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第二章 9 『七つに分けても』





 まずい、とユルディオが認識した時には、すでに次の花弁群が四方から迫っていた。一枚一枚なら《傷界分岐》で処理できる威力でも、問題はそこではない。


 右肩、左腕、脇腹、脚と異なる場所へほぼ同時に損傷が生じ、それぞれを別の受損点へ逃がしている間にも次の一群が到達する。通常の運用で一つずつ振り分けていては、損傷そのものより処理の方が先に追いつかなくなる。


 ユルディオは右へ踏み込み、正面から来る花弁だけを避けた。左側の一群が腕を掠めると同時に、傷を床へ逃がし、その途中で背後から迫った二枚を装備で受ける。


 今度は別の受損点へ損傷を流したが、その時には上方から降ってきた花弁が肩へ触れていた。どれも一撃で致命傷になるほどではないのに、処理を一つ誤れば複数の負荷が身体へ重なって残る。


「やっぱり、数か」


 思わず漏れた言葉へ返事はなかった。リゼルヴェートはもう答えを聞く必要がないのだろう。彼女の周囲にはさらに多くの花弁が浮かび、一群ごとではなく、一枚単位で異なる軌道を取り始めている。攻撃の威力を無理に上げず、ユルディオが同時に処理しなければならない傷だけを増やしていた。


 ここまで来れば、通常の《傷界分岐》へ拘る理由はなかった。ユルディオは次の一撃を避けながら呼吸を整え、自分の身体と周囲へ繋いでいた受損点を一度に意識へ引き上げる。


 今まで個別に選び、順番に損傷を流していた経路を、最初から複数同時に成立させる。扱える数も、処理速度も、通常状態のままでは届かない領域へ切り替える必要があった。


 源素の流れが変わった。身体の内側から広がった《傷界分岐》が、一本ずつではなく複数の分岐として同時に固定されていく。虹彩の周囲へ浮かんでいた細い線も増え、七つの損傷経路が互いに干渉しない形で並列に繋がった。


 ——『七傷分界(セプテム・パルティア)』


 覚醒した《傷界分岐》が、最大七系統の受損経路を同時に成立させる。異なる場所へ、異なる性質の損傷を並行して流せるため、通常時のように一つを処理してから次へ移る必要はない。


 その代わり、損傷そのものが消えるわけではなく、七つへ分けたところで受けた総量は変わらなかった。


 次の花弁が来た。正面、左右、上方の四方向からほぼ同時に迫り、ユルディオは二枚を避け、三枚を受け、その背後から時間差で来た一群まで身体へ通した。


 肩へ入った切創を二経路へ、脇腹の衝撃を別の二経路へ流し、残った負荷をさらに三つへ分散する。


 床へ亀裂が走り、離れた設置物の角が弾けた。装備の表面にも新しい傷が増えたが、ユルディオ自身に残った損傷は浅い。


 七系統を最初から並行して維持できるようになったことで、さっきまで詰まり始めていた処理が一気に通るようになった。少なくとも、今の攻撃密度ならまだ受けられる。


「増えた?」


 リゼルヴェートが攻撃の合間に聞いてきた。


「気づくの早いね」


「さっきよりいっぱい壊れたから!」


「そこまで見てるなら、説明しなくてもよさそうだ」


 ユルディオは笑いながら踏み込んだ。耐えられるようになったなら、次にやるべきことは決まっている。


 攻撃を受け続けるだけでは勝ち目など生まれないし、リゼルヴェートへ考える時間を与えれば、覚醒まで使った今の運用にもすぐ別の答えを出される。


 彼女の右側へ回り込み、花弁の薄い場所を狙って距離を詰めた。正面から伸びた一群を左腕で受け、損傷を複数の受損点へ流しながらさらに前へ出る。


 今までなら一度退いていた距離まで踏み込み、リゼルヴェートが花弁を引き戻すより先に右手を伸ばした。


 狙いは本人だった。真律の規模で競えば勝てないことは、公開記録を見た時点で分かっている。ならば花弁を全部処理しようとするより、その操り手へ直接圧力を掛けた方がいい。


 少なくとも攻撃と回避を同時に考えさせれば、こちらへ飛んでくる数を減らせる可能性はあった。


 ユルディオの拳が届く直前、リゼルヴェートが上体だけを横へ逃がした。思っていたより小さな動きで打撃を外され、そのまま身体の横を通り過ぎる。


 だがユルディオも一撃に固執せず、すぐ足を切り替えて反対側へ回り、今度は足元へ蹴りを放った。


「わっ」


 リゼルヴェートが軽く跳ねるように避けた。その着地点へ花弁が集まり直すより先に、ユルディオは再度距離を詰める。攻撃を当てられなくても、彼女が自由に花弁を配置する時間を削れればいい。


 数度の攻防だけなら、それは機能した。ユルディオが近距離へ入り続けることで、リゼルヴェートの花弁は一部が防御と迎撃へ回り、四方から押し寄せていた攻撃密度が僅かに下がる。


 その間に《七傷分界》で受けた損傷を処理し、負荷を逃がす先も少しずつ入れ替えていく。受け切るだけではない形で、ようやく試合の流れをこちらから動かせた。


「ちゃんと近づいてくるんだね!」


「勝つ気はあるって言ったでしょ」


「うん!」


 リゼルヴェートは楽しそうに返しながら、ユルディオの蹴りを避けた。明るい声とは裏腹に、その動きには迷いがない。近距離戦が不得意だから逃げているのではなく、必要な分だけ外して次の攻撃へ繋いでいる。


 ユルディオが距離を詰めたことで手数が減ったのも、おそらく一時的なものだった。


 その予想はすぐ当たった。リゼルヴェートが大きく後退したわけでもないのに、彼女の周囲へ散っていた花弁の配置が変わる。さっきまで防御へ戻していた分をそのまま残し、別の花弁だけを外側へ広げ始めた。


「近いなら近いままでいいんだ」


 その言葉の意味を理解した瞬間、ユルディオは横へ跳んだ。目の前のリゼルヴェートを中心に、花弁が内側と外側の二重に分かれている。近距離用の迎撃と、逃げた先を塞ぐ攻撃を同時に維持するつもりだった。


 内側から三枚が迫り、ユルディオは一枚だけ避けて二枚を受ける。そこで左へ逃げると、待っていた外側の花弁が進路へ入り、さらに後方から時間差で別の一群が回り込んできた。七系統へ広げた《七傷分界》へ次々と損傷が流れ込み、分散し終える前に新しい負荷が重なってくる。


「そう変えるか……」


 出力が増えたわけではない。最初より一撃が重くなったわけでもない。それでも、ユルディオにとっては明らかに厄介になっている。


 攻撃の数だけでなく、同時に来るものと時間差で来るものを混ぜられたせいで、一度使った受損点へ次の傷が重なる間隔まで短くなっていた。


 ユルディオは床へ流していた一つの経路を切った。そこはすでに幾度も損傷を受け、亀裂が広がりすぎている。さらに傷を流せば床そのものが大きく崩れ、かえって自分の足場を失いかねない。


 別の設置物へ使っていた受損点も限界が近かった。表面だけだった破損は内部へ届き始め、次に大きな衝撃を流せば完全に壊れる可能性が高い。壊れるだけならまだしも、その後も同じ場所へ負荷を逃がせる保証はない。


 装備も同じだった。傷を受けるたびに金属片や外装へ負荷を流してきたため、複数箇所へ細かな破損が蓄積している。覚醒で七つの経路を維持できるようになったからといって、その七つが永遠に損傷を引き受けてくれるわけではなかった。


 リゼルヴェートは、その変化を見ていた。どこまで理解したかは分からないが、攻撃を止めるどころか、今度は花弁の発射間隔そのものを崩し始める。


 十枚を同時に送った直後、僅かに間を空けて三枚、その処理中へ左右から五枚ずつ重ねる。同じ数を規則正しく飛ばすより、ユルディオが受損点を組み替える瞬間を狙う形へ変わっていた。


「本当に早いな」


 相手が攻略方法を探す速度の話だった。ユルディオは右腕へ当たった花弁の傷を二つへ割り、次の脇腹への衝撃を別の三つへ分ける。その時点で六系統へ負荷が走り、残る一つへ後方から受けた傷を押し込むしかなくなった。


 身体へ残る損傷も増えていた。覚醒しても総損傷量そのものは減らない以上、分散先に余裕がなくなれば身体へ残す割合も増える。


 肩と腕には浅い切創が幾つも刻まれ、呼吸も最初より僅かに重くなっている。それでも脚は動き、まだ次の一手を考える余裕は残っていた。


 もう一度、距離を詰める。今度は迎撃されることを承知した上で、花弁の配置を崩すためだけに前へ出た。ユルディオは左肩へ一撃を受けながら正面を抜け、リゼルヴェートの右側へ拳を振るう。


 リゼルヴェートは半歩だけ身体を引いて避け、そのまま花弁を閉じるように左右から寄せた。ユルディオは後方へ退きながら二群を受け、《七傷分界》を維持したまま損傷を七経路へ振り分ける。


 地面が砕け、離れた固定物へ新しい亀裂が入り、装備の肩当てもついに大きく割れた。


「まだいける?」


「今のところはね」


 答えながら、ユルディオは自分が嘘を言っていないことを確認した。今ならまだ戦える。次の一手を考える余裕もあるし、降参を選ばなければならない状態ではない。


 ただし、《今なら》だった。


 視線の先で、リゼルヴェートの周囲へさらに花弁が増えていく。新しい技を使う様子ではなく、さっきまでと同じ《星桜千華》の運用を広げているだけに見えた。


 それでも軌道の数は増え、正面だけではなく左右と上方へ配置が広がり、時間差で動かすための一群まで後ろに残している。


 ユルディオは反射的に、現在使っている受損点を確認した。床の二地点は限界が近い。設置物の一つは次で壊れる可能性が高く、装備も二か所がこれ以上の大きな損傷を受けられない。


 別の受損点へ組み替えることはできても、その作業中にあの数を受ければ処理が遅れる。


 次を全部受けても即死するとは限らない。避けながら一部だけ処理し、もう一度接近できる可能性もある。それが成功すれば、まだ勝負を続けることはできた。


 問題は、失敗した時だった。


 処理しきれなかった傷が身体へ残る。受損点が限界を越え、想定以上の損傷を一度に引き受ける。それが脚なら移動を失い、腕なら防御が減り、胴なら次を受ける余裕そのものがなくなる。


 そこでさらにリゼルヴェートの攻撃が続けば、降参を宣言できる状態を維持できる保証はなかった。


 ユルディオは勝てるかどうかではなく、生きて帰れるかどうかへ判断基準を切り替えた。そうなった時点で、考える順番は昔から変わらない。意地を張って続けた場合に得られるものと、ここで終えた場合に失うものを比べればいい。


 順位は落ちる。それは構わない。


 ポイントは敗北しても減らない。十四のままだ。


 見ている者に、また降参したと思われるかもしれない。それも今さらだった。


 せっかく第三十一位へ挑んだのだから、もう少し試したい気持ちはある。だが、それは命を賭ける理由にはならない。


 祖国へ戻れば、自分はまだ唯一の至冠者だ。負けた第三十八位でも、生きて帰る至冠者であることに変わりはない。ここで無理をして死ねば、ハルヴェナ小侯国から至冠者という抑止力そのものが消える。


 最後の答えは、比べるまでもなかった。


 リゼルヴェートの周囲で花弁が動き始める。先ほどより多い。それでも彼女が攻撃を放つまでには、ごく短い時間がある。


 ユルディオは構えを解いた。


 中途半端に手を上げれば、相手が意味を取り違える可能性がある。声が届かなければ次撃は止まらない。だから身体を正面へ向けたまま、リゼルヴェートにも、戦闘範囲の外にいる者たちにも聞こえる声量で、はっきり告げる。


「――降参する」




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