心操の魔女
景対メリザンド。その天変地異を思わせる戦いは、早朝から始まり、夕空を迎え、やがて日の沈み切る夜まで続いていた。
ミックスは二人の戦場から少し離れた小高い丘で木を擦る。素早く小枝をはさんだ両手をすり合わせると煙が出て、パチパチと火の粉が弾けた。川で水を汲んで来たソフィアは、火の側に腰かける。
「これをどうぞ」
「ありがとー!」
魔法で作った氷のコップに、透明度の高い水が入っている。ミックスは彼女の手から受け取るや否やごくごくと中身を飲み干した。あたりは静かで、とても空気が澄んでいる。二人の争いさえなければ星の綺麗な夜だった。ミックスは遠くに目を向ける。
暗がりに見えるのは冷たい風に揺れる草原。そしてぽつぽつと置かれた古い大砲。不自然に思ったミックスは首を傾けた。
「ねえ、あれなんで…」
「あー…。疲れた…」
ソフィアに問いかけようとすると、上空からウケる君二号の声がする。彼はぐしゃぐしゃの紙ダーツのような不格好な軌道を描きながら、ソフィアたちのもとへ落下した。
焚火に照らされた彼の顔は汗だくで苦悶の表情を浮かべている。空気を吸い足りないのか、彼の肺は落ち着きなく拡大と縮小を繰り返していた。ウケる君一号はその隣に優雅に降り立つ。だが彼も余裕の笑みを取り繕っているが、肩を上下させていることを隠しきれない。
「あれ?もう避難誘導いいのー?」
ミックスが尋ねると一号は顔を上げて答えた。
「ああ、この先に人はいない。しばらくはね…」
含みのある言い方をした彼はふうと息を吐き、汗を拭う。
ソフィアは二人の元へ駆け寄ると、すぐさま治癒魔法を施した。聖騎士二人はそれまでの緊張の糸が切れたかのようにその場に倒れ込んだ。
「お疲れ様ですお二人とも。今、お食事の支度をしますね」
ある程度治療を終えたソフィアは立ち上がり、近くの木の実を取って来る。それを水で洗い、魔法で細切れにすると、消毒した横長の大葉の上に盛りつけた。ミックスも自分で取った木の実を大葉の上に盛りつける。ソフィアが見つけてきたものよりも大きな果実をミックスは一人頬張った。
二号の視線がミックスを貫く。だがその苛立った視線は虚しくも貫通した。ミックスは二号に見せつけるように瑞々しい果肉にかぶりつく。二号のツリ目はさらに鋭くなった。ソフィアは「すみません。私が及ばず…」と表情を暗くして俯いた。倒れて従妹に料理を任せきりにした二号に何も言う資格はない。一号は「十分だよ。ありがとう」と上半身を起こし、ソフィアに笑って見せた。「見習いなよ二号」とミックスは言っておく。二号は額に青筋を立てた。
「お前、よくそんなことできるな…。お前こそソフィアを見習えよ。それが守ってやった聖騎士にする態度か?」
「オリヴァー。それは良くない。聖騎士が民を守るのは当然の事。民間人である彼女が元気でいることが何よりじゃないか。そうだろう?」
騎士道精神を地で行く一号に、二号は顔をしかめた。そしてそのまま彼はミックスを指さす。
「嘘だろ、絶対にコイツは悪意しかないぞ?そんな奴にかける情は無い。…たく、なんで婆さんはこんな奴をつれてくることを許可したのやら」
悪態をついた二号にミックスは「へっへーん」とおちょくるように胸を張る。一号の美麗な目元の泣きボクロが少々歪む。彼も少なからず二号と同意見なのだろう。だが「それでもだ」と一号は二号に言い聞かせた。
彼は膝を折りソフィアの分の果実を取りに立ち上がる。背の高い彼はソフィアの身長では届かない枝の実を取ることが出来る。一号は二号、ソフィア、さらにはミックスの分まで追加で腕に抱えると、それを皆に分け与えた。二号は不貞腐れながらも礼を述べる。ソフィアも礼儀正しく頭を下げた。
ミックスは間髪入れずに「やった~!」とそれを口に運ぶ。
一号は苦笑していた。だが彼は焚火の側に腰かけると、視線を草原へと向けた。
「食べられるのなら今食べておいた方がいい。この先、食料の確保は難しくなるだろうからね」
真面目な彼の面持ちにソフィアは首を傾げる。「というと?」と彼女の疑問に一号は答えた。
「ここから先は死の大地。恐らく魔物も、食料も、生命すら芽吹いているかどうか怪しい」
一号は葉に盛りつけられた果実と一緒に重苦しさを呑みこんだ。ミックスは「死の大地?」と蛍石のような目を瞬かせる。一号は頷いた。
「君は知らないかな?大戦の折、その魔素があまりにも残りすぎて人が住めなくなってしまった土地があるんだ」
初めて知った。「そうなんだー」とミックスは返すが、特に理解はしていなかった。果実を頬張り終えた口で、ソフィアはつぶやく。
「百四十年前の大戦ですね。確かメリザンド様が英雄と呼ばれるようになったのもその時期だったような…」
「ふふっ。そうだよ。シターニャ独立戦争。メリザンド卿を英雄と言わしめた伝説の大戦さ」
一号は追憶するように語りだす。
「昔、ヒトは魔物の森の恩恵により生を受けた。彼らは息をするように魔法を使い、当然のように二百年は生きたという」
語り草はまるで御伽話。だがそれは歴史だ。一号の言っていることはミックスもメリザンドにもらった教科書で見たことがある。彼は遠くをなぞるように星を見上げ、顔つきを変えた。
「だが恩恵は薄れ、一部の人間は魔力を十分に扱えなくなった。彼らは恵み多き人々から逃げるように森を追われ、とある場所に定住し、ある国を築いた。これがルーデンシオ王国。さすがにこれくらいは知っているかな?」
一号は確認するようにミックスに視線を移す。ミックスは果実を頬張りながら頷いた。一号はクスリと笑う。そしてまた静かに話し始めた。
「森を追われたルーデンシオの民たちにはある才能があった。それは自然の魔素をそのまま扱うのではなく、魔法を道具に付与する力。その最たるものが剣を振るう我らが騎士」
一号の腰の得物が鋭く音を立てる。二号の剣も同じだった。彼は鎧の指先で剣の柄を撫でると、誇らしげに微笑んだ。
「だからこそルーデンシオでは象徴たる騎士が神聖視され、いつしか聖騎士となった。聖騎士はこの国以外にはいない。ゆえに私たちは清く正しくいなくてはならない。そう教えられている」
だが彼は微笑みを消す。一号は焚火の火が弾けたとともにつぶやいた。
「けれどそんな教えとは裏腹に、ルーデンシオの人々はその力を誇示するようになった。それは自分たちを森から追い出した人々への復讐心があったのかもしれない。だがそれと同時にルーデンシオの民は自分たちよりもさらに恩恵の薄れた、ほとんど魔法の使えなくなった民を嘲笑った。皮肉かな、彼らはかつて自分たちがされたことと同じことをしてしまったんだよ。そこでルーデンシオ国家に恨みを持った虐げられし民は別の国家を作ろうとした。それがシターニャ共和国」
彼は視線を遠方に移す。そこには景たちが戦っている姿があった。
「当時のルーデンシオ王国民はそれに猛反対。すぐさま彼らを止めるべく聖騎士や比較的恩恵の強い魔法士たちが武力行使に出た。だが道具に魔法を付与できない彼らは何を作ったと思う?」
一号の視線にミックスは首を傾げる。「簡単さ」と彼は告げた。
「答えは魔力を必要としない武器。それが以前、私がケイ・クロカワに与えた声を増大させる器具の元となった技術であり、あの古びた大砲でもある」
ミックスは視線を草原に向ける。あの大砲はそう言うことだったのか、とミックスは納得した。彼は同じく草原の残骸を見つめる。
「シターニャの民は魔法の使えぬ代わりに頭がいい。優れた技術、優れた戦術をもってルーデンシオを圧倒した。いつしか二つの国は対比されるようになり、剣の国、蒸気の国と呼ばれ始めたのさ。当時のルーデンシオ国民は騒然としたことだろう。何せ見下していた相手に下剋上を食らったんだから」
少しだけ、ほんの少しだけ当時の人々を莫迦にしたように一号は笑う。
「だが、ルーデンシオ側はある秘密兵器を持っていた。それがメリザンド卿。当時王国内で最も優れ、最も力ある宮廷魔法士だった」
先生の現役時代を想像し、ミックスは「ほう」と頷く。ひんやりとした風がミックスの頬を撫でた。風はやがて突風となり、ミックスたちの髪を揺らす。
「彼女の実力は圧倒的だった。ルーデンシオに生まれながら、先祖返りのような膨大な魔力。その強さは何千、何万もの兵士をなぎ倒した。たった一人でシターニャの技術を打ち破れるほどに」
「おお~」とミックスは拍手を送る。「さっすが先生!」と思ったからだ。だが一号はその続きを少しばかり声音低く語った。
「が、シターニャ国側も黙ってはいなかった。彼らはとある人物を味方につけたのさ」
そこから先をミックスは知らない。ミックスは珍しく彼の言うことに耳を傾けた。
「“心操の魔女”」
一号はそう言った。その瞬間、二号とソフィアは血相を変える。二号は何かに気づいたように一号に顔を向けた。
「ちょっと待て…!それってまさか、あの婆さんと魔法で互角に渡り合ったっていうシターニャ側の英雄か!?」
「そう。心操の魔女。戦場の兵士たちの心を意のままに操ったという伝説級の超高等魔法の使い手さ」
聖騎士二人の会話にソフィアは震えた唇を開く。
「心を、操ったって…」
まさか、と彼女は視線を移す。その先には荒野の空で火花を散らす彼がいた。一号は頷く。非常に険しい面持ちで。
「ああ、信じたくないけれど、恐らくね。あの戦い慣れしたメリザンド卿に一歩も引けを取らない魔法の使い方、あの言動。恐らくケイ・クロカワを操っているのはシターニャ側の英雄。…心操の魔女だ」
彼の言葉にシュトラウス従兄妹の空気が重苦しくなる。ミックスは「へー」と聞き流した。一号は重いため息を吐いて目を伏せる。
「もしそうなら重大な国際問題だ。だが、なぜ今このタイミングでメリザンド卿を狙ったのかわからない。ルーデンシオとシターニャは百四十年前の大戦の後、とっくに平和条約を結び国交も樹立している。そんな状態でメリザンド卿に戦いを仕掛ける理由ってのは一体何だい?」
肩をすくめた一号にミックスは「単に戦いたかったんじゃない?」と根も葉も茎も花もない予想で彼らの眉を下げさせる。だが意外にもミックスに賛同したのは二号だった。
「いや、一理あるかもしれないな」
彼は考えるように顎に手を当ててつぶやく。
「心操の魔女。彼女の気性は非常に荒いと聞く。性格は気まぐれで暴君。味方であるはずのシターニャ側ですら扱いに困るほどの諸刃の剣だった。…と、昔じいさんから聞いたような気がする」
二号は確認するように従妹に視線を移す。ソフィアは深く頷いた。
「間違いありません。元聖騎士であったシュトラウス家の祖父が申しておりました」
ミックスは「すごーい」と焚火の音に合わせて拍手を送る。
「やっぱりお貴族様の血筋は違うぜ!いいね、パパやじいじの跡継ぐだけで!」
「それはそれで大変なんだぞ…」
疲れた顔した二号が苦言を呈す。何はともあれ状況証拠は揃った。だが初めに可能性を提示した一号の表情は変わっていない。彼は視線を落とし、重々しくつぶやいた。
「もし…。もし今回の件で平和条約が破棄されでもしたら、両国だけでなく“あの”ケイ・クロカワまで巻き込んだ大戦争になりかねない。そうなれば、被害はこんなものでは済まないだろう」
一号の言葉に二号とソフィアの顔が強張った。呪文さえ唱えれば、自然界の魔素を意のままに操る景。そんな彼の体が乗っ取られ、戦争に身を投じればどうなるか。
考えただけでも恐ろしい。勝ち目など、ほぼ無い。ミックスは「すごーい」と呑気に果実を頬張った。一号は自らに言い聞かせるよう口を開く。
「我々は止めなければならない。彼の為にも、国の為にも。実質彼を生かした弊害だね。ただでさえルーデンシオ王国内でも彼を生きながらえさせることに疑問を呈する声は多い。それがシターニャ共和国まで広がると、彼の生きる道は絶望的だろう。両国は和平案のために彼を殺しかねない。そうなれば、我々も非情な決断を下さざるおえなくなる。…例え、彼自身がどれほど善良で心優しい人間であろうとも」
冷たい風が吹き荒ぶ。鋭く、痛く。一週間前、景を生かすと決めた誰もが顔を曇らせた。ミックスは無関係のように俯いたシュトラウス従兄妹に意味なく晴れた顔を向けた。一号は頭を抱える。彼が一番、景に頭を悩ませているようだった。
「人は、神の教えだけでは生きられない。正しさだけでは生きていけない。…難儀だね」
額に指を組んだ両手を当て、一号は息を吐いた。瞼を閉じ、天を仰ぐ。それは敬虔な祈りか、未来への懺悔か。額の汗は慈悲深い涙のように頬を流れる。一号は覚悟を決めたようにスッと瞼を開き、そして解いた指は腰の柄に掛けられ、状況を見極めるように目を細めた。
「さて、何はともあれ動かなければならない。…けれどどうすればいいんだろうね。あれじゃ私たちは割って入ることなど不可能だ」
視線の先では景とメリザンドが死闘を繰り広げている。豆粒程度になった今でも肌で感じられる、その衝撃と速さ、力。何をとっても他を圧倒する。枯れ果てた大地の上でぶつかり合う二人は他の追随を許さない。近づけば味方ですら葬られる。そんな気迫が彼女たちにはあった。二号が一号に問いかける。
「なあ、宮廷魔法士の増援はまだか?」
一号は頷く。
「まだ来ないだろうね。あのスピードだ。私たちはメリザンド卿に飛行魔法を付与していただいたからいいけれど、普通の魔法士ではそうはいかない。それに避難民たちを王都側へ誘導したのは私たちだ。彼らはその対応も強いられる。少々の遅れは覚悟しなければならない」
覚悟を決めろ。一号の視線はそう告げていた。二号は付き従うように瞼を伏せる。そして目を開くと重いため息を吐いた。
「あの”マイペース”、本当に来るんだろうなあ?」
「来なければ我々で対処する。そろそろ休憩も終わりだ。行くよオリヴァー」
立ち上がり、剣の柄を抜いた一号に、二号は渋々それに倣う。
向かう先はかつての国を背負った英雄たちの戦い。聖騎士たちは鎧の音を響かせ飛び立った。だがその時、ソフィアは一人、ミックスの隣でぽつりとつぶやく。
「“心操”の、魔女ですか…」
何かが引っ掛かったような彼女の顔を、ミックスだけは見逃さなかった。ミックスはニタリと笑う。
朝日が昇り、二日目の戦いが始まる。




