第164話 原初の記憶
覚醒都市バイカルヴェイ南部。教育棟ビル屋上。
明かりを取り戻したビル群を背景に、二人は向き合う。
戦う流れは避けられず、直接的な原因を作ったのは白軍大尉。
「――楽に果ててくれるなよ!!!」
セルゲイは亀裂が入った床を蹴りつけ、戦闘を開始した。
すでに黒いセンスは全身に纏われており、右拳を振りかぶる。
「…………」
青いセンスを纏うエミリアは左足にセンスを集中。
襲い来る巨漢に恐れることなく、真っ向から立ち向かう。
体格差は歴然ながら、その差を感じさせない振る舞いを見せた。
「「――――っっ!!!!!」」
満を持してぶつかり合うのは、拳と蹴り。センスとセンス。
波長が合わない二人の間に生じるのは、調和が取れた光の粒子。
色が混ざり合うことはないものの、反発することなく、周囲に飛散。
物理攻撃を反射するセルゲイの鎧をすり抜けて、相互理解を加速させた。
◇◇◇
イギリス国王の血を引く子供は、二つに選別される。
嫡出子か、非嫡出子か。王妃の子供か、それ以外の子供か。
待遇には天と地ほどの差があり、生まれて間もなく差別が始まる。
「腹が違うだけでコレ……ねぇ。悲惨な運命に同情しちゃうわぁ」
メイド服を着る紫髪の若い乳母は、ベビーカーを押す。
バッキンガム宮殿内の廊下を進み、生まれたての赤ん坊に呟く。
言葉が通じるわけもなく、国王の非嫡出子は、特別な部屋に運ばれる。
「…………」
乳母が訪れたのは、鏡が無数に置かれた部屋だった。
十二角形の構造で、それぞれが合わせ鏡になるように配置。
ベビーカーから赤ん坊を取り出した乳母は、一つの鏡に向け語る。
「鏡よ鏡よ鏡さん。どうか、この恵まれない子に幸あらんことを」
それが、非嫡出子『エミリア・アーサー』の原初の記憶。
生まれ育ったのは宮殿ではなく、外界から遮断された鏡の中だった。
◇◇◇
国王の正当な子には、『フォン』という爵位がつく。
元々はドイツ語圏の貴族の間に使われていた称号らしい。
隣国から影響を受けたと考えれば自然だけど、やや疑問が残る。
「ローラ先生、質問してもよろしいでしょうか」
鏡面世界に展開されるのは、偽りの教室。
そこで片手を上げるのは、少女時代のエミリア。
スカートと上衣が一体となった白基調のドレスを着る。
金髪に碧眼は変わらずとも、髪は短く、顔は幼く、背は低い。
「はぁい、どうぞぉ。なんでも聞いて頂戴」
対面しているのは、教壇に立つ長い紫髪の女性ローラ。
紫色のローブ服に身を包んで、紫色のとんがり帽子を被る。
鏡の中に存在する唯一の人であり、師であり、話し相手だった。
「嫡出子の爵位である『フォン』はドイツが由来ですが、同時にイギリスの敵国。由緒ある王室の歴史に隣国の文化が介入するのは疑問が残ります。祖国の伝統を重んじるのであれば、『オブ』が一般的ではないのでしょうか?」
エミリアが気兼ねなく質問したのは、名前の違和感。
事実がなんにせよ、ドイツに敬意を持つ風習なのが鼻についた。
「今は敵かもしれないけど、昔はそうじゃない。と言えばいいかしらぁ。イギリス王室もドイツ貴族も一枚岩じゃないのよ。地理的に近いのもあって、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってる。意味は……子供でもなんとなく分かるでしょ?」
ローラは珍しく言葉を濁し、抽象的な表現で誤魔化す。
ようするに、ドイツの貴族が王家の血筋に入り込んだらしい。
その当時の名残。誰かが起点となり『フォン』という名が浸透した。
――ただ、気になるのは原因。
「概ね理解できますが、一体どこのどなたなのでしょう。イギリス王室に割って入り、ドイツの爵位をねじ込み、伝統を軽んじる不届き者は」
エミリアは恐れることなく、問題の本質に迫る。
その答えを彼女が知っているのは、空気感で分かった。
「あー、えっと……」
心当たりがあると言わんばかりに、ローラは視線を逸らす。
気まずそうに見せ、頭の中では必死に言い訳を考えているはず。
「知っているならお答えください、先生。原因は誰なのですか」
椅子から立ち上がり、教壇に迫り、ローラの顎を掴む。
無礼を承知で顔の向きを変え、目線を合わせ、問い詰めた。
困惑の表情が見えるものの、覚悟を決めたのか顔を引き締める。
彼女は深い溜息をこぼし、「ここだけの秘密よ」と言って、語り出す。
「原因はワタシ。ローラ・フォン・ノルトハイム。初代王マーリンの妻であり、歴史的に考えれば、イギリス王室における祖母って、ところねぇ」




