首輪
メリザンドは掌からニトロを繰り出す。鼓膜が破裂しそうなほどの音を立てて爆発する炎を彼に向けて放った。だが景はつぶやく。
『瞬間凍結乾燥魔法』
掌の炎が消える。その場に留まれば一瞬にして腕は枯れ木のようになっていただろう。メリザンドは背後に飛んでその攻撃を躱した。地上の空気が時を止める。その時メリザンドは初めて夜が明けた大地に目を向けた。
荒れ果て、凍るものすら残っていない炭化した不毛の大地。
メリザンドは在りし日を思い起こす。百四十年前。かつてメリザンドが破滅させた土地であった。そこにはもう、村も緑も人もいない。
自分のしたことの重さが、今になってついて回る。メリザンドは目を細めた。
『翠緑氷山魔法』
過去を過去のまま閉じ込めるように、メリザンドは唱える。エメラルド色の氷山が、景を貫こうとした。だが。
『音波魔法』
景の奇声が氷を砕く。つんざく悲鳴にメリザンドは耳を抑えた。彼は笑っている。とても楽しそうに。その淑やかな笑みは破壊を娯楽としか思っていない。彼をメリザンドはキッと睨む。だがすぐに視線を移した。何か使えるものはないか。このままでは魔力が持たない、と。自然界の魔素を無尽蔵に操る景。それを一日中相手どっていたメリザンドには限界が近づいていた。
これだから歳は取りたくない。若いころは三日くらいぶっ通しで戦っても平気だったというのに…!
自身の衰えを感じる。メリザンドは歯を食いしばった。景の赤い瞳が歪む。
「なによその顔?ワタクシを差し置いてよそ見?気に食わないわッ」
視線を逸らしたメリザンドに癇癪を起した景は叫ぶ。
『生命付与魔法』
その時、不毛の大地を大樹が突き破った。その周囲は円を描くように広範囲に芽を出し、幹を、茎を伸ばし、葉が広がる。やがて大樹となった木々はうねるようにメリザンドに伸びて来た。
『植物成長魔法』
数多の植物がメリザンドに襲い掛かる。伸びたての深緑たちを邪魔するものは何もない。メリザンドはその物量に押しつぶされそうになった。
その時。
「メリザンド卿!」
清らかな声が耳に届いた。幾重もの腕のような木々をダイヤモンドの剣身と聖火が焼き切ると、若き聖騎士二人は姿を現した。幹の籠に閉じ込められそうになったメリザンドを庇うように二人は前に出る。景は不機嫌さを露わに、声を荒げた。
「害虫風情がッ。ワタクシの享楽を邪魔するんじゃなくってよッ」
彼は唱える。
『針葉魔法』
芽吹いた木々の鋭い葉が、メリザンドたちに襲い掛かって来た。フレデリックとオリヴァーは手の元の剣を振るい、葉を打ち落とす。その葉の一枚一枚はまるで鉄の針。
二人に庇われながらも、メリザンドは何とか息の上がった口を開く。
「すまん。ワシもう限界に近いみたいじゃ。魔力が持たん。お主ら二人で相手どれるか?」
「無茶言わないでください。あんなもの貴殿が相手どれぬなら誰も無理です」
フレデリックは葉を焼き切りながら整然な顔を歪めた。オリヴァーとて同じだ。彼の下がったツリ目は訊くまでもなく不可能を訴えている。
「心操の魔女ッ…。アンタは何か弱点とか知らないのか婆さん?」
「何!?心操の魔女じゃと!?」
オリヴァーの言葉にメリザンドは目を丸くした。そして衝撃とともに景に視線を向ける。景は頬を艶麗に緩め、こうつぶやいた。
「正解」
悦に浸るように“彼女”は微笑む。針葉の雨が降り止んだ空を仰ぐように景は両腕を広げた。
「なんだ少しは役に立つじゃないの。ならそう言いなさいよ羽虫。危うく苛立ちで消し飛ばすところだったわ」
彼女は高らかに声を上げて笑う。口元に手を当て、視線はフレデリックたちを見下していた。その笑い声は景の喉を通しても、耳障りながら気品と狂気を感じさせる。メリザンドは思い出したように手を叩いた
「ああその笑い方!うわ、めっちゃ懐かしいのう。こんの理不尽で自己中の泣き虫で傲慢な我儘娘っ!何しに来た!ケイを返せ!」
散々な罵倒で彼女を放ったメリザンドに、聖騎士二人が青ざめる。だが景は激昂するどころか目を細め、まるで懐かしむように、静かに口元を綻ばせた。
「変わってないのね、メリザンド。それでこそ貴女よ」
先程の狂気は何処へやら。彼女は落ち着いた声音でそう言った。そして振り向いた彼女はこう告げる。
「だからこそ行かなければならない。ワタクシの野望を、叶えるためにも」
景はメリザンドたちに背を向け、前方へ飛び去った。
「マズい」とフレデリックは叫び、必死で景を追いかける。メリザンドとオリヴァーもそれを追う。だが、彼の言ったことにメリザンドは思わず目を剥いた。
「この先はシターニャ共和国との国境だ!彼女を行かせれば本当にケイの生死は絶望的となる!必ず止めねば…」
フレデリックはギリと汗をにじませ歯噛みした。清廉な彼には似つかわしくないほど粗野な表情。それほどにまで状況は芳しくない。オリヴァーも彼と呼応するようにツリ目を尖らせた。遠くに見えるのは古びた錆の目立つ工業地帯。だがメリザンドは初めて知ったように、息を詰めて叫んだ。
「待て…聖騎士たちよ!」
荒げた声でメリザンドは顔を青くする。振り向いたオリヴァーが「何です」と眉をひそめた。だがメリザンドの顔色はさらに悪くなる。震えた声でメリザンドは尋ねた。
「この先は…国境なのか?」
その意図がわからないようにフレデリックは頷く。「ええ、そですよ」と。メリザンドは息をのんだ。嫌な汗が全身を伝い、寒気がする。そしてメリザンドはこう叫んだ。
「今、奴を止めねば本当にマズいぞ!ワシは国境を越えられない!」
聖騎士二人は目を剥く。メリザンドが血相変えて見せつけた首には、汗で化粧の落ちた首輪のような刻印があった。




