第19話 光の閉幕
観客が固唾を呑み、舞台に視線を注ぐ。
――次に何が起きるのか。張り詰めた空気が、肌に触れるようだった。
調弦の音が、合図のように静かに響く。
そして、厚手のカーテンがゆっくり閉じられ、部屋が暗くなる。
突然の暗転に、一部の貴族たちはわずかに動揺した。
けれど、譜面台に灯った小さな明かりと、続く演奏への期待がそれを打ち消していく。
すっと四重奏メンバーが弓を構える。
チェロの低音に、ヴァイオリンの艶やかな旋律が重なり、二曲目のバラードが始まる。
この曲は、ヴァイオリンの高音がきらめく、美しく繊細なバラードだ。
だからこそ、ロベルトさんが提案してくれた“夕暮れから夜明けへと移り変わる”場面を、魔法で再現することにした。
青い光が四つ、それぞれの楽器からふわりと宙へ舞い上がる。
やがてその光は青白いオーロラの帯となり、観客の頭上を流星のように弧を描いて流れていく。
すると天井は、星々がまたたく夜空へと姿を変えていった。
ヴァイオリンの旋律が、夜風のように静かに吹き抜け、頬をやさしく撫でる。
ビオラとチェロのまろやかな音が、夢を誘うように観客を包む。
盛り上がりの頂に差しかかったところで、私はさらなる魔法を紡ぎ出す。
――それは、雪のように軽やかで、涙よりも儚い光の粒。
曲と共鳴するように、星々が瞬き、その欠片が降り注ぐ。
まるで“星のシャワー”のように、観客の上に舞い落ちる。
自然と手のひらを差し出す人々。
けれど、その掌に届く寸前で、光の粒は儚く消えてゆく。
ヴァイオリンがその余韻を切なくなぞり、音と光がひとつになって、胸を締めつける。
その美しい時間に陶酔するような声が、観客席から漏れ聞こえてきた。
転調にあわせ、空からの光粒は姿を消してゆく。
代わりに、舞踏会のときと同様、白い幕に星空の映像が投影される。
プラネタリウムで見たような、軌跡を描いて移動する星々。
音に合わせて静かに円を描き、跳ねるリズムに流星が駆け抜ける。
しなやかな旋律には、満ちた月が浮かび上がり、静かに余韻を残す。
そして、星々のきらめきが徐々に薄れていく。
満天の星空も好きだけど、私はこの後の移ろいの方がさらに心惹かれる。
夜は明け、やがて空は白み始める――薄明時だ。
青い瞳が私を見守ってくれているようで、左手の甲がじんわりと熱を帯びる。
夜空のカーテンを払うように、ビブラートが響き、星の世界は静かに幕を閉じた。
聞こえるのは、譜面をめくるかすかな音だけ。
誰ひとりとして、息を飲む以外の音を立てない。
全員が舞台に、魔法に、音楽に――心を奪われていた。
一方で、ロベルトさんたちの緊張が、こちらまで伝わってくる。
次は、演出としては最後の一曲。
ワルツやバラードとはまったく違う、グルーヴ感あふれる曲だ。
格調高い伸びやかな旋律ではなく、細かな指使いと高度なテクニックが求められる難曲。
魔法と音楽を重ね合わせ、さらなる衝撃を生み出せるか。まさに、真価が問われる場面だった。
テンポが速く、誰かひとりでも狂えば、そのまま崩れてしまう。
私は蛍光ピンクの光球を生み出す。
今までの柔らかな光とは違い、蛍光ピンクの鋭い光が空間を切り裂くように広がる。
まずファーストヴァイオリンが先導するように鮮やかな音を紡ぎ出し、それに続いてセカンドヴァイオリンが柔らかく応える。それをビオラとチェロが低音で支えながら、演奏が加速していく。
その中で、私の光球も変則的に――まるでネオンのように、観客と演奏者のあいだを不規則に飛び回らせた。
蛍光色の球は音に合わせて色を変え、点滅し、消え、また現れる。
観客のざわめきが伝わってくる。それでも私は、視線を舞台に定めた。
練習では失敗ばかりだったけれど、今はすべてが一糸乱れぬ動きで重なっていく。
そして、サビの盛り上がりへ駆け上がる。
ピンク色と相反する、蛍光緑を生み出し、その二つの球が互いに追いかけるように上昇していく。
客席も釣られるように上を見上げて、その行く末に期待をかける。
パンッ!
弾けたその瞬間、金色の紙吹雪が舞台へと降り注ぐ。
わっ、と声があがり、興奮と動揺に席が大きく揺れ動いた。
まるでライブのフィナーレのように、銀テープの代わりに舞う金の煌きのなかで、四重奏が高らかにハーモニーを奏でる。
指と弓が踊るように動き、ヴァイオリンの高音が軽やかにビートを刻む。
チェロの重厚な音が、旋律をしっかりと下から支えていた。
そして演奏は、序盤と同じ旋律へと戻っていく。
けれど、光球の動きは最初とは違い、今度は観客の頭上を舞い、会場全体の熱気が渦を巻く。
(――いよいよだ)
私は広げた手に力をこめて、床を強く踏みしめる。
ここが最大の見せ場。
ファーストヴァイオリンのソロパート。
たった一つの楽器が生み出す、技巧の極みともいえる高速の旋律。
それは、まるで焦燥と高揚がせめぎ合うような、張り詰めた音。
客席もその緊張感に身を縮こまらせて、祈るような仕草で固唾を飲んで見守る。
音が頂点へと駆け上がった、その瞬間。
私は最後の魔法を放った。
雷を凝縮したような、プラズマめいた眩い球が、暗い天井へ吸い込まれるように上がっていく。
そして――。
バチンッ!
鋭い音とともに、七色の花吹雪へと弾けた。
天井から降りそそぐ光の欠片に、観客たちは息を呑みながらも手を伸ばし、会場の熱は最高潮に達する。
四重奏が喜びを謳うように音を重ねる。
煌めく花びらと重なったその響きは、会場そのものを祝福しているようだった。
自然と私も――舞台の四人も、楽しさを隠しきれないように笑っていた。
やがて最後の一音とともに、一斉に弓が引き抜かれ――舞台は幕を閉じた。
息を呑むような静寂。
演奏者たちの少し乱れた呼吸が、目の前で起きたことを受け入れる準備のようだ。
やがて、それを打ち破るようにパチパチと、どこからか手を叩き始める音が聞こえた。
そして水面に波紋が広がるように、拍手が連鎖していき、次第にそれは会場全体へ広がる。
それだけじゃなかった。
誰かが拍手をしたまま立ち上がると、その動きが火種となり、観客は次々に腰をあげていく。
スタンディングオベーション。
会場は、拍手喝采の嵐へと変貌した。
私の目には、その光景が、夢中で“推した”あのライブ会場と重なって見えた。
冷めやらぬ夢、熱狂、興奮。
全身が熱を帯び、胸の奥から込み上げる喜びが、涙となって溢れ出す。
溢れた涙を拭いながら、これまでの軌跡が次々と脳裏に浮かび上がる。
こんなふうに“自分の存在がステージの一部になってる”なんて、想像したこともなかった。
舞台の上で晴れやかに笑うロベルトさんたちを見た瞬間、一緒にこの景色を作れたのだと気づいて、熱い雫がまた頬を伝った。
いつだって観客側だった。
拍手を送り、光を見上げ、夢を受け取る側。
けれど今は――私が、この“場”を作っている。
楽しい場所を作りたい。その一心でここまで来れて、ようやく、ステージに立つ彼らの本当の気持ちがわかった気がする。
これが“魔法”なんだ。
しかも、とびっきりで、ずっと、ずっと解けない夢の魔法。
こんな体験を一度でもしたら、虜になってしまう。
だから、彼らはステージに立ち続けているんだろう。
「……よかった」
本当に良かった。
今まで歩んできた時間が、確かにここへ繋がっていた。
この気持ちがある限り、私は、きっと、どこまでも歩いていける。
部屋を覆っていたカーテンが開き、会場は元の明るさを取り戻した。
鳴りやまない拍手の中、アレクシウス王子が静かに壇上へ上がった。
そして客席を見渡しながら、穏やかに口を開いた。
「本日の演出は、まだ試みの段階にある新しい技法です。どうか今しばらくは、この場だけの秘密として胸に留めていただければ幸いです」
その声音には、王族としての威厳と、ひとりの音楽家としての熱が滲んでいた。
「それでも今日、皆様にお披露目したかったのは――私の帰国を祝うこの日を、誰より特別なものにしたかったからです」
その言葉に、会場の拍手はいっそう温かなものへと変わっていった。
そうして、アンコール代わりの明るく朗らかな曲が流れ、留学帰国記念演奏会は盛大に幕を下ろした。




