第15話 打ち合わせ
静かな日々の終わりを告げるように、私の部屋の扉はノックされた。
朝の陽ざしに透ける金色の髪がまぶしく、それは魔法とも人工の光とも違う輝きに、目が眩むほどだった。
彼が主催する演奏会は、来月半ばに控えており、あれからすぐに打ち合わせを行うことになった。
“留学帰国記念演奏会”と題された今回の催しは、弦楽四重奏による演奏で、王子の帰国を祝うものだ。
演奏メンバーは、宮廷楽団の中から選ばれる予定だった。けれど実際には、私の魔法による演出を考慮し、王子が直々に選抜。さらに彼自身も、ファーストヴァイオリンとして一曲演奏に加わることとなった。
王子自らが演奏者として舞台に立つなんて、普通ならありえない。けれど、庭園で見たあの姿を思い出すと、彼はそういう人なのだと妙に納得してしまった。
それに本来は、盛大な舞踏会が開かれてもおかしくないらしい。けれど、王子自らがそれを辞退。周りから「せめて、演奏会程度は……」と言われて、開催することにしたようだ。招待客も二十名ほどの貴族に限定。演奏のあとはささやかなお茶会で締めくくられるという。
「――おかしな話だよね。たかが帰国程度で、お祝いだなんてさ」
アレクシウス王子は、少し肩をすくめて苦笑する。
そして、今朝は私を迎えに、わざわざ竜の塔まで来てくれたのだ。
穏やかな笑みをたたえながら、エスコートしてくれる様は、まさに王子様そのもの。
召喚された日に出会った、ウィリオット王子とは真逆すぎて、本当に兄弟なのか疑わしいくらいだ。
そんな私の疑問を感じ取ったのかサラリと「異母兄弟なんだ」と教えてくれた。現王妃は、ウィリオット王子のお母さんだそうだ。
それを聞いて私もすんなりと納得できた。
弟の方は、厳つい顔で高圧的な雰囲気。硬派な無頼系は、パフォーマーとしてなら映えるかもしれないけれど、威圧感が強すぎて目の前に立たれたら、顔もあげられない。
だからといって、兄はどうかと言われると、彼は彼でキラキラしすぎて、真正面から見たら浄化されてしまいそうだ。
なので、私はやや下を向きつつ頷くだけで精一杯。彼の気遣いが逆に緊張感を増長させて、冷や汗が止まらない。
これから宮廷楽団の人たちに会うというのに、早くも塔に戻りたくなってきた。
けれど、スマートな案内のおかげで、打ち合わせや練習に使う部屋に滞りなく到着した。
私の心臓とは裏腹に、軽やかなノックと共に扉がゆっくりと開かれた。
すでに四重奏のメンバーたちは部屋にそろっており、一斉に視線が向けられる。
「皆、おはよう。今回は急なお願いに応じてくれて、本当にありがとう」
「いえ、王太子殿下のご要望とあらば、いかなる命にも、我ら宮廷楽団一同、誠心誠意お応えいたします」
静かな低音で、きっちりと応じたのは、短く刈り上げた髪の、がっしりした体格の男性だった。
20代半ばほどだろうか。凛々しく整った顔立ちで、責任感の強さが表情ににじんでいる。明らかに、リーダー格の人物だ。
彼こそが、宮廷楽団のファーストヴァイオリンを担当するロベルト・アッカルドさん。真面目そうな空気を纏った彼を皮切りに、メンバー紹介が始まった。
セカンドヴァイオリンはミディーナが担当。見知った顔がいるだけで、少しだけ肩の力が抜ける。
ビオラはエレナ・レガッツィさん。髪をシニョンでキツくまとめあげた淑女といった人だ。知的な眼鏡の奥の視線まで鋭そう。
チェロの担当はマウロ・キエーザさん。ふにゃっと笑って間延びした口調で頭を下げる姿に、張りつめた空気が少し和らぐ。
以上が、今回のカルテットメンバー。
ひと目見ただけで、全員が一流だとわかる。国のトップに所属する、自分の音楽に誇りを持つ人だけが纏う空気が、そこにあった。
私も緊張しながら、深くお辞儀をして挨拶する。
事前にアレクシウス王子からは、魔法演出の簡単なデモンストレーションを求められていた。
言葉で説明するよりも、実際に見せた方が、理解はずっと早いからだ。
王子が静かに調弦をはじめる。
同時に、室内の光をやわらげるため、レースカーテンを下ろして、ほんのりと部屋を薄暗くした。
ドキドキ、と心臓が飛び出そうなのを奥歯で噛みしめて、不安で涙がこぼれそうになるのを唇で引き締める。
ミディーナやアレクシウス王子のときとは、まるで違う。プロによって見定められると思うだけで、手が震えて集中できない。
(どうしよう……)
スッと耳に届いたのは、ヴァイオリンの音色だった。
星空輝く、薔薇の庭園で聞いた彼の旋律は、美しくも切なく、それでいて彼の本質的な何かを教えてくれるようだった。
だから――魅せたいと思ったのだ。
深呼吸して、手のひらに小さな青い光球を生み出す。
アレクシウス王子に目線を送ると、彼は静かに頷き、更に弓を動かし始めた。
私も、それに呼応するように両手の平を広げて拡散していく。
ゆるやかに旋回する青い光が、音に合わせてふわりと揺らして舞い上がる。
切なげな響きに、ちらちらと点滅する青い光が重なる。まるで、彼の周りで星屑が呼吸をしているようだった。
――最後の音がスッと空気に溶けて消えると、「なるほど」「まぁ……」と小さな感嘆の声がいくつか漏れた。
その声に少し期待をしながら、メンバーの方を振り返る。
ミディーナは満足げに微笑み、マウロさんも楽し気に頷いていた。
けれどロベルトさんとエレナさんは、どこか引っかかるような表情を浮かべていた。
今まで好意的な空気だっただけに、その曇った表情が胸に刺さる。
何がいけなかったのだろうか。
恐る恐るカーテンを開けて部屋を明るくすると、ふたりの顔の陰影がはっきりと浮かび上がった。
「ロベルト、率直に言ってくれて構わないよ」
アレクシウス王子の一言に、ロベルトさんは眉間に深くシワを寄せながら、重々しく口を開いた。
「……恐れながら。まず、見た目は幻想的で、美しさもございました。殿下のまわりに光が舞う様は、確かに印象的でありました。ですが……慣れの問題もありましょうが、演奏への集中が削がれる恐れがございます」
ちらりと私に視線を送る。その表情が、すでに答えを告げていた。
「また……我らの音に魔法を重ねるというのは、精緻な練度を要します。万が一にも、舞台に不協和音が生じては、殿下の帰国を祝う晴れの日に傷がつくのではないかと危惧しております」
演奏会に泥を塗るわけにはいかない。
プロとしての矜持を告げられると、反論することはできない。
さらにエレナさんも静かに手を挙げた。
「私からも、ひとつよろしいでしょうか?」
王子の視線を受けて、彼女は語る。
「視覚による彩りそのものを否定するつもりはございません。ですが、装飾に頼りすぎては、肝心の調べが濁ってしまいますわ。私たちの演奏は、音で色彩すらも表現できると自負しております」
凛とした微笑みに真っ直ぐな言葉。
彼女が手に持つビオラが艶やかに光り、それを雄弁に物語るようだ。
確かに、光魔法は演者の手元や視界に干渉する可能性もある。
ライトで演出するのが当たり前だった私にとって、それは無意識の常識だった。
ギタリストもベーシストも、激しいストロボに耐えられていたのは、それだけ場数を踏んでいたからだ。
プロが心血を注いできた領域に、素人の私が土足で踏み込もうとしていたのではないか。そんな恐怖が足元から這い上がってくる。
「――でも、そのあたりは調整できますよね? 私たちなら」
静寂を破ったのは、ミディーナの明るい声だった。
彼女は私の震える肩にそっと手をおくと、ロベルトさんたちを真っ直ぐに見据えた。
「ハルカの光は、音を奪うものじゃありません。むしろ、私たちの音がどこまで届くのか、その『道しるべ』になってくれるんです。ね、ハルカ?」
向けられた瞳に、私はハッとする。
そうだ。私がやりたいのは、彼女たちの邪魔をすることじゃない。
ミディーナの演奏だけでも、十分に素晴らしいものだった。それが重なり広がる。それを想像するだけで、私の震えは別のものへと変わっていく。
ライブの最後、演者と観客が一体になっていく、あの感覚。会場が一つの光になった、あの瞬間。
あれをこの世界でもう一度見たい。折れかけた心が、ミディーナの声によって繋ぎ止められた。
「……今度は、皆さんの演奏を聴かせてください。私、どうしても演出したいんです! 魔法を、かけさせてください」
声はまだ少し震えていたけれど、視線だけは逸らさなかった。
ロベルトさんとエレナさんは顔を見合わせる。
渋い表情のまま、その考えが変わったようには見えない。
「……その前に、我らの音をお聴きいただきましょう。演出が不要か否か――判断するのは、それからでも遅くはないかと」
動き出す弓の音。
目を見開いて、耳に意識を集中して、全身で極上の響きを感じる。
ここからが、私の本当の戦いだ。




