れるよ!ミクスの髪は高級品だからね。モリシー!明日は焼肉にしない?」
あっけらかんとした彼女は髪束をつかみ、塊にして腕に抱える。そして「ちょっとこれ売って来るねー!」と店を後にした。驚き目を見開いた景は口から言葉が出なかった。それはオリヴァーも同じである。だがモリシーにとってはいつものことなのか、彼は気にした様子なく、金髪を撫でていた。




