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唱えただけで魔法発動  作者: 佐野いさ
第二章、ルーデンシオ王国とシターニャ共和国
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19/19

逆転

 心操の魔女に乗っ取られた景を追い、空を飛びながらオリヴァーは叫ぶ。


「なあ婆さん!その首の刻印は一体…。国境を越えられないってのはどういうことだ!」

「そのままの意味じゃシュトラウスの小僧っ!訳あってコレによりワシは越境できん!国境を越えればその瞬間、頭と体がおさらばじゃ!」

「はあ!?」


 彼は目を丸くする。フレデリックもぎょっとしたように視線だけを振り向かせた。


「その刻印、ルーデンシオ王国の古い拘束術式のはずです…。しかも超大規模な。なぜそんなものが英雄である貴殿のお首に…?あったとしてもそんなもの、ケイ・クロカワに解かせればよかったのでは…?」

「ええいうるさい!ワシにもドラゴン討伐の時みたく、お主のようにケイを都合よく使えと申すか!そんなことはできん!」


 その言葉にフレデリックは自身の発言を悔いたように口を噤んだ。オリヴァーは彼を冷淡に見つめている。


「ワシの教え子じゃ!ああ、これだから国の犬は…。ま、まあそれを嫌ったが故に今、滅茶苦茶困っておるんじゃが」


 メリザンドは自棄を起こしたように肩をすくめた。その時、背後から張り詰めた声が聞こえた。


「どうされましたか!」


 後ろから追いついて来たのはミックスを抱えたソフィア。彼女は三人が景に攻撃を止めたことに疑問を持ったらしい。彼女の腕の中にいたミックスはヒョイと顔を出した。


「あ、先生もしかして首のことー?」


 ミックスは自分の首をトントンと指さす。声音は相変わらず呑気だが、ミックスの言っていることは鋭い。メリザンドは深く頷いた。


「ああ。だから奴がシターニャに行く前に何とかせんといかんのじゃが…。ワシも魔力が尽きそうじゃ。このままではお主たちを浮かしておくこともキツくなる。どうしたものか…」


 それは全員の離脱の危機を意味する。しかし景をあのままにしておくことはできない。国境はもう目の前。なのに、それを止める術がない。メリザンドたちは冷や汗を流した。

 だがミックスは余裕の笑みを浮かべる。彼女はにっこりと顔を上げた。


「ねえソフィアちゃん、なにか秘策があるんじゃないの?」

「え…?」


 突然の見透かされたような言動にソフィアは戸惑う。だがその蛍石のような瞳に見つめられると、彼女はすぐに眉を下げ、自信なさそうに言い放った。


「確かに秘策とまではいきませんが、考えていたことはあります」


「考えていたこと?」と聖騎士二人は耳を傾ける。オリヴァーは「言ってみろ」と声を鋭くした。その言葉に顔を上げたソフィアは、行く先を飛ぶ景に視線を移す。そしてこう言った。


「古くより心と身体は別の物か否かという議論がなされてきました。今では表裏一体説が有力であるものの、完全に同じとは言い切れません。心が体に作用することもあれば、作用しないことだってある。体が心に作用しないことだってあれば、その逆もまた然りです」


 話の内容が全く見えず、オリヴァーは「それがどうした?」と顔をしかめる。だがそんな従兄の声にも負けず、ソフィアは強く言い放った。


「お分かりになりませんか?心操の魔女。彼女の得意魔法は人の心を操り支配する術、精神操作魔法(ホッチキミューラ)のはずです。けれどそれは心に作用するだけで身体に作用するわけではありません」


 フレデリックとオリヴァーは目を見開く。彼女の言いたいこと、二人はそれを理解した。ソフィアは首を縦に振る。


「そうです。私の考えは、ケイ・クロカワの身体を乗っ取ろうというものです」


 医術の心得を持つソフィアの提案に、メリザンドは驚き目を丸くする。そして不敵に、挑戦的に口角を上げた。


「なるほどな。考えもしなかったわい。確かに並みの反転魔法でケイの心を取り戻すよりは、ノーマークの身体を狙った方がいいのかもしれん」


 前方の景にメリザンドは視線を移す。ソフィアは皆に作戦を解説するようこう言った。


「ケイ・クロカワさんの魔法発動条件は詠唱のみ。魔力に底は無く、自然の魔素を巡らせた圧倒的な力。しかし彼の身体、もっと言えば彼の声を発する器官のみを奪えるのであれば…全員が残り少ない魔力でも、勝ち目はあると存じます」


 メリザンドは焦燥に似た笑みとともに声を上げた。


「いいじゃろう、シュトラウスの小娘。使えるだけのワシの魔力を全て、それに賭けてみようじゃないか!」


 突如メリザンドを取り巻く周囲の空気が重くなる。聖騎士二人はそれに耐えるよう歯を食いしばった。ソフィアもミックスを守るよう、彼女を抱えた両腕に力を入れる。メリザンドは声高らかに叫ぶ。


「よいかお主ら!まさか呪文を知らないなんてことはないじゃろうな?全員一斉に唱えるぞい!」

「承知!」

「了解しました」

「りょーかい!」


 聖騎士たちとソフィア、ミックスが声を上げる。まるで現役の指揮官が統率するよう、メリザンドは指で景に照準を合わせた。景が国境障壁にたどり着く瞬間。メリザンドが外すなんてことはありえない。メリザンドは全員に指示を出すと、景に唱えた。


身体操作魔法(ミルタミューラ)


 五人の声が揃う。景が国境障壁を跨ぐ寸前。全員分の魔力を乗せた魔法は景にかかった。


「!?」


 その瞬間、景は国境を突破する。だが彼の喉奥の主導権をメリザンドたちが奪い取った。景は意表をつかれたように喉を抑える。全員が残り少ない魔力。それでもメリザンドたちは操った景に口を開かせた。


反精神操作魔法(ラーミュキチッホ)


 自然界の魔素が、心操の魔女の魔力を上回る。景の赤い目は意表をつかれたように見開かれ、やがてその瞳はみるみるうちに光を失った。

 その刹那、メリザンドは独断で景に唱えさせる。


干渉阻害魔法(モデウス)


 唱え終えた景の瞳が本来の黒い瞳に戻っていく。元に戻った彼はそのまま落下し、蒸気の街に消えていった。

 その時、遅れて国境を越えたフレデリックたちはメリザンドの飛行魔法の効果が切れ墜落する。メリザンドは国境の手前で留まった。


 国境障壁。ガラスのように張られたその結界は、フレデリックたちは通れても、メリザンドは通ることを許されない。歯がゆい気持ちを抑えてメリザンドは言い放つ。


「一応、外部からの干渉阻害魔法はかけておいた。これでちょっとの時間、景は精神干渉を受けることは無いじゃろう」


 これがメリザンドがしてやれる最大限であり、最後のあがきだ。メリザンドは恥を忍んで頼み込む。


「悪いがワシはここまでじゃ。景の回収には同行できん。頼めるか?ケルの聖騎士たちよ」


 メリザンドは苦渋の決断でそう言った。強張っていた聖騎士二人の顔つきが変わる。「拝命いたしました」と彼らは恭しく頭を下げた。ソフィアはミックスを抱えたまま街の外壁を見上げる。


 歯車と蒸気の工業地帯。


 景が落ちたその街は、シターニャの街。それが意味することを思い浮かべ、ソフィアは固唾をのんだ。ミックスは彼女の腕から離れ、相変わらず楽しそうにスキップをしている。彼らはそれについて行くよう、各々街を見上げ、踵を返した。


 結界障壁に阻まれたメリザンドは、一人歯を食いしばる。

 向かう先は彼らにとっても未知の国。そこに自分がいてやれないことを、メリザンドは深く悔いた。やり切れぬメリザンドの目に、過去の残像が映り込む。悪しき笑みに、紫の髪をなびかせ戦場に降り立つ優雅な姿。なのに誰よりも繊細で、意地っ張りな彼女の残影。


「アリシア…」


 メリザンドは誰にも聞かれぬ声で彼女の名をつぶやく。


「何を考えておるんじゃ…」


 無力な自分に拳を握り、メリザンドは静かに問いかけた。

次回、新キャラ登場です。後編、9月16日からスタート。

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