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第二章 16 『最弱派閥ではなくなる日』





 ノルシェリア派の名が付いた書類が、以前より明らかに速く机の上を移動していた。リュシェリア・フェルディナは官庁内の文書処理記録へ目を通しながら、その変化を数字ではなく順番で確認していく。


 少し前までなら他案件の後ろへ回されていた照会が、今は優先確認欄へ置かれ、担当部署からの返答にも空白時間がほとんどなかった。


 扱っている内容そのものが急に重大になったわけではない。帝国使節団との正式会談結果が王廷と官庁へ共有され、ヴァルグレシア帝国がノルシェリア派全体の組織能力を正式に評価し直したことが記録へ入った。


 その瞬間から、同じ名前を見た時の官僚たちの反応まで変わっていた。


「こちら、ノルシェリア派関連です。先に回します」


「昨日までなら三番目だったでしょう?」


「第三十一位案件ですので」


「それだけではないはずだけれど」


 書類を差し出した官吏が一瞬だけ言葉に詰まった。今では《第三十一位所属派閥》という一言だけでも優先理由になるが、リュシェリアが見ているのはそこではない。


 以前から同じリゼルヴェート・アルシェノアが所属していたにもかかわらず、三人の実務能力まで帝国に評価された後になって扱いが変わった点だった。


「帝国側の評価も入っています。組織として再確認する必要があると」


「ええ。それなら、その理由で処理してちょうだい」


「承知しました」


 官吏は素直に記録欄へ戻っていった。露骨に責任を逃れようとしているわけではなく、今の評価に合わせようとしているだけなのだろう。だからこそ、リュシェリアもその場で過去の態度を責めるつもりはなかった。


 問題は、今になって変わること自体ではない。評価対象が変われば行政上の扱いも変えるべきであり、現実に合わない旧評価を守り続ける方がよほど悪い。


 ただし、新しい評価を採用するために、以前の記録まで都合よく塗り替えることだけは避ける必要があった。


 少し離れた机では、別部署の担当者がノルシェリア派について話していた。


「以前から、あそこは人数の割に動きが悪くないとは思っていたんだ」


「そうですね。アルシェノア殿が入る前から、完全に機能していなかったわけではありませんし」


「実際、帝国側も三人を個別に見ている。こちらももっと早く拾うべきだったな」


 聞こえてきた言葉に、リュシェリアは手を止めなかった。嘘とまでは言えない。実際、当時から三人を完全に無能と判断していなかった者もいただろうし、記録を細かく見ていた者なら一定の実務能力へ気づけた可能性はある。


 それでも、官庁全体の扱いが低かった事実は残っている。個々人が心の中で何を思っていたかではなく、どの案件を優先し、どの申請を後回しにし、どの予算を削り、どの施設を使わせなかったか。それを示すために公文書があるのだと、リュシェリアは考えていた。


「過去記録を出して」


「どの範囲でしょうか」


「ノルシェリア派について、現存分を全部。任務割当、予算、施設利用申請、支援申請、受理順、却下理由、再申請履歴。あと、外部評価に使われた資料も」


「かなり量がありますが」


「だから今見るのよ。現在評価を更新するなら、どこから変わったのか分からないままでは意味がないわ」


 担当者が頷き、保管記録の抽出へ向かった。リュシェリア自身も《文路整理》を使えば、大量の文書から関連情報を繋げて追うことはできる。だが能力で見つけられるからといって、正式記録の手順を飛ばすつもりはなかった。


 やがて集められた書類は、一つの机だけでは収まらなかった。古い任務票、施設利用記録、予算配分表、派閥別申請履歴、緊急対応時の記録まで種類ごとに分けられている。


 リュシェリアは年代順ではなく、《何を求めたか》《どう扱われたか》《結果どうなったか》の三点で並べ直していった。


 最初に目についたのは任務割当だった。戦闘力が低いという評価から、高報酬の討伐や重要任務はほとんど回されず、採取、調査、輸送補助のような案件が中心になっている。


 それ自体は能力評価に基づく配分として理解できるが、成功率まで確認すると、少なくとも記録上は失敗続きの派閥ではなかった。


「……危険案件を避けていたのね」


 周囲に向けた説明ではなく、確認として漏れた言葉だった。討伐力が不足している以上、正面から倒せない相手を避け、撤退や迂回を選ぶ。その結果、派手な功績は少なくても、生存率と任務継続率は安定している。


 次に予算配分を見ると、その安定性が評価へほとんど反映されていなかった。装備更新申請は優先度不足として複数回後回しにされ、拠点設備の改修も小規模派閥であることを理由に最低限しか認められていない。


 現在、正式使節を受け入れるだけの空間がないという問題は、急に発生したものではなかった。


「この拠点改修申請、三回出ていますね」


 資料運搬を手伝っていた官吏が指を止めた。


「一回目は予算不足。二回目は利用規模に対して過剰。三回目は他派閥優先……」


「全部、当時の基準だけを見れば処理理由は成立しているわ」


「なら、問題はないのでは?」


「手続き上の違反がなかったことと、評価が適切だったことは別よ」


 リュシェリアは三枚を重ねず、あえて並べたままにした。一つひとつの判断には理由がある。


 だが、それが積み重なった結果、同じ派閥だけが長期間設備を改善できず、外部案件へ対応する余力まで削られていたなら、現在評価では見直す材料になる。


 施設利用の記録にも似た傾向があった。訓練場や会議室の申請では、より高評価の派閥が競合した場合にノルシェリア派が後ろへ回されている。緊急性が低いという理由は一貫しているものの、申請順より組織評価が優先される運用が繰り返されていた。


「これ、今なら同じ処理にはならないですね」


「ならないでしょうね」


「第三十一位が所属していますから」


「それだけで終わらせないで」


 リュシェリアは視線だけを向けた。相手を責めるつもりはないが、そこを間違えれば今回の更新自体が意味を失う。


 リゼルヴェート一人が強いから待遇を上げるだけなら、帝国使節が三人を個別に評価した意味を国内側でまた捨てることになる。


「現在見直しているのは、リゼルヴェート・アルシェノアの順位だけじゃない。クロヴェリア、アルネグラート、ヴァルネイドの三人が、これまで何をしていたのかも含めてよ」


「はい」


「その上で、過去の判断が当時の資料から妥当だった部分は残す。見落としていた部分も残す。誰か一人を悪者にするための調査じゃないわ」


 官吏は今度こそ理解したように頷いた。リュシェリア自身、過去の担当者へ処分を求めたいわけではない。情報が少なかった時点の判断と、情報が増えた現在の判断が違うことは当然だった。


 ただし、《昔から高く評価していた》という形へ記録を整えることだけは違う。冷遇されていたなら冷遇されていたと残し、何を根拠に評価が変わったのかまで記録する。その方が、次に同じ種類の見落としが起きた時にも役に立つ。


 資料をさらに辿ると、変化の起点も明確になった。魔物への対応記録、集落防衛、その後の至冠者選定、王廷との協議、レグシェリアとの正式至冠戦。そして第三十一位への上昇後、六大国から一斉に接触が始まっている。


 しかし、その中でも三人の評価が大きく動いたのは今回の帝国使節訪問だった。ヴァルグレシア帝国側の報告では、イェルシェリナが外交上の権利と責任を整理し、ゼルディヴァンが情報を管理し、ルシェルトが移動・施設・警備・物資を成立させていると明確に記されている。


 国外の大国が見つけたから正しいのではなく、国外から来た者が実際の働きを確認したことで、国内記録にも再検証の理由が生まれた。


「評価欄、更新案を作りますか?」


「作って。旧評価は消さず、改訂日と根拠を併記する形で」


「分類はどうします?」


「まず《低戦力小規模派閥》という一括評価を外す。戦闘、外交、情報、実務を分けて記録するべきね」


 担当官が筆を走らせる。リュシェリアは隣から内容を確認し、言葉が過大にならないよう何度か修正を入れた。


 三人が有能だからといって、至冠者級の直接戦闘員として扱う根拠はないし、小規模である事実まで変わるわけでもない。


 戦闘中核はリゼルヴェート。


 外交・交渉・契約整理はイェルシェリナ。


 分析・情報・戦術はゼルディヴァン。


 移動・物流・施設・現場実務はルシェルト。


 その区分をそのまま行政評価へ落とし込めば、少なくとも以前より実態に近い。人数が少ないことと、組織機能が低いことを同じ欄へ書いていた旧方式の方に問題があったのだと、リュシェリアには思えた。


「これで、優先度も変わりますね」


「案件ごとにね。何でも最優先にする必要はないわ」


「第三十一位案件でも?」


「必要性が低ければ後よ。評価を上げることと、特別扱いすることは違うもの」


 その線を外せば、今度は逆方向に歪む。これまで冷遇していた反動で、何でもノルシェリア派を先に通せばいいわけではない。適切な案件を、適切な理由で、適切な順番へ置くことが行政の役割だった。


 更新された評価案は、その日のうちに関連部署へ回された。任務割当ではリゼルヴェートの戦闘力と三人の専門性を別々に参照し、施設利用では実際の外部対応件数を考慮する。


 予算についても、単純な所属人数だけではなく、外交案件と至冠者対応に必要な機能を加味して再審査する方針が付記された。


 それだけでも、記録上は大きな変化だった。噂として《最近すごいらしい》と扱われるのではなく、官庁が参照する正式評価そのものが書き換えられている。


 次に担当者がノルシェリア派の名を見た時、少なくとも《最弱だから後回し》という一行だけで判断することはできなくなった。


「フェルディナさん、こちらもお願いします」


 別の書類束が机へ運ばれてきた。ノルシェリア派の再評価作業が一段落したところだったが、今度は封印と紋章が異なる。セレフィア聖統国から届いた正式来訪通知に伴う、受け入れ準備資料だった。


「第三位の件ね」


「はい。王廷側から、官庁でも必要な施設・人員を先に洗い出すようにと」


「帝国使節の時に使った記録を流用できる部分は使って。相手が違うから、そのまま複製はしないで」


「承知しました」


 至冠序列第三位が直接来る。第三十一位のリゼルヴェートに帝国使節が訪れた直後としては、官庁側の警戒と準備が早くなるのも当然だった。


 今度は最初からノルシェリア派を単なる同席者として扱わず、イェルシェリナ側との調整を正式な準備項目へ入れている。


 それ自体が、数日前までとの違いだった。以前なら王廷が先に相手国と話し、ノルシェリア派には決まった事項を後から伝える形になっていた可能性が高い。


 現在は本人意思と派閥権限を無視して話を進める方が、かえって外交上の混乱を招くと理解され始めている。


 リュシェリアは来訪者の構成を確認するため、添付された名簿を開いた。最上段には、すでに聞いていた名が正式な肩書きとともに記されている。


 ――《セラフィネア・ルクシェリア》


 至冠序列第三位。


 セレフィア聖統国から直接来訪する、世界でも最上位に近い至冠者。その名前だけなら、事前通知を受けた時点で官庁側も把握していた。


 問題は、その次だった。


 通常なら使節、護衛、記録官、宗務官といった役職が並ぶはずの位置に、一つだけ所属上の説明がほとんどない名前がある。官職を示す記載もなく、軍階級もなく、それでいて随行者として正式名簿には含まれていた。


 ――《セフィラ》


 リュシェリアは別紙を確認し、同じ名前が他の資料にないか探した。該当する官職名も、セレフィア聖統国側の役割説明も見当たらない。情報が足りない以上、ここから何者なのかを推測して記録へ書き加えることはできなかった。


 第三位本人の来訪だけでも十分に大きな案件だったが、その名簿には、官庁側の既存分類へ収まらない少女の名まで添えられている。


 ノルシェリア派を《最弱》という一語で見ていた記録を修正したばかりの机上で、リュシェリアは今度こそ、分からないものを分からないまま残すための空欄を用意した。





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