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109 コイン・トス

「お安いご用だ」


 にやり、と微笑んだ飛竜は、俺に頭突きを食らわせた。

「いぐっ」ゴッ、という音がする。

 目の前がオレンジ色に光って、心臓が凄まじい勢いで脈打ちはじめていた。


 俺は手の平をじっと見た。

 べつだん、何も変わっていないのに、世界の見え方ががらりと変わったような気がした。

 焦りも、緊張も、何一つ感じない。

 不思議と、心が落ち着いている。


「一時的に、精神状態にバフをかけた。これで一切の恐怖心は抱かないはずだ」


「そんな魔法あんのか……なんか薬物っぽい気がするけど、依存症とかはないのか」


「苦手な食べ物の克服と同じだ、そのうち魔法がなくても慣れてくる」


 飛竜は、深く頭を垂れた。


「吾輩に誓うがいい、この世界で戦い続けると。もし貴様が誓うなら、吾輩は、この絶望の世界で貴様と永遠に戦い続ける事を誓おう」


 俺はその大きな額を、ごちん、と拳で殴りつけた。

 うん、最初は恐かったけど、今はなんか全然へいきだ。

 結局、俺はこの世界に召喚された自分の運命から逃れる事はできないのだ。

 召喚された以上、その世界のために全力を尽くして戦い、そして元の世界に帰還する。

 その結果、地球がどんな運命を辿るかは分からない。

 それでも、この世界で得られた物は、決して無駄にはならないはずだ。

 地球のみんなも、ぜひ俺とフィース・ワールドで戦うべきだ。


 飛竜はのし、のし、と大きな体を旋回させると、広い背中を俺に見せた。

 大きな広い背中を見ながら、これまでドラゴンと接触した事がないか、頭の中で振り返ってみる。


「あ、そうか。ぶつかったというか、ひょっとして、あれか」


 そうして思い当たった。

 あれだ。俺の最初の、一番最初の死亡原因。

 ケータイでドラゴンを撮影しようとして、ドラゴンに、横からばくっと食われたやつ。


「あれでメリッサが正気に戻ったって? そういう事?」


「ふむ、ようやく思い出したか、運命の出会いだったそうだ」


「飛竜、俺的には、そんなラブコメチックな出会いだったという記憶はないんだが……てか、俺の視点だと、でっかいクチしか見えなかったんだが?」


 まさか、あれがメリッサだったとは。

 運命のいたずらにもほどがある。


 飛竜は、小さくため息をついた。


「だが、メリッサはそうではなかった。一目惚れしたそうだ(味に)……」


「味……?」


「目の覚めるような極上の味だったそうだ。……ほどよく脂ののった肉が、舌の上でみるみる溶けていくのだそうだ。……あのような美味しい生き物が、この世界にはいるのかと驚き、まるで子供のようなはしゃぎようだった……」


 ……他の宇宙の物質を口にしても、どんな味がするのか保証できない、というのはロコさんの言葉だった。


「あのような勇者がいるのなら、この絶望の世界で戦い続けてもいいと、そうメリッサは言ったのだ……まさに、奇跡とはこのことよ」


 なるほど、第五宇宙のメリッサは、第四宇宙からやってきた俺のおいしさに、絶望から救われるくらいの衝撃を受けた訳だな。

 ふんふん、と肯いていた俺は、「えっ」、と途端に魔法が解けたかのように、ぞわっと総毛だった。


 ……いや、実際に勇気の魔法が解けてしまったのだろう。

 俺の脳裏には、再びネガティブな感情が渦巻きはじめた。

 行き着く答えは、いつも絶望しかない。

 短い魔法だったぜ……。


「ひ、飛竜――ッ! お前、まさか……俺を英雄にして、俺の世界の勇者をもっと大勢召喚させようとしたのは……ッ!」


 勇者アリスと同じく、この世界に召喚された仲間達の、負担の軽減である。

 つまり、食糧事情の改善のためだったのだ。


「そうだ、メリッサだけではない。……貴様は今や、この世界でエサの役目を負わされ、苦難に耐える、第五宇宙のすべてのドラゴンたちの『希望』なのだ……! この『希望』を、少しでも形にするために、吾輩は全力を尽くしているのだ……ッ! 金儲けなど、そのついでに過ぎん……!」


 ぐるる、とどう猛なうなり声をあげる飛竜。

 お腹が鳴っているような気がした。

 よく見ると、口の端からよだれのような物が垂れている。


 ごめ――――――――――――――――――――――ん!!!!

 地球のみんな、ごめ――――――――――――――――――――――ん!!!!


 こいつら、ガチで俺たちの事を『食い物』にしようとしてやがったッ!

 戦場で利用できて、食糧にもなるって、俺たちは馬かよッ!


 ちょっとでもドラゴンの身の上に同情しそうになった俺が間違っていたッ!

 選択の自由があるとかないとか、それ以前に、こいつらは食物連鎖で俺たちの上だッ!


「さて、貴様は吾輩と一緒に戦うという契約をした訳であるから」


 飛竜は、ふたたび俺の頭に、ごちん、と頭突きをした。

 ぐらりと脳がゆれて、その場に膝をつく。

 ……便利な性格矯正器だった。というか、意識が朦朧として、それ以前の問題だった。


 はめられた……やっぱ俺みたいなクズが活躍したところで、結局ろくなことなんて、ひとつもない。


 この世界には、絶望しかない。


 飛竜は尻尾で俺をすくい上げると、勇者クレゾールに向き直った。

 雪の中に埋もれている勇者クレゾールを、俺も見下ろした。

 ひと言、ふた言話すと、彼の周囲にガラスの結界のような物が現れる。

 雪も風も、その中には入り込まないみたいだった。


「……復活させないのかよ?」


「第五宇宙にそこまで高度な魔法はない。それに早く復活させたところで、こいつは何もかも一人で背負い込んで、一人で戦おうとするからな」


 この戦いが終わるまで、このままにさせておこう、という配慮だろうか。

 俺からは反対する意見が出なかった。

 復活を急いだ所で、俺の苦しみが早く終わって、その分こいつの苦しみが長くなるだけだ。


 飛竜は、6人兄妹の長兄だった。

 最初の世界線では、兄妹を争わせた《評議会》の役員になるために、勇者クレゾールを裏切り、半死半生の目にあわせたという。

 今の世界線では、別の方法でやはり《評議会》の役員になってしまい、ドラゴンのための陰謀を企てて、勇者クレゾールを苦しめている。


 こいつ自身は、まったく変わっていない気がする。

 ドラゴンなのだ、性格なんて変わるはずがないのかもしれない。


 けれど、


 勇者クレゾールは、60回も死ぬような思いをして、ほんの僅かだが。

 それでも世界を僅かに変える事が、できていたのかもしれなかった。


 僅かでも変える事ができた事を『希望』と呼ぶのか、60回もかけて僅かしか変わらなかった事を『絶望』と呼ぶのかは……視点の違いでしかない。

 こうして少しでも変わるものなら、これから積み重ねれば大きな変化になるはずだ。けれど時間と手間がかかりすぎている。それは途中で大きな変化がある確率がそれだけ高くなる、と言うことだ、積み重ねた物も砂みたいに無惨に吹き飛ばされてしまう。

 塵も積もれば山となる、ただし無事に積もらせる事ができれば、の話。


 勇者アリスなら『希望』と呼ぶだろうし、いつもの俺なら『絶望』と呼ぶだろう。

 今の俺には、どうなんだろう、くるくる回転するコインは、くるくる回転するコインとしてしか見えない。判断の難しい所だ。

 どっちでもいい、ただ、どっちの面が出たところで、やることは一つと決まっている、ただそれだけなのだ。


 傲慢なドラゴンは、大きな翼を満足げに広げると、声高に吠えた。


「ふぅーははははぁーッ! では行くぞッ、勇者マキヒロよッ! まずはあの馬鹿でかい怪物を仕留め、その墓標に吾輩と貴様の名を刻み込み、この世界に伝説を築きあげるのだーッ!」


 そして、飛竜は俺を乗せ、俺を振り落とすような勢いで飛び上がったのだった。

 漆黒の太陽の下、雪原の中央にぽっかり開いた大穴をめざした。

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