第26話 セッション
翌日、宮廷楽団寮にいるミディーナを訪ねた。
彼女は私を見た瞬間、くしゃりと顔を歪ませて「昨日は、ごめんね」と涙をこぼした。
寮の部屋は二人部屋で、相方はタイミングよく出払っていた。おかげで、ミディーナと昨日のことについて話し合うことができた。
そこで、一つだけわかったことがあった。
それは『貴族社会』の重圧だ。実のところ、宮廷楽団内では嫌な噂が流れていたのだ。それは、竜の聖女に従えば爵位が危ぶまれる、という内容。貴族にとって爵位はステータスだ。一つ下に下がるだけでも、生活は雲泥の差を生む。その根も葉もない話は、気が付けば宮廷楽団中に広まっていた。だからこそ、昨日のような反発はいつか起きるんじゃないかと、ミディーナ自身も警戒していた。
それで、演奏がどこかギスギスしていたのかもしれない。疑心暗鬼になり、自分の音に迷いが生じていた。
「私は平気なの。男爵家の三女だし、好きにしろって言われてるから。でも――セルジオさんは違うから」
ミディーナの言葉に昨日のセルジオさんの言葉が蘇る。彼には守るべきものがあるからこそ、反対したのだ。
音楽を愛してる、って叫ぶくらいに、誇りを持って演奏していた。
だけど、私は知っているんだ。
ライブに行ったら、音楽だけじゃ足りなくなってしまうことに。
そしてそれは、この前の演奏会でも体験した。
四重奏メンバーも同じだと思う。自分の音楽を演出してもらうことで、さらに“楽しい”空間が生まれることを知っているはずだ。
だからこそ、考えた作戦は――失敗すれば、すべて終わるかもしれない。でも、好きだからこそ、わかると信じてる。
「ミディーナ、お願いがあるの」
その言葉を口にした瞬間、思い出すのは、あの光景。
彼女もそれに気づいたのか、ニンマリと笑った。
「いいよ。何を弾こうか?」
そうして、私はミディーナにもう一度。魔法をかけることにした。
私と同じ音楽への『愛』に賭ける。
*
宮廷楽団のメンバーの前に立つのは、足が震えるくらい緊張する。
オーケストラ用の練習室は、大学の大講堂のようにとても広く、メイン舞台にあがるだけでも心臓が張り裂けそうだ。
ましてや、あんな騒動があった翌々日に集まってもらったのだから。
あれから、ミディーナと丸一日かけて練習して、付け焼き刃だけど何とか形にはなったはずだ。
元から式典で演奏する曲だったし、演出も似通ったものでも問題ない。けれど、個人用のためグレードがダウンする分、他の部分で補わなくてはならない。
結局、夜までかかって、朝イチでリハーサルをやってこぎつけた。
宮廷楽団メンバー全員が集まっているのは、ほぼ聖女特権の乱用だ。
聖女『様』は言いたいことがあるそうだ、なんて、鶴の一声を出せる身分であることを実感してしまった。
でも、この作戦には全メンバーがそろっていないと意味がない。
こういう時に、肩書きを都合よく使ってしまうのは胸が痛い。けれど、使うしかなかった。
(人に命令するなんて、向いてないのに)
だからこそ、今回の式典は自分の意思で演奏したいと思ってほしかった。
一人の意思が束になって、オーケストラは演奏する。一体感を生むためには、誰か一人でも別の方角を見ていたら、崩れてしまうと思うから。
「お、あ、お集りくださり、ありがとうございます。これから、ミディーナの演奏聞いてほしくて、あ、集まってもらいました!」
頭を下げれば、楽団員たちのざわつく声が耳に入る。
それでも言葉を続けた。
「今から、ミディーナには通常の演奏と私の演出付きの演奏、両方を弾いてもらいます」
諦めの悪い……そんな視線が突き刺さる。
けれど、諦めが悪くて何が悪いんだ、と開き直れば、気持ちが落ち着いてきた。百人規模の前で、ミディーナはたった一人で演奏する。そっちの方が緊張の度合いで言うなら、私よりも遥かに上だ。しかも、一般人じゃなくて、同じプロの前で奏でる。そのリスクを背負ってまで、私の演出に協力してくれるんだ。
ミディーナは、私の方を見てから小さく頷いて、壇上に上がる。
その凛とした姿は、惚れ惚れするほどカッコいい。燃えるような深紅のポニーテールが揺れて、大きな瞳には迷いがなかった。
私の友達は、初めて出会ったときからプロフェッショナルだ。
弓を構えて、一呼吸。次の瞬間、鮮烈な弦の音が空気を引き裂いた。
曲目は式典の三曲目。一番難しいとされる、ロックテイストの激しい楽曲だ。なおかつ、一番演出にも力を入れている。
第二ヴァイオリンの彼女は、第一ヴァイオリンほど主旋律をなぞらない。華やかな部分は第一が担い、他の楽器との橋渡しとして音を馴染ませるのが第二の役割なのだそうだ。ミディーナからその違いを聞いて、私も初めて知った。
けれど、今ソロで弾く彼女が放つ空気は、華やかな第一ヴァイオリンそのもの、といっても過言ではない。
楽譜通りに丁寧に、けれど激しいフレーズでは瞳に炎を宿らせる。美しくも激情をほとばしらせて、堂々と弾きこなす彼女の演奏に、鳥肌が立つ。
でも――それだけ。
昨日の言葉がよみがえる。
彼女の演奏は、間違いなく完璧だ。
記された音符を寸分違わず拾い上げ、狂いなく鋭い律動を刻んでいる。
それだけじゃ、焼き付かない。もっと、胸に迫るものがあるはずだ。彼女の音を、熱を、ここにいる存在を世界に示すには、やっぱり私の『光』が欲しい。
通常の演奏が終わり、弾き切ったミディーナへ拍手が送られる。
演奏そのものを否定する者はいない。その音に敬意はあっても、賛同はなかった。
その静かな拍手の中で、ロベルトさんだけがまっすぐ彼女を見つめていた。
ミディーナは、小さく会釈をしてから、舞台下にいた私へと視線を送った。
真っすぐに注がれる視線は、私を何よりも信頼している証拠だ。けれど、やはり緊張してしまう。
絶対、成功させたいという気持ちが膨らんで、左手が熱い。一か八かの大勝負なのだから、後には引けない。
「ハルカ」
突然、彼女がしゃがむと手を差し出した。
その意図がわからず首をかしげると、再度、手を振るう。
(……握手?)
おずおずと手を差し出せば、彼女は力強く私の手を握りしめて――微笑んだ。
――ねぇ、楽しかったね!
ミディーナに初めて演出したとき、私はどう思ったのか。
彼女の音を私の魔法で輝かせたい。ただ、それだけだ。それ以上の理由なんてない。
私も微笑むと、緊張がするりと解けていった。
頷き合って、笑い合う。しっかりと手を握り返すと、全体を俯瞰してみるために、私は楽団メンバーの後ろに行き踏み台を上がった。
ここが私の戦場だ。
そして、先ほどと同じように一呼吸おくと――弦が光の咆哮をあげた。
高音と共に赤い粒子が拡散。一拍の間にそれは、彼女の音域フィールドへと変化する。
ミディーナを中心点にして小さな光の粒たちが弧を描きながら、リズムに合わせながら旋回。
繊細な指使いは変わらないけれど、可視化された分、よりその動きが伝わってくるようだ。ピッチが早ければ、光は高速に動き、響かせるように余韻を効かせれば、光はたゆたう。
その緩急に、楽団員たちが飲み込まれているのがわかる。食い入るように見つめる先は、彼女の技巧を凝らした完璧を超えた演奏。
曲の盛り上がりに合わせて、光球は膨張。最高潮に盛り上がったところで、天高く弾けさせた。
それだけじゃない。私は一気に、会場を塗り替える。
天井に燃えるような赤い夕焼けを映し出すと、一陣の風が楽団員の頭上を吹き抜けた。
情熱をそのまま風景にしたような世界に、ミディーナはさらに激しく弓を動かす。
――私の音色を聴きなさい。
女王の演奏は、肌が痺れるくらいに強く、身体に叩きつける。
そう、これこそが、私が見たかった光景。
舞台に立つ人間から目を離すことが出来ず、圧倒的なパフォーマンスに心奪われる。
やがて、音が消え、光も見えなくなった。
残ったのは、静まり返った練習室だった。




