第160話 努力
未明の砂漠地帯。夜空が薄紫に染まる頃。
『地獄の門』前で座り、話し合うのは少年少女。
十代そこそこの子供が頭を悩ませ、課題に向き合う。
未成熟というか、青い果実というか、初々しいというか。
今この時、この瞬間しか体験できない高い壁に直面している。
(いくらでも苦しむがイイヨ。それがいずれ財産にナル……)
手心を加えたい気持ちに駆られるも、蓮玲は自我を抑える。
子の成長を願う気持ちが分かるからこそ、一切の加減はできない。
「「…………」」
すると、二人は立ち上がり、真剣な眼差しを向ける。
敵意や害意はなく自然体。驕りや高ぶりは感じられない。
意思を纏うことはないものの、揺るぎない自信に満ち溢れる。
「突破口は見えタカ?」
蓮玲は最小限の情報量で意思疎通を図る。
この場において、情も手心も馴れ合いも不要。
下手な関係を構築するのは、無粋だと心得ていた。
「何事も習うより慣れろってね」
「試行錯誤に付き合ってもらうぞ、女悪魔」
少女は肩を回し、少年は屈伸し、意気揚々と言い放つ。
先ほどと同じようで違う。その空気を早くも感じ取っていた。
◇◇◇
中国の道教神話には『縮地』という移動法がある。
地脈を縮め、距離を短くする仙術だと伝えられている。
見る側の視点の場合、瞬間移動やワープしたように感じる。
――あの長耳女は『それ』をやってのけた。
意思の力を用いることもなく、瞬間的に移動した。
肉体の動きだけでは説明がつかず、『縮地』と断じた。
その上で考えた。果たして、僕たちに再現は不可能なのか。
「…………っっっ」
「…………っっっ」
試しては転ぶ。何度だって転ぶ。自ら望んで前に転ぶ。
膝を擦りむいても立ち上がる。砂にまみれても起き上がる。
人間とはそういうもんだ。赤ん坊が歩き方を覚える過程と同じ。
できなくて当然。分からないのが普通。上手くいかなくて当たり前。
才能なんて関係ない。泥臭く、血の滲む努力の果てにようやく手が届く。
奇跡も魔法も魔術も仙術も意思の力も必要ない。身を委ねるのは自然の摂理。
「――――」
掴みかけるのは些細な手応え。足運びの微妙な違和感。
悪魔の身には届かないものの、失敗がフィードバックされる。
「……はぁ、はぁ。分かってはいたけど、きっついなぁ」
隣で転ぶサーラは、息を切らして愚痴をこぼしている。
気持ちはよく分かる。失敗続きで、終わりは見えてこない。
穴を掘って、埋める。意味のない刑務作業を続けるようなもの。
転ぶ度に正しいのか、このままでいいのか、という葛藤に苛まれる。
時間もそれなりに経過し、夜明けも近く、嫌気が差すにはいい頃合いだ。
「コツは……『重力』だ。それに身を委ねるだけでいい」
そこに垂らしてやったのは、一滴の水。
比喩ではなく、ペットボトルの水をこぼした。
ポタリと砂の海に落ちるが、渇きが潤うことはない。
それこそ自然の摂理だったが、注目すべきは結果より過程。
「え? そんな単純なこと? いや、まさか……でも……」
「疑問も理屈も考証も後回しだ。習うより慣れろじゃなかったのか?」
思考の迷路に迷うサーラに対して、助言を与える。
僕も核心を掴んだわけじゃないが、何かあるのは確か。
少なくとも、何も考えずに転ぶよりかは生産的ではあった。
「それも、そうだね。……よっしっ! じゃあ、いっちょやってみようか!!」
助言を受け入れ、頬を両手で叩き、サーラは気合いを入れ直す。
後は精度の高い失敗を積むだけ。互いの方向性は完全に一致していた。
◇◇◇
転ぶ。転ぶ。転ぶ。数えきれないほど転び続ける。
パオロの助言に従って、地球の『重力』に身を委ねる。
地平線が赤く滲んできた頃、たどりついたのは新たな境地。
足を踏み込むというより、地面に倒れ込むようにして前に進む。
そうすると平行に進む。『重力』の流れに沿いつつ、ベクトルが伴う。
無理して力を入れるよりも、体感では数倍から数十倍の敏捷性を獲得する。
「「――――」」
これが『縮地』。理解したと同時に、二人の手は届く。
正体不明の女悪魔の肩を掴み、立ちはだかる壁を突破する。
「通ってヨシ。堂々と胸を張って、悪魔界を体験するとイイヨ」
朝日を背にして、女悪魔は潔く道を明け渡す。
約束を律儀に守り、フェアな態度を最後まで貫く。
「ありがと。遠慮なく進ませてもらうけど、名前を聞いといてもいい?」
悪魔だからではなく、いち生命体として興味が湧いた。
個性や素性は明らかじゃないものの、悪いタイプじゃない。
知りたいという欲求が高まり、社交辞令じゃなく本心で尋ねた。
「アタイは悪魔界における円卓の騎士。十二貴族の一員であり、第一級悪魔の蓮玲。お前たちが相手にしたのは、上澄みも上澄みダ。そんじょそこらの相手には後れを取ることはないダロウ。ただ、気をツケロ。悪魔界は腕っぷしが全てじゃナイ。『環境』に適応し、『取引』が上手いヤツが生き残る世界。心してカカレ」
蓮玲は名乗りに加え、必要以上の注意事項を告げる。
厳しく振る舞っているものの、その甘さが滲み出ていた。
「さんきゅー、ついでに名乗っとくけど、わたしはエリーゼ・フォン・アーサー。白教の元教皇で、『ブラックスワン』に監視されてる要注意人物。ほんの少しの迷いがあったら、大聖堂で謁見する可能性もあったかもね」
信用できると見込んで、名乗ったのは本名と以前の肩書き。
あったかもしれない話を織り交ぜて、人としての礼儀を果たす。
「僕はパオロ・アーサー。こいつのお目付け役で腹違いの兄妹だ。お前とは何の接点もないだろうが、ここで少ない時間を共有できたことを嬉しく思う。出来ることなら今後、敵対しないことを願いたいね」
パオロも端的に自己紹介と感想を告げ、前に進む。
そこで会話は終了し、足元に広がるのは底が見えない穴。
「心の準備はいい?」
「もちろんだ。タイミングはお前に合わせる」
最低限の装備、最低限の会話で、地獄に飛び込む覚悟を決める。
他に話すことはなく、情報共有は済んでいて、道は一つしか存在しない。
「分かった。じゃあ、行くよ……。せーのっ!!!!」
ありきたりな掛け声とともに、少年少女は跳躍する。
未踏の地に向かい、あてのない冒険が始まろうとしていた。




