第二章 32 『狭い戦場に咲く天』
リゼルヴェートは、その場から動かないままサルディオン・メルクレイドを見た。右へ出れば近距離へ詰められ、左には戦場外縁が近く、後ろへ下がれば星桜を広げる角度を削られる。
前へ出れば近距離用の対応へ入るところまで作られており、通常状態のままなら、確かにどこを選んでもサルディオンが知っている形へ近づいていた。
素直に上手いと思う。リゼルヴェートが技を変えるたび全てを追いかけるのではなく、そもそも変えられる場所を先に減らしてしまった。
自分が相手でも、同じ条件の中だけで戦い続けるなら、サルディオンの方がずっと戦いやすい。
それでも、その条件へ最後まで付き合い続ける必要はなかった。通常状態で戦い続けなければならない決まりなどなく、サルディオンが手を抜いていないこともここまでの攻防で十分に分かっている。
ならば自分も、必要だと思ったところで次の段階へ進めばいいだけだった。
「サルディオンさん」
「はい」
「やっぱり、すごく上手いね」
「ありがとうございます。ですが、まだ終わってはいませんよ」
「うん。だから、次いくね」
リゼルヴェートは《常世星桜》へ流していた源素の出力を切り替えた。周囲へ漂っていた星光が一度だけ静まり、消える代わりに空間そのものへ染み込むように密度を増していく。
足元を巡っていた花弁も、ただ数を増やすのではなく、一枚ごとの光が強くなり、星の瞬きと炎の熱を同時に宿し始めた。
サルディオンの姿勢が僅かに変わり、腰を落としながら十二枚の金属板へ順番に指を滑らせる。リゼルヴェートが何をするのか完全に知っている動きには見えないが、今までと違う段階へ入ろうとしていることは察しているらしい。
そこまで分かっている相手へ、わざわざ変化を隠したまま始める必要もなかった。
「——『天花照臨』」
源素が戦場へ満ちていく。爆発するように押し広がるのではなく、最初はリゼルヴェートの周囲から桜花が咲くように淡い光が広がり、次の瞬間には上空へ無数の星光が灯った。
その一つ一つの間を花弁が渡り、さらに奥では白い光と炎が重なり、狭められていた戦場全体へ複数の現象が同時に根を下ろしていく。
視界へ入る星桜の数だけなら、通常状態でも増やすことはできる。
覚醒によって変わったのは単純な量ではなく、攻撃へ回す星桜、防御へ使う光、進路を塞ぐ炎、別方向から軌道を作る星光を、それぞれ独立させながら同時に制御できる範囲だった。
今まで一つずつ組み替えていたものを、最初から複数の形で並べておける。
「……なるほど」
サルディオンの声が聞こえたが、リゼルヴェートは返事をせず、自分の周囲へ展開した源素の状態を確かめた。
右へ動けないなら、自分が右へ行く必要はなく、左側を塞がれているなら、自分が左から抜ける必要もない。身体が移動できる範囲を限定されても、現象そのものまで同じ場所へ縛られるわけではなかった。
サルディオンが狭めた戦場は消えていない。戦場外縁も、彼自身の位置も、先ほどまで作られていた近距離と遠距離の条件もそのまま残っている。
それでも、その狭い空間へ同時に成立させられる現象の数だけは、通常状態とは比べものにならないほど増えていた。
リゼルヴェートは右手を上げ、前方へ星桜、左上へ星光、右側へ炎、自分の周囲へ白い光を配置した。
さらに背後へ、まだ射出しない花弁群まで残す。それぞれが同じ瞬間に存在し、どれか一つを選んでから次へ移る必要はなかった。
サルディオンが右へ動けば炎があり、前へ出れば星桜が待っている。後ろへ下がれば上空の星光が落ち、左側には戦場外縁へ届く前に白い花弁が軌道を作っている。
通常状態で自分がされていた選択肢制限を、今度は現象の数そのもので返しているようだった。
それでもサルディオンは止まらなかった。右側の炎へ真正面から入らず、熱の薄い外縁を使って斜めへ抜け、前方の星桜が収束する前に一歩進む。上から落ちる星光が重なる位置も避けながら、まだ使える空間だけを選んでいた。
覚醒した瞬間に全部が通じなくなる相手ではない。リゼルヴェートは、その事実を確かめるとむしろ楽しくなった。ここまでやってもまだ対策しようとするなら、自分もさらに別の形を見せられる。
「じゃあ、これは?」
星桜の一部を散らすと、サルディオンは包囲型への対応として最も薄い方向へ抜けようとした。
リゼルヴェートはその進路へ光を重ね、足を止めさせずに方向だけを変えさせる。変えた先へ炎を置き、さらに上空から時間差の星光を落とした。
サルディオンは最初の抜け道を捨て、今度はリゼルヴェートへ近づく方向へ踏み込んだ。近距離なら広域展開の一部を使いにくくできるという、それまでの戦術をそのまま利用するつもりらしい。
リゼルヴェートは接近を見て、自分の周囲へ置いていた白い光を一段厚くした。
白い光は守るだけではなく、触れた花弁を外側へ弾き出す起点にもなる。近づいてきた相手を受け止めながら、そのまま次の攻撃を外へ返せる形へ変えた。
サルディオンは接触する直前で足を止め、無理に防御を押し込まず、花弁の密度が低い位置へ横へ滑るように移動する。
対応そのものは間違っていない。だが、その移動先へ別の星光がすでに回り込んでおり、通常状態の時よりも一つの回避へ必要な判断が増えている。
リゼルヴェートには、サルディオンの動きが僅かずつ忙しくなっていることが分かった。
「そこにもあるんだ」
「見えています」
「見えてても大変そう」
「ええ。それは否定できません」
声は落ち着いているが、さっきまでより明らかに動く回数が増えていた。通常状態では一つの攻撃へ対策した後から別の攻撃を足していたが、今は最初から複数の現象が別々の役割を持って存在している。
サルディオンは一つの攻撃を避けるたび、すでに存在する別条件まで同時に考えなければならなくなっていた。
ならば、さらに広げられる。リゼルヴェートは上空へ視線を向け、すでに灯っていた星光へ追加の源素を流した。通常状態で使っていた《星桜千華》とは違い、覚醒状態だからこそ成立する広域運用へ切り替える。
「——『星桜天嵐』」
空に灯っていた星光が一斉に増え、そこから桜花を伴う無数の光軌が降り始めた。上空、左右、斜め後方から異なる角度で落ちる星光へ途中から花弁が絡み、一部だけが炎を帯びて軌道を変える。単純な雨のように真下へ落ちるのではなく、戦場の各所で別々の進路を持っていた。
戦場が狭いからこそ、サルディオンが逃げられる場所も絞られている。ならば、その位置へ別の現象を先に置けばいい。上からの星光を避けて右へ行けば炎、左へ抜ければ花弁、前へ出れば防御光から弾ける反撃、後ろへ下がれば時間差の星光が待つ。
通常状態では、自分の身体をどこへ動かすかをサルディオンに絞られていた。覚醒した今は、自分自身が大きく動かなくても、その全方向へ別々の現象を置ける。狭い戦場だからといって、それがそのままサルディオンだけに都合のよい戦場になるわけではなくなっていた。
その変化を、サルディオンもすぐに理解したらしい。腰の十二枚の金属板が、それまでより大きく展開され、前後左右へ位置を分けながらそれぞれ別方向を向く。
金属板同士の間へ細かな光が走り、戦場全体を区切るように複数の配列が組み上がっていった。
リゼルヴェートには、その一つ一つが何を意味しているのかまでは分からない。それでも、今までより明らかに規模が違うことは見れば分かった。
正面の星桜、上空の光、右側の炎、近距離の防御へ、それぞれ別の対応を同時に準備しているように見える。
「そっちも増やすんだ」
「増やさなければ、追いつけませんので」
サルディオンは返しながら、もう次の位置へ動いていた。星桜天嵐の第一波が落ちた瞬間、複数の金属板の周囲で光が弾け、上から降る星光の一部が横へ逸らされる。
左右から回り込む花弁も、進路上へ作られた空隙を通過し、炎を帯びた軌道にはサルディオン自身が熱の広がる前へ移動することで対応した。
全部を消しているわけでも、全部を正面から止めているわけでもない。自分が通るために必要な部分だけへ正しい答えを置き、その空間を使って生き残っている。覚醒へ移っても、サルディオンの戦い方そのものが崩れたわけではなかった。
それでも通常状態の時とは状況が違う。リゼルヴェートが第一波を放った時点で、第二波はすでに別方向へ展開しており、上空への対応が始まった瞬間には地表近くの花弁群が動き出す。
そこへさらに自分の周囲から白い光が広がり、別の進路を同時に作っていく。
攻撃を一つ終えてから次を考えているわけではない。複数の現象を同時に存在させ、その中のどれを次の攻撃へ変えるかだけを選べる。
サルディオンが狭めた戦場はまだ狭いままだが、その分だけ同じ空間へ置ける現象の密度は高くなっていた。
右側には炎が残り、左上から星光が落ち、前方では星桜が旋回している。リゼルヴェート自身の周囲には防御光があり、その近くを流れる花弁は別方向へ弾ける準備を残していた。
サルディオンがどれか一つへ対応している間にも、別の現象を同時に動かせる。
リゼルヴェートはその変化を見ながら、さらに軌道を増やした。星桜の一群を正面から外してサルディオンの背後へ回し、上空の星光を二つへ分け、炎の一部を側面へ送る。防御へ残していた光も薄くして、その分だけ別方向へ広げた。
それらを同時に動かしても、まだ制御は崩れない。覚醒で変わったのは、一発の威力だけではなく、同時に成立させられる現象数と、それぞれを別々に動かせる範囲そのものだった。
サルディオンが通常状態のリゼルヴェートへ作った《対応可能な狭い戦場》は、今や複数現象を同じ場所へ重ねる舞台へ変わっている。
それでもサルディオンは崩れなかった。十二枚の金属板が絶えず位置を変え、正面、側面、上方、背後へ対応を割り振っていく。
過去に調べてきた情報だけでは足りないはずなのに、この試合中に見た軌道変更、時間差、防御転用まで新しい配列へ取り込み、戦場全体を対応可能な形へ作り直そうとしていた。
リゼルヴェートにも、その必死さではなく正確さが分かった。覚醒したから全部終わりではなく、相手もこの場でまだ変わり続けている。ならば自分だけがそこで止まる理由もない。
「まだいける?」
「もちろんです」
「じゃあ、もっといくね」
「どうぞ」
返事と同時に、リゼルヴェートは《星桜天嵐》の軌道をさらに広げた。上空から降る星光の一部を途中で分岐させ、花弁群と交差するように走らせる。そこへ炎を帯びた軌道を混ぜ、防御光の外側から別の星桜まで追加した。
攻撃、防御、誘導、封鎖が一つずつ順番に成立するのではなく、同じ瞬間に複数箇所で進行していく。
サルディオン側もそれに合わせて配列を増やし、一枚の金属板が上空へ、別の一枚が正面へ、さらに左右へ分かれた板が進路を作るように動いた。
その間にも本人が位置を変え、配列だけでは足りない部分を自分の判断で補っている。
星桜が走り、光が落ち、炎が広がり、白い防御光から花弁が弾ける。
サルディオン側でも、それぞれへ別々の迎撃と回避が同時に動き、一つの攻撃を止めたからといって攻防が途切れることはない。双方とも、次の現象と次の対策をその場で重ね続けていた。
リゼルヴェートには、もう一つずつ結果を追う必要がなくなっていた。一群を逸らされても別方向から二群目が入り、二群目を避けられても、その移動先へ三つ目の現象を重ねられる。
サルディオンも一つ止めたところで終わらず、その次、そのさらに次へ配列を動かしている。
観戦席へ意識を向ける余裕は、もうほとんどなかった。リゼルヴェートは目の前のサルディオンだけを見て、彼がどこへ動き、何を止め、どの方向へ対応を増やすのかを追う。その動きを確認した瞬間に、自分も別の現象を追加する。
覚醒したから力だけで押し切るのではない。サルディオンが正しい答えを出すほど、その答えが使われている間に別の問題を足せるようになった。
同じ戦場、同じ距離、同じ二人のままでも、戦いの構造そのものが通常状態の時とは変わっていた。
サルディオンが狭めた空間の中へ、星桜と光と炎が幾重にも広がり、それぞれ別の軌道で動いていく。
十二枚の金属板を軸に組み上げられた《戦律配列》も戦場全体へ広がり、迫る現象へ複数の答えを同時に返し始めた。攻撃と迎撃を一つずつ順番に繰り返す戦いではなく、戦場全域で何重もの攻防が並列に成立する戦いへ移っていた。
リゼルヴェートはその中心で、さらに次の星桜を生み出した。サルディオンも即座に配列を組み替え、もう次の迎撃へ入っている。
一つの正解だけでは終わらない攻防が、互いの周囲で同時に増え続けていた。




