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第二章 11 『帝国は何を見に来る』





 ヴァルグレシア帝国から届いた文書は、封を切った時点で軽い内容ではないと分かった。使節団の来訪通知だけなら一枚で済むところを、正式な目的、予定される協議項目、同行者名簿、事前照会事項まで複数の文書に分けてまとめてある。


 イェルシェリナは最初から本文を追うのではなく、まず差出人と権限、帝国側の正式印、そして文書ごとの性質を確認した。


 偽造を疑う必要はなさそうだった。少なくとも形式上は、ヴァルグレシア帝国が国家として出した正式文書であり、一部の軍人や貴族が独断で送りつけてきたものではない。


 そこまで確かめてから、イェルシェリナはようやく一枚目の本文へ目を落とした。


 机の反対側では、リゼルヴェートが横から文面を覗こうとしていた。ゼルディヴァンは別紙の名簿と照会項目を先に取り、ルシェルトは来訪予定と人数、滞在時に必要となる条件へ視線を走らせている。


 ユルディオとの至冠戦を終えたばかりだというのに、今度は六大国の一角から正式な使節団が来ることになった。


「レグシェリアさん、来るんだよね?」


「名簿に名前はあるわ。ただ、それだけで目的を決めないで」


「復讐とか?」


「その可能性も、最初に除外するまでは候補よ」


 リゼルヴェートの表情が僅かに曇った。怖がっているというより、自分が勝ったことで何か面倒を起こしたのではないかと気にしたらしい。


 そういう方向へ先に考えるところは彼女らしかったが、今の段階で責任まで背負わせる理由はない。


「でも、今のところその可能性は低いわ。少なくとも、この文書を読む限りではね」


「そうなの?」


「ええ。だから順番に切り分ける」


 最初に警戒すべきなのは、レグシェリアの敗北を理由とした報復だった。


 帝国軍所属の至冠者が、小国で突然現れた新たな至冠者に敗れ、第三十一位から第五十一位まで順位を落としている。結果だけを見れば、帝国の威信が傷ついたと考える者がいても不思議ではない。


 だが、正式文書には敗北への抗議が記されていなかった。至冠戦の決着そのものへ異議を唱える文言もなく、順位変動の扱いを問題視する記述もない。


 帝国側があの戦いを不当なものとして扱っているなら、最初に書かれていていい部分が丸ごと存在しなかった。


「まず、報復目的なら不自然ね」


「どこが?」


「普通は、こちらの行為を問題視する文面が入るわ。少なくともレグシェリアの扱いか、あの至冠戦の決着か、何か一つは争点にする。でも、それがない」


 ゼルディヴァンも手元の文書を一枚ずらし、別の項目と照らし合わせていた。彼が見ている範囲にも、再戦を要求する文言は見当たらないらしい。


 リゼルヴェートへ新たな至冠戦を強制する意図があるなら、もっと直接的な形式で出してくるはずだった。


「再戦の強要もない。至冠戦の再申請そのものが入ってないな」


「そう。レグシェリア本人が来るからといって、再戦させに来るわけでもない」


「じゃあ、身柄を寄越せとか?」


「それもないわ」


 イェルシェリナは該当箇所を指先で押さえた。帝国側が求めているのは、リゼルヴェート本人との面会機会、現在の所属状態の確認、そしてリュネヴァルトとの外交上の関係整理だった。


 移籍、拘束、引き渡しを要求する文言はなく、少なくとも正式な来訪目的として本人の身柄を求めているわけではない。


「『本人の現所属および今後の意思確認』。この書き方を見る限り、本人の意思を無視して引き渡せという形ではないわ」


「軍事的な圧力は?」


 今度はルシェルトが聞いた。彼は文書の内容だけでなく、その使節を実際に受け入れるための条件まで見ているらしく、人数や滞在に関する欄へすでに印を付けていた。使節団そのものより、その背後にどれだけの護衛や支援要員が動くのかを気にしているのだろう。


「示威目的と思える規模の護衛じゃない。予定人数も使節団として不自然ではないわ。軍を国境付近へ動かすという通知もない」


「なら、少なくとも文書上は圧力外交じゃないか」


「ええ。正式文書に書かれていない意図まで存在しないとは断定しない。でも、最初から敵対前提で構える材料もないわ」


 帝国だから危険、大国だから高圧的、レグシェリアが負けたから報復に来る。そう決めてしまうのは簡単だが、外交で簡単な決め方ほど危ういものはない。


 文書に書かれていることと、こちらが警戒のために想定していることを分け、それぞれ別の扱いをする必要がある。


「問題は、じゃあ何をしに来るのかよ」


 イェルシェリナは次の文書を開いた。表題自体は簡潔だったが、中身には帝国側が今回確認したい事項が細かく並んでいる。最初の項目群は、当然ながらリゼルヴェート本人についてだった。


 現在の至冠序列、所属、ノルシェリア派へ残っている理由が本人の意思によるものかどうか。王国との間にどのような拘束関係があり、国外からの面会、研究協力、契約、至冠戦申請について誰が窓口となり、誰が最終的に決定するのか。


 戦闘能力そのものより、彼女がどのような立場で動いているのかを確認する質問が多かった。


「再評価ね」


「私の?」


「まずはあなた。でも、それだけじゃないわ」


 リゼルヴェートは第三十一位になった。それだけでも、帝国が改めて調査するには十分な理由になる。だが今回の文書には、真律の詳細提出を求める項目も、技の全面開示を要求する文言もなかった。


 むしろ多いのは、本人の意思決定と周囲の権限に関する質問だった。森で保護され、ノルシェリア派へ入り、短い間に至冠者となり、そのまま第三十一位まで上がった少女が、現在どのような意思決定構造の中にいるのか。帝国は戦闘記録だけでは足りないと判断している。


「前にレグシェリアと戦った時点では、帝国側もあなたを十分には把握していなかったはずよ。突然現れた至冠者で、しかも所属先はこの国でも最弱と見られていた派閥だった。その上でレグシェリアに勝ったんだから、外から見れば情報が急激に変わりすぎている」


「たしかに、私もこっちに来たばっかりだったし」


「だから今度は、結果だけじゃなく現在の状態を確認しに来る。第三十一位になったあなたが、誰の指示で動いているのか。本当に自分の意思でここにいるのか。王国はあなたをどう扱っているのか。そこを見直すつもりでしょうね」


 さらに文書をめくると、次はリュネヴァルトとの外交調整に関する項目が続いていた。リゼルヴェート個人への接触を王国外交としてどこまで扱うのか、ノルシェリア派との協議だけで成立する案件は何か、国家間契約へ発展する場合は誰の承認が必要になるのか。先日王廷と整理した境界を、今度は外国側が確認しようとしている。


「王国との関係も見に来るわ」


「この前決めたところか?」


「そう。私たちだけで決められることと、国として決めなければならないこと。その区分を帝国側も知りたがってる」


 ゼルディヴァンが文面へ目を落とし、幾つかの項目を見比べた。国外からリゼルヴェートへ接触する側にとって、その境界が不明瞭なのは確かに不便だろう。


 本人と合意したつもりでも国家側から否定されるのでは困るし、逆に国家と話しただけで本人の意思まで得たことにもならない。


「筋は通ってるな。リゼルヴェート個人と契約したつもりが、後から王国に無効だと言われても困る。逆に王国と話しただけで、本人の意思まで取ったことにはならない」


「その通りよ」


「じゃあ、そこはこっちが決めた形をそのまま出せる」


「出していい範囲ならね」


 イェルシェリナは即答した。制度が整理されているからといって、内部資料まで無制限に開示する理由にはならない。


 相手が確認する必要のある内容と、こちらが内部情報として保持する内容は別だった。


 それでも、帝国側が何をしに来るのかはかなり見えてきた。リゼルヴェート本人を再評価し、リュネヴァルトとの正式な外交線を整理し、その上でノルシェリア派がどのような組織なのかを確認する。


 最後の一つは、イェルシェリナが最初に想定していたより明らかに重かった。


「これ、うちについての質問が多くないか?」


 ルシェルトも同じところに気づいたらしい。彼が持っていた別紙には、受け入れ態勢ではなく、ノルシェリア派の組織構造に関する事前照会が並んでいる。


 しかも所属人数や拠点規模ではなく、実際に誰が何を担当しているのかを確認する内容だった。


「多いわね」


「リゼルヴェートだけじゃない。俺たち三人について、個別に聞いてる」


「見せて」


 受け取った文書には、三人の名が明記されていた。イェルシェリナについては、ノルシェリア派における正式権限、対外交渉での決裁範囲、リゼルヴェート本人との意思決定上の関係。単なる代表者という肩書きだけではなく、どこまで実際に決められるのかを見ようとしている。


 ゼルディヴァンについては、情報管理と戦術判断の担当範囲、至冠戦を受ける前の情報確認へどこまで関与しているか。


 ルシェルトについては、移動、施設選定、警備、物流、外部訪問時の実務担当範囲が問われていた。


 それぞれについて、本人の裁量で決められる部分と、代表や王国との協議が必要な部分まで確認しようとしている。


「……なるほど」


 リゼルヴェートが首を傾げた。


「何か分かった?」


「ええ。帝国は、前に来た時より慎重になってる」


「私が強かったから?」


「それだけなら、あなたの能力資料だけ要求すればいいわ」


 イェルシェリナは三人分の照会項目を指でなぞった。帝国はすでに、リゼルヴェートが単独で好き勝手に動いているわけではないことを把握している。


 ノルシェリア派がただの所属先ではなく、彼女の外部接触を現実に処理していることも、少なくとも調べてきたらしい。


 その評価が正しいかどうかを、今度は直接確認しに来る。誰が交渉し、誰が情報を整理し、誰が実際の移動と受け入れを成立させるのか。その三人が第三十一位の至冠者とどのような関係を築いているのかまで、帝国は見ようとしていた。


「レグシェリアさんが何か言ったのかな」


「可能性はあるわ。でも、今は分からない。そこは勝手に決めない」


「うん」


「ただ、この照会内容を見る限り、帝国はあなた一人だけを見れば済むとは考えていないわ」


 もし本当に欲しいのがリゼルヴェートの戦闘力だけなら、彼女の真律、順位、戦績、契約条件だけを見ればいい。王国との交渉も、彼女をどこへ所属させるかという話だけで済む。


 だが、今回の文書はそうなっていない。リゼルヴェートの周囲にいる三人が何を決め、何を守り、何を成立させているのかまで、帝国側は確認しようとしている。


「私たちも見られるってことか」


 ゼルディヴァンの言葉に、イェルシェリナは頷いた。


「そういうことね」


「面倒そうだな」


「帝国側も同じことを思ってるかもしれないわ」


 ルシェルトが小さく笑ったが、冗談だけではないとイェルシェリナは思った。何も持たない弱小派閥なら、帝国にとって交渉は簡単だったはずだ。第三十一位本人だけを相手にするか、王国へ話を持っていけばいい。


 しかし実際には、本人の意思を守る代表がいる。情報を整理する参謀がいて、移動と実務を成立させる者もいる。その三人を無視してリゼルヴェートだけと話そうとすれば、帝国側にとっても交渉の手間が増える。


「じゃあ、どうするの?」


 リゼルヴェートに問われ、イェルシェリナは残っていた名簿へ目を移した。こちらの対応を決める前に、使節団四人が何を見るために選ばれているのかを把握しておく必要がある。名簿には肩書きも併記されており、それぞれの担当はかなり明確だった。


 代表は《ディルヴァルト・グラディオス》。帝国外務軍務局の特命全権使節で、今回の外交判断を担う人物だった。


 《エルナシア・レグヴェイン》は帝国軍情報分析局の上級分析官で、能力と情報評価を担当する。


 《ヴァルグレン・ディオルク》は帝国軍中佐で、使節団の護衛責任者であると同時に軍事面の確認役でもあるらしい。


 そして最後に、《レグシェリア・ヴァルディナ》。現在第五十一位の帝国軍所属至冠者であり、リゼルヴェートと実際に戦った当事者だった。


 外交、情報、軍事、実戦経験という四つの視点を揃えているなら、帝国が単純な挨拶だけをしに来るわけではないことは明らかだった。


「役割まで分けてるわね」


「四人とも同じ目的じゃない?」


「大きな目的は同じでしょう。でも、見る場所が違う」


 イェルシェリナは名簿を机へ並べた。戦闘力だけを見るなら過剰な組み合わせだが、国家、能力、軍事、当事者評価をそれぞれ持ち帰るつもりなら筋が通る。


 しかも事前照会の範囲まで考えれば、使節団の関心がリゼルヴェート一人に留まっていないことは疑いようがなかった。


「ディルヴァルト・グラディオスが外交。エルナシア・レグヴェインは情報と能力。ヴァルグレン・ディオルクは軍事と安全保障。レグシェリアは、実際にあなたと戦った側の証言者になるはずよ」


「なんか、ちゃんと調べに来る感じだね」


「ええ。だから、こちらもちゃんと準備する必要があるわ」


 ただし、答えることと、何でも渡すことは違う。本人の意思、王国との取り決め、ノルシェリア派の権限、公開してよい情報、出す必要のない情報。


 その境界を曖昧にしたまま会談へ入れば、帝国が悪意を持っていなくても余計な問題が生まれる。


「ゼルディヴァン。帝国側が事前に取得できる公開情報を整理して。レグシェリアとの至冠戦記録と、それ以降に外へ出ている情報は分けてほしい」


「分かった。帝国側が何を知ってる前提で来るのか、最低線を出す」


「ルシェルト。使節団四人と必要随行人数を受け入れられる場所を、今ある候補から絞って。王廷側の施設を使う必要があるなら、その条件も確認して」


「今の拠点に四人と随行まで入れるのは無理だな。警備も含めて見直す」


「リゼルヴェートは、会いたくない相手がいるなら今のうちに言って」


「え? いないよ」


「なら、それでいいわ。会談中に答えたくない質問が出たら、無理に答えなくていい。私に回して」


「うん!」


 返事は明るかったが、それで十分だった。リゼルヴェートが自分で決めるべきところまで、イェルシェリナが代わりに決めるつもりはない。


 自分が決めるべきなのは、誰に何を答える責任があり、どこから先を本人の意思へ戻すべきかという境界だった。


 窓の外はすでに夕方の色を失い、室内の灯りが文書の白さを浮かび上がらせていた。ユルディオが来たのも、その至冠戦を終えたのも同じ日であり、その日のうちに今度は六大国から来る使節団への準備が始まっている。


 第三十一位になってから、リゼルヴェートの周囲で物事が動く速度は明らかに上がっていた。


 それでも、速さに流される必要はない。イェルシェリナは最後にもう一度、帝国側の事前照会一覧へ目を通し、そこに並んだ名前を順に確認した。


 リゼルヴェートだけではなく、自分、ゼルディヴァン、ルシェルトの三人にも、それぞれ役割と権限を確認する欄がある。


 帝国が見に来るものは、もう十分に分かった。第三十一位になった少女の強さだけを確かめに来るわけではない。


 今度、ヴァルグレシア帝国の評価対象になっているのは、《ノルシェリア派そのもの》だった。





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