第148話 絶対象
絶対象。20世紀初頭に生まれたロシアの前衛芸術の一つ。
抽象性を徹底して、『芸術における客観的対象の否定』を掲げる。
円、線、四角形などの幾何学的形態と、限られた色彩だけで表現する。
――ソーニャが表現する場合はどうか。
何を残し、何を省くか。何に主眼を置き、何を抽象化するか。
それは彼女の自由であり、感じたものを表現してこそ芸術となる。
「………………」
ソーニャの眼前に広がるのは、『黒の上の白』。
停電がもたらす黒を背景に、白の結界が武舞台になる。
能力が発動する前と変わらず、すでに風景は抽象化されていた。
ただ、異なる点があるとすれば――。
「世界の二次元化か。奥行きや遠近感がなくなり、直線的動きを強要する仕組みに見える。懸念点は……対象が私だけの場合かね。主観の都合上、一次元的な戦いを強要される中で、三次元的な動きをされれば文字通り手も足もでない」
平面的な形となったドミトリーは、冷静に現状を分析する。
絵の中の人間が動くような状態で、可動域は左右と上下に限定。
彼の視点を通した場合、ソーニャの姿は縦の直線。一次元的だった。
直線の色が異なるのみで、攻撃や予備動作を認識することは極めて困難。
白や黒の背景に同化しない髪や肌の色の動きを見定め、ようやく対処できる。
「安心しなよ。私たちの条件は同じ。……ただし」
ソーニャは勿体ぶるように告げ、行動を開始。
右に駆け、紫色のセンスを纏い、拳を振りかぶる。
二次元的に見れば、直線的な動きであり、単調な体術。
意思能力戦に心得があれば、誰でも対処できるような悪手。
――しかし。
「…………っ!!!」
当たる。顔面に直撃する。戦闘経験豊富な元帥の意表を突く。
相手の体力とセンスを着実に削り、ソーニャは続く言葉を語った。
「ここでの戦いは誰よりも慣れてる。逆立ちしても絶対勝てないんだから」
◇◇◇
覚醒都市バイカルヴェイ上空。観客席。
白い結界が足場と座席を作り、座るのは五名。
リーチェ、エミリア、オレグ、ターニャ、ベクター。
そして、遅れてやってきたイゴールが席に腰をかけていく。
「元帥が劣勢? そんなまさか……」
経緯を知らない彼は、困惑の表情を浮かべていた。
実際、あんな単調な攻撃に当たる使い手の方が少ない。
それも元帥ともあろう方なら、見切れないはずがなかった。
「恐らくあれは、ソーニャの意思能力のせいだろうね」
「接触型で発動する状態異常系……詳細は今のところ分かんないな」
オレグとターニャは起きた事実を基に、状況を考察する。
「中での会話が聞ければよいのですが……」
「結界内の音は拾えない……。見て判断するしかなさそうだな……」
次にエミリアとベクターが反応し、場は納得した空気が流れる。
それぞれが見入るように決闘を観戦する中、リーチェは一人沈黙を保つ。
(そうじゃない。問題の本質はもっと……)
戦場を見つめがら、遠い目をして、物思いに耽る。
その意識は、目の前の光景ではなく、過去に向いていた。
◇◇◇
奥行きのない線が動き、気付けば拳を食らっている。
一次元的に見える視野角では、前動作が全く分からない。
向こうは慣れている節があり、防戦一方な展開が続いていた。
「へいへいへい。どうしたの? 元帥ともあろう方がその程度?」
ソーニャは煽り立てるように語り、乱打を浴びせる。
センスで防御してはいるものの、狙いが上手く絞れない。
全身を満遍なく覆う。それでどうにか攻防が成り立っていた。
しかし、燃費が悪く、センスは目減りする一方で長くはもたない。
――このままいけば、先に尽きるのは私だ。
遅かれ早かれ、勝敗条件が満たされることになるだろう。
そうなれば、彼女の目的は分からないまま、有耶無耶にされる。
都市の影響と肩書きの重さを考えれば、負けるわけにはいかなかった。
「忠告しておこう。私が本腰を入れた戦闘で、ひれ伏さなかった者はいない」
無数の拳を受けながら、あえて私は言い放つ。
二次元的な絵ですらない相手に対し、真剣に接する。
「前例がないなら、今日がその時――」
ソーニャは戯言を止め、気配が遠のいたを感じる。
視覚では感知できないものの、意思の力で感じ取れた。
条件は相手も同じだが、ソーニャが感じたものは別にある。
「獣の臭い……。ようやく、『妖猿』のお出ましってわけね」
その正体を口にし、戦いは更なる加速を果たす。




