非常事態
シュトラウス家、屋敷にて。
街の診療医、ソフィア・シュトラウスは本家の屋敷の廊下をひた走る。手に握られているのは文字の刻まれた壁の破片。ソフィアはくせ毛の長髪を揺らしながら全力疾走した。向かう先はとある部屋。ソフィアはその扉をノックもせずに開いた。
「オリヴァー兄様!」
使用人の目も気にせず、ソフィアは肩で息をする。だが部屋にいた従兄、オリヴァーは、窓辺の鳥の歌とともに、ベッドに沈み込み、健やかな寝息を立てていた。今日は休日だからか、一日中眠るつもりらしい。そうなると何をしても起きないことを身内であるソフィアは知っている。彼女は素早くオリヴァーのベッドまで駆け寄ると、すぐに彼の顔に手を当て、呪文を唱えた。
『強制起床魔法』
ソフィアの魔力が込められた瞬間、オリヴァーは弾かれたように飛び起きる。彼持ち前のツリ目が驚いたように見開かれたのは一瞬の事。すぐに不機嫌な顔となりソフィアを睨んだ。
「なんだッ…?勝手に起こすなよ…。くだらない要件だったらただじゃおかな…」
目を擦ったオリヴァーの顔の前にソフィアは間髪入れず壁の破片を掲げた。彼の迫力に臆することなくソフィアは淡々と告げる。
「一番騎士、フレデリック・ケル・ラヴェル様からの増援要請です。先ほどケイ・クロカワさんが暴走したとの通達を受けました」
ソフィアの言葉にオリヴァーは目を剥く。そして「マジかよ…」と声音を低くすると、ベッドから降り、傍らに潜ませた剣を携えた。彼が部屋を出て歩み始めると、その身は寝巻から騎士の鎧へと変貌する。
「行くぞソフィア」
「承知しました」
二人は揃って屋敷から駆け出す。
王都中央、その上空ではフレデリックと戦う景がいた。
吹き荒れる爆風と轟音に、オリヴァーたちは目を細める。窓辺の鳥たちは一目散に翼を広げて逃げだした。
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王都中央上空。
フレデリックは白鳥の如き翼を広げ、景と応戦していた。
宙に浮かぶ景。彼はフレデリックの聖火を避けて攻撃魔法を放つ。間合いに入れども景は剣ではなく、フレデリックの腕を狙った。
聖火に邪悪を断つ力はあれど、その剣を握るフレデリックの体はただの人間だ。相手はそのことをわかっている。赤い瞳。やけに戦い慣れした戦術眼は景の物ではないだろう。
何者かに操られている。フレデリックはそう直感した。
『羽根攻撃魔法』
エネルギー体の羽根が景をめがけて鋭く飛んでいく。だが景は一瞥をくれただけでその表情を崩そうとはしない。それどころか。
『反羽根攻撃魔法』
白のエネルギー体の羽根は集合体となり、フレデリックの行く手を阻む。まるで羽根の防御障壁。飛ばされた羽根は景の制御下に入った。自然界の魔素を呪文のみで意のままに操る魔法。魔法士よりも魔力で劣る聖騎士のフレデリックには圧倒的に不利だった。
『羽根攻撃魔法』
障壁とした羽根が、そのままフレデリックの元へ矢のように突き進む。その一枚の羽根がフレデリックの眼前に突き刺さろうとした、その時。
「はああああ!」
聞き慣れた声とともに、その一枚は叩き落とされた。眼前を横切ったのはダイヤモンドのような硬質な剣。二番騎士、オリヴァーの姿だった。
「大丈夫かフレデリック!」
彼は屋根の上に飛び乗ると、すぐさまフレデリックに声を上げる。あたりの喧騒が、悲鳴が、爆風にかき消された。景は静かに目を細める。
「なんだ。羽虫が増えただけ?そんなもの、“ワタクシ”のお呼びじゃなくってよ」
初めて呪文以外の言葉を紡いだ口調は彼の物ではない。まるで淑やかな女性のような振る舞い。そしてオリヴァーたちを冷酷に見つめる赤い瞳。オリヴァーも景であって景ではないことを確信した。
下から「ケイ、イメチェンしたのー?」と面白がって叫んでいるミックスの声は聞かないことにしておく。彼女とともに下に置いて来たソフィアは「お静かに」とミックスの口を塞いだ。
景は周囲を冷淡に見つめると、艶やかなため息を吐く。
「はあ、ここまでしても“彼女”は出てこないの?だったらもう貴方たちに訊いちゃおうかしら」
景は視線をフレデリック、オリヴァーに落とす。そして冷ややかな口元で彼はこう尋ねた。
「メリザンド・リック・フーバーは何処にいる?」
聖騎士二人は目を見開く。狙いはメリザンド卿。その意味が二人の表情を強張らせた。
「あの方はルーデンシオ王国の英雄。彼女をどうする気だ」
フレデリックの問いかけに景は答えない。代わりに不快だと言わんばかりに眉間にしわを寄せた。
「ワタクシの問いを聞いておいでで?メリザンドは何処にいると訊いたのよ。その問い対する答えが問いってどういうこと?躾がなっておりませんわね。ワタクシが調教して差し上げないといけないのかしら?」
残酷な視線がフレデリックを射抜くように見つめる。彼を怒らせたらしいフレデリックにミックスは「一号使えね~!」とヤジを飛ばした。景はスッと片手を空に掲げる。
「いいでしょう。どうせ貴方たちには興味ないもの。失くしたって別に構わないわ」
天高く指先を掲げ、彼は告げた。
『光雨魔法』
空を照らす陽光が、筋となって雨のように降り注ぐ。それは王都を飲み込むほどの広範囲魔法だった。あんなものに巻き込まれたらたまらない。フレデリックたちはすぐさま住民たちの避難誘導に動いた。だがその時、天上の矢を遮るが如く巨大な魔法陣が現れた。
「やれやれ、いい感じの教材を探しておったら、こんなことになっておるとは」
魔法陣は光の矢を全て受け止め、やがて消え失せる。声の主は首を捻って飛んできた。
見た目だけ年若い老婆、メリザンドは戦場に降り立つ。景はその目元を恍惚と緩ませると、歓喜の声を上げた。
「ああ、メリザンド!やっと来てくれたのねっ!」
声を弾ませるその仕草は、普段の彼の物でないことはメリザンドでも一目でわかった。
「お、おーケイ…。ちょっと見ないうちに新しい扉を開きよったのか?イメチェン?に、似合っておるぞ…」
「んなわけないだろ婆さん。見てわからないのか、操られてんだよ」
オリヴァーの鋭いツッコミがメリザンの耳に届く。メリザンドは「何と!」と目を見開いた。景は彼女を視界に入れると嬉しそうに頬を赤らめる。そして彼女だけにこう話した。
「遊びましょうメリザンド。ワタクシを、止めてみせて」
彼は間髪入れずに城壁の外を指さし、つぶやく。
『雷撃付与魔法』
晴天から放たれた雷は王都周囲の草原を直撃した。伸びた草は燃え、風に揺れた花は散り、焼ける。その火の粉が舞う先には人々の住む村があった。
『爆風魔法』
景は笑い、城壁の外へ飛び立つ。風を纏った彼は、そこに存在するだけで生きる災害だった。
「マズい、追うぞ!」
メリザンドは聖騎士二人に問答無用で飛行魔法を施す。無詠唱魔法で彼女はさらに仲間のソフィアも空へ巻き上げた。彼女は診療医だ。怪我人が出たら治療してもらう手筈なのだろう。だがそんなソフィアの軌道がガクンと下がる。まるで何かに引っ張られたように。フレデリックとオリヴァーが振り返ると、そこにはソフィアにしがみついた、ミックスの姿があった。フレデリック以上にオリヴァーは仰天して声を上げる。
「ちょっと待てなんでお前が!」
「あははー!ミクスも行きたい!面白そうだし」
「はあ!?」
空中で口論を繰り広げる彼らにメリザンドは振り向く。だがしがみついた彼女を見ると、メリザンドは「ほう」と興味深そうに目を細めた。
「ミクス自ら来るとは、心強いわい。いいじゃろう!ついて来い!」
その判断に聖騎士二人は驚き、目を剥く。オリヴァーは困惑の声を上げた。
「な、何言ってんだ婆さん!アイツはただの民間人で…」
「細かいことはいい!つべこべ言わずついてこい!」
「えっ…」
それはフレデリックにも予想外の返答。声を上げたオリヴァーでさえ意味が分からないと言いたげな表情を浮かべる。だが、国の危機。そんな些末なことにメリザンドは気を配らない。聖騎士二人が黙り込むほどメリザンドの表情は鬼気迫っていた。そんな彼女たちの後ろで、ミックスは陽気に空の旅を楽しんでいる。空気を読め、とオリヴァーは彼女に突っかかる。フレデリックは先頭を行く景を睨んだ。
目的はメリザンド卿。そして彼は“遊ぼう”と言った。誰が彼を操っているのか。その中身は戦い慣れした非常に厄介な相手。一体、彼の中に入っているのは何者なのか。
フレデリックはメリザンドたちと共に景を追撃する。向かう先は王都外の村、かと思えば彼はその村の上空を通り過ぎた。彼がどこへ向かっているのか、フレデリックたちには全く見当がつかなかった。




