第117話 誤算
ソーニャの内面世界。無限に奥行きが続く教室。
そこでは机が合わさり、向かい合うのは一人と一匹。
『魔獣化』の状態4を調伏するための試練が行われていた。
攻略法は『闘争』か『対話』の二択となり、後者が選ばれる。
「それで……メリッサのやりたいことってなんなの?」
ソーニャは落とした目線を上げ、問いかける。
『対話』をするには、まず相手を知らないといけない。
さっきの会話で興味が湧き、自然とそう考えるようになった。
今までずっと倒すべき敵だと思っていたけど、違うのかもしれない。
「魔獣としてのうちの場合、神になることが至上命題。生前に背負った業……七つの大罪で言うところの『嫉妬』の罪を清めるために、人々に『慈愛』をもたらす必要があるっす。わざわざ食われてやったのは、その一環とも言えるっすね」
そこで語られたのは、メリッサが秘める目的。
今までの発言を踏まえれば、整合性が取れている。
ただ気になるのは、『魔獣として』という余計な前置き。
目的に裏があると、自分から宣告しているようなものだった。
「筋は通ってるね。……でも、メリッサ個人としての場合は?」
目つきを鋭くさせ、ぶら下げられた餌にあえて食いつく。
『対話』の是非は、ここにかかってると言っても過言じゃない。
触れさせるのが彼女の狙いだとしたら、まんまと策にハマっていた。
「それは、うちの命に等しい。タダで教えてやるわけにはいかないっすね」
黒犬を模す獣人メリッサは、図々しくも内容を伏せる。
やっぱりね。さっきのは、交渉を有利に進めるための材料。
『情報』を引き合いに出して、何らかの『対価』を要求していた。
「聞くだけ聞いてあげる。……私の何が欲しいの?」
「三分。うちに人格権をくれないっすか。そうすりゃあ話すっす」
質問に対し、食いつくように明かされたのは、『対価』。
人格を明け渡しても、時間的にやれることには限りがある。
何をするつもりか知らないけど、都市が壊滅するほどじゃない。
最終的に状態4の調伏が可能になるなら、かなり割安のように思えた。
悪魔上がりの彼女なら約束は守るだろうし、ぼったくるつもりもないはず。
――だけど。
「その提案、乗ったげる。……その代わり、こっちにも一つ条件がある」
◇◇◇
眠る三つ頭の犬型魔獣に放たれたのは、風の斬撃。
体表面に纏われたセンスは消え、残る障害は肉体強度。
鋼鉄並みの硬さでも通用する。それぐらいの意思は込めた。
生半可な覚悟じゃなく、やりたいことを実現するために放った。
能力開発も上手く行き、精神は上り調子で、手応え的には過去最高。
『睡眠』デバフをかけ、状況的にも有利で、不利な要素が全く存在しない。
――勝てる。
慢心と思われてもいい。正直、負けるビジョンが見えない。
剣術、異能、センス、意思能力、それら全てが相互作用を生む。
持っていた要素の一つ一つが強固に結びつき、更なる成長を促した。
――いわば、人生の集大成。
まだまだ伸び代はあるけど、現状においての全力全開。
センスが失われた魔獣程度に、止められるわけがなかった。
『――――――』
しかし、誤算が生じた。最初から寝ていた頭の起床。
目を見開き、口を開けて、放たれるのは、紫に染まる火炎。
【火】の概念の消失。その影響を受けておらず、相性は最悪だった。
「…………っっ」
【風】は【火】の勢いを強める。それが自然の摂理。
ほんの一日前までは当たり前とされていた、世界の常識。
風の斬撃も例外じゃなく、勢いに飲み込まれ、紫炎が襲い来る。
「これは少々……面倒なものを呼び覚ましたようですね」
そこに入ったのは、女教師の援護防御。
二人の周囲を覆う結界を展開し、紫炎を防ぐ。
すでに先を見据えていて、正体に察しがついている。
「………………」
こっちはそれどころじゃない。簡単には割り切れない。
全力の一撃が通用しなかった。その事実が消化しきれてない。
助けてもらった礼も言わず、白い結界越しに犬型の魔獣を見つめた。
「挫折、ですか。【火】と【風】で相性は最悪。場を整え、弱点をついて眠らせ、万全の状態で放った全力をもってしても勝てない。……確かに状況は絶望的。逆転の手立てはないかもしれません。都合のいい援軍も望めないでしょう」
女教師が並べ立てるのは、おおよそ脳内で考えていたこと。
マイナスの材料ばかりが目につき、それが見事に言語化される。
言葉を差し挟む余地はなく、その勢いを保ったまま、彼女は続けた。
「ですが、たった一度の劣勢で全てを投げ出すおつもりですか?」
正論パンチ。弱腰になった心情を見抜き、背中を支えてくれる。
教師の肩書きを背負うだけはある。何も間違ったことは言ってない。
短期目線なら沈んでるかもしれないけど、長期目線なら大したことない。
人生に浮き沈みは付き物で、これまで何度も沈まされたけど乗り越えてきた。
――それでも。
「仰ることは分かりますが……アレに勝てるビジョンが見えません」
勝てると思えるかは全くの別物だった。
実力差は離れ、同じ手が通用するとは思えない。
「勝機が見えないのが普通。相手の動きを予測できないのが意思能力戦の基本。ですが、種は割れている。相手の能力の一部は明かされている。悪い条件と同じぐらい、良い条件は戦場に転がっております。問題は心の持ちよう。――100%勝つ気で挑む。それが、一流にたり得る意思能力者の気概。例え、才能や能力に恵まれなくとも、心強い味方となり、立場が違えば手強い敵ともなるでしょう。貴方はスタートラインに立ってすらいない。才能と能力には恵まれているようですが、落ち込む段階にいない。自分の実力を高く見積もり過ぎている。自分に期待しているからこそ、落胆が生まれる。驕り高ぶるのもいい加減になさい。貴方はセンスを覚え立ての赤ん坊。よちよち歩きを覚えるのが、人より早かったに過ぎません。そこに優劣を感じられるほど、貴方は厳しい鍛錬と豊かな人生経験を積んできたのですか?」
女教師が、まくし立てるように語ったのは、意思能力者としての心構え。
恐らく、基礎の基礎。頭では分かってたけど、身体は分かってなかった理論。
――腹落ちした。
足りてなかった。認識が甘かった。あまりにも驕っていた。
帝国の内閣総理大臣になったぐらいで、強くなったつもりでいた。
こんなところじゃ終われない。赤ん坊のままで歩みを止めるつもりはない。
――だから。
「………………………っっっ!!!」
パチンと両手で自分の頬を叩いて、発破を入れる。
弱腰だった自分を捨て去り、立ち向かうだけの気合を込める。
――そして。
「わたし、腑抜けてました。……絶対勝つので、力を貸してください!!!」
これが、第二ラウンドの始まり。不思議と負ける気はしなかった。




