第二章 13 『再会は決闘ではなく』
ヴァルグレシア帝国の使節団を迎えるために用意された部屋は、ノルシェリア派の拠点とは比べものにならないほど広かった。
長机の周囲には十分な間隔を取って椅子が並び、出入口の位置や護衛の待機場所まで最初から決められている。リゼルヴェートはイェルシェリナたちと一緒に席へ向かいながら、やはり自分たちの拠点でやらなくて正解だったと思った。
帝国使節団は、すでに入城後の最低限の手続きを終えていた。王国側との挨拶も済み、ここから先はリゼルヴェート本人とノルシェリア派を交えた会談になる。
第三十一位になってから外国からの手紙には慣れ始めたつもりだったが、国を代表する者たちが実際に目の前まで来ると、封書の山とはやはり違って見えた。
扉が開き、先に入ってきたのは濃紺の使節服を着た長身の男だった。その後ろには淡い銀青色の髪をまとめた女性、大柄な帝国軍人が続き、最後に見覚えのある少女の姿が現れる。リゼルヴェートはその顔を見つけた瞬間、他の三人より先に視線を止めた。
「レグシェリアさん」
呼ばれたレグシェリアも、すぐにこちらを見た。以前向かい合った時と服装も立場も違うが、凛とした姿勢も、こちらを見る紫の瞳も変わっていない。
第三十一位だった彼女が今は第五十一位になっていることを思い出し、リゼルヴェートは自分から声をかけた直後になって少しだけ迷った。
「お久しぶりです、リゼルヴェート」
「う、うん。久しぶり」
「どうしました?」
「いや、その……普通だなって」
口にしてから、もっと別の言い方があった気がした。隣でゼルディヴァンが僅かに視線を逸らし、ルシェルトは何も言わなかったが、たぶん今の言い方について考えている。イェルシェリナだけはいつも通りの顔をしていた。
レグシェリアは一度だけ瞬きをしたあと、わずかに首を傾げた。
「普通では困りますか?」
「困らない! むしろよかったんだけど、私が勝ったから、ちょっと気まずいのかなって思ってた」
「悔しくはありますよ」
「あ、やっぱり」
「ですが、恨んではいません。私は負けて、あなたが勝った。それだけです」
返ってきた言葉は思っていたよりもずっと簡単だった。責める調子もなく、順位を奪われたと言うこともなく、負けた結果をそのまま受け入れている。リゼルヴェートは肩の奥にあった小さな引っかかりが、それだけで少し軽くなるのを感じた。
「じゃあ、怒ってない?」
「怒っていません。ただし、次に戦う時は勝つつもりです」
「うん。その時は私も負けないよ」
「望むところです」
二人のやり取りを見ていた大柄な軍人が、低く笑った。会談前なのに少し気を抜きすぎたかもしれないと思ったところで、濃紺の使節服の男が一歩前へ出る。姿勢は軍人のように整っているが、威圧するような立ち方ではなかった。
「改めてご挨拶申し上げます。ヴァルグレシア帝国外務軍務局、特命全権使節のディルヴァルト・グラディオスです」
「リゼルヴェート・アルシェノアです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。アルシェノア殿とは、一度直接お話しする必要があると考えておりました」
続いて、銀青色の髪の女性がこちらを見る。視線が鋭く、挨拶をする前から何かを確かめられているような感覚があった。ただし嫌な見られ方ではなく、何かを一つずつ確認しているように見える。
「エルナシア・レグヴェインです。帝国軍情報分析局で、今回の情報・能力分析を担当しています」
「能力分析?」
「はい。ただし、本人の同意なく測定や情報開示を要求する予定はありません。今回の主目的は、帝国が現在持っている評価と実態の差を確認することです」
「そっか。なら大丈夫」
「ありがとうございます、アルシェノアさん」
最後の男は、使節団の中でもひときわ大柄だった。黒と深紅の軍装の上からでも鍛えられた体格が分かり、肩と胸には軽い装甲が付いている。見た目だけなら四人の中で一番怖そうだったが、こちらを見る目には露骨な敵意はなかった。
「ヴァルグレン・ディオルクだ。帝国軍中佐、今回は使節団の護衛と軍事面の確認を担当している。公の場なので一応申し上げておくが、アルシェノア殿を警戒はしている。敵意とは別の話だ」
「うん。私も、軍人の人がそう言うなら分かるよ」
「そう言ってもらえると助かる」
挨拶だけで終わらず、最初から役割まで分かれている。ディルヴァルトが外交、エルナシアが情報と能力、ヴァルグレンが軍事、そしてレグシェリアが実際に戦った相手として同行している。前にイェルシェリナが文書を見ながら説明していた通りだった。
全員が席へ着くと、会談はすぐ本題へ入った。王国側から必要な実務確認が済んだあと、最初に口を開いたのはディルヴァルトだった。彼は机上の資料を開いたが、読み上げるような話し方はしなかった。
「最初に、帝国側の立場を明確にしておきます。今回の訪問は、アルシェノア殿へ帝国への移籍を強制するためのものではありません。ヴァルディナ至冠者の敗北に対する報復でも、再戦を要求するためのものでもありません」
そこまで明言されると、リゼルヴェートにも話は分かりやすかった。レグシェリアとの再会が普通だった時点で報復の空気は感じていなかったが、正式な代表者の口から否定される意味は別にある。隣を見ると、イェルシェリナも余計な反応をせず、その言葉をそのまま受け取っていた。
「では、帝国としての目的を確認しても?」
「もちろんです、クロヴェリア代表」
「本人の再評価、リュネヴァルトとの外交関係整理、ノルシェリア派の組織評価。この三点で間違いない?」
「その認識で結構です」
「なら、それぞれ分けて話しましょう。リゼルヴェート本人の意思と、王国として回答する事項と、私たちノルシェリア派が回答できる事項を混ぜたくないわ」
「異論ありません。その方がこちらとしても確認しやすい」
イェルシェリナが会談の境界を先に決めると、ディルヴァルトもすぐに受け入れた。どちらが主導権を奪うかという感じではなく、話を成立させるために必要な線を先に引いているように見える。
リゼルヴェートは自分一人で来ていたら、たぶんここまで細かく分けずに全部まとめて答えていただろうと思った。
「まず、アルシェノア殿ご本人へ確認します」
「はい」
「現在も、ノルシェリア派への所属はご自身の意思によるものですか?」
「うん。私がいたいからいるよ」
「王国またはクロヴェリア代表から、離脱を禁じられているわけではない?」
「ないよ。最初に王様と話した時も、私を国のものにするって話にはならなかったし、イェルシェリナも勝手に決めたりしないから」
「では、より条件の良い所属先を他国から提示された場合も、ご本人が判断する?」
「そうなると思う。でも今のところ、移るつもりはないよ」
ディルヴァルトは必要な部分だけを確認し、無理に理由を掘り下げなかった。それでも自分がノルシェリア派へ残っているのは仕方なくではなく、自分で選んだ結果だということは伝わったはずだった。
「補足するわ」
イェルシェリナが続ける。
「本人がノルシェリア派へ残ることと、国外との契約や研究協力、至冠戦の受諾は別よ。所属しているからといって、私が本人の代わりに全部決める権限を持つわけではない」
「承知しています。帝国側が確認したかった点もそこです」
「外交窓口は私たちが担う。ただし、本人に帰属する意思決定は本人へ戻す。国家を拘束する案件なら王廷との共同協議になるわ」
「明確ですね」
ディルヴァルトは短く頷いた。リゼルヴェートには、イェルシェリナがいつも言っていることとほとんど同じに聞こえる。本人が決めること、派閥が責任を持つこと、国が決めることを一緒にしないという話だった。
次に確認されたのは、王国との関係だった。リゼルヴェートが国家所有の戦力ではないこと、国外との接触を完全に王廷経由へ一本化していないこと、ただし国家間の条約や軍事行動まで本人とノルシェリア派だけでは決定できないこと。その境界を、イェルシェリナと王国側の実務担当が順に説明していく。
「なるほど。本人へ直接提案できる事項と、王国との協議が必要な事項は別ということですね」
「ええ。その上で、本人へ直接話せるからといって、本人の意思を飛ばして合意したことにはならないわ」
「当然です。帝国としても、本人の同意なしに成立した契約を有効と主張するつもりはありません」
「そこが一致しているなら話は早いわ」
リゼルヴェートは二人の会話を聞きながら、少しだけ安心していた。ディルヴァルトは帝国の利益を考えていないわけではない。それでも、帝国が強いから従えという話には持っていかず、こちらが何を決められるかを確認している。
そこで話の方向を変えたのは、エルナシアだった。彼女はそれまで会話を聞きながら資料へ何度か書き込み、時々リゼルヴェートたちの方を見ていた。今度はその視線が、イェルシェリナへ明確に向く。
「クロヴェリア代表。一点、権限について確認してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「国外からアルシェノアさん個人へ届いた面会要請、研究協力、契約提案、至冠戦申請は、最初にあなた方が内容を精査する。この認識で合っていますか?」
「基本的にはね。本人に届く前に勝手に拒否するという意味ではないわ。内容、責任、危険性、拘束条件を整理してから本人へ渡す」
「その分類基準を決定するのは?」
「契約や権利なら私。情報上の妥当性はゼルディヴァン。移動、場所、費用、警備など実務上成立するかはルシェルト。最後に、本人が決めるべきものはリゼルヴェートへ戻すわ」
エルナシアの手が止まった。ほんの一瞬だったが、リゼルヴェートにも分かる程度には明確な変化だった。彼女はすぐに次の資料へ目を移し、今度はゼルディヴァンへ視線を向ける。
「アルネグラート君。先ほどの説明で、あなたは情報上の妥当性確認を担当するとありました。具体的には、送付元の確認だけですか?」
「それだけじゃない。誰が出した情報か、公開記録と食い違ってないか、推測を事実みたいに書いてないか、その辺りも見る。分からないものは分からないまま残す」
「至冠戦申請の場合は?」
「相手の公開戦歴、順位、ポイント、確認できる能力情報。あとは申請条件に変なところがないかだな。未来を読めるわけじゃないから、分かる範囲だけだけど」
「……確認しました」
エルナシアは再び書き込んだ。今度は質問がそのままルシェルトへ移る。リゼルヴェートには、最初から順番を決めていたというより、答えを聞くたびに次の確認点を変えているように見えた。
「ヴァルネイド君。外部からの訪問や至冠戦が成立した場合、移動と施設についてはあなたが担当する?」
「全部一人でやるわけじゃないけど、うちの中じゃ俺が見ることが多いな。今回みたいに拠点じゃ入らない人数なら別の場所を探すし、戦うなら会場までの経路、周囲への影響、必要物資も見る」
「《道界標》による移動も含めて?」
「使える場所と使えない場所がある。俺が行ったことも繋いだこともない場所へ、好き勝手に飛べるわけじゃない。普通に移動した方がいいならそうする」
「記録より制約が明確ですね」
「外から見ると便利なところだけ残るんだろ」
ルシェルトは肩をすくめた。リゼルヴェートも、彼が何でもできる移動役のように扱われるのは違うと思う。実際には道を確認し、場所を選び、費用や時間まで考えた上で一番現実的な方法を決めている。
質問が三人へ移ってから、会談の見え方が少し変わった。最初は自分が第三十一位だから帝国が来たのだと思っていたし、それ自体は間違っていない。けれど帝国側は、自分の横にいる三人まで一人ずつ確認し始めている。
イェルシェリナがどこまで決められるのか。
ゼルディヴァンが何を調べているのか。
ルシェルトがどこまで実際の行動を支えているのか。
リゼルヴェートは三人の顔を順に見た。いつも一緒にいるから、自分にとってはそれぞれが別のことを得意としているのは当たり前になっている。だが、帝国側にとっては、その当たり前そのものが確認し直す対象らしい。
「私だけじゃないんだ」
思わず小さく漏らすと、隣のイェルシェリナがこちらを見た。
「何が?」
「帝国が見に来たの。私だけじゃなくて、三人のこともなんだなって」
「文書を読んだ時点で、そのつもりだとは分かっていたわ」
「うん。でも、実際に聞かれてるの見ると、本当にそうなんだって分かった」
イェルシェリナはそれ以上何も言わなかったが、否定もしなかった。リゼルヴェートには、その反応だけで十分だった。
向かいでは、エルナシアがこれまでの回答を資料と見比べていた。最初から用意してきた記録と、その場で聞いた内容を一つずつ照合しているらしい。しばらくして彼女の指が、ある箇所で止まった。
「グラディオス特使、一点よろしいですか」
「どうぞ」
「事前資料では、ノルシェリア派の実務機能をアルシェノアさんへの付随支援として整理しています」
エルナシアはそこで一度顔を上げ、イェルシェリナ、ゼルディヴァン、ルシェルトの順に視線を移した。リゼルヴェートには何を考えているかまでは分からないが、少なくとも到着した時より資料を見る時間が長くなっている。
「しかし、外交判断、情報整理、移動・実務がそれぞれ独立した役割として成立しています。アルシェノアさんが強いから周囲に人が付いている、という整理だけでは説明が足りません」
会談室が少しだけ静かになった。エルナシアは手元の資料へ視線を落とし、書かれていた評価を確認するように一度だけ指先を動かした。
「……資料の評価は、修正した方がよさそうですね」




