第二章 18 『第三位と第三十一位』
至冠序列第三位と聞いて、リゼルヴェートはもっと近寄りがたい人物を想像していた。第一位や第二位がどんな人物なのかを直接知っているわけではないが、少なくとも第三十一位の自分より遥か上にいるのだから、立っているだけで周囲を黙らせるような何かがあるのかもしれないと思っていた。
けれど、正式な挨拶を終えて会談室へ入ってきたセラフィネア・ルクシェリアは、その予想とはかなり違っていた。
淡い金白色の髪を低い位置で緩く編み、白と淡金の長衣をきちんと着込んでいる。姿勢は真っ直ぐで、胸元には小さな天秤型の聖章が下がっていた。
落ち着いた印象はあるが、レグシェリアと初めて向かい合った時のような戦場の圧迫感はなく、こちらを見る淡い青金色の瞳にも挑発的な色はなかった。
「――初めまして。セレフィア聖統国、セラフィネア・ルクシェリアです」
「リゼルヴェート・アルシェノアです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。直接お会いできて嬉しく思います」
その挨拶も、自分だけに向けて終わらなかった。セラフィネアはイェルシェリナ、ゼルディヴァン、ルシェルトにも順に向き直り、それぞれへ同じように名乗って挨拶する。
第三十一位の自分を見に来たのだから、もっと自分だけを中心に話すのかと思っていたリゼルヴェートには、その態度が少し意外だった。
「クロヴェリアさん。今回の正式窓口は、あなたで間違いありませんね」
「ええ。本人の意思に関わることはリゼルヴェートへ戻すけれど、外交上の調整は私が受けるわ」
「ありがとうございます。ではアルネグラートさんとヴァルネイドさんにも、必要に応じて直接確認させてください」
「分かりました」
「俺も問題ない」
相手が小国の小さな派閥だからといって、言葉の調子が変わる様子はなかった。イェルシェリナが敬語を使わなくても気にした様子はなく、ゼルディヴァンやルシェルトを自分の付属物のように扱うこともない。
帝国使節の時とはまた違うが、ノルシェリア派全体を見ようとしている点は同じだった。
それだけ確認してから、セラフィネアの視線が再びリゼルヴェートへ戻る。柔らかく見えるのに、質問そのものは曖昧ではなかった。相手を追い詰めるためではなく、何を聞きたいのかを最初から隠さない話し方だった。
「アルシェノアさん。先に申し上げておきます。私は、あなたが第三十一位に相応しいかを試しに来たわけではありません」
「そうなの?」
「はい。順位はすでに結果として成立しています。私が今さら試験をする理由はありません」
「よかった。いきなり戦うのかと思ってた」
「必要があれば戦うこともあるでしょうが、今日はそのためではありません」
さらりと返されたので、リゼルヴェートも肩の力を抜いた。第三位が来ると聞いた時には、もしかすると至冠戦を申し込まれるのかとも考えたが、少なくとも今のところその気配はない。
隣のイェルシェリナも、予定通り会談へ入れると判断したらしく席へ着いた。
全員が揃うと、聖統国側の随行者が必要な書類だけを机へ置いた。セフィラはセラフィネアの少し後ろ寄りの席に座り、特に前へ出ようとはしていない。
リゼルヴェートはその少女の姿を一度だけ見たが、その時点ではまだ、聖統国から一緒に来た随行者の一人としか思っていなかった。
「では、順番に整理しましょう」
正式会談へ入ると、セラフィネアは最初にそう言った。
「まず、アルシェノアさん本人の意思。次にノルシェリア派との関係。その後、リュネヴァルト王国との関係を確認したいと思います。全てを同じ問題として扱うと、誰の意思で何が決まっているのか分からなくなりますから」
「それなら話しやすいわ」
「クロヴェリアさんも、同じ考えですか?」
「本人の権利と派閥の責任、国家の責任は分けるべきだと思っている。混ぜると、誰が何を決めたのか分からなくなるもの」
セラフィネアはその答えにすぐ頷かなかった。一度言葉を受け取り、机上の資料を見てから、改めてイェルシェリナへ視線を戻す。
反対しているようには見えないが、同じ言葉でも意味まで一致しているか確かめようとしているのだと、リゼルヴェートには感じられた。
「では、本人の意思から確認します。アルシェノアさんは現在、自分の意思でノルシェリア派に所属していますか?」
「うん。私がいたいからいるよ」
「国王陛下やクロヴェリアさんから、所属を強制されたことは?」
「ないよ。最初に王様と話した時も、私を国のものにするって感じじゃなかったし」
「では、今後別の所属先を提示された場合、最終的に選ぶのは?」
「私」
「その選択を、ノルシェリア派は妨げませんか?」
今度はイェルシェリナへ向けた質問だった。確認の順番がはっきりしているため、誰に答えを求めているのかも分かりやすい。イェルシェリナも躊躇せず、いつもの調子で答えた。
「止める権利はないわ。相談はするし、条件に問題があれば説明する。でも、本人が理解した上で選ぶなら、それを私が所有物みたいに拘束する理由はないもの」
「国家側が反対した場合は?」
「国家を拘束する理由があるなら王廷と協議する。本人がどこに住みたいかまで、国家事情だけで一方的に決めるのは別問題でしょう」
「なるほど」
セラフィネアは短く答え、何かを書き留めた。帝国のディルヴァルトも似たことを確認していたが、聞き方が少し違う。
帝国が《どこまで交渉できるか》《誰が決定権を持つか》を確かめていたのに対し、セラフィネアは《誰か一人に不当に重さが偏っていないか》を見ているようだった。
「アルシェノアさん。今の環境で、自分だけが我慢していることはありますか?」
「我慢?」
「所属を維持するために、本当は嫌なのに受け入れている条件です」
急に聞かれて、リゼルヴェートは少し考えた。拠点が狭いとか、書類が多いとか、知らない国から手紙が大量に来るとか、不便なことならある。けれど、それは《ここにいるために黙って耐えていること》とは少し違った。
「特にないかな。拠点は狭いけど」
「それは権利の問題ではなく設備の問題ですね」
「うん。あとイェルシェリナが難しい書類いっぱい持ってくる」
「必要だから持っていってるの」
「そこは少し我慢してるかも」
「読まない方が後で困るでしょう」
思わず普段の調子で返すと、セラフィネアの眉が僅かに緩んだ。笑われたわけではないが、少なくとも深刻な拘束事情だとは思われなかったらしい。ゼルディヴァンも視線を逸らし、ルシェルトは肩を揺らしている。
「では、次に三人の役割を確認させてください」
話題を切り替えたセラフィネアは、帝国側の評価資料にも目を通しているようだった。それでも、その評価をそのまま正しいと採用するのではなく、自分で一つずつ確認していく。
最初にイェルシェリナへ外交と契約の範囲を聞き、次にゼルディヴァンへ情報整理の役割を尋ねた。
「アルネグラートさん。あなたの分析結果は、最終決定になりますか?」
「ならない。材料を出すだけだ。戦闘中なら即断することもあるけど、外交や契約まで俺が決めるわけじゃない」
「分析結果に自信がある場合でも?」
「間違う可能性はある。分かる範囲と推測は分ける」
「あなた自身が知らない情報については?」
「知らないままにする。そこを勝手に埋めたら分析じゃないだろ」
その答えを聞いたセラフィネアは、今度はルシェルトへ向き直った。
「ヴァルネイドさん。移動や施設の調整を担当しているそうですね。あなたが無理だと判断した場合、アルシェノアさんが望んでも止めますか?」
「危険なら止めるって言う。でも最終的にどうするかは内容次第だな。《道界標》で行けない場所なら別の手段を探すし、金が足りないなら金の話をする。俺が面倒だから止める、はなしだ」
「危険性を伝えた上で、それでも本人が行くと?」
「命に関わるなら他の三人とも相談する。そこまでじゃないなら、行ける形を作る」
リゼルヴェートは三人の答えを聞きながら、何となくセラフィネアが見ているものを理解し始めていた。誰が強いかではなく、誰か一人だけが全部を背負わされていないか。逆に、誰か一人だけが他の全員の人生を決めていないかを確認している。
「セラフィネアさんって、公平かどうかを見てるの?」
思ったまま口にすると、セラフィネアがこちらを見た。
「そうですね。ただし、全員が同じことをしているかではありません」
「違うの?」
「違います。全員へ同じ役目を渡せば公平、というわけではありません。それぞれが何を得意として、何を背負い、どこまで責任を持っているのか。その釣り合いを見たいのです」
「じゃあ、私が戦ってるのも?」
「あなたが一番戦闘に向いているのであれば、それ自体は不公平ではありません」
「よかった」
「ですが、強いからという理由だけで、他の方が負うべき責任まで全てあなたへ押しつけるなら話は別です」
言われて、リゼルヴェートは少しだけ考えた。確かに戦うのは自分が一番得意だから嫌ではないし、むしろ自分がやった方が早いと思うことも多い。
けれど契約書を読むのも、外国との条件を詰めるのも、道を確保するのも、全部自分一人でやれと言われたら困る。
「それは嫌かも」
「でしょう?」
「うん。イェルシェリナの仕事まで私がやったら、たぶんすごく時間かかる」
「そこを例にするの?」
「分かりやすいから」
イェルシェリナは呆れたように返したが、本気で怒ってはいなかった。セラフィネアもそのやり取りを見た後、今度はイェルシェリナへ確認する。
「クロヴェリアさん。あなたは、アルシェノアさんが強いことを理由に、戦闘上の危険を当然の義務として課していますか?」
「いいえ。必要性と本人の意思を分けて考えるわ。国を守る必要がある場合でも、《強いからあなたが死ぬまで戦いなさい》とは言わない」
「では、本人が戦うと言った場合は?」
「危険と責任を説明する。それでも選ぶなら、その選択を成立させる側へ回る」
「……分かりました」
その返答に対して、セラフィネアは今までより少し長く考えていた。何を思ったのかまでは分からないが、少なくとも否定する材料を探しているようには見えない。
リゼルヴェートには、イェルシェリナとセラフィネアは見ている方向が似ているのに、使う言葉が違うのだと感じられた。
イェルシェリナは《誰が決めるか》《誰が責任を負うか》を先に見る。セラフィネアは《誰かに重さが偏りすぎていないか》を確かめる。同じものを見ても、入口が違うのだろう。
会談はそのまま続き、王国との関係にも話が移った。リュネヴァルトがリゼルヴェートを国家所有の戦力として拘束していないこと、国家間の協定は王廷との共同協議になること、ノルシェリア派だけで国家の軍事行動を決定できないこと。
セラフィネアは一つずつ確認し、必要以上に聖統国側の価値観を押しつけることはなかった。
その途中で、リゼルヴェートの意識がふと別の方向へ引かれた。
最初からセラフィネアの近くにいた小さな少女。淡い灰桜色の長い髪に、乳白色と淡紫色が混じったような瞳を持つセフィラは、会談が始まってからほとんど前へ出ていない。必要な時だけセラフィネアへ短く言葉を返し、それ以外は静かに全体を見ていた。
見た目はアシェラと全く違う。髪の色も長さも違えば、瞳も違うし、外見年齢も少し上に見える。話し方も、短い言葉で容赦なく刺してくるアシェラよりずっと丁寧だった。
それなのに、何かが似ている気がした。
顔でも、声でもない。立ち方でもないし、服装ならなおさら違う。どこが似ているのか言葉にしようとすると、すぐに分からなくなるのに、視界へ入るたび同じ引っかかりが残る。
「リゼルヴェート?」
イェルシェリナに呼ばれ、リゼルヴェートは一度セフィラから視線を戻した。
「ごめん。ちょっと気になって」
「何が?」
「ううん。まだ分かんない」
分からないものを適当に説明するのも違うと思い、それ以上は言わなかった。ゼルディヴァンもこちらを見たが、今の言葉だけでは分析しようがないらしく口を挟まない。会談は続き、セラフィネアが次の確認事項へ進んでいった。
けれど、気にし始めると余計に目へ入った。
セフィラは資料ばかり見ているわけではない。セラフィネアが話している時はそちらを見て、ノルシェリア派側が答える時は話者へ視線を移す。
特別おかしなことはしていないはずなのに、リゼルヴェートにはその視線の動かし方まで妙に引っかかった。
そこで、ふと思いついて隣を見る。
アシェラは、いつも通り少し離れた席にいた。正式会談の中心へ入るでもなく、それでもリゼルヴェートと完全に離れるでもない位置に座っている。普段なら退屈そうにしていてもおかしくないのに、今日は違った。
アシェラも、セフィラを見ていた。
リゼルヴェートは思わず二人を見比べた。自分がセフィラを気にし始めたからそう見えるだけかもしれない。そう考えようとしたが、アシェラの視線は資料にもセラフィネアにも向いておらず、明らかにセフィラだけを追っていた。
そして、セフィラも同じだった。
いつの間にか会談の中心から視線を外し、アシェラを真っ直ぐ見ている。驚いたようにも、警戒しているようにも見えない。ただ、初めて会った相手を見る目ではないことだけは、リゼルヴェートにも分かった。
室内の空気が止まったわけではない。随行者たちはまだ資料を持ち、セラフィネアも二人の視線へ気づいて顔を向けている。けれどリゼルヴェートには、その数秒だけ会談の流れから切り離されたように感じられた。
アシェラは何も言わない。
セフィラもすぐには言わなかった。
先に沈黙を破ったのは、セフィラだった。
「――久しぶりですね、アシェラ」
その言葉で、リゼルヴェートの中にあった説明できない違和感が、別の形へ変わった。似ている理由はまだ分からないままだが、少なくとも二人が初対面ではないことだけは、もう疑いようがない。
第三位との会談で確かめるはずだったこととは別の問いが、突然リゼルヴェートたちの目の前に現れていた。




