景、大暴走
ルーデンシオ王国一番騎士、フレデリックはテーブルのイスに腰かける。向かいには彼が見張るべき存在、ケイ・クロカワが難しい顔をして座っていた。今は早朝だが、夜であればまるで海賊が飲み食いしていそうな酒場で、景は口を開く。
「フレデリックさん、ご結婚してたりします?」
「…。ん?」
意表をつかれた問い掛けに、フレデリックは笑みを浮かべながら首を傾げる。ゆっくりとした所作は曖昧な返答を思わせたのだろうか、もどかしそうに景は眉を八の字にした。
「どっちなんです?結婚してますか、してませんか?」
「して、ないけど…」
「よっしゃーーーーーー!」
戸惑ったフレデリックの返事に、景は高らかにガッツポーズを決める。意味が分からないとフレデリックは硬直した。
「よかったねケイ!」
彼の背から小柄な少女が顔を出す。光の加減で何色にでも染まる髪を持つ彼女、ミックスは朝から元気な声を響かせていた。
それに負けじと着ている病院服に似つかわしくないほど元気な景は、気を取り直したかのように席に座り直し、紙とペンを取り出した。
「フレデリックさん、フルネームはフレデリック・ケル・ラヴェルで合ってます?」
「うん?合っているよ…」
それを聞いた途端、景はペンを滑らせる。フレデリックが見たことのない字だ。おそらく彼の元居た世界、故郷の国の文字だろう。異世界人である景が何を書いているのか、フレデリックにはわからない。
「ご職業は?」
また唐突に彼は尋ねた。フレデリックは驚きつつも答える。
「ルーデンシオ王国近衛聖騎士団、一番騎士…」
「なるほどなるほど。ご年齢は?」
「年齢?二十七だよ…」
「え、フレデリックさん俺より七歳も年上なんですか?へー、知らなかった。ご趣味は?」
「しゅ、趣味?えーと…筋トレかな?」
「わあ、エレガントな顔に似合わずワイルドな趣味してますね」
捻り出した趣味に景は相槌を打つ。そしてそれら全てを余すことなく紙に書き写すようペンを走らせた。
「待って、何の話?」
自分の個人情報をすっぱ抜かれていることに気づいたフレデリックは、彼のペン先を手で遮る。だが景はきょとんと首を傾げ、悪びれもなくこう言った。
「はい?結婚相談所の話ですけど」
二人の間にしばしの沈黙が下りる。そして我に返ったフレデリックは表情を失くした。
「結婚相談所?」
景は深く頷く。
「そうです。ランベール結婚相談所。俺今そこでバイトしてるんですよ」
少し嬉しそうに頬を緩ませる景に、フレデリックは彼が来てからのことを思い返す。
「あれ、君この世界に来てまだ一週間と少し経った程度だよね?よくそんな未知の世界でバイト始める気になったものだよ…。私の知らない間に何があったんだい?」
ここ数日、フレデリックは景の見張りに来ていない。本職である聖騎士の仕事が忙しいためだ。その間、景の見張りは元宮廷魔法士メリザンド、そしてフレデリックの同僚である二番騎士、オリヴァーに任せていた。ゆえにフレデリックは彼の動向を知らない。景は神妙な面持ちでテーブルの上に手を組んだ。
「この世界に来て俺は痛感したんですよ。やはり世の中は金であると!俺は歯も胃も弱いから食べるものが限られてくる。しかも魔物の肉みたいな高級品ばっか!それを手に入れるためには金が要る。だから俺はまず就職しようと決めたんです!」
勢い余った景はフレデリックにズイと迫る。確かに食べられないと困る。食事の件は彼にとっては死活問題らしい。だが納得したフレデリックに、彼はすぐ突き合わせた顔を下げ、肩を落とした。
「けれど戸籍もなく、ちょっと呪文を唱えただけで暴発する俺のことなんてだれも信用してくれなくて…」
テーブルに突っ伏した景は「せっかくやる気を出したのに…」とすすり泣く。後ろの彼女は彼を小馬鹿にしたように指さし、わざとらしく腹を抱えていた。それでも彼はめげずに上半身を起こし、天井を指さす。
「でもそんな俺をここの三階のテナント、ランベール結婚相談所の所長、ニーナ・ランベールさんは雇い入れてくれたんですよ。まだアルバイトだけど結果が良ければ正社員にしてくれるって!だから俺頑張りたいんです。まだ一人も顧客取れていませんが、あなたほどの男が入会してくれれば話は別です!」
酒屋兼宿屋のこの店にテナントが入っていたこともフレデリックにとっては驚きだが、景はさらにそこで正社員登用まで画策していたことが何よりの衝撃だった。そして彼の視線は今、フレデリック一点に注がれている。
「フレデリックさんイケメンだし、スタイルいいし、年収高そうだし絶対いけますって!あなたを入会させた功績だけで俺は正社員になれる可能性だってある!」
「いや、そう甘くはないんじゃない…?」
是が非でもフレデリックを入会させたいらしい彼の目はまるで獲物を狩る獣だ。心の内が悟られているようでは営業職には向かないなと思ったことをフレデリックは黙っておく。
その時、階段の奥から慌ただしいヒールの音が聞こえて来た。
「ああ忙しい忙しい、このままでは列車に遅れてしまいますわ!」
マーメイドドレスをはためかせ、紙束とペンを抱えた女性は眼鏡をかけ直し視界を横切る。上階から降りてきたのは、理知的なビジネスパーソンのような女性だった。彼女は扉に突き進みながらこう言う。
「ケイ、ミックス!あとは頼みましたわよ!」
「お任せくださいニーナ所長!俺、頑張ります!」
「いってらっしゃーい所長―!」
二人に目もくれず、彼女は落ち着きなく店の外に消えた。転びそうなほど姿勢が前のめりに傾いていたことが少々気がかりだが、声をかける間もなく扉は閉ざされる。
「彼女は?」
面食らったフレデリックは景たちに視線を移した。彼は「ああ」と慣れた様子でつぶやく。
「あれがニーナ所長ですよ。俺を雇ってくれた人。明日はビッグイベントがあるからいつにも増して忙しいんです」
「ビッグイベント?」
そう聞き返したのがマズかった。景の目が再びギラついた獣となる。「そうです!」と彼はテーブルの上にチラシを叩きつけた。
男女がワルツでも踊っているような絵に、場所と日時が書かれている。
「“シターニャクンゲリアスストリート1丁目3番6号地”。明日、隣国で婚活パーティーが行われる場所です」
「君、それ絶対どこかわかっていないよね?」
一息で言い切った区切りすらない住所に、フレデリックは耳に違和感を覚える。景は潔く頷いた。
「わかってないですよ。全部所長の言ったことの丸暗記ですもん。けれど客さえ行けばそれでいいんです。俺らみたいなバイトは当日会場にはいませんから」
言い終えた景は再びフレデリックにズイと迫る。
「入会しませんか?そして行きませんか?“シターニャクンゲリアスストリート1丁目3番6号地” 。“シターニャクンゲリアスストリート1丁目3番6号地”!」
「君はそれを気に入ったのかい?」
誇らしげにとある住所を繰り返す彼は、まるで覚えたての言葉を話す児童だ。これが元来の性格なのか、青空魔法学校の子どもたちとの交流で少々幼くなったのかは、関係の浅いフレデリックには判別つかない。だがある一点についてフレデリックはまた眉を下げた。
「これまた凄いところで開催されるね?ルーデンシオ王国民がよく許可を取れたものだよ…」
「“恋に身分は関係ない!愛に国境は関係ない!それが我らランベール結婚相談所のモットーですから!”」
「うん…。また丸暗記なんだね…」
自信満々な景にフレデリックは苦い顔をする。本当に彼はどこかわかっていないらしい。だが彼は引き下がろうとしない。景はチラシを掲げ入会の返事を待つようににじり寄った。フレデリックは困り笑いを浮かべる。そして彼のチラシを掲げた手を下ろさせるとまた眉を下げて言った。
「あのね、君。結論から言うと私は入会しない」
「なんでーーーーーー!」
叫び出した景にフレデリックは淡々と告げる。
「理由は簡単。私たち聖騎士は結婚できない。結婚すれば聖騎士を辞めなければならないのさ。神の正義を体現する我らは身心ともに清く在らねばならない。そういう掟だ。…オリヴァーから聞いてないの?」
流暢に語られた掟を初耳だと言わんばかりに景はポカンと口を開けている。「知ってた?」と彼は視線を動かすと、ミックスは「そうだっけ?」と首を傾げた。フレデリックの困り顔が、苦笑いへと様相を変える。「今までの時間はなんだったんだ!」と景は頭を抱えた。
「クソッ、オリヴァーさんに即行で断られたのはそう言うことだったのかッ…」
「君、オリヴァーにも営業掛けたの?」
「掛けましたよ!でもあの人個人的なこと何も話してくれなくて、年齢すら聞けませんでした!聖騎士が結婚できないならそう教えてくれればいいものを…」
自分に関することを徹底的に答えなかったらしいオリヴァーは職業上の都合まで黙っていたそうだ。フレデリックは同僚の口の堅さに呆れる。そして目の前のアルバイト従業員の熱意にも。
フレデリックは店の奥のカウンターに視線を移すと、そこには色黒の肌に金髪のパンチパーマを輝かせた大柄な男が、鼻歌まじりに開店前の調理支度をしていた。フレデリックは少しため息を吐く。
「私が入会することはできないけれど、ご店主はどうなの?彼がご結婚されているかどうかは知らないけれど」
あんまり景がうなだれるものだから、哀れになってフレデリックは代案を出す。しかし彼は首を横に振った。
「ダメです。モリシーはもう会員なんです…。俺が営業を掛けようとしたところをミクスに横取られて!」
景は隣の彼女を睨む。同じく結婚相談所アルバイトらしいミックスは勝ち誇ったようにニヤッと笑った。モリシーはカウンターでにこやかに会員証を掲げる。景は声にならない叫びとともに頭を掻いた。そして思いついたようにピタリと動きを止めると、こう口走る。
「かくなる上はソフィアさんかメリザンド先生に入会してもらうか…」
「やめときなよ。ソフィアは兎も角、メリザンド卿は君の恩師でしょ?」
狭いコミュニティの中でも手を出してはいけない領域にまで踏み込もうとした景をフレデリックは止める。フレデリックは苦笑しながらこう言った。
「だいたいメリザンド卿は百六十近いお歳だ。そんな方に君のような若者が何を相談されようとしてるいるの?」
「ひゃ、百六十歳!?」
何気ない一言に、彼は食いついた。「メリザンド先生人間ですか!?」という分不相応な問い掛けとともに。
「失礼だな。あの方は人間だよ。稀に魔力が強い人間は二百歳近くまで生きることがあるんだ。メリザンド卿はその類いだよ」
景は目を丸くしている。そして「あなたも二百まで生きるの?」と言いたげに疑問符を浮かべていた。フレデリックは柔らかく微笑む。
「ふふっ、安心して。私たちのような普通の人間はせいぜい八十歳くらいまでしか生きられない。君の元居た世界がどうかは知らないけれど、私たちの寿命はそこまで長くない」
「そう!だからモリシーの命はあと三十年ちょっと!」
フレデリックの言葉に覆いかぶさるよう、ミックスは惨いことを明るく言ってのけた。「まだまだ嫁さん募集中じゃ!」と怒号どころか逞しく響く笑い声がカウンターから聞こえてくる。彼らの独特な雰囲気がフレデリックには理解しがたい。慣れているのか景は二人を気にせず、八方ふさがりを食らい、さらに頭を抱える。だが彼はすぐに顔を上げた。
「ならフレデリックさん。最悪、結婚しなければいいんですよね?だったら入会するだけなら問題ないんじゃないですか?」
「お、何を言い出すんだい?」
明らかに良くない機転の利かせ方をした景に、フレデリックは冗談だろと笑った。しかし景の目は獲物を捉えた獣から、未熟ながら交渉のテーブルに着く一人の策謀家になっていた。彼はまるで悪巧みをするかのようにフレデリックに語り掛ける。
「結婚までとはいかなくとも、婚約までならいいんじゃないですか?あなたみたいな若い人がトップってことは、別に一生聖騎士ってわけじゃないでしょう?そうです。探しましょうよ婚約者。このランベール結婚相談所で!」
ニタリと笑った景の下で、ミックスはフレデリックのポケットに先ほどのチラシを強引に突っ込む。息ぴったり。先ほどまでいがみ合っていたとは思えないほど、共謀し始めた二人は揃いの笑みを浮かべた。明確に彼女の悪影響を受けている景に、フレデリックは困ったように額に手を当てた。
「あのね、確かに聖騎士には任期があるけれど、私はそんな神を裏切るような行為はしない。どうあっても入会はしないよ」
「そんなーーーーー!」
策謀家の姿が消える。景はまた、いたたまれなくテーブルの上に突っ伏した。
「あはははは!ケイ残念~!」
ミックスは勝ち誇ったように大笑いしている。もう彼らは分離したらしい。ヘラヘラしているミックス。その彼女の言動が、フレデリックにとっては不思議でならなかった。フレデリックは視線を景から彼女に向ける。
「ところでさ、君はなぜ平然と牢から出ているのかな?以前スリで捕まえたはずだよね?」
「えー、夢でも見たんじゃない?証拠は?」
即行で言い返された言葉にフレデリックは耳を疑う。はて、とおどけてみせるミックスにフレデリックは絶句した。ここまで神に背く人間がいるのか、とフレデリックにとって彼女の存在は理解しえない。景はしくしくとまだうなだれている。やがて「俺の元居た国では縁結びの神様がいましたよ?別にいいんじゃないですか?神様だってきっと応援してくれますよ…」と違う世界の理論を持ち出してきたが、フレデリックは首を振った。
景はこれ以上は無駄だ、とやっと諦めたのか重いため息を吐いて顔を上げた。
彼は元の無垢な青年の顔つきに戻る。景は目が合うと、不満げにフレデリックに眉を下げた。
「ホントにダメです?」
「ダメです」
「うそ~~~~」
否、フレデリックの勘違いだったようで、まだ諦めていなかった彼は再び問い掛けるが、答えは変わらない。景は力なく、しょんぼりと席を立った。
「モリシー、朝ごはん頂戴…。できれば胃と心に優しいやつを」
「おう!任しとけケイ!」
景は虚ろに歩き出す。カウンター席に向かうその横顔は、少々の疲労が滲み出ているようだった。
異世界から飛ばされてきた二十歳の青年。その人生の大半は寝たきりで過ごしていたという。彼の孤独は、慣れぬ生活への苦労はどれほどのものだろうか。
フレデリックは彼に同情するよう目を伏せる。その間、ミックスはウロチョロとフレデリックを観察するように周囲を動き回っていた。
「何だい?」と尋ねると、彼女は蛍石のようなミステリアスな瞳を瞬かせてこう言った。
「あのさ、ミクスね、ここの四階の彫金屋でもバイトしてるの。アクセサリーでも買って行かない?ウケる君一号お金持ってるだろうしさ!」
結婚相談所がダメだと知ると、今度は別の営業を掛けてきたミックスに、フレデリックは固まった。ここの酒屋兼宿屋にはどれだけテナントが入っているんだという驚きはあるが、フレデリックは彼女のタフさに耳を疑う。
「あれ?お~い、ウケる君一号~?」
思考が追い付かないフレデリックの前で、ミックスは意識を覚ますようにと手を叩く。彼女の付けた不遜なあだ名は健在のようだった。対応に困ったフレデリックの笑みが引きつる。考えの読めないミックスはきょとんと首を傾げていた。
その時だろうか。彼女が突然笑みを消し、振り返ったのは。
「来た」
そうつぶやき、彼女は瞳に光を滾らせた。不思議に思ったフレデリックは彼女の視線を辿ると、カウンター席の景がゆらりと立ち上がった。水気を纏ったヒタヒタのパンを床に落とし、胸を押さえて短いうめき声をあげる。「大丈夫か」と心配したモリシーの手を払いのけ、景は息も絶え絶えにこう言った。
『爆風魔法』
その瞬間、店に竜巻が吹き荒れる。フレデリックはすぐさま身を引き、飛ばされたモリシーとミックスの腕を引きよせ、庇うように前に出た。木のイス、テーブルが巻き上げられ、頭上を舞う。やがてその風は床板までも剥しだした。
フレデリックは迷わず腰の剣を引き抜く。柄だけの剣はやがてフレデリックの魔力により聖火の剣身を現した。
急にどうした。何が起こっている。先ほどまでの穏やかさは何処へいった。
だが考えるより先に体が動いた。
『拘束魔…』
『反拘束魔法』
信じられないことにケイはフレデリックが言い終える前に反転魔法を唱えた。魔力が相殺され、彼の身体は自由だ。
頭の中では疑問が尽きない。だが目の前の彼を見た直感はこう告げる。明らかに危険、と。そう瞬時に判断できるほど、彼は凶悪な笑みを浮かべていた。彼の口元がニヤつくと、フレデリックは後ろ足で床を蹴りだし、景の懐に入る。
邪悪のみを断つ炎。彼の胸にその剣身を突き立てようとする。
だが彼の口元は寒気がするほどゆったりと開かれた。
『|植物成長魔法』
フレデリックの体が、床から生えた大木によって押し戻される。さらにその枝葉がフレデリックの体に突き刺さると、木は聖火を避けてフレデリックの身を壁に押さえつけた。
「グハッ…!」
鎧を着ているので枝が刺さった箇所は少ない。だが壁に押し付けられる圧力で鎧ごと肺が潰れそうになる。気を失いそうになったフレデリックは何とか視界の奥に映る景を睨んだ。
赤い瞳に、冷ややかな笑み。
普段、彼の瞳の色は髪とともに黒だ。その差異が今この状況の異常性を認識させる。フレデリックは無理に鎧から翼を出した。魔法由来のエネルギー体である白い翼は、壁を焼き切り大木からその身を逃がす。
「オレの店がああああ!」
モリシーは景とフレデリックに怒りをぶつけるが、今はそんな場合ではない。景の異常。それはルーデンシオ王国全体を脅かす事態に直結しかねない。
フレデリックは空を飛びながら壊れた壁の破片に魔力を注ぎ込む。
“増援求む。ケイ・クロカワが暴走”
たったそれだけの文を付与した壁の破片は、三方向に分かれ飛んでいく。一つはメリザンドへ。一つはオリヴァーへ。もう一つは宮廷魔法士たちの元へ。
自分だけでは手に負えないと悟ったフレデリックは三者に応援を求めた。




