第18話 光の開幕
壇上に上がるアレクシウス王子へ、盛大な拍手が鳴り響く。
本番当日を迎えた私は、緊張と不安、そしてほんの少しの高揚感に満たされていた。
今朝は演奏会への出席ということで、それなりに身なりを整えて準備をした。
私はまだ“竜の聖女”として正式にお披露目されていないため、今回は余計な詮索を避けるために、爵位の高いエレナさんの親戚という仮の身分で出席している。
魔法演出については、サプライズとして披露した後、「魔術士による新たな実験の一環」という建前で、しばらく公表を控えてほしいという方針となった。そのため、私の魔法演出は“完全オフレコ”という扱いだ。
アレクシウス王子は申し訳なさそうにしていたけれど、事情があるのは分かっているし、私も目立ちたいわけではない。
四重奏のメンバーは、本番直前までリハーサルを重ねていた。
私もギリギリまで魔法の調整をして、それから――ほんの少し、勇気をもらいに薄明竜のもとへ向かった。
着飾った姿に少し驚いたけれど、落ち着かない私の様子に対して、いつもと変わらない冷静な声で一言。
――待っている、とだけ告げてくれた。
どんな結果になろうとも、薄明竜がいるだけで、心が強くなれる。
アレクシウス王子の挨拶が終わり、壇上へミディーナ、エレナさん、マウロさんが上がる。
練習のときとは違う、煌びやかな正装は、まさに“宮廷楽団”という格式にふさわしい佇まいだ。
そして――オープニング曲が始まる。
最初の一曲は、王子の帰国を祝う、元気でキャッチーな曲。
テンションを引き上げるような華やかなナンバーで、留学を経た彼の経験が、祖国に新たな風を吹き込む、そんなイメージが込められている。
王子の力強い旋律に、セカンドとビオラが寄り添い、チェロの伸びやかな音が全体に深みを与える。
まるで、王子の優しさや温もりを滲ませるような演奏だ。
観客たちは、いつもの演奏会だと思っているのだろう。心地よさそうに耳を傾けていた。
そして演奏が終わると、温かな拍手が会場を包んだ。
アレクシウス王子は丁寧に頭を下げ、ヴァイオリンをロベルトさんに手渡すと、舞台を降りる。
そのまま客席の一番後ろ、私のもとへと歩み寄ってきた。
「緊張してる?」
隣に腰かけて、そっと声をかけてくれる。
私は深く頷き、視線をステージへと向けた。
ロベルトさんが調弦を終えると、目配せひとつでメンバーが息を整え、ゆっくりと弓を引き始める。
二曲目は、落ち着いた哀愁を帯びた旋律。
国を想う王子の葛藤や責任を、切ないメロディーに込めることで、言葉にできない想いを音に託す――そんな構成の一曲だ。
この曲を提案したのは、隣にいるアレクシウス王子で、「要は、“理解してくれるなら協力して”って意味なんだよね」と軽く言い放ったときは、メンバー全員がなんとも言えない表情になったのだった。
曲はそろそろ終盤へと差し掛かる。
このあとアレクシウス王子が留学先での話を少し述べ、いよいよ――魔法による演出が始まる。
緊張で手が震え出す。
受け入れてもらえるのだろうか。だんだんと、怖くなってきた。
「……ね、ハルカ。僕にもひとつだけ、使える魔法があるんだ」
「えっ?」
突然、真剣な眼差しを向けてくる王子。
「それは――笑顔さ。ほら、君も使えるだろう?」
そう言って、軽やかにウインクする。
彼にしかできないような“魔法”にかけられて、張り詰めていた緊張の糸が、するりとほどけていった。
無敵のアイドルスマイルは、本当に人の心を簡単に操ってしまう。
「ふふっ……はい」
今日という日までに、色々なことがあった。
召喚されたときは、無力で嘆いていたのに、薄明竜のおかげでこんな素敵な場所に立つことができるなんて、想像すらしてなかった。
楽しもう。
すべては、この瞬間のためにあったのだから。
「――それでは、本日ご来場いただきました皆様へ。私が留学を通じて得た経験をもとに、新たな技法を取り入れた演奏をお届けいたします。我が国に刻まれる新たな歴史の一端を、どうぞご堪能くださいませ」
アレクシウス王子の言葉に続いて、レースカーテンが引かれ、会場の照明がほんのりと落とされる。
私は席を離れ、後方に設置された小さな段の上にあがる。
ほんの少し高くなっただけなのに、空気が変わり視界が大きく開けた。
そこからは、演奏者たちと観客全体を一望することができた。
心臓がこれまでにないほど激しく鼓動し、胸から飛び出しそうなくらい痛い。足までガクガクと震えていた。
けれど、壇上の仲間たちに視線を送ると、力強く返されるまなざしに背中を押される。
マウロさんが目を細めて微笑み、エレナさんは厳しさの中に情熱が混ざる。
凛と弓を構えるミディーナ、ロベルトさんの眼差しは真っすぐにこちらを捉えていた。
――僕の帰国を祝ってくれるのが、君たちで誇らしい。こんなにも華やかな演奏会は、夢みたいだ。
舞台袖にいるアレクシウス王子の言葉がよみがえる。
――ハルカ、これは四重奏じゃない。君の光が加わって、初めて完成する最高の五重奏なんだよ。
リハーサルを見たときに、彼はそう言って絶賛した。練習のときからずっと、彼は私を見ていてくれていた。
音を出す四人と、光を操る私。五つの魂が共鳴して、初めてこの舞台は完成する。
深呼吸すると、身体に一本の芯が生まれた。揺るぎない、これまでの日々を象徴するような太い柱だ。
舞台上の彼らと頷き合い、息を合わせる。
ドルガスア王国史上初となる、魔法による演出が幕を開けた。
前奏。
ひとつの光球が、ワルツの旋律に合わせて演奏者の頭上をゆっくりと旋回する。
観客が息を呑んだ気配が、背中越しに伝わってきた。
相手は上級貴族ばかりだ。突然の演出に取り乱すようなことはないだろう。そんなアレクシウス王子の目論見は、どうやら当たっていたようだった。
その静けさのおかげで、私はより深く集中して魔法の制御に専念できる。
光球は、白から青へ、そして赤へと、ゆっくり色を変えてゆく。
まるで複数の妖精が、舞台の上を踊っているかのようだ。
音が盛り上がると、後方に張られた大きな白幕に光球が触れて弾けた。
何度も調整した補助術式がきちんと反応したのを感じて、胸の奥でそっと息をつく。
瞬間、幕に赤いベルベットのカーテンが投影され、まるで舞台の幕が開くように、左右へとすうっと引かれていった。
「まぁ……」
「おお……」
音に合わせて優雅に踊る男女の姿が浮かび上がる。
それはまさに、舞踏会のワンシーンだった。
観客はその“慣れ親しんだ光景”に目を奪われる。
着席しながらも、自然と肩が揺れてしまうのは、それだけ音と映像の世界に溶け込んでいる証拠。
やがて映像は、舞踏会の中の一組のカップルにフォーカスされる。
ヴァイオリンの優美な旋律に合わせ、人々の間を縫うように舞うふたり。
それは観客自身が、この四重奏の音色に身を任せて踊っているかのような錯覚すら引き起こす。
曲が終盤へと差し掛かる頃、映像はぼんやりと霞んでゆき、再び白い幕だけが残される。
代わって浮かび上がったのは、先ほどのカップルの“影”だった。
彼らは演奏者と観客のあいだに立ち、再び踊り始める。
弦が高音を奏でれば、女性のドレスがふわりと跳ね、低音が響けば、影の男女は力強く床を踏みしめる。
短いワンフレーズだけを踊りきると――ふたりは星屑のように輝きを残して、静かに消えていった。
誰ひとりとして、声を発する者はいなかった。
全員が、泡沫のような光の残滓を、じっと見つめていた。
(――上手くいったかな)
貴族たちに拒まれないよう、最初の一曲はあえて馴染み深い舞踏会の情景にした。
この国の上層階級は新しいものに敏感だけれど、斬新すぎるものには身構えてしまう。
だからこそ、見慣れた景色の中に魔法を溶け込ませる。
何度も話し合ったその形が、ちゃんと届いた気がした。
左手の甲の紋章が、ほんの少しだけ熱を帯びている。
けれど、それは夢の終わりではなく、新しい灯がともる瞬間のようだった。




