第二章 12 『第五十一位、もう一度』
机上へ置かれた正式命令書の末尾には、レグシェリア・ヴァルディナの名があった。目的地はリュネヴァルト小王国、任務は帝国特命使節団への同行。
至冠序列第五十一位となった今の自分へ、再びあの国へ向かう役目が回ってきたことを、レグシェリアは文面を二度確認してから静かに受け止めた。
第三十一位だった頃とは違う。順位だけを見れば大きく下がり、序冠碑に刻まれている名前の位置も今は最下位に近い。
それでも命令書に書かれている扱いは以前と変わらず、《帝国軍所属至冠者レグシェリア・ヴァルディナ》だった。
「使節同行、ですか」
呟きながら、レグシェリアはもう一度目的欄へ目を通した。外交交渉そのものを任されるわけではなく、軍事判断の責任者でもない。求められているのは、実際にリゼルヴェート・アルシェノアと戦った者としての証言と評価だった。
妥当な人選だと思う。帝国内には戦闘記録を詳しく調べた者も、数字から彼女の危険性を判断できる者もいるが、実際に向かい合い、攻撃を受け、覚醒まで目の前で見た者は限られている。
敗北したから任務から外されたのではなく、その敗北を経験したからこそ呼ばれているのだと理解できた。
レグシェリアは命令書を閉じ、机の端へ整えて置いた。第三十一位から第五十一位へ落ちた後も、軍の訓練予定は変わらず組まれ、至冠者として扱われる任務から外されたこともない。周囲から腫れ物のように扱われることも、帝国の名を汚したと責められることもなかった。
本人も、それを特別な温情だとは考えていない。至冠戦で正面から戦い、勝てず、最後には自分で敗北を認めた。その結果として順位が入れ替わったのであって、第三十一位を誰かに不当に奪われたわけではなかった。
悔しさなら今でも残っている。思い出せば、もう少し違う動きができなかったかと考えることもあるが、それをリゼルヴェートへの恨みに変える理由はなかった。
次に戦う機会があるなら、その時は自分が強くなって勝てばいいと、それだけは敗北直後から変わっていない。
指定された会議室へ向かうと、扉の前にはすでに帝国軍の実務官が待機していた。案内を受けて中へ入ると、三人の男女がそれぞれ資料を前にして座っている。レグシェリアが知っている顔もあれば、名前と経歴だけ聞いていた人物もいた。
最初に立ち上がったのは、濃紺の使節服を着た長身の男だった。暗い鉄灰色の髪を後ろへ流し、左眉の上には薄い傷が残っている。軍人らしい体格をしているが、胸元の装飾は必要最低限で、武威を誇示するような雰囲気はなかった。
「ヴァルディナ至冠者。今回の同行を引き受けていただき、ありがとうございます」
「命令ですので。それに、私も行きたいと思っていました」
「それなら何よりです。私はディルヴァルト・グラディオス。今回の特命全権使節を務めます」
正式な場らしい簡潔な挨拶だった。レグシェリアも名乗りを返したが、彼が自分の順位について何も触れなかったことにはすぐ気づいた。
触れないよう気を遣っているというより、今回の任務に関係がないから話題にしていないように見える。
その隣では、淡い銀青色の髪を低い位置でまとめた女性が、すでに手元の資料へ目を落としていた。左耳には小型の記録術具が装着され、レグシェリアが席へ着くより先に何かを書き足している。
視線の鋭さからして、挨拶を交わす前からこちらを観察していたとしても不思議ではなかった。
「エルナシア・レグヴェインです。帝国軍情報分析局所属。今回はこちらの情報分析を担当します」
「存じています。私の戦闘記録を何度も確認している方ですよね」
「何度も、という表現は少し曖昧ですね。直近だけでも十一回です」
「やはり少し多くありませんか?」
「必要でしたので」
悪びれる様子もなく返され、レグシェリアは小さく息を吐いた。戦闘記録を分析されること自体に不満はないが、エルナシアは数字や動作を細かく拾いすぎる。
自分でも忘れている踏み込みの癖まで指摘されたことがあり、能力は認めていても少し鬱陶しいという印象は変わらなかった。
「正確には、ヴァルディナさんの記録だけを見ていたわけではありません。アルシェノアさんとの戦闘から得られる情報が多かったので、結果としてあなたの記録も繰り返し確認しただけです」
「それは慰めになっていません」
「慰める意図はありませんでした」
そのやり取りの横から、低い笑い声が聞こえた。大柄な男が腕を組みながらこちらを見ている。黒と深紅の軍装、肩と胸部の軽装甲、短く切った暗褐色の髪という姿には見覚えがあり、レグシェリアも少しだけ表情を緩めた。
「久しぶりだな、レグシェリア」
「ディオルク中佐。今回の護衛責任者だと伺いました」
「そうだ。正式な場ではヴァルグレン・ディオルク中佐、とでも呼んでもらうべきなんだろうが、お前相手に今さら長いのも面倒だ」
「では、必要な時だけそうします」
「それでいい」
以前から軍内で何度も顔を合わせてきた相手だった。直属の上官ではないが、訓練で意見をもらったこともあれば、実戦報告について話したこともある。
第五十一位になった後も態度を変えなかった人物の一人であり、そのことをわざわざ言葉にしないところも以前と同じだった。
三人を見渡したところで、ディルヴァルトが会議を始めた。彼の前に置かれた資料には、リゼルヴェートだけでなく、イェルシェリナ、ゼルディヴァン、ルシェルトの名前まで並んでいる。
以前あの国へ向かった時には、ここまで三人の情報を個別に確認する必要があるとはレグシェリア自身も考えていなかった。
「今回の目的を先に共有しておきます。帝国は、アルシェノア殿の再評価、リュネヴァルト小王国との外交関係整理、そしてノルシェリア派の組織評価を行います」
「アルシェノア殿を帝国へ強制的に迎えることが目的ではありません。本人が望むなら別ですが、本人の意思を無視して囲い込むことは利益より損失が大きいと判断しています」
「その点は賛成です」
レグシェリアが答えると、ディルヴァルトは僅かに視線を向けた。戦闘経験者としての確認らしく、単なる同意で終わらせるつもりはないのだろう。彼の表情から感情までは読めなかったが、次の問いはすぐに返ってきた。
「実際に戦った立場としても?」
「はい。リゼルヴェートは、自分で決めて動く人です。命令すれば従う種類の人ではありません」
「戦闘能力の問題ではなく?」
「それもありますが、それだけではありません」
森で保護された後、ノルシェリア派に残ることを自分で選び、至冠者になった後もその選択を変えなかった。明るく素直ではあっても、それを判断力の低さと取り違えるべきではない。
少なくとも実際に話し、戦ったレグシェリアには、誰かに言われるまま動く少女には見えなかった。
ディルヴァルトも反論せず、資料へ一つ印を加えた。そこに何を書いたのかまでは見えないが、自分の発言も帝国側の判断材料として扱われていることだけは分かる。敗者だから証言の価値まで下がるという扱いではなかった。
「その認識も確認したかったところです。数字だけで判断して敗北した前例が、こちらには既にありますので」
「私のことですね」
「ええ。ただし責めているわけではありません。帝国側の評価不足も含めての話です」
言い方は淡々としていた。敗北を個人の失態だけへ押しつけるつもりがないことは、それだけで十分伝わる。レグシェリア自身も言い訳を求めてはいなかったが、帝国側が事実を事実として扱っていることには納得できた。
エルナシアが資料をめくり、今度はノルシェリア派三人の欄を開いた。視線はすぐに文字列へ落ち、必要な部分だけを拾っているように見える。彼女にとっては、リゼルヴェート以外の三人こそ今回不足している情報なのだろう。
「私はこちらを確認します。現状、アルシェノアさんの情報量に対して、他三名はかなり少ないです」
「戦闘員ではないからでは?」
「それだけなら問題ありません。しかし、国外からの接触処理、戦闘前情報、移動、施設確保まで彼らが担っているなら、評価対象から外す方が不自然です」
レグシェリアはそこで、以前の自分が三人をどう見ていたかを思い返した。存在は知っていたし、リゼルヴェートを保護した者たちとしても認識していたが、至冠戦で向かい合った時に意識の大半を占めていたのはリゼルヴェート本人だった。
それ自体は戦う側として当然でも、使節として見るなら同じ視野のままでは足りない。
「クロヴェリアさんは、最初からリゼルヴェートの意思をかなり気にしていました」
「記録にもあります。名目上の代表なのか、実際に交渉判断を行える人物なのかは確認が必要ですね」
「アルネグラートさんも、戦う前からこちらを見ていました。たぶん、私の能力や戦い方を考えていたんだと思います」
「推測として記録しておきます。実際の権限と能力は別途確認します」
「ヴァルネイドさんは……」
そこでレグシェリアは少し考えた。三人の中では最も目立たない印象だったが、移動や現地対応が滞った記憶もない。目につかなかったのではなく、問題が起こる前に処理していたから意識へ残りにくかった可能性もある。
「移動や実務を担当していたはずです。目立たなかったというより、問題を起こさなかったから目立たなかったのかもしれません」
「その可能性はありますね」
エルナシアはすぐに記録を修正した。最初の評価へ拘らず、情報が増えれば訂正する姿勢についてはレグシェリアも信用している。少なくとも、事前資料だけを絶対視して相手を決めつける分析官ではなかった。
「俺は軍事面を見る」
ヴァルグレンが続けた。腕を組んだ姿勢は崩さないが、話している内容は単純な戦闘力評価ではない。リゼルヴェート一人が強いことと、その力をどう扱う組織なのかは別に見るつもりらしい。
「アルシェノア殿が敵になった場合にどれだけ危険か。それと、あの国や派閥がその力をどう扱っているかだ。強い戦力を持っているから危険なんじゃない。強い戦力をどう運用しているかが分からない方が危険だ」
「リゼルヴェート自身は、無闇に戦いたがる人ではありません」
「お前がそう評価しているなら、その意見も入れる。ただし俺は俺で見る」
「もちろんです」
その言葉にも反発はなかった。むしろ、そうしてほしいと思う。レグシェリアが好意的に見ているからという理由だけで帝国全体が同じ結論へ流れるより、それぞれが専門の目で確認した方が信頼できる。
ディルヴァルトが最後に資料を閉じた。外交、分析、軍事、実戦経験という四つの役割が、これで明確になった。全員が同じものを見に行くのではなく、それぞれ別の角度から同じ対象を確かめる使節団だった。
「私が外交。レグヴェイン分析官が情報と能力。ディオルク中佐が軍事と安全保障。ヴァルディナ至冠者には、実際にアルシェノア殿と戦った者としての証言をお願いします」
「承知しました」
「なお、再戦交渉は今回の正式目的に含みません」
「……分かっています」
「少し残念そうですね」
「否定はしません」
レグシェリアが答えると、ヴァルグレンが声を立てて笑った。エルナシアは真面目な顔で何かを書き留めようとし、レグシェリアはそれを見てすぐに視線を向ける。本人としては個人的な再戦希望まで正式な分析対象にされるつもりはなかった。
「今のは記録しなくていいです」
「使節同行者の動機としては有用ですが」
「個人的な再戦希望まで正式資料へ入れないでください」
「では私用記録に留めます」
「残すんですね……」
ディルヴァルトは二人のやり取りへ口を挟まず、使節団の出発予定だけを確認していた。少なくとも、この三人となら役割は分かりやすい。それぞれが別のものを見に行くからこそ、自分一人の印象で帝国全体の判断が決まることもない。
◇
使節団は予定された準備を終え、リュネヴァルトへ向けて出発した。帝国から小王国までの距離は短くなく、正式使節である以上、個人の至冠者が急ぐ時のような移動方法だけで済ませるわけにもいかない。
必要な宿泊と移動を重ねながら進む間も、四人は訪問先について何度か情報を確認した。
移動の初め頃、ヴァルグレンはレグシェリアがリュネヴァルトへ戻ることをどう受け止めているのか気にしたらしい。街道沿いの宿で装備を確認していた時、不意に敗北後の気持ちを尋ねてきた。
軍人としての確認なのか、以前からの知人として聞いているのかは、レグシェリアには判別しきれなかった。
「気まずくはないのか?」
「何がですか?」
「負けた相手のところへ、今度は使節として行くんだ。何も感じないわけでもないだろう」
レグシェリアは少し考え、手にしていた留め具を締め直した。何も感じないわけではなく、戦った時のことを思い出せば悔しいし、第五十一位という数字を見るたびに敗北の結果だとは意識する。それでも、その感情が相手への憎しみに変わることはなかった。
「悔しいですよ」
「だろうな」
「だから、次は勝ちたいです」
「それだけか?」
「それ以外に必要ですか?」
ヴァルグレンは一瞬黙ったあと、豪快に笑った。その反応を見る限り、答えは気に入ったらしい。レグシェリア自身も、それ以外の答えを用意する必要があるとは思わなかった。
「いや、それでいい」
「リゼルヴェートが不正をしたわけでも、誰かに命じられて私を陥れたわけでもありません。正面から戦って、私が負けました。それなら次に私が強くなればいいだけです」
「第五十一位になったことは?」
「順位は結果です。私自身が急に弱くなったわけではありません」
帝国内へ戻ってからも、その感覚は変わっていない。第三十一位だった時の自分と、第五十一位になった今の自分で、真律《雷帝金剛》が急に弱くなったわけではなかった。積み上げた訓練も経験も残っており、変わったのは現在の順位だけだった。
「その認識なら問題ない」
「中佐も、順位が落ちたから私が弱くなったとは思っていないでしょう?」
「当たり前だ。そんな馬鹿な理屈を軍で言う奴がいたら叩き出す」
「本当に言いそうですね」
「言うぞ」
冗談ではなさそうだった。だが、その扱いにレグシェリアは少し安心した。帝国内の誰もが同じ考えとは限らなくても、少なくとも今回一緒に向かう三人は、順位の数字だけで戦力や人間そのものを決めてはいない。
別の移動日には、エルナシアからノルシェリア派三人について改めて質問された。移動中に資料を増やすことへ何の抵抗もないらしく、彼女の手元には出発時より明らかに書き込みの増えた記録がある。レグシェリアを見る視線も、雑談を始める者のものではなかった。
「ヴァルディナさん。アルネグラート君について、戦闘中の印象をもう少し詳しく話せますか?」
「私と直接戦ったわけではありません」
「承知しています。その上で、視線、立ち位置、戦闘前後の行動など、記憶にある範囲で構いません」
「細かいですね」
「仕事ですので」
呆れながらも、覚えている範囲では答えた。ゼルディヴァンは戦闘中ずっと何かを見ており、イェルシェリナはリゼルヴェートの意思を確認してから話を進めていた。ルシェルトは表へ出る言葉こそ少なかったが、移動や実務が止まった記憶もない。
あの時の自分は、強敵であるリゼルヴェートへ意識を集中させていた。その判断自体を間違いだとは思わないが、今回は至冠戦ではなく使節として会うことになる。同じ三人を見るにしても、以前とは違うものが見えるかもしれなかった。
「私も、少し気になっています」
「誰がですか?」
「三人ともです。以前は、リゼルヴェートほど見ていませんでしたから」
「それは有用な認識ですね」
「また記録しています?」
「もちろんです」
「私の発言を全部残すつもりですか?」
「必要なものだけです」
必要の基準が広すぎる気がしたが、口に出せばその反応まで記録されそうだった。レグシェリアはそれ以上言わず、窓の外へ視線を向ける。少なくともエルナシアが三人を最初から無能と決めつけていないことだけは分かった。
ディルヴァルトとは、リゼルヴェート本人について話す機会が多かった。彼が確認したがったのは戦闘力ではなく、交渉相手として何を嫌い、どこを本人自身に決めさせるべき人物なのかという部分だった。
帝国へ迎える可能性を検討するにしても、本人の意思を抜いた話は成立しないと最初から考えているらしい。
「アルシェノア殿は、帝国という国そのものへ悪感情を持っていますか?」
「少なくとも、私が知る限りではありません」
「あなたとの戦闘後も?」
「はい。そもそも、私たちが敵だったのは戦っている間だけです」
「なるほど」
「ただ、本人の代わりに何でも決めるのは嫌がると思います」
「クロヴェリア代表がそこを重視しているという情報とも一致しますね」
「イェルシェリナさんは、かなり徹底しています」
あの少女を帝国へ引き入れたいと考える者がいても不思議ではない。その力だけ見れば欲しくなる理由はいくらでもあるが、自分で選んでノルシェリア派にいる相手を本人の意思を無視して動かそうとすれば、良い結果になるとは思えない。少なくとも、実際に向き合ったレグシェリアにはそう感じられた。
ディルヴァルトはそれ以上深掘りせず、確認した内容を自分の資料へ加えていた。誰か一人の意見だけで結論を決めず、複数の情報を集めてから判断するつもりなのだろう。その姿勢なら、今回の訪問が無用な対立へ変わる可能性も低いとレグシェリアは考えた。
移動を重ねるにつれ、周囲の景色も少しずつ変わっていった。帝国領を離れ、さらに道を進み、見覚えのある土地へ近づいていく。以前は至冠戦のために向かった道だったが、今回は剣を交えることが目的ではない。
それでも、レグシェリアの意識は自然と一人の少女へ向いていた。今度会った時、リゼルヴェートは気まずそうにするのか、それとも何も気にせず笑うのか。あるいは、また戦おうとでも言い出すのかと考えたところで、自分でも僅かに口元が緩んだのが分かった。
正式な再戦は今回の目的ではなく、使節任務を私情で乱すつもりもない。だが、次に戦う時は勝ちたいという気持ちまで消す必要はなかった。
むしろ、恨みではなく再戦したいと思える相手だからこそ、今度の再会を嫌だとは感じていない。
やがて移動中の車窓の向こう、遠くにリュネヴァルト王都の輪郭が見え始めた。以前と同じ街並みのはずなのに、自分の順位と訪れる目的が変わっただけで少し違って見える。
第三十一位として戦いに来た時とは違い、今のレグシェリアは第五十一位で、帝国使節団の一員として戻ってきた。
それでも、王都の向こうにいる少女を思い浮かべた時に湧いたのは、敗北の苦さではなかった。
リゼルヴェートが自分を見つけた時、どんな顔をするのか。それを確かめるのが、レグシェリアには少し楽しみだった。




