第二章 15 『友達で、ライバル』
正式会談が一区切りつくと、それまで部屋を満たしていた張りつめた空気も少しずつ薄れていった。帝国側と王国側の実務担当者は残った確認事項を整理し、ディルヴァルトたちも持ち帰る資料をまとめ始めている。リゼルヴェートも席を立ったところで、向かい側にいたレグシェリアがこちらへ歩いてきた。
「リゼルヴェート。少しよろしいですか?」
「うん。いいよ」
「会談とは別の話です」
「じゃあ、さっきみたいに難しい話じゃない?」
「おそらくは」
レグシェリアの答えに、リゼルヴェートは少しだけ笑った。二人は会談用の長机から離れ、部屋の端に近い場所へ移る。完全に二人きりになったわけではなく、イェルシェリナたちもまだ室内におり、アシェラは少し離れた椅子からこちらを見ていた。
さっきまでの会談では帝国とノルシェリア派という立場が先にあったが、今はそこまで堅く構える必要はなさそうだった。
それでもリゼルヴェートには、一つだけずっと気になっていたことがある。再会した時には聞きそびれたが、レグシェリアが第五十一位になったという事実を、何も感じずにいられたわけではなかった。
「私からも聞いていい?」
「もちろんです」
「順位のことなんだけど」
レグシェリアの表情は変わらなかった。嫌そうにする様子もなく、続きを促すようにこちらを見ている。その反応を確かめてから、リゼルヴェートは言葉を選びながら続けた。
「私が勝って、第三十一位になったでしょ。レグシェリアさんは第五十一位になったし……その、ちょっと気にしてたんだ」
「私がですか?」
「ううん。私が」
「リゼルヴェートが?」
「だって、私が勝ったから順位が下がったんだよね」
言いながら、自分でも少し変な説明だと思った。至冠戦はそういう仕組みなのだから、勝てば順位が入れ替わること自体は分かっている。
それでも、自分が第三十一位になった時に喜ぶだけではなく、その分だけレグシェリアが第五十一位まで落ちたことも頭には残っていた。
レグシェリアはすぐに答えず、一度だけ目を細めた。何を考えているのかまではリゼルヴェートには分からないが、怒った様子ではない。やがて彼女は、以前の戦いを確認するように静かな声で答えた。
「私の順位が下がったのは事実です。ですが、それをリゼルヴェートが悪いとは思っていません」
「本当に?」
「はい。私は第三十一位としてあなたと戦い、負けました。勝ったあなたが第三十一位になり、負けた私が第五十一位になった。それだけです」
「でも、私が取ったみたいな感じはしない?」
「しません」
答えははっきりしていた。慰めるために曖昧に言っているようには聞こえない。レグシェリアは順位の変化を、自分から何かを奪われた出来事ではなく、勝敗の結果として受け止めているらしかった。
「第三十一位は私の所有物ではありません。私がそこにいた時は、私がその順位に足る結果を持っていた。今はリゼルヴェートが勝って、そこにいる。それだけのことです」
「そっか」
「ですから、気にする必要はありません」
その言葉を聞いて、リゼルヴェートは胸の奥に残っていた小さな引っかかりがようやく取れた気がした。レグシェリアが普通に接してくれているのを見ても、どこかで無理をしている可能性までは消しきれなかった。だが、今の言い方なら本当に自分を責めていないのだと受け取れた。
「じゃあ、レグシェリアさんは第五十一位でも平気?」
「平気という言い方は少し違います。悔しいです」
「あ、そこは悔しいんだ」
「当然です。私は勝つつもりで戦いましたから」
レグシェリアの声は穏やかなままだったが、そこだけは迷いがなかった。負けたことを何とも思っていないわけではなく、悔しさも残っている。
それでも、その感情が恨みではなく次の勝負へ向いていることは、リゼルヴェートにも分かりやすかった。
「だから、次に戦う時は勝ちます」
「私も負けないよ」
「はい。それでいいです」
「また戦いたい?」
「もちろんです」
そこまで即答されると、リゼルヴェートも嬉しくなった。前に戦った時は敵として向かい合っていたが、嫌な相手だったわけではない。
むしろ全力で雷と金剛の力をぶつけてきたレグシェリアとの戦いは、今でもかなり鮮明に覚えている。
「私もまた戦っていいよ」
「いいのですか?」
「うん。でも、今すぐじゃなくてもいいかな。今日はもうユルディオさんとも戦ったし」
「それはそうですね」
「それに今は使節で来てるんだもんね」
「その通りです。私情で任務を変更するつもりはありません」
レグシェリアらしい答えだった。戦いたいからといって、今すぐ決闘を始めるわけではない。再戦したい気持ちと、今ここにいる目的をきちんと分けているところも、リゼルヴェートには好ましく思えた。
そこでふと、二人の関係を何と呼べばいいのか気になった。最初に会った時は至冠戦の対戦相手で、今はその戦いが終わっている。敵ではないが、ただの知り合いと言うには、互いにまた戦いたいと思っているのも少し違う気がした。
「ねえ、レグシェリアさん」
「何でしょう」
「私たちって、今なんなんだろう?」
「……何、とは?」
「敵じゃないよね」
「はい」
「でも、また戦いたいんだよね」
「そうですね」
「じゃあライバル?」
レグシェリアは少し考えるように黙った。否定はせず、言葉の意味を確かめているように見える。リゼルヴェートの方は、口にしてみるとかなりしっくり来ていた。
「私は、その呼び方で構いません」
「じゃあライバルだ」
「はい」
「でも、ライバルだけ?」
「他に何かありますか?」
リゼルヴェートはそこで首を傾げた。再会して話してみれば普通に話せるし、負けたことを恨まれてもいない。次は勝ちたいと言われても嫌ではなく、むしろ自分もまた戦いたいと思っている。
「友達でもよくない?」
「……友達、ですか?」
「うん。だめ?」
レグシェリアはすぐには答えなかった。驚いているようには見えるが、嫌がっているようには見えない。リゼルヴェートは無理に答えを急かさず、そのまま待った。
「私は、あなたに負けた相手ですよ」
「うん」
「次に戦えば、本気で勝つつもりです」
「私もだよ」
「それでも友達なのですか?」
「友達でも戦う時は戦うんじゃない?」
少なくともリゼルヴェートには、そこが矛盾するようには思えなかった。戦ったから嫌いになる必要もないし、友達になったから本気で戦えなくなるとも思わない。むしろ相手が本気で来るなら、自分も本気で応えたい。
レグシェリアはしばらくリゼルヴェートを見たあと、ほんの少しだけ表情を緩めた。最初に戦場で向かい合った時よりも、今の顔の方が年相応に見える。リゼルヴェートには、その変化だけでも答えの一部が分かった気がした。
「では、友達でお願いします」
「うん!」
「ただし、ライバルでもあります」
「もちろん!」
「次は勝ちますから」
「私も負けないってば」
同じ話に戻ってしまったが、今度はそれが少し楽しかった。勝った側と負けた側という関係だけなら、こんなふうに次の戦いを笑って話すことはなかったかもしれない。
二人の間に残っていたものは、気まずさではなく、次はどちらが勝つかという競争心へ変わっていた。
少し離れた場所から、ゼルディヴァンがこちらを見ていた。ルシェルトも会談後の片付けを手伝いながら何度か視線を向け、イェルシェリナは帝国側の資料確認を続けている。アシェラだけは椅子に座ったまま、特に驚いた様子もなく二人を眺めていた。
「……友達」
小さな声が聞こえ、リゼルヴェートはアシェラの方を見た。
「うん。友達になった」
「……早い」
「そうかな?」
「……澪桜だから」
「どういう意味?」
アシェラはそれ以上説明しなかった。いつものことなので、リゼルヴェートも深く追及しない。レグシェリアは「澪桜」という呼び方について一瞬だけアシェラを見たが、今ここで尋ねることはなかった。
会談室の中央では、帝国側の三人が最後の確認を終えていた。エルナシアが修正した資料をディルヴァルトへ渡し、ヴァルグレンも軍事面からの所見を添えている。
リゼルヴェートには細かな文面までは見えなかったが、さっきまで話していた内容から、何を変えたのかはある程度分かった。
「クロヴェリア代表。帝国側として、本日の暫定評価を正式に更新します」
ディルヴァルトの声に、イェルシェリナが向き直った。
「内容は?」
「アルシェノア殿がノルシェリア派最大の戦力であり、帝国が最優先で注視すべき至冠者である点は変更ありません。ただし、ノルシェリア派を《第三十一位一名と、その補助者三名》として扱う評価は撤回します」
「そう」
「外交、情報、移動・実務。それぞれが独立した機能として成立していると判断しました。人数の少なさと組織能力の低さを同一視するべきではないでしょう」
「その評価なら、こちらから訂正するところはないわ」
イェルシェリナは短く答えた。嬉しそうにするわけでもなく、帝国に認められたことを大きく扱うわけでもない。
それでもリゼルヴェートには、帝国が来る前と今とで、自分たちを見る目が変わったことだけははっきり分かった。
自分だけが強いから注目されているのではない。もちろん第三十一位になったことが大きなきっかけなのは変わらないが、その隣にいる三人まで、何ができる人なのかを見てもらえた。
以前から自分にとって当たり前だった三人の得意なことが、外から来た人たちにも少しずつ伝わったのだと思うと、不思議と嬉しかった。
ディルヴァルトたちとの正式な確認は、そこでひとまず終わった。今後も必要な連絡や追加照会は続くが、少なくとも今回の訪問目的の一つだった再評価については形になったらしい。
使節団はすぐに帰国するわけではなく、その後の予定について王国側と調整するため、会談室から順に移動していった。
レグシェリアも帝国側へ戻る前に、もう一度リゼルヴェートの方を向いた。
「では、また後ほど」
「うん。またね、レグシェリアさん」
「できれば、その『さん』もなくても構いませんよ」
「じゃあ、レグシェリア?」
「はい」
「分かった。私もリゼルヴェートでいいよ」
「最初からそう呼んでいます」
「あ、そうだった」
レグシェリアが小さく笑った。少し前まで戦場で向かい合っていた相手と、こんな話をするようになるとは、リゼルヴェート自身も思っていなかった。
それでも今は、第五十一位になった元対戦相手ではなく、次にまた本気で戦いたい友達として見る方が自然だった。
帝国側が部屋を出た後も、ノルシェリア派には少しだけ仕事が残っていた。会談で増えた資料を整理し、王廷側へ渡すものと自分たちで保管するものを分ける必要がある。
ルシェルトが会場撤収について確認し、ゼルディヴァンは帝国側へ渡した情報の記録をまとめ、イェルシェリナは次に必要な返答事項を整理していた。
「今日は多いね」
リゼルヴェートが机の上を見ながら言うと、イェルシェリナは書類から目を上げた。
「第三十一位になってから、ずっとこんなものよ」
「ユルディオさんと戦って、帝国の人が来て、レグシェリアと友達になって……」
「最後の一つは外交業務じゃないわ」
「でも今日の出来事だよ?」
「それは否定してない」
ゼルディヴァンが横で苦笑し、ルシェルトも資料を抱えたまま肩をすくめた。ようやく大きな案件が一つ片づいたと思えば、机の端にはまだ未処理の文書が残っている。
それでも帝国との会談を終えた直後くらいは少し落ち着けるだろうと、リゼルヴェートはそう思っていた。
その時、外から新しい文書が届けられた。イェルシェリナが受け取り、封と差出人を確かめると、それまで動いていた手が僅かに止まる。
帝国関係の追加書類ではないことだけは、封に記された紋章を見たリゼルヴェートにも分かった。
「今度はどこ?」
「セレフィア聖統国よ」
六大国の一つであることは、リゼルヴェートも覚えていた。イェルシェリナが封を開き、内容を確認していく横から、ゼルディヴァンも差出人と形式を確かめる。使節訪問に関する正式通知らしく、来訪予定者の名も記されていた。
「誰が来るの?」
イェルシェリナは文面をもう一度確認してから、その名を読み上げた。
「セラフィネア・ルクシェリア。至冠序列第三位」
第三十一位になっただけでも世界との距離が一気に縮まったと思っていたのに、今度はそのさらに遥か上にいる第三位が、自分たちのいるリュネヴァルトへ向かおうとしている。
帝国との会談を終え、レグシェリアとの関係が新しく形になったその日のうちに、ノルシェリア派の机にはもう次の国からの招待状が開かれていた。




