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トリニティポータル  作者: 木山碧人
第八章 世界の終末

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第112話 他愛もない雑談

挿絵(By みてみん)





 広がるのは、無限に奥行きが続いている教室。


 座席に生徒はおらず、教壇には教師が存在しない。


 そんな現実離れした空間で、闘い続ける者たちがいた。


「――こんのっ!! いい加減倒れなさいよ!!!」


 空中で衝突するのは、小さな拳と鋭利な爪だった。


 片方はソーニャ。短い銀髪で毛先は真っすぐ揃えられる。


 容姿は十代、童顔で背は低く、白のブラウスとスカートを着る。

 

「…………」


 もう片方は、黒い犬を模した人型の魔獣。


 頭も尻尾も一つで、四本の手足で爪を振るう。


 状態3。人型を保ったまま、全身を魔獣化している。


 これは、完全な獣の状態4を支配するための試練だった。


 打ち勝てば、適合した魔獣細胞のコントロールが可能となる。


 逆に、試練を放置し続ければ、細胞は活性化し、やがて暴走する。


 魔獣化を多用するほど暴走のリスクは上がり、ソーニャは末期だった。


 ――試練の選択肢は『闘争』か『対話』の二択。


 どちらかが間違っているわけではなく、どちらも正しい。


 状態3の内に宿る魔獣を倒せば、暴走が制御できるのも事実。


 しかし、ソーニャが実力で劣っているのは疑いようがなかった。


「懲りないっすね。いい加減、諦めたらどうっすか?」


 右手の爪を弾き、距離を取った犬型の魔獣は尋ねる。


 終わりの見えない闘いに痺れを切らし、『対話』を促した。


「嫌。無理。ぜーったい投了はしない! というかさ、私とは付き合い長いでしょ? 一度、自分が始めたことを途中で投げ出すタイプに見える?」


「あー、そういうタイプじゃないっすね」


「分かってるなら、手加減するなり、いい感じに不意を突かれてよ!」


 食ってかかるように反論し、ソーニャは頑なに『闘争』を貫く。


 ただ、勝ち方にこだわりはなく、内なる魔獣に加減を要求する始末。


 劣っているのは重々承知で、焦りと意地だけが彼女を突き動かしていた。


「他愛もない雑談に付き合ってくれるなら、手加減してもいいっすよ?」


 犬型の魔獣は、迫る拳を爪で捌き、条件付きで話に応じる。


 どこか退屈そうにしており、あくび混じりで適当にあしらっていた。


「乗った! きちんと聞いてあげるから、終わったら両手封印ね」


 ソーニャは了承し、図々しくも自分から詳細を提示。


 すでに戦闘を止め、机を引っ付けて、対面する形を作る。


 そこにプライドは一切なく、靴を舐めそうな勢いさえあった。


「さて、じゃあ失礼してっと……。多世界解釈って知ってるっすか?」


 座席に腰かける犬型の魔獣は、尻尾を振り、雑談に興じる。


 話題に上がったのは、量子力学における観測問題の一つだった。


 本来、初等教育で習う範囲外。詳しい解説は専門的な知識を要する。


「世界は一つじゃなくて、選択の度にいくつも枝分かれしてるって理論でしょ。例えば、あなたが今『立つ』か『座る』かで、世界が二つに分かれる。立った世界と、座った世界、両方がどこかで同時に存在してるって感じね」


 しかし、特進クラスに属するソーニャは、平然と答える。


 聞きかじった知識ではなく、理論を自分に落とし込んでいた。


 専門的な用語を交えることなく、必要な情報を取捨選択している。


「へぇ……思ったより博識っすね。どこで習ったんすか? 1900年代初頭の文化レベルじゃ、まだ提唱されていない理論のはずなんすけど」


「覚醒都市は、外界の情報が完全に遮断されてるわけじゃない。視点を共有してるんだから、種は分かるでしょ」


「あぁ、なるほど、『アレ』っすか。確かに、今のは野暮な質問だったっすね。……とりあえず、『多世界解釈』を分かっている前提として、続きといかせてもらうっすけど、『単一世界解釈』という理論はご存じっすか?」


 犬型の魔獣が切り出したのは、似たような名称の理論。


「知らない。並行世界は存在せず、選択肢は一つしか存在しない……コペンハーゲン解釈を簡略化したもの?」


 ソーニャは膨大な知識の中から、類似するものを挙げる。


 この場に『座る』という結果があれば、『立つ』未来は消える。


 各々の選択は一つであり、宇宙は枝分かれしないとする理論だった。


「似て非なるものっすね。例えば、うちが『悪魔』になる未来と、『人間』に戻る未来があったとするっす。『多世界解釈』なら、どちらも別の宇宙で存在する。『コペンハーゲン解釈』なら、どちらか片方しか存在しないっす」


「そうなるね。『単一世界解釈』の場合は?」


「――同じ宇宙、同じ時間軸に、別々の選択をした世界が同時に存在する」


 犬型の魔獣が切り出したのは、理論の本質。


 他愛もない雑談に花を咲かせるメインテーマだった。


「つまり、私が『勝つ』未来を得ても、『負けた』未来が同時に進む?」


 ソーニャは、理論を自分のことに当てはめ、掘り下げる。


 席に座る姿勢は前のめりになり、先ほどと熱量が違っていた。


「そんな感じっす。……ただ、選択の度に起こるってわけでもなく、世界にとって重要な選択をした場合にのみ、自分の分身が増えるって感覚っすね。うちの予想では、悪魔界、煉獄界、天界に行く分岐の場合に起こると読んでるっす」


 犬型の魔獣が、ソーニャの発言を一部肯定し、続けたのは仮説。


 事実であれば、世界の核心に近付くような重要な話題になっている。


「……………………」


 ソーニャは否定も肯定もせず、思考に耽っていた。


 唇に手をあて、目線は合わせず、遠いところを見つめる。


「さて……他愛ない雑談もこれで終わり。要望通り加減してあげるっすよ」


 犬型の魔獣は、気にせず立ち上がり、両手を組む。


 ソーニャからしてみれば、願ってもないチャンスになる。


 ただ、席に座ったまま、立ち上がる様子はなく、思考を続ける。


「……待って。もう少し話したい。率直に言って興味が湧いた。名前があるなら聞かせてもらえる?」


 ようやく視線を上げると、ソーニャの思考は『対話』に傾く。


 内なる魔獣に耳を貸し、対等なコミュニケーションを図ろうとしていた。


「苗字は、臥せた龍に岡と書いて臥龍岡ながおか、名前はメリッサっす」


 犬型の魔獣は机を指でなぞりながら、事細かに名を開示する。


 『対話』は一歩前進するが、同時に現実の時間は秒針を刻み続けた。

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