第三章 2 『至冠者が集まる場所』
巨大な開催施設へ続く道は、外郭門が近づくにつれて幾つもの車列に分かれていた。リゼルヴェートたちの馬車も係員の誘導に従って進み、やがて高い石柱に挟まれた大門の前で停止する。
丘の上から見下ろした時には一つの大きな建物に見えた施設も、近づいてみれば何重もの防壁と広い通路に囲まれていた。
「わあ……。これ、全部入口なの?」
「入口というより、確認場所だな。馬車も人も、ここで一度分けてるんだろう」
ルシェルトが御者台から降り、手元の書類を確認した。門の手前では武装した警備員が通行人の荷物を調べ、その奥では白い台座に手をかざした者が次々と通過を許されている。
さらに高い位置には透明な光の膜が幾層も重なっており、リゼルヴェートはその源素の流れが一定の間隔で循環していることに気づいた。
「ねえ、あの光ってるの、防壁だよね?」
「そうだろうな。それに、入口の台座は源素検知用だと思う。至冠者が大勢来る場所だから、普通の施設よりずっと厳重にしてるんだろ」
「へえ……。すごく強そう!」
「……澪桜。試さないで」
「試さないよ! 見てるだけだもん!」
隣でアシェラが淡々と釘を刺したため、リゼルヴェートは少し頬を膨らませた。防壁の強度が気になったのは確かだが、だからといって攻撃するつもりはない。
むしろ、これほど多くの人々が出入りする場所で、どうやって安全を保っているのかを知りたかった。
馬車を指定された場所へ寄せると、係員が招待状と参加登録書類の提示を求めてきた。イェルシェリナが用意していた書類を渡し、ゼルディヴァンとルシェルトもそれぞれ必要な記録を取り出す。
リゼルヴェートは何か手伝えることがないかと周囲を見渡したものの、既に三人の役割がきれいに分かれていた。
「アルシェノア殿ですね。至冠印の照合をお願いいたします」
「うん。左手でいいの?」
「はい。こちらの台座へお願いいたします」
係員の案内に従い、リゼルヴェートは白い台座へ左手をかざした。至冠印が淡く輝くと、それに応じるように台座の内部にも光が走り、幾つもの細い線が円を描く。
手のひらに軽い温かさを感じた直後、台座の上へ自分の名前と順位が浮かび上がった。
「リゼルヴェート・アルシェノア。至冠序列第二十七位、累計五ポイント。登録情報との一致を確認しました」
「おおっ、ちゃんと第二十七位になってる!」
「当然だろ。序冠碑の更新も、正式な記録の反映も確認済みなんだから」
「そうだけど、こうやって別の場所でも出てくると、ちょっと嬉しいんだよ!」
ゼルディヴァンに笑われながら左手を引っ込めると、次は細い銀線が埋め込まれた通路へ案内された。足を踏み入れた瞬間、周囲の柱から淡い光が伸び、身体の表面を撫でるように通り過ぎる。
何かを押さえつけられる感覚はなく、リゼルヴェートには源素の反応だけを確かめられているように感じられた。
「この検査で、何が分かるの?」
「入場時点の源素反応と、登録情報に大きな食い違いがないかを確認しています。能力の詳細を調べるものではありません」
「そっか。真律の中身まで全部分かったら、ちょっと困る人もいそうだもんね」
「そのとおりです。安全確認と、参加者の能力情報を無制限に収集することは別の問題ですから」
係員の説明に納得しながら通路を抜けると、今度は奥へ続く複数の門が見えてきた。それぞれの門には異なる標識が取り付けられ、参加者用、随行者用、物資搬入用と通路が分けられている。
リゼルヴェートはその先にも防壁が続いていることに気づき、思わず足を止めた。
「ねえ、ゼルディヴァン。防壁って、何枚あるのかな?」
「ここから見えるだけでも相当数だな。ただ、全部が同じ役割とは限らない。防御用もあれば、区画を切り分けるためのものもあるだろう」
「なるほど……。一枚壊れたら全部危なくなる、ってことじゃないんだね」
「壊す前提で考えるなよ。お前が言うと洒落にならないから」
ルシェルトにそう言われ、リゼルヴェートは慌てて首を横に振った。別に壊すつもりなどないが、これほど大掛かりな設備を見ると、仕組みが気になってしまう。
三人が書類を確認している間、彼女は上空を覆う防壁と、通路の脇に並ぶ避難用の標識を交互に眺めていた。
その時、受付の奥から濃灰色の礼装を着た男性が歩いてきた。四十代ほどに見える男性は、胸元に銀色の運営章を付け、片手には薄い台帳と複数の認証札を持っている。
周囲の職員たちは彼に気づくと自然に道を空け、確認を求める書類を手際よく差し出した。
「――リュネヴァルト小王国、ノルシェリア派の皆様ですね。お待たせしました。国際至冠会合運営局、開催調整責任者のレオルディス・ハルヴェインです」
「イェルシェリナ・クロヴェリアよ。こちらがリゼルヴェートで、ゼルディヴァン、ルシェルト。同行しているのがアシェラよ」
「承知しています。提出済みの参加書類も確認しました。では、皆様の登録を正式に進めましょう」
レオルディスは落ち着いた声で答えると、台帳を開いて受付の記録と照合した。リゼルヴェートには、彼が至冠者を前にして特別に身構えているようには見えなかった。
だからといって無関心でもなく、一人ずつ顔と名前を確かめる目つきには、仕事に慣れた人間らしい厳しさがあった。
「まず、アルシェノア殿は第二十七位の至冠者として登録します。正式な順位とポイントは照合済みですので、こちらから再度確認する必要はありません」
「うん! よろしくね、レオルディス!」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。続いて、クロヴェリア殿を対外折衝の代表者として登録します」
イェルシェリナは差し出された書類へ目を通し、記載された権限の範囲を指で確かめた。王都でセレヴィナと確認した内容と同じものが、今度は会合の運営側にも正式に受け取られている。
リゼルヴェートは、自分たちの小さな派閥の名前がこうして遠い国の施設でも通じることを、少し誇らしく感じた。
「確認したいのだけれど、代表者の登録は、リゼルヴェート本人の意思決定を代行する権限ではないわよね?」
「はい。交渉窓口と本人の決定権は区別しています。至冠戦の受諾や、本人に直接帰属する条件については、アルシェノア殿自身の確認が必要です」
「それなら問題ないわ。私たちの国内での取り決めとも一致しているもの」
レオルディスは頷き、次の書類へ視線を移した。ゼルディヴァンについては情報・分析担当としての随行資格が確認され、ルシェルトには施設利用や搬入手続きに関する連絡権限が認められる。
二人がそれぞれ必要な事項を質問すると、レオルディスは資料の該当箇所を示しながら、曖昧な部分を残さず答えていた。
「アルネグラート殿は、公開資料の閲覧と正式な情報照会の窓口を利用できます。ただし、他の参加者が非公開としている情報まで取得できるわけではありません」
「了解した。公開情報と、個別の許可が必要な情報は区別して扱う」
「ヴァルネイド殿には、搬入と移動に関する実務連絡を認めます。施設内の通行は区画ごとの許可に従ってください」
「分かった。荷物の搬入経路と、緊急時の避難経路も確認したいんだけど」
「もちろんです。入場後に運営図をお渡しします」
ルシェルトが避難経路について尋ねたところで、レオルディスは入口の脇にある大きな案内図へ視線を向けた。図には施設内の通路だけでなく、広い空白地帯や複数の退避区画まで記されている。
リゼルヴェートが見ている間にも、係員が一つの通路を確認し、その状態を台帳へ記入していた。
「ここ、避難する場所がたくさんあるんだね」
「ええ。至冠者が多数集まる施設ですから、万一の際に一つの通路へ人が集中しないようにしています」
「もし、誰かがすごく大きな攻撃を使ったら?」
「被害を防ぐための区画と、退避させるための区画を分けています。どれほど強力な防壁でも、絶対に破られないことを前提に運営するわけにはいきません」
その答えに、リゼルヴェートは思わずレオルディスの顔を見た。世界でも最上位にいる至冠者たちの力を考えれば、建物を頑丈にするだけでは足りないのだろう。
危険を起こさせない工夫と、起きた時に人を守る工夫が別々に用意されていることに、彼女は感心した。
「……すごいね。戦う人じゃなくても、こんなに考えることがあるんだ」
「私たちの仕事は、皆様が無事に会合を終えて帰るための環境を整えることですから。そのためには、実際に戦う方々にも協力していただく必要があります」
「もちろん! 私もちゃんと協力するよ!」
「ありがとうございます。では、最も大切な施設規則についてもご説明します」
レオルディスは台帳の別の頁を開き、会場内で戦闘を行う場合の手続きについて説明を始めた。正式至冠戦は所定の申請と本人確認を経て成立し、順位やポイントに関わらない模擬戦であっても、指定された演習区画の利用許可が必要になるという。
リゼルヴェートは、強い人同士が集まればすぐ戦えるのだと思っていたので、思わず首を傾げた。
「模擬戦でも申し込みがいるの?」
「はい。会場内での無断戦闘は禁止です。至冠戦であるかどうかに関係なく、周囲の安全を確認する必要がありますから」
「そっか。じゃあ、強い人を見つけても、いきなり戦っちゃ駄目なんだね」
「そのとおりです。第一位の方であっても、規則に反すれば止めます」
あまりにも当然のことのように言われたため、リゼルヴェートは目を丸くした。第一位といえば、自分が戦歴照会権を使って記録を確かめたヴァルゼリア・グラナシェルのことだ。
現在確認できる正式戦歴に敗北の記録がないほどの至冠者を相手に、目の前の男性は平然と規則を守らせると言っている。
「第一位でも?」
「第一位でもです。むしろ、影響力の大きい方ほど規則を守っていただかなければ困ります」
「……レオルディスって、すごく勇気があるんだね!」
「勇気だけでこの仕事が務まるなら、もう少し楽なのですが」
レオルディスはそう答えながら、次の認証札を取り出した。リゼルヴェートはその落ち着いた態度に感心したが、よく見ると男性の目元には薄い疲労の皺がある。
これほど大勢の至冠者たちを相手に手続きを進めるのだから、きっと毎日大変なのだろう。
最後にアシェラの同行資格が確認され、五人分の認証札が揃った。アシェラはノルシェリア派の正式随行者三人とは別の同行者として登録され、リゼルヴェートと同じ区画へ入るための許可を受ける。
小さな札を渡されたアシェラは、表裏を一度だけ眺めてから静かに受け取った。
「……これ、なくしたら?」
「再発行の手続きが必要になります。ですので、なくさないようお願いいたします」
「分かった」
「アシェラ、私の鞄に入れておく?」
「……澪桜の鞄の方が危ない」
「そんなことないよ!」
ルシェルトが横で笑いを堪えているのが見え、リゼルヴェートはますます頬を膨らませた。けれど、こうして全員の登録が済んだことで、ようやく本当に会合へ参加できるのだという実感が湧いてきた。
認証札を手にした三人もそれぞれ必要な情報を確かめており、ここから先は正式な参加者として施設へ入れるらしい。
その時、少し離れた通路の向こうから大きな声が響いた。周囲の人々が一斉に顔を向け、リゼルヴェートも反射的にそちらへ視線を移す。
開けた区画では、二人の男が向かい合い、その身体から強い源素が立ち上り始めていた。
「だから、ここで少し確かめればいいだろう。わざわざ演習場まで行く必要があるのか?」
「そちらがその気なら構わん。どうせ短時間で終わる」
二人の会話が聞こえた直後、一方の足元へ光が集まり、もう一方の周囲には薄い防御の膜が生じた。まだ攻撃は放たれていないものの、リゼルヴェートには二人が本当に戦闘を始めようとしていることが分かる。
周囲の係員が慌てて人々を退かせ始め、近くの警備員も二人へ注意を呼びかけた。
「……あれ、模擬戦?」
「始めるつもりらしいな。まだ許可が下りている場所じゃないはずだ」
「ちょっと待って。あそこ、普通に人が通ってるよね?」
ルシェルトの声には、先ほどまでの軽さがなかった。リゼルヴェートも通路の先にいる一般の参加者たちを確認し、二人が本当に攻撃を放つなら止めに入るべきかと考える。
けれど、その前にレオルディスが台帳を閉じ、周囲の職員へ短く指示を出した。
「該当区画への入場を一時停止してください。退避導線を確保し、周囲の方々を奥の通路へ誘導。私は当事者に確認します」
職員たちがすぐに動き始め、近くの門が静かに閉じられた。レオルディス自身も二人のいる区画へ向かって歩き出したが、その横顔は先ほどより硬くなっている。
リゼルヴェートには、彼がまったく怖がっていないわけではないことが、その一瞬の表情から伝わってきた。
「お待ちください。こちらの区画での戦闘行為は許可されていません」
「何だ、運営か。ほんの軽い手合わせだぞ?」
「軽い手合わせでも、施設規則上は戦闘行為です。演習を希望されるのであれば、正式な申請をお願いいたします」
レオルディスは二人の前で足を止め、銀章を示しながら説明を続けた。目の前では源素が膨れ上がり、少し離れた場所にいるリゼルヴェートの肌にさえ圧力が伝わってくる。
男性の指先が台帳の縁を強く押さえているのが見えたが、その声は最初の受付時と変わらず明瞭だった。
「俺たちを止めるつもりか? お前が?」
「はい。許可のない戦闘は認められません」
「無理に止めれば、お前だって巻き込まれるぞ」
「承知しています。ですから、規則に従っていただきたいのです」
相手の声が低くなった瞬間、周囲の空気がさらに張り詰めた。リゼルヴェートは一歩踏み出しかけたものの、レオルディスがまだ落ち着いて話を続けていることに気づいて足を止める。
少なくとも今は、自分が割って入るよりも、彼の言葉が届くかどうかを見守る方がよさそうだった。
「正式な至冠戦をご希望なら、双方の意思確認を含む所定の申請が必要です。単なる模擬戦であれば、演習区画の利用申請で対応できます。現在の場所で戦闘を始めた場合は、安全確認のため、この区画への立ち入りを停止します」
「……つまり、ここでは駄目だが、場所を変えればいいんだな?」
「必要な申請と安全確認を終えていただければ、施設内の指定区画をご利用いただけます」
レオルディスは台帳から申請用の札を取り出し、二人へ示した。戦うこと自体を一方的に否定するのではなく、安全に行うための手続きを示しているのがリゼルヴェートにも分かる。
二人はしばらく互いの顔を見ていたが、やがて片方が肩をすくめ、足元に集めていた光を消した。
「面倒だな。だが、使える場所があるならそっちでいい」
「最初からそうしておけばよかったか。案内してくれ」
「承知しました。担当職員が申請窓口までご案内します」
もう一方の男も防御の膜を消し、周囲へ広がっていた圧力がようやく薄れた。近くで待機していた係員が二人を別の通路へ案内し、閉じられていた門も安全確認を終えてから再び開かれる。レオルディスはその様子を最後まで見届けてから、短く息を吐いた。
「……すごい」
リゼルヴェートは思わず声を漏らしたが、レオルディスはそれを聞いて振り返った。近づいてみると、彼の額には薄く汗が滲んでおり、台帳を握る指先もほんの少し強張っている。
先ほどまでの落ち着いた態度は、危険を感じていなかったからではないのだと分かった。
「レオルディス、大丈夫?」
「はい。ご心配をおかけしました。皆様の登録手続きは完了していますので、このまま入場していただけます」
「でも、あの二人、すごく強そうだったよ。怖くなかったの?」
「怖くないと言えば嘘になります。ただ、私が仕事を放り出せば、他の職員や参加者が危険に晒されますから」
その返答は、至冠者の誰かが語る勝利への覚悟とは少し違って聞こえた。レオルディス自身が二人より強いわけではなく、もし相手が本当に攻撃してきたなら、彼が一人で防げたとは思えない。
だからこそ、怖さを感じながらも規則を示し、相手が従える道筋を作ったことが、リゼルヴェートには驚くほど立派に思えた。
「第一位の人が同じことをしても、やっぱり注意するんだよね?」
「もちろんです。第一位でも第二十七位でも、会場の規則は同じです」
「そっか……。レオルディスって、本当にすごい人なんだね!」
「お褒めいただけるのはありがたいですが、できれば規則を守っていただける方が助かります」
至って真面目な返事に、リゼルヴェートは思わず笑ってしまった。イェルシェリナもどこか感心したようにレオルディスを見ており、ルシェルトは先ほど閉鎖された通路と避難経路の位置を改めて確かめている。
ゼルディヴァンが小さく頷いているのを見て、この場所には自分たちがまだ知らない仕組みがたくさんあるのだろうと感じた。
「さて、皆様。こちらが参加者用の施設案内図です。公開区域と立ち入り制限区域、それぞれの利用条件を記載しています」
「ありがとう。必要な手続きは、これですべて終わりかしら?」
「入場登録については完了です。個別の会談や演習を希望される場合には、改めて申請をお願いいたします」
レオルディスから案内図を受け取り、イェルシェリナはすぐに内容を確認し始めた。ゼルディヴァンも横から区画の配置を眺め、ルシェルトは通行可能な経路と荷物の搬入先を照らし合わせている。
三人がそれぞれ違うところを見ているのが面白くて、リゼルヴェートは少しだけ案内図を覗き込んだ。
「ねえ、私もちゃんと覚えた方がいいよね?」
「そうね。少なくとも、自分が入っていい場所と、勝手に入ってはいけない場所は覚えておきましょう」
「うん! あと、模擬戦をする時は申請する!」
「……澪桜。そこが一番大事なの?」
「大事だよ! さっき見たばっかりだもん!」
アシェラは何か言いたそうにリゼルヴェートを見上げたが、結局それ以上は口を挟まなかった。リゼルヴェートは認証札を確かめてから、改めて巨大な施設の内部へ視線を向ける。
ここには世界中から集まった至冠者だけでなく、その人々を支え、危険を防ぎ、会合を成立させるために働く多くの人間がいるのだ。
広い通路の先では、先ほどの騒動などなかったかのように参加者たちが行き交っていた。強大な力を持つ者が集まっても、その力だけで物事が決まるわけではないらしい。
世界最強候補を止めたのは、それ以上に強い誰かではなかった。規則と胆力だけで場を収めた男を見て、リゼルヴェートはこの場所が早くも面白くなってきた。




