第20話 デート
「ごめんね、急に誘ってしまって」
はにかんだ微笑みと共にアレクシウス王子がそう告げる。
確かに突然の手紙には驚いたけれど、王子からのお誘いを断るなんて、できるはずがなかった。
「ありがとう。それに……今日の服、可愛いね。とてもよく似合ってる」
極上の王子様スマイルと共に告げられた言葉は、一介のアイドルオタクには過剰なファンサだった。
それを最前列の真正面から浴びたら、心臓が破裂する。違う、身体ごと爆散してしまうレベルだ。
一気に足先から頭のてっぺんまで熱が急上昇。感情ゲージが振り切れて、私の語彙力は宇宙の彼方へ霧散した。
唯一、残った感情は『帰りたい』しかなかった。
けれど、今から腹痛とか言って、嘘をつくわけにもいかない。
飛散したパーツを何とか繋ぎ合わせる。
真っ赤になった顔を伏せながら「今日は、よろしくお願いします」と言うだけで精一杯だ。
けれど、その喉の奥から這い出したような限界オタク特有の掠れ声に、死にたくなった。
*
馬車はゆっくりと進んでいく。
城下町までは、そう遠くない。
「そんなに緊張しないで。練習の時は、そんな風じゃなかったと思うんだけど」
「えぇと、それは、他のみんながいてくれたからで……」
一対一、しかも密室。握手会や個別のオンライントークとはワケが違う。
キャパオーバー気味の私に、アレクシウス王子は苦笑しながらも、穏やかに話しかけてくれた。
「昨日は、エレナがお茶会を開いてくれたそうだね?」
「あ、はい」
演奏会の後日、打ち上げと称したエレナさん主催のお茶会に、私とミディーナは招待された。
魔法による演出は、評判は上々どころか大絶賛。貴族の間では早くも次の開催を求める声が上がっているという。
その席で、エレナさんは「我がレガッツィ家は聖女を支援します」と公言してくれた。理由として、貴族同士の駆け引きから『友人』を守るため、という彼女の心意気だ。
貴族社会のことはよくわからないけれど、覚えておいてほしい、と言われたので私は頷いておいた。
「なるほど……侯爵家が。ありがとう」
そんな話をしていた最中、アレクシウス王子からの手紙が届いた。
城下町の視察に同行してほしい。その一文に、お茶会の場は一気に色めき立った。
そして、エレナさんの家で服選びが始まり、可愛い系か清楚系か、動きやすさ重視かで大論争に。
(でも、楽しかった)
二人の真剣な顔と笑い声から、ふと思い出す。
「あ、あの、魔術士団へのお声掛け、ありがとうございました」
演奏会では、魔法の“永続性”という大きな課題があった。
加えて、薄明竜にもらった術式だけでは、あの天幕は対応しきれなかった。そこで王子に相談し、魔術士団の力を借りることになったのだ。魔術士団のみんなは、研究熱心で話しやすく、正直、自分と気質が似ていた。
おかげで、私というプロジェクターから巨大なスクリーンへ投影することができたのだ。ちなみに譜面台の明かりも魔術士団お手製の一品。魔石に呪文を刻み、少し魔力を注げば灯る仕組みだ。
「大したことじゃないよ。それに彼らには、今後も協力してもらう予定だから」
「今後も……ですか?」
「そう。今回の演出で改善したいところがあったからね」
王子は、二曲目と三曲目の演出が似ていたことを指摘する。
光球や紙吹雪のテーマ色こそ違えど、動きは同じだった。
「確かに……全然、気づきませんでした」
「一人でやるには限界があるからね。もっと大規模なものになったら、魔術も組み合わせてやってみようか」
「大規模……」
アリーナのような大舞台を想像して、背筋が震える。
不安もあるけれど、それ以上にミディーナたちがその舞台に立つ姿を見てみたい──そんな興奮が同時に胸に満ちていく。
「さて、反省会はここまでにしようか」
馬車が停まり、街中の待機場に着いた。
「お手をどうぞ、お姫様」
流れるような所作で差し出される手。
戸惑う間もなく、その温もりが指先を包む。
あまりにも自然で、洗練されていて、全てを浄化するほどに爽やかだ。
(……いや、無理)
後光による眩しさで、人の思考は焼き切れるものなのだと身をもって実感できた。
そして、それからの記憶はあるようで、無いような。
そもそも、アイドルオタクの私は男性と二人っきりで出かけたことがない。少女マンガみたいなシチュエーションに憧れはするけれど、現実ではそういったことに無縁だった。
だから、どれが正しい反応で、どんな風に振舞えばいいのか全くもってわからなかった。
ましてや相手は、れっきとした本物の『王子様』だ。
普通の男性じゃないし、失礼な態度をとって機嫌を損ねてしまったら国にいられなくなってしまうかもしれない。
なんだけど、なんだけど……!
「美味しい?」
「は、はい……」
嘘です。アイスの味なんてわかりません。
アレクシウス王子の存在だけで、こっちが溶けそうです。
手渡されたアイスを口に運びながら、隣で同じように頬張る横顔を盗み見る。
王子様が外を出歩くなら、護衛が何人も付き従うはずだと思っていた。
ところが、彼らは姿をひそめて離れて待機しているという。
そのおかげで、今の私たちは、普通の男女のように、二人きりで街を歩いている。
気ままに店先を覗いたり、こんな風に露店のアイスを買ったり、緊張しっぱなしの私をリードしてくれる、王子様。
あまりにも上手くいきすぎている気がして、少しだけ落ち着かない。
それに、こんなに整った顔立ちの人が歩いていれば、女性たちがざわつきそうなのに、その気配もない。
「あれ、気に入らなかった?」
「いっ、いえ! そんなことないです。ただ、その……なんで普通に歩けるのかなって」
私の意図を数秒考えた王子は「あぁ」と頷き、肩にかけた緑色のマントをひらりと揺らす。
「このマントのおかげだよ」
それは姿を自在に変えられる特注製で、私以外の人から彼を見たら、全くの別人に見えるらしい。
特殊な魔術式が織り込まれていて、マントを外したら変身は解けてしまうけれど、つけている間は外見的には区別がつきにくい。
先ほど貴金属店では外していたけれど、それは御用達の場所だったからだ。すぐに店員が察していた様子に、普段から身に着けて歩いていることが伝わってきた。
「これがあれば、時々こうして街に出られるんだ……身分は、時に邪魔だからね」
軽く言ったつもりなのかもしれない。
けれど、その目の奥には、ふっと陰が差していた。
絵にかいたような完璧で理想の王子様。
けれど、一緒にいた時間のなかで感じたのは、迷いを皮肉に変えて笑顔で誤魔化す人のように思えた。
王子様も同じ、アイドルのように弱音や愚痴を吐くことをしない、誰かの期待を背負って先導する偶像崇拝の結晶だ。
私たちファンは、そのキラキラを尊いと思い、応援する。薄っすらとその頑張りが伝わってくるから。
この人もきっと、見えないところで何かを抱えてる。そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ苦しくなった。
「食べ終わったら、少し歩こうか。見せたい場所があるんだ」
そう言って歩き出す背中が、ほんの少しだけ寂しげに揺れる。
私だけが、その小さな影に気づいてしまった。
*
「わぁ……すごい!」
王子が連れてきてくれたのは、街をぐるりと囲む城壁の上。
その中でもひときわ高い塔の頂で、夕日が沈む直前。清々しいまでに晴れていた空が、オレンジ色に染まっていく。
歩いてきた道もひと際強く輝き、緊張から始まった一日も気が付けば、終わりのときを教えてくれるようだった。
「ここに来ると、全部が見えるんだ」
アレクシウス王子のどこか乾いた声の響き。
少し冷たい夜風が頬を撫でる。
「だからかな。このすべてを背負えるのか……って、たまに思うんだ」
遠くを見つめるその瞳は、どれほど先を見据えているのだろう。
きっと、私には到底及ばないところまで考えているに違いない。
今回の演奏会だって、演出の助言に魔術士団への手配、貴族たちとの交渉──ほとんどすべてに抜かりなく目を向けていた。
本当に、すごい人だと思う。
近くにいるほど、その差がはっきり見えてしまう。
「……あ、アレクシウス王子ならできますよ」
私の根拠のない台詞に、王子は小さく「そうだね」と呟いた。
他にかけるべき言葉が出てこなくて、上辺だけ取り繕ったものでは意味がないことぐらい、自分自身が一番よくわかっている。
志の高い人にとって『できる』は当たり前のことだ。そんな陳腐なことしか言えない歯がゆさに、悔しさがこみ上げてくる。
少しずつ日が落ちて、薄い朱色、白、灰色がかった青から濃紺へ。
ぽつり、ぽつりと街に明かりがつき始めて、夜のとばりがゆっくりと降りていく。
どうして彼がここに連れてきてくれたのか。
誰もいない塔のてっぺんで、守るべき国を見つめなおす場所に私を招いてくれたのは、きっと何か意図があるはずだ。
どうしようもないくらい胸を締めつけられる。その痛みの正体も、応えられるのかも、わからないけれど。
「演奏会のとき、五重奏って言ってもらえて、私、すごく嬉しかったです。ずっと何もできないままなんじゃないか、って思っていたから」
この世界に来た時、私は本当に無力だった。
薄明竜と契約しても不安で、演出なんて大それたことなんて出来ないとすら思えた。
でも、やってみたい、諦めたくない、って思えたのは、自分の“好き”を手放したくなかったからだ。
最初に打ち立てたセルフプロデュース計画だって、アイドルたちがいたから今の自分があると信じている。
「だから、また演奏会やりたいっていうなら演出させて下さい。それこそ、五重でも六重奏でも、オーケストラでも。まだ上手に演出はできないかもしれませんけれど、えっと、頑張ります!」
自然と両手に力がこもる。
まだ、人の反応が怖くて、言えないことの方が多い。
それでも、何とか踏み出せたのは、この人のおかげだ。
「それに……アレクシウス王子の演奏会、とっても楽しかったんです。だから――また、共演させてくれませんか? 一緒に頑張りたいんです」
心臓が痛いほど跳ねる。
静まれと願いながら、こんなに緊張するくらいなら言わなければよかったと一瞬だけ後悔した。
そのとき、夕日が沈む寸前の光が王子の背後で輝いた。
震えながらも伝えた気持ちに、彼は少し目を見開いたあと、ゆっくりと噛み締めるように瞳を閉じる。
やがて泣き笑いのような、これまで見たことのない表情が、太陽よりも鮮明に色濃く心に焼きついた。
「……ありがとう、ハルカ」
その瞬間、明星の光が闇夜に冴え渡る。
思わず、目を細めてしまうほどに。
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