第27話 熱を帯びる
一番最初に行動を起こしたのは、ロベルトさんだった。
無言で立ち上がると、携えていたヴァイオリンケースを開ける。そして、それに呼応するように、エレナさん、マウロさんも楽器を取り出した。何を言うまでもなく、当たり前のように悠然と壇上にあがる。
ツィ、ツィィ――……
調弦の音が響いた。
コンサートマスターの存在感は圧倒的だ。指揮者にとって代わるまとめ役だからこそ、彼の一挙手一投足に目が行ってしまう。
すると、彼はその視線に気づいたのか、逆に驚くような顔をした。
「何をしている。練習を始めるぞ」
鋭い指摘に慌てて団員たちが動き出した。
私の演出はどうだったのか。そんな不安が深い闇となって、踏み台が泥沼に変わる。
足をからめとられて、動けない。
――なかったことに、された。
やっぱり伝統を重んじるべきなのだ。演出なんてしなくても、ミディーナの演奏は完璧だった。
改めて聞いて、ロベルトさんも思い直したに違いない。余計なものなど不要。
聖女なんて、やっぱり引きこもっていればいいんだ。
じわりと視界が霞む。
もう、この高さから宮廷楽団と視線を合わせることなんてないのだろう。
ゆっくりと段から降りようとしたときだった。
「ハルカ! 次の曲の演出はどうなっている!?」
「ふえっ!?」
情けない声を上げれば、ロベルトさんが壇上から声をかけてきた。
彼のやる気に満ちた姿に、混乱したのは私だけじゃなかった。同じように壇に上がったばかりの人たちも、動揺して足が止まる。
「ロベルト! お前、どういうことだ!?」
「どうも、こうもないだろう。練習を始めるだけだが?」
激高したセルジオさんに、ロベルトさんは淡々と告げる。
早く席につけ。そんな視線を周りに配るけれど、反対していた人たちは、予想外の答えに楽器を握る手が強くなる。
真っ赤に顔が染まったセルジオさんは、踵を返して舞台から降りようとした。
けれど、コンサートマスターの圧は伊達ではない。長年の研鑽が積み重なって生まれた伝統ともいうべき矜持が、オーボエ奏者の心を響かせる。
「セルジオ。お前が守りたいものはなんだ。地位か? 名誉か? それとも――音楽か」
その言葉にハッと踏みとどまる。
くるりと振り返って、ロベルトさんに何か反論を試みようとするけれど、苦虫を嚙み潰したかのように顔を歪めた。
それから数秒の沈黙のあと、力んでいた肩の力がふっと抜けて、ゆっくりとセルジオさんは崩れ落ちて膝をつく。
やがて、その手に抱いていたオーボエを抱きしめた。それが、何を守りたいかなんて言わなくても十分に伝わってくる。
私は一つ光球を生み出すと、手のひらからそっとセルジオさんの方へ飛ばした。
旋回する光が、彼にとって福音になるといい。
愛に気づいた奏者の姿を見て、私もようやくオーケストラの一員になれたような気がした。
*
それからすぐに練習が再開された。
ミディーナの演奏に触発されたようで、楽団員から次々に演出のブラッシュアップの声が飛び交う。
今までの合同練習は何だったのか――と思うくらいに、楽譜に文字が書き足され、ワンフレーズの試し弾きが、パートごとにあふれかえる。もちろん、中にはまだ懐疑的な人もいた。だから、二転、三転することも多々あって、意見がぶつかることもあった。
必然的に魔法で再現するのは私だけなので、光球を出したり、散らしたり。火気厳禁なので、代わりに炎に似た光の柱を出現させるなど、今までにないリクエストまであった。
当然、ミディーナの演奏のときに行った天井を塗り替える演出も聞かれる。でも本来は、天幕に映し出す魔術なのだ。術式が書いてあるから、無理なく投影できて、他の演出に気を配れる。けれど、今はその天幕も、補助してくれる魔術士団もいない。
(頭がガンガンしてきた、かも)
魔力回路を増やすのは身体に負担をかける、とシグリードは言っていた。
けれど、魔法を使い続けた先のことまでは、聞いていなかった気がする。
できる限り応えたくて、頭をふるって痛みを追い出す。けれど、より茨の冠の締め付けが強くなり、笑顔を維持するのも辛くなってきた。
大丈夫。まだ、出来る。
シグリードの魔力が枯渇することはないはずだ。国を燃やすことができるくらいなのだから。
今、この場の熱を絶やしてはいけない。
そして――ようやく、休憩時間が訪れた。
私は水を差す前にそっと練習室から抜け出した。
「――痛ったい」
激痛が腕から頭にまで駆け抜ける。
痺れるような電流が腕の内側でバチバチとスパークして、回路がショートしているみたいだ。
午後も練習は続く。せっかくまとまってきたんだ。私の弱さで振り出しに戻りたくない。
けれど、誰もいない廊下は冷たく。熱を帯びた体には心地よくて、そのままずるずると壁に背を預けてへたり込んだ。
「……ハルカ!」
鋭く、それでいて焦りを帯びた声。
そちらに顔を向けると、駆け寄ってくるアレクの姿が目に映る。それが身体を支える糸を断ち切った。
ぐわん、と大きく視界が揺らぎ、その遠心力で意識が飛ばされる。
そのまま勢いよく廊下に身体を打ち付ける寸前。力強い腕がそれを防いだ。
目を覚ましたとき、私の身体は宙に浮いていた。
硬い床ではなく、しっかりと支えられた胸板の上。
肩越しには天井の景色が見える。
(お姫様……抱っこ?)
背中に回った腕と、揺れる足の感覚がそれを教えてくれる。
霞む視界から見える端正な横顔。焦燥感を噛み殺しながら、無言で歩く様は凛としてカッコいい。
けれど――即刻、降ろしてほしい。
無理だ。こんなアレクのご尊顔を見たら、頭が痛いのを通り越して、脳みそが沸騰する。
何かを堪えるように口を結び、急ぐ足は耳のすぐそばにある心臓の律動から伝わってきた。自然と、私の胸の内も加速する。
けれど、先ほどからズキズキと左手を中心に、全身が焼き切れそうなくらい熱い。インフルエンザみたいな、関節の痛みやだるさが、反論の余地を与えない。羞恥の熱と別の要因の熱が、私の意識を曖昧にする。
せめて、お姫様抱っこするなら、もっとちゃんとした可憐で可愛らしいお姫様にしたほうがいい。その方が一枚絵になる。でも、女性との絡みは少な目な方が売れるから、アレクには極力その方針でいてほしい。少なくとも、こんなアイドルオタクはこれっきりにするべきだ。
朦朧とする中、それだけはあとで釘差しておこうと、心に決める。
どこに行くのかわからないけれど、色んな意味で限界だった。
やがて、ふわりと重力が戻る。
降ろされたのは、静かな部屋のベッドの上。そっと横たえられた私は、ようやく生きた心地がした。
布団をかけてくれたアレクが、再び視界に近づいた。
眉間に寄せられた皺、翠緑の瞳は揺れている。
その沈痛な表情に、喉がきゅっと詰まり、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
――悪いことしちゃったなぁ。
重かったに違いないと反省する。
それに、宮廷楽団のみんなにも後で謝っておかなきゃならない。練習に最後まで付き合えなかったことで、気を悪くしていないといいのだけれど。
「報告は受けていたのに……すぐに駆けつけられなくて、ごめんね」
アレクはそう言いながら、乱れた髪を整えてくれる。
大きく温かな手が、私の頭を包み込む。
ウィリオット王子が伝えたんだろう。
でも、もう大丈夫だ。きっと彼らの様子を見れば、すぐに解決できたんだとアレクならわかってくれるはずだ。
――心配しないで。
声を出そうとしても、熱を帯びた身体が重く、口は開いても言葉が出てこない。
代わりに首を横に振って、何とか目で解決したことを訴える。
私をじっと見つめると、その意図を汲んでくれたのか、小さく頷いてくれた。
「すごく、頑張ったんだね」
まるで子どもを褒めるように、ゆっくりと頭を撫でてくれる。
張り詰めていた弦が弾けるように、プツンと涙腺が切れた。あまりにもアレクが優しいから、じわじわと目頭が熱くなって、涙がこぼれ始める。熱で身体が弱っているせいだ。泣き顔なんて見せたくないのに、声にならない嗚咽がこみ上げる。
「傍にいてあげられなくて、ごめんね」
アレクが忙しいことくらい、よくわかっている。
前以上に式典ではやることが多い。宮廷楽団に顔を出している余裕なんてないはずだ。
一緒に頑張ると決めたし、なにより、私が演出したいからだ。アレクに迷惑はかけられない。
首を振って伝えれば、彼は苦笑して「ゆっくり、おやすみ」と瞼に触れる。
「――次は、守るから」
その言葉は、私に向けられているはずなのに、誰かへの静かな警告のようにも聞こえた。
得体のしれない闇が蠢くのを感じながら、私は静かに眠りについた。




