第125話 全力
両手をかざし、受け止める。見ず知らずの人をかばう。
善人だからじゃない。優れた情操教育を受けたからでもない。
闘うべき理由がある。向き合わなければならない人が目の前にいる。
「ソーニャ・カラシニコフ! 約束を破るなら、僕は君を倒さなきゃならない!」
先走る思いが、過程を省略し、強い言葉に代わる。
視線の先にいるのは、同じクラスに属している同級生。
右手をかざし、敵意とセンスを露わにする短い銀髪の少女。
彼女は手を緩めることなく、僕の忠告に対し、返事をよこした。
「調子に乗りすぎよ、ジーノ・ロマノフ! 私に一度も勝てことないくせに!!」
交渉は決裂。ソーニャは左手を向け、新たな攻撃を仕掛ける。
周囲の影が蠢き、手の形を模して、全方位から襲い掛かってくる。
防戦一方の状態での奇襲。このまま何もしなければ捕縛されて終わり。
覚えのない異能力だったけど、性質は明らか。使える理由は定かじゃない。
(能力の考察は後回しだ。直感に身を任せる。無駄な情報はいらない)
疑問を解消するよりも、戦闘に意識を集中させる。
深く考える時間はなく、判断と行動はコンマ一秒を争う。
頭と身体を切り離す。その作業をしなければ、お話にならない。
――相手がソーニャなら尚更だ。
ここは、チェスのような時間をかけて戦略を競う場じゃない。
思考の瞬発力と判断力と行動力。それらが問われる戦術が重視される。
「…………借りるよ、君の力!」
僕は迷うことなく、惜しむことなく、目の前に全力を注ぐ。
その言葉に応じ、身体は変容し、額に白角を生やす獣人に変化。
白く染まりつつある髪は伸び、肉体は2メートル程度にまで発達する。
――状態3。
『対話』によって会得した、新たな戦闘スタイル。
暴走を伴うことはなく、主導権は僕の支配下にあった。
センスの絶対量が増大し、奇襲に意識を回す余裕が生まれる。
「――――――――」
両手で受けていた攻撃を弾き、地面を駆ける。
迫り来る影を屈み、跳び、蹴り、身を躱し、避ける。
勢いが衰えないまま距離を詰め、入るのは手足が届く領域。
――『魔獣化』してない彼女には勝てる。
根拠のある自信を乗せて、凶行に及んだ同級生に横蹴りを放つ。
気心が知れた仲だからこそ加減はせず、ソーニャの実力を信用した。
「……ッ」
しかし、目に飛び込んできたのは、無防備な少女。
センスを纏わず、迎撃する素振りも見せず、隙だらけ。
いくらソーニャでも、素の肉体で耐えられる威力じゃない。
――直撃=死。
頭には余計な考えがチラつき、迷いが生まれる。
続けるか、止めるか、加減をするか。浮かぶのは三択。
攻めているはずなのに、守りに回ったような錯覚さえ覚える。
(迷うな、初志を貫け、ソーニャが手を抜くわけがない!!)
正しいか間違ってるかは考えず、自らの直感に従う。
誰よりも知っている相手だからこそ、出せる全力で応じた。
放たれた蹴りは勢い衰えることなく、無防備な少女の元へと迫る。
「――――」
それを見届けたソーニャは、余裕の笑みを浮かべている。
期待通りだったか、期待以上だったのか、期待外れだったか。
すぐに答えは分かる。次に繰り出す行動によって、明らかになる。
「燦爛と輝く命の煌めきよ、幽々たる深淵に覆われ、虚空の闇へと堕ちよ――」
聞こえてきたのは、馴染みのない言葉。
放った蹴りよりも早く、詠唱は行われていく。
――時間的矛盾。
そこに考えを巡らせる余裕もないまま、時は加速する。
一方的にソーニャが動き、両手に纏われたのは、『布手袋』。
右手が白。左手が黒。双方の手の甲には十字の刺繍が施される。
詳細不明の中、蹴りが彼女の身を捉えようとした時、それは起きた。
「――独創世界『永遠の国』」
僕と彼女と覚醒都市は、影に飲み込まれる。
対象は2人じゃなく、25万人の都市民と余所者全員。
全力の蹴りが届いた頃には、世界の法則は改変されていた。
「――――???」
まず感じたのは、ぐにょりという奇妙な感触。
スライム状の物体を蹴りつけたような感じだった。
手応えはなく、物理的ダメージが通っている気がしない。
「1935年。オーストリアの物理学者が発表した思考実験は知ってる?」
蹴りを胴体に受けたソーニャは、何でもないように言った。
やせ我慢をしているような素振りはなく、まるで効いていない。
だからこそ、『対話』の価値が上がる。今ので無理なら探るしかない。
「量子力学の『不完全性』を示す論文。物理的な性質は観測によらず決まり、光速以下の情報伝達しかできない『局所実在論』のアンチテーゼ。観測することで結果が確定し、観測できないものは結果が分からないと問題提起。50%の確率で毒ガスが発生する装置の中に猫を入れ、起動させる。『死んでいる』か『生きている』かは、中を観測するまで分からないことを例えに出したもの。名称は――」
読み込んだ論文の情報を基に、僕は質問に答える。
過程を補足した上で、最終的な結論を述べようとした時。
「シュレーディンガーの猫。それがこの空間に適用されるとしたら?」
ソーニャは表情を変えることなく、真顔で語る。
手応えがおかしい理由であり、厄介な能力の情報開示。
ネタばらしをしたところで、彼女の戦術的優位は揺るがない。
「観測できないものは結果が確定しない。つまり……誰も君を倒せない」
世界の観測から外れた場所で、僕は戦意を喪失した。
この空間は彼女の天下。誰も逆らえない独裁国家の誕生だ。




