第9話
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「お邪魔しまーす」
そう言って霞さんが私の部屋に上がる。
私はたどたどしくどうぞ、と告げリビングまで行くとその後ろを楽しそうについてくる気配がある。
現在時刻は一七時半を回ったところだ。
携帯ショップで幸也くんと別れた後、楓さんは私の部屋に来たいと言った。
正しくは私が髪をきちんと洗えているかチェックしたい、とのことだけれども。
リビングまで歩くと、ローテーブルの上には楓さんに買ってきてもらった化粧グッズが並んでいて、午前中のやり取りを思い出す。
――ええ!?化粧水使って無かったの!?
――んー、さすがに口紅はやりすぎだしなぁ・・・
結局、私は化粧についての知識などあまり無かったのだ。
メイク動画などを参考にしてやっていたつもりだったけれど、高校生の化粧にもそれなりにルールや線引きなどがあったらしく、どうにも私は「やりすぎだ」ということらしい。
まぁ、正直に言うとあまり美意識なども無いのだから、割とどうでもいいと思っていたけれど、楓さんにとっては結構な問題だったようだ。
そんなこんながあって、楓さんが急遽薬局に行って買ってきてくれたのだ。
私は自分でお金を出すと言ったのだけれど、「これは私の我儘だから」と言って楓さんは一人で足りないものを買ってきてくれた。
私はそれらの行動に対してごめんなさい、と頭を下げることしかできなくてなんだか悔しかった。
でも、
悔しいと思う半分、こうして私の面倒を見てくれる楓さんがとても頼もしく見えて、そんな彼女に世話をしてもらっていると思うとなんだか嬉しかった。
これが、友達なのかな
でも、なんだか世話をしてくれるばかりで自分が何もできないのもとても歯がゆい。
私も、何かお返しがしたい。
「霞さん?どうかした?」
「なん・・・でも・・・な・・・い・・・」
気づいたら楓さんがすぐ隣にいて、心配そうな顔でこちらを顔を覗き込んでいた。
「それじゃあ荷物置かせてもらうね」
私はその言葉にうん、と頷いて、それに応えるように楓さんが床にハンドバッグを置く。
そして、「さて」と楽しそうにほほ笑んだ。
「それじゃあちゃんと教えた通りに髪を洗えているかチェックするよー。わたしの採点は厳しいんだからねっ」
びっと人差し指を鼻元に突き立てられて、私は緊張しながらわかった、と答えた。
そして私たちはお互い服を脱いで、バスタタオルを体に巻いたままバスルームへ行った。
勿論二人とも化粧がお湯で流れないように落としてきてある。
「さぁ、それではどうぞ」
「わか・・・った・・・」
まず、私は教えられた通りに最初にブラシで丁寧に髪を梳かした。
絡まりや引っ掛かりが無くなってからも少し念入りにしておくのがいいらしい。
次にシャワーを出して、髪をぬるま湯でしっかりと流して濡らす。実はこの時点で結構汚れなどが落ちるらしい。
後、シャワーの後で余計な水分を切っておくのも忘れない。
そしてシャンプーをボトルからワンプッシュ出して、手のひらでお湯と一緒に泡立てる。
この時シャンプーの量が多すぎると、流した時に残ってしまうことがあるらしく、自分の髪量にあった適量を出すのがいいとのこと。簡単に泡立つからと多量のシャンプーを使ってはいけないと教えてくれた。
手に馴染ませたシャンプーを頭皮に馴染ませるように優しく揉み上げて、マッサージをするように頭皮を洗う。
時間をかけて頭皮を洗ったら、シャンプーをもうワンプッシュ。先ほどの同じ要領で泡立ててから、髪の方を洗う。
この時、絡まったりしないように丁寧に泡立てるのがいいらしい。
仕上げにシャワーでじっくりと時間をかけて流す。目安は髪を洗う時間の倍くらい念入りに。
ここまでを一人でやって、一度採点の為に後ろの霧沢さんを振り向く。
「満点っ!」
にっこりと笑ったまま両手を合わせて、霧沢さんは嬉しそうに言った。
「髪が長いとお手入れとか面倒になりがちだけど、その分見返りは大きいからこの調子でトリートメントとコンディショナーいってみようか」
「わかっ・・た・・・」
そうしてまた教えてもらった通りにトリートメントとコンディショナーを髪に使う。
たっぷりと時間をかけてそれらを終えた後、楓さんはぽつりとこぼした。
「いいなぁ・・・」
「?」
「だって、あの一回で全部覚えちゃうんだもん。学校の成績がいいのも納得しちゃうよ」
「テスト・・・は・・・かん・・・たん・・・」
「う・・・うらやましい・・・」
そこまで羨むようなものなのだろうか?
実際問題、テストの範囲なんて授業をきちんと受けていれば問題無いし、運が良ければ出題問題も教えてくれる。
むしろ、私は・・・
「かえ・・で・・・さんの・・・・ほうが・・・うらやま・・・しい・・・」
「え?」
「やさし・・・くて・・・あかるく・・・て・・・」
そして友達も多くて、私のような人間の世話まで焼いてくれる。
コンプレックスだらけの私とは正反対の存在。
「うーん、そう・・・かな。あんまりそういう自覚は無いなー。ただしたいと思ったことをしてきただけだし。それにさ――」
いったん言葉を止めて、考えるように視線が宙に浮く。
「もしたかしたら、下心があるだけかもしれないよ?」
下心・・・?
そんなことを考えていたかもなどと、微塵にも考えていなかった。
だから、ね、と楓さんは続けた。
「わたしは霞さんが羨ましい。無いものねだりだって分かってても、羨ましいな」
無いものねだり。
一体何のことを言っているのかよくわからなかった。
わからなかったけど、急に胸が苦しくなった。
だから、私は苦し紛れにこう言った。
「かみ・・・あらう・・・」
「え?」
「かえで・・・さん・・の・・・かみ・・・あらう・・・」
「わたしの・・・髪・・・?霞さんが?」
楓さんの言葉に、私はこくりと頷いた。
彼女は少しうーんと唸ってから、笑顔で「それじゃあお願いします」と言った。
わしゃわしゃと指の腹でなるべく優しく霞さんの頭を揉み上げる。
泡立つシャンプーが楓さんの綺麗な黒髪を覆っていくのが見えて、私はとても緊張した。
「~~♪」
楓さんはそんな私の緊張に気づかないように、楽しそうに鼻歌を歌っている。
「だい・・・じょう・・・ぶ・・・?」
「うんうん、いい感じだよ~、すっごい気持ちいい」
私の言葉に嬉しそうに答える楓さんは本当に気持ちよさそうで、徐々に私の緊張もほどけていく。
「なんだか妹ができたみたいで楽しいな」
「いもう・・・と・・・?」
「うん、わたし弟がいるんだけど、生意気でねー」
「そう・・・なんだ・・・」
「うん、だから可愛い妹ができたみたいで、すっごい嬉しい」
楓さんの鼻歌を聞きながら手を動かしていると、不意に「そうだ」と彼女が口を開いた。
「そういえば幸城くんにちゃんと褒めてもらった?」
褒めてもらう?
何を?
私は何を言っているのかよく分からなくて、何が?と聞いていた。
「何って、もちろん霞さんの髪だよー。せっかくこんなに手間暇かけてるんだからさ、『綺麗になった』って言ってくれてもいいと思うんだけどなー」
綺麗になった?私が?
たかが髪をきちんと洗っていたくらいで?
「べつに・・・そう・・いうの・・・は・・・いい・・・」
「むー、その感じだとやっぱり褒めてくれなかったんだね・・・」
後ろ姿では楓さんの表情は見えないけれど、何となく落ち込んでいるようにも感じる。
「で・・・も・・・」
「でも?」
「なんだ・・・か・・・よう・・・す・・・へん・・・だった・・・」
「んー、確かに幸城くんの様子、少し変だったね」
具体的には、ラーメン屋を出たあたりから少し刺々しくなったような、そんな雰囲気を感じられた。
楓さんもその微妙な変化に気づいていたようだ。
「らー・・・めん・・・きらい・・・だった・・・かな・・・」
「どうだろう?でも行ったことあるような感じだったし、そんなこともないと思うんだけどなー」
なら、どうしてあんなに苦しそうな表情を時折見せるのだろう?
胃痛持ちなのは聞いたけれども、それだけじゃない気がする。
印象的だったのは、携帯ショップで眠りから起きた時のあの表情。
本人は気づいていないかもしれないけど、あの時、すごい苦しそうな表情をしていた。
「きらわ・・・れた・・・・の・・・かな・・・・」
「そんなことはないと思うよ」
「どう・・・して・・・・?」
なんだろう、と一瞬悩むようなそぶりを見せて、楓さんは言葉を続ける。
「勘・・・かな?」
勘、一見すれば根拠の無い言葉だけれど、感受性が豊かな彼女ならば信頼できる不思議な言葉。
それにね、と再び楓さんは続ける。
「わたし達には想像することしかできないけど、それでも幸城くんが優しいのはずっと変わってないと思うな」
私はそんな楓さんの一言に少し違和感を抱いた。
あれ?何がおかしい?
「不愛想にしてるつもりだろうけど、やっぱり根っこの部分は優しくて、誰かの為に立ち上がれるような、そんな勇気のある人だと思ってる。わたしの勝手な想像だけどね」
私は浅い思考の沼に陥りかけたのを出て、それらの時のことを思い出した。
それは、私をあの三人組から助けてくれたときのこと。
それは、教室で私の噂に嘘をついてまで否定してくれたときのこと。
「大丈夫、真正面からぶつかっていけば、きっと笑ってくれるよ」
「わら・・って・・・」
それは、きっと、友達の啓一くんに向けられるような、心からの笑顔。
私に向けられたこのない、裏表のない笑顔。
私はまだ、その笑顔が向けられたことが無くて、なんだか歯がゆい気持ちになった。
「だから今は、うんと自分を磨いて幸城くんが無視できないようにしてやろう」
「わか・・った・・・」
その笑顔が自分に向けられる本当の意味。
自分の本当の願い。
それらがもたらす結末を、私はまだ知らなかった。
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